No.9



黒は良い。
しっとりと暖かくて、肌に馴染む。
私は昔から黒い色が好きだ。

普段着を流石に黒一色にする訳にはいかないけれど、装飾品で色を入れる程度で黒い服が多い。

だから、身につける物を黒一色にしてもいい大義名分のある"行事"は、嫌いじゃない。

いや、そう思っていないと、耐えられないというだけかもしれないけれど。



「この度はご愁傷さまでした」
「恐れ入ります」

父の兄が亡くなった。
喪主はその妻で、私からすれば叔母にあたる。
この人は親族の中で唯一まともに話ができる人物だ。

2人の間に子供はおらず、受付には喪主の叔母と記帳を手伝う父と母の姿があった。
夫を亡くしてまだ間もない未亡人となった叔母だが、その表情は淡々としていて読めない。
私は彼女のそういう所が、安心するし信頼に足ると昔から思っている。
だがそう思っているのは、親族の中で私だけだろう。

人付き合いが苦手らしい叔母は、明らかに親族から浮いていて(子供の頃妙に私が懐くものだから、親族の間では子供しか相手にしないと陰口を叩かれていたのを聞いてしまったことがある)、最早、馴染むまいと努力しているようにすら見えるくらいだ。
叔父も物静かな変わった人だったので、夫婦で変わり者扱いされていた。

私の母はその点、抜け目がないというか、世渡りが上手いというか、家で見ている彼女からは想像もつかない人当たりの良さを発揮し、親族とも当たり障りなく上手くやっていた。
他人といる母を見る度に毎回不思議に思うのだが、他人だらけの本来居心地の悪い筈の空間で、母は家にいる時よりもリラックスしているように見える。
母と叔母、2人が並んだ時に、どうしても叔母の不器用さが目立つのも仕方がないことだろう。

当の本人は特段気にしている訳ではなさそうだが。



「美貴、お茶お出しして」

まったく喪主は何してるのかしら、とブツブツと文句を呟きながら母が茶器の乗った盆を渡してくる。
そういえば、受付で彼女の姿を見た後見かけない。

「うん」

私は適当に返事をして、盆を受け取ると母に背を向けた。
こういうことをしたくなくて、叔母はきっと隠れているんだろうなと思うと、不意に可笑しくなって笑ってしまった。







「叔母さま」
「…美貴ちゃん」

離れの建つ裏庭を覗き込むと、軒下に立ってぼんやりと降り出した雨を見ながら、静かに煙草を燻らせている叔母がいた。
薄暗がりに黒喪服で佇むその姿は、悲しみに暮れて立ち尽くす未亡人というよりも、親に置いて行かれた子供が所在無さげに立っているように見える。

「喪主がいないって、皆怒ってたよ。まして家で通夜やってるのにって」
「いいのよ。あの人達が私に怒ってるのはいつもだもの」

特に気に留めていない風で、再び煙草を口元に持っていく叔母の横顔を見る。
叔母の吐いた煙が、雨夜に消えてゆく。

「叔母さま、火、持ってる?」

ジャケットのポケットから煙草を取り出しながらそう聞くと、何も言わずに叔母がマッチを取り出した。
本当はライターを持っているけれど、叔母のマッチを擦る仕草が好きでこうして頼んでしまう。

喫煙癖は叔母の影響で、煙草を吸う仕草そのものというよりもこのマッチを擦る仕草に憧れて、煙草を吸い始めた。
結局、叔母のように美しくマッチを擦ることができずに諦めて、喫煙癖だけが残ってしまったのだけれど。
(私の喫煙癖を知った時、母はカンカンだった。みっともない、と軽蔑するような目で見られたことを思い出すと、母とは本当に相容れないな、と思う。)

昔から変わらないその美しい仕草を眺めて、小さなその火に顔を近づける。
煙草に火が着いて顔を離す瞬間、煙の匂いの向こうに叔母の香水の香りが舞った。

「…ありがとう」
「こんな所で、しかも煙草なんて吸ってるところお母さんに見られたら、怒られちゃうわね」

ミイラ取りがすっかりミイラになってしまった、と叔母は節をつけて歌うように言う。

「ね、叔母さま」
「なぁに?」

さぁっと庭木に細かな雨が当たる音がして、土と草の湿った匂いがする。

「…大丈夫?」

本当はもっと、言うべきことが、掛けるべき言葉がある筈なのに、こんな時に限って肝心の言葉は見つからない。

叔母は少し驚いたような顔をして、それから、それが不思議なくらい大丈夫なのよ、と困ったように笑った。

「なんだか、変なんだけど私、今すごく楽なの。
だって、誰にもあの人を奪われることもないし、私たちの時間を邪魔されることもない。
これから私、死ぬまであの人の記憶と生きるの」

これってやっぱり変よねぇ、と叔母は白く節張った手を頬に当てて、首を傾げた。

「…叔父さまのこと、愛しているのね」
「そうねぇ。きっとそういうことね」

雨の霞の向こうに何かを探すように目を細めた後、少し黙って、叔母がそっと口を開く。
ねぇ、だけど、美貴ちゃん、と叔母が言う。
叔母の口癖みたいな、その言葉。
私は聞き慣れたその出だしの後の言葉を待つ。

「だけど、こんな気持ち、若い身空でするもんじゃないわね。
私だったら、とても耐えられないわ。
だってとっても寂しいもの、亡霊を愛し続けるなんて」

ねぇそう思わない?、と言って微笑んだ叔母から、私は目を逸らした。

知っている。
それがいかに虚しく、空虚なことであるかを。
私はそっと、教授の乾いた肌と、唇の冷たさを想う。

亡霊と違ってたちが悪いのは、実態があって、触れられることだ。
いや、もっと悪いのは、その孤独感や苦しみをも愛おしいと思うようになってしまったことか。

「これからは私1人だし、気が向いたら遊びに来てちょうだい」

叔母は私の手をそっと撫でながらそう言って、そろそろ戻るわね、と私を残して立ち去った。