13話


「お久しぶりっス、千笑サン。
アラ、そしてそちらは、藍染先生じゃないっスか」

喜助はにこりと千笑に微笑んだ後、そのままの笑みを藍染に向ける。

「やぁ、奇遇だね、浦原君」
「えぇ。本当に」

なんか、こわっ…2人ともこわっ…!

笑い合っている双方共に、その表情のような和やかな雰囲気は欠片もなく、千笑は身が凍えるような感覚を味わっていた。

「えぇっと…では私はこれで…」

とにかくこの場を離れたい一心でおずおずと切り出し、席を立とうとする千笑の肩を、2人が両側から抑えて座らされる。

「まァまァ、いいじゃないっスか、もう少し。
久々に会えたんだ。今夜はアタシと飲みまショ」

甘い蕩けるような笑みを向けてくる喜助の顔が、すぐ側にあって千笑は言葉を失う。
あまつさえ、逞しい手が腰に回されるではないか。

「あ、あの、先生…!」
「今夜は私に付き合ってくれると言っていただろう?」

混乱で慌てていると、唐突に耳元で囁かれた深い声に肩を上げる。
驚いて喜助から目を逸らして声の主を見ると、悠然と微笑んだ藍染の視線とぶつかった。

「それにまだ、打ち合わせが終わっていないよ」

微笑んだまま、そんなことを言う藍染に千笑は目を見開く。

打ち合わせなんてこんな状況で無理だよね?!

戸惑う千笑を見ても全く動じずに、藍染は穏やかに笑っているだけだ。
だが、しっかりと視線を捕らえて離さない双眼は、逃げられないことを千笑に悟らせる。

「藍染先生…千笑サン、困ってるじゃないっスかァ。
強引な男は嫌がられますヨ?」
「君こそ、その嫌らしい手をどけたまえ。
女性の身体に無遠慮に触るなんて、困った人だな浦原君は」
「いやァ、嫉妬なんて藍染先生らしくもない。どうしたんスか、今日は。余裕ないっスねぇ」

挑発的なやり取りに、千笑は頭が痛くなってくる。

誰か助けてくれ…!

心の中で祈った時だった。

「お、牧田?」

緩い声に3人同時に振り返る。
仄暗い店内の間接照明に、金が揺らめいた。

「平子さん…!!」
「喜助…と、藍染先生も?!」

珍しいですねぇ、と呑気に笑って近寄って来た所で、はた、と平子が立ち止まった。
只ならぬ雰囲気を察知したように眉を寄せた後、にんまりと笑う。

「藍染先生、丁度良かった。
今日これから編集長と打ち合わせがてら飲もか、いう話になっとるんですわ。
先生の新刊の話も出る予定なんで、特に用事がなければご同席願いたいんですが、お願いできます?」

平子の言葉にほっと胸を撫で下ろした後、いや連れて行くならもう1人も連れていけや!、と心中で突っ込みつつ必死に目で訴える千笑に、平子は惚け顔を返している。

「平子くん、牧田くんは私の担当ですし、彼女にも同席して貰いたいのですが」
「いや、それが…」

尚も言い募る藍染に、平子が耳打ちをする。

「…仕方ないですね…。
牧田君急ですまないが、私はこれで失礼するよ。
君ももう帰るだろう?タクシーを呼ばせよう」
「すいません…。あ!平子さんここのお代、経費で落とすんでお願いします」

はぁ?!という抗議の声を表情だけで表現する平子を無視して、千笑はにっこりと微笑んだ。

タクシー代や飲み代は経費で落ちないなら、平子に負担させる。

そのくらい、してもらわないと割に合わないって。

行きましょう、と先を歩き出した藍染について行きながら、平子が歯を剥き出して威嚇してくるが、ひらひらと笑顔で手を振った。

「やりますねぇ、千笑サン」

隣でくすくすと笑う喜助に、千笑はふん、と鼻を鳴らす。

「平子さんが変な企みをするからですよ」

そう言ってみて、それにしても、と千笑は先程、平子が藍染に耳打ちをしていた様子を思い出す。

何だろう。担当にも言えないような話?

「千笑サン」

声を掛けられて、思考が途切れる。

「あ、はい、何でしょう」
「…ホントに、久しぶりっスね」

どこか寂しそうに笑う喜助に、こんな場でも仕事のことばかり考えていたことを、少し申し訳なく思う。

「えぇ…そうですね。お久しぶりです」

考えてみれば、ほぼ毎日のように一緒にいた数年間だったのに。
担当が変わってから、早3ヶ月である。
こんなにも長い時間会っていなかったことがなくて、確かに顔を見ると酷く久しぶりのような気がしてくる。

喜助の顔を久しぶりにちゃんと見て、ふと千笑は気づく。

「先生…痩せました?」
「そうっスかね…?」

喜助が考えるように、無精髭の生えた顎を摩った。

「ちゃんと食べてます?」
「…大丈夫っスよォ。相変わらず、心配性っスね、千笑サン」

へらりと笑った顔は、以前からするとやはり力がないように見えた。
先程まで不敵に笑っていたのに急にそんな顔をされると、どう声をかけたらいいのか分からなくなる。

「…タクシー来るまで、一緒に呑んでもいいっスか?」

切なくなるくらい、気弱な笑顔を浮かべる喜助を、千笑は無碍にできない。

「…はい」

小さくそう返事をすると、良かった、と喜助が微笑んだ。