12話
乗せられた…。
Aラインの薄い紫のワンピースが風に揺れる。
久しぶりにした綺麗な格好に、千笑はそわそわと落ち着かない気持ちで足を早めた。
手首の腕時計を見ると17時45分。
千笑は小さく溜息を吐く。
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『新刊の進捗報告とスケジュールの打ち合わせがしたいんだが、出先でね。
18時に〇〇ビルの前で構わないかい?』
『えぇ、大丈夫です』
『良かった。
遅くになってしまうから、そのビルのレストランで食事をしながらにしよう。
それでは、18時に』
止める間も無く切れてしまった電話の後、仕方なく指示されたビルに入っているレストランのホームページをパソコンで開いた。
『えっ千笑さん、そのレストラン行くんですか?』
背後から花奈が声をかけてきて振り向く。
『うん、打ち合わせで…』
『打ち合わせ?!打ち合わせでこのレストランですか?!』
『いや、藍染先生に指定されて…やっぱりこの感じ、結構ちゃんとしたところだよねぇ…』
『ちゃんとしたも何も、ここ有名ですよ!こんなところで打ち合わせなんて、羨ましい…!』
目を輝かせている花奈に苦笑していると、あれこれと説明してくれた。
何でもフランスで修行を積んだ後有名ホテルのシェフをしていた人が、独立して日本に出した第一号店なのだそうだ。
しきりに、いいなぁ、と繰り返す花奈を見て千笑は肩を落とした。
・
代われるもんなら、代わってほしいよ。
いつもより少し高めの、履き慣れないヒールに気後れする。
結局花奈に色々と聞いた結果いつものスーツで行けるような場所ではないと判断し、一旦帰宅して着替えてきたのだ。
服だけ着替えても変なので、髪を巻いて、化粧もやり直して、としていたら妙に気合いを入れた格好になってしまった。
嫌だなぁ、なんか頑張ってるみたいで。
『アタシとデートしまショ』
何となく、喜助がデートだと言って連れ出してくれた日のことを思い出していた。
デートだとそう言いながら、散歩のように一緒に歩いてくれた喜助のことを。
何だかもう、随分昔のことみたい。
たった1年ほど前のことを、千笑は既に懐かしく思う。
目的のビルが見えて、先に来ていた見知った長身を見つけた。
そして、今日待ち合わせをしている人が、喜助ではない事実を受け止める。
「すいません、お待たせして」
「私も今来たところだよ。行こうか」
藍染が微笑んで歩き出すと、道行く人が振り返って見ていく。
その視線に居た堪れなさを感じながら、隣を歩く藍染を見上げて、まぁでも見ちゃうよね、と納得する。
今日はいつもの眼鏡は外していて、髪も上げている。
ストライプの入った濃いグレーのジャケットに、ネイビーのシャツを合わせたその姿は、俳優かと思うくらい格好良い。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます…」
エレベーターの扉が開き、先を促されて慌てて中に入ると目が合った。
「今日は一段と綺麗だね。いつもの君も私は好きだが」
そう言ってふっと微笑んだ藍染から、千笑は慌てて目を逸らした。
・
「申し訳なかったね。今日は強引に呼び出して」
レストランでの食事を終え、藍染がよく来るのだというバーに来ていた。
カウンターの隣の席に座る藍染を見ると、言葉とおり申し訳なさそうに笑っている。
自分で強引なこと分かってたんだ。
意外な藍染の言葉に戸惑いながら、千笑もまた困ったように微笑んだ。
「そうですね…。前もって言っていただけると、有難たかったですが…」
「前もって、食事に誘っていたら来てくれたかい?」
「それは…」
千笑は言葉を濁す。
実際のところ、食事に誘われても応じなかっただろうと思う。
打ち合わせと称したこの食事でさえ気が重たく、折角の料理の味もよく分からなかった。
