11話
クラシックの流れる室内に、藍染は静かに座り珈琲を飲んでいる。
その前で、千笑は1枚1枚綺麗な字で書かれた原稿を捲る。
流石、藍染先生。非の打ち所のない…。
綺麗に纏められたその文章や、構成を見ながら、千笑は感嘆の息を吐いた。
喜助は作家"しか"できないタイプの人間だが、藍染は作家"も"できる人間だろう、と不意にそんなことを考えながら、読み終えた原稿を、とん、と揃える。
「…確かに、確認致しました。
今回も素晴らしく美しい作品ですね」
千笑はにこりと笑って、原稿を纏めて鞄にしまった。
「ありがとう。
君にそう言って貰えると自信になるよ」
本当にそんなこと思ってます?
悠然と微笑むその表情に、千笑はやはり疑いを感じてしまう。
「それで、先日の話なんだが」
かちゃり、と藍染がカップをソーサーに置く音が響いた。
「先日…?」
藍染が何を言わんとしているのか、直ぐに思い当たらず一瞬首を傾げて、あ、と口を開いた。
「あの、あれは、冗談かと思っていたのですが…」
「生憎、私は冗談を言わない
浦原君と違って、とどこか愉しげに言う藍染を見つめて、数日前の居酒屋でのやりとりを思い出す。
・
『京楽君が、強引にすまなかったね』
京楽に誘われて、平子と共に藍染と酒席を共にすることになった。
自然な流れで藍染の隣に腰を下ろした千笑に微笑んで、藍染が空の杯に酒を注いでいる。
『あ、すいません、先生にお酌させるなんて…』
『いいんだ、気にしないでくれ』
平子と京楽は最近の本の売れ行きや、その傾向のことについて真面目に話をしている。
この人の周りだけ違う時間が流れてるみたい。
藍染を見て千笑はそんなことを思う。
穏やかな、隙のない静けさ。
『牧田君』
不意にその静けさが途切れた。
『あ、すいません、ぼーっとして』
『いや』
銚子を持ち上げて、今度は藍染の空になった杯に千笑が酒を注ぐ。
『次は』
ちゃぷ、と酒が銚子に落ちる音がして、藍染が酒で満たされた杯を持ち上げて微笑んだ。
『2人で呑みたいものだね』
まただ。
千笑はパーティーでの藍染を思い出す。
一瞬で変わった妖艶な空気に、千笑は太刀打ちができず固まってしまう。
『こらこら。堂々と口説くんじゃないよ』
油断も隙もない男だねぇ君は、と京楽が口を挟んで、千笑はほっと息をつく。
『京楽君には言われたくないな』
藍染は何事もなかったかのように酒に口を付けた。
・
ただの気紛れな冗談だと思っていた。
あの場であの話は終わっていたと、そう思って、覚えてすらいなかった。
分からない。
千笑はどうしても腑に落ちない気持ちで、目の前の隙のない男を見る。
藍染にこう言われて堕ちない女はいないだろう。
何せ、この顔、この声、この才能である。
ただ千笑には通用しない。
仕事といえど、担当として密に関わっていれば嫌でも見えてくる仄暗さ。
千笑にはそこが見えている。
だから、藍染の言動がどうしても解せない。
藍染が目論見なく動く人間でないことを千笑は知っている。
「君がそういう
「え?」
唐突な、脈絡のない藍染の言葉を、千笑は理解しきれずに、疑問の声を出す。
そんな千笑に構わず、藍染は話を続けた。
「作家という生き物はね、己の本質を晒す仕事をしている癖に、その本質を生の人間関係の中では隠そうとするなんていう、如何にも面倒くさい人種なのだよ。
まぁ尤も、小説を書くということは極めて個人的な作業であって、書いてしまった後のことなんて、多くの作家が
だから、と藍染は話を一旦切って珈琲を一口飲む。
「そうやって本質を見抜いてしまう、君みたいな
君のような
そう言って、藍染は柔和な笑みを浮かべた。
君みたいな
「…買い被り過ぎではないでしょうか?」
「いや。現に君が今、私に抱いている警戒心こそが、私の本質を見抜いてる証拠だよ」
すっと細められた双眸に射抜かれて、逸らす事ができない。
「恐らく、君と私は同じ種類の人間だよ。本質を見抜く目を持っている。
私なら君を分かることができる」
テーブルを挟んで頬に伸びてきた手に気がついて、千笑はそっと身をひいた。
「…今日は、これで失礼します」
「…あぁ、悪かったね。忙しいのに長々と」
何事もなかったかのように藍染が微笑み、千笑は急いでその場から立ち去った。
続