番外編2
何でもない日の何でもないことが



「烏養さん、こんにちは」
「おう、勉強してきたのか?」
「うん。一応受験生だし…まあ短大だから大丈夫だと思うんだけどね」

最近帰りが遅い彼女を心配していたら、今日は更に根を詰めてきたようだ。
最近よく座るストーブの近くの席で、くたっとうつ伏せている。

「ほい」
「わ…ありがとう」

いつも飲んでいるミルクティーを差し出すと、嬉しそうに受け取って口をつけた。

「あれだな、早ぇな。もう卒業か」
「うん」
「短大は仙台だったか?」
「そう…。実家は出て1人暮らしする予定」

そうか、と彼女が言った言葉を聞いて頬杖をつく。

このまま離れていって、この子は別の誰かと付き合ったり、結婚することだってあり得るわけだ。
そう思うとぎゅうっと心臓が掴まれるような感覚がして、おいおいこの子の選択に任せるんだろうが、と自分を叱咤した。

「烏養さん?」
「あ?…すまん、ぼーっとしてた」

心配そうにこちらを見ている彼女と目が合った。

「ねぇ、烏養さん。私ね、すごいなって思うんだけど」
「ん」

いつもの調子で始まる彼女の何でもない話に耳を傾ける。
この時間が好きだった。
何でもない日の、何でもないこの時間が愛おしくて。
俺はきっともしこの子と離れたとしても、この時間のことを懐かしく大切に思い出すだろう。

「ねぇ烏養さん聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」

笑って言えば、もう、とむくれる彼女を可愛いと思う。

「…烏養さんは狡い」
「何が?」
「そんなふうに笑って」

俯いた彼女の頬が赤くなるのを見て、触れてしまいそうになる衝動を必死で抑えた。
この子は俺がどんな思いで堪えてるかなんて、想像もしないだろう。
それで良いんだ。

「今日何の日か知ってる?」
「何の日?何かの日だったか?」

分からなくて首を傾げると、彼女がそっと小さな紙袋を差し出してきた。

「…今日は、バレンタインです」
「え、あ、そうか」

そんなイベントがあることをすっかり忘れていて、目の前に差し出された紙袋に目を落とす。

「これ…」
「好きな人にチョコを渡す日ですよ、今日は。だから」

恥ずかしそうに別のところを見ながら、少しつっけんどんにそう言う彼女に、俺は年甲斐もなく動揺した。

「…お前な…」
「…嫌でした…?」

ーあぁ、また。

不安そうに伺うように見てくる、その目に俺は弱いんだ。

「いや、もらっとく。ありがとう」

俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
俺は堪らなくなって、紙袋を持ってその場を離れる。

「…なんっで、こんなのに惚れちまったのかねぇ」

カウンターの影に隠れてため息混じりにこっそり呟くと、彼女が、何ですか?、と聞いてきた。

「何でもねぇ。
これ渡すためにわざわざ寄ってくれたんだろ。
もう遅いし送ってくよ」

誤魔化すようにしてそう言うと、やったーと、こんなに余裕がない俺のことなんて何も知らない彼女が、のんびりとした声を出した。

ーほんと、なんでこんなのに惚れたのか。

そう思いながらも、向けられる気持ちがやっぱり嬉しい俺は、すっかり彼女に落ちている。