ただ一つ千笑の想像と違ったのは、レストランでは本当に食事をしながら打ち合わせをしただけに止まり、プライベートな話は一切出なかったこと。
だが結局それに安心していたら、用意されていたタクシーに乗せられてこんなところに来ていた。
困ります、と言い募っても、打ち合わせはまだ終わっていないから場所を変えよう、と言いくるめられてしまった。
本当に途中で終わってレストランを出ていたことも計算だったのかと思うと、余計に始末が悪い。
千笑は手帳を開きながら溜息を吐く。
「では、先生今後のスケジュールの件ですが」
「君が私のことを警戒して、疑っていることは知っている」
千笑の言葉を遮った藍染の言葉が図星で、ぎくりと身体を強張らせた。
恐る恐る視線を上げると、いつもより随分柔らかく微笑む藍染と目が合う。
「どうも、私は目的の為に手段を選ばないところがある。それは自覚している。
だが、君のことを愛おしいと思う気持ちは、決して嘘偽りなどではないと分かってほしい」
そうかもしれないけれど、と千笑はその整った顔を見て思う。
藍染の行動はいつも筋が通っていて、理由なく動く人間ではないことを千笑は知っている。
二面性があるように見えて、実は至極単純な人なのかもしれない。
だが、それは藍染の目線での話であって、千笑には関係のないことだ。
その行動の結果、人がどう思ったり、どんな気持ちになるのかを考えないのだろうなと千笑は思う。
あ、なんか腹立ってきた。
「藍染先生」
「なんだい?」
千笑は今度は逸らすことなく、真っ直ぐ藍染の目を見つめる。
「正直に申し上げて、このようなことをされると本当に困るんです。
先生が私に執着する理由はなんですか?そしてなぜ、今なのですか?
先生が思っているような人間では、私はきっとないですよ」
もっと早くにこうしていればよかった、と千笑は思う。
勘繰って疑って逃げ回るよりも、直球で確かめて、はっきりと迷惑だと思っていることを伝えればいい。
もう疲れたし、面倒だ、と思う。
こういう相手の気持ちを考える方が無駄だ、と、そこまで考えて、不意に藍染が言っていた言葉を思い出した。
『恐らく、君と私は同じ種類の人間だよ』
あぁそうか。
その言葉の意味を千笑は思う。
結局一番自分が大事なところが、藍染と似ているところだ、と。
「ふふ…。うん。そうだな、ちゃんと話しておこうか。
私は価値のない人間が嫌いだ。君には価値がある。
聡明で、仕事が早く、私と言う人間を理解することができる。
君の素晴らしい所は、そういう所だ。私が愛おしいと思うのも。
私と共にいれば、君のその素晴らしい能力を発揮することができる。
良い関係だと思うのだが。
これが1つめの質問の答えだ」
やっぱり買い被ってる、と大方予想していたような返答が返ってきて、千笑が抗議の為に口を開こうとしたが、藍染の言葉が続く。
「2つめの質問については…そうだな、有り体に言えば、嫉妬かな」
思わぬ返答に、千笑は驚いて目を見開いた。
そんな千笑を見て、藍染は微笑んで首を傾げる。
「可笑しいかい?
君がここ1年程で、浦原君に対しての心情が変化していっているのは見ていてよく分かったからね。
こう見えて、執着するタイプでね」
涼しい顔をしてそんなことを言う藍染に、千笑は何も言えない。
顔に熱が集中するのが分かる。
どうしてこのタイミングで、そんな感情の話をするの。
心臓が脈打つのが自分で分かる。
「浦原君に取られたくなかった、ただそれだけのことだよ」
目の前の藍染が発した言葉とは思えず、千笑は言葉に詰まる。
「納得してもらえたかい?」
にっこりと微笑む藍染と目が合った時だった。
「お隣、良いっスか?」
懐かしい声と癖のある話し方。
ふわりと香る煙草の香りは、少し前にやめたと言っていた銘柄のもので。
振り返らなくても分かる相手の存在に、千笑は泣いてしまいそうになる。
気がつくと、ゆったりとした笑みを浮かべた喜助が横に座っていた。
続