2話


「千笑サン…」
「…何ですか…」

いつもの甚兵衛から着替え、青磁色の着物に淡茶の羽織といった出立ちの喜助が、ぽかんと口を開けている。

喜助の柔和な顔立ちと柔らかな髪の色に、着物の落ち着いた色合いがよく似合っていて、千笑は自分の出立ちに一気に自信を失う。

尚も目を見開いてこちらを見ている喜助を、千笑は少し睨むようにして見た。
どうせ、七五三っスか?、とか何とか言って揶揄うんでしょう、と身構えて身体を緊張させる。

こうなるに至るのに、話は数日前に遡る。




上司であるデスクの平子と居酒屋で飲んでいた時である。

『来月の浮竹先生の30周年パーティーやけど、お前と喜助、参加者として送っとるから』
『はぁ?!何勝手なことしくさってんですか!?私来月スケジュールパンパンなんですけど!』
『舐めんなや、お前のスケジュールくらい把握しとるわ、ボケェ。その上で空いとるとこ抑えとんねん』
『…もしかして、13日ですか…?』
『そや、そこぽっかりあいとったしィ』

べ、と舌を出して、巫山戯た顔をする平子を、千笑は脱力して眺めた。

よりによって、誕生日に仕事かよ…。

その日は、折角の誕生日だしオフとってのんびり温泉でも、なんて心弾ませていた日だったのだ。

さっさと休みにしとかなかった私が悪いんだろうけどさ…。

珍しく、奢ったる、なんて景気の良いことを言うから、のこのこ飲みに付いて来ればこんなことである。
千笑はどんよりとした気持ちで、ため息をついた。

『ドレスコードもあるから、よろしゅう』
『え、そんな固い感じなんですか?』
『いや、固いっちゅうか…まぁ、えぇやん偶には。
衣装とかメイクのことなんかは、俺の伝手でえぇとこ紹介したるから安心せぇ』

…。





な?偶には綺麗に着飾って喜助驚かしたれや、と言って愉快そうに笑っていた憎たらしい顔を思い出して、あの金髪馬鹿、と千笑は声に出さずに悪態を吐いた。

本日のパーティーのドレスコード。
和装である。

有名作家である浮竹十四郎の30周年記念パーティーということで、その作家の趣味に来場者が付き合わされたというわけだ。

洋装ならまだしも、和装なんて持っているわけもなく。
平子の紹介先である(どういう伝手なのか怪しい。どうせ女関係に違いない)、スタジオで借りることになった。
お洒落な平子の紹介というだけあって、シックで落ち着いているが、あまり見ない柄や色のものが多く、心ときめいたのは不覚だった。

「あの…先生、」
「あ、いえ…スイマセン…」

沈黙に耐えかねて千笑が声を掛けると、はっとしたような表情になって、喜助が慌てて謝る。

そして、思わず魅入ってしまう、蕩けるような笑みを浮かべて口を開いた。


「千笑サンがあんまり綺麗で、見惚れちゃいました」


千笑は慌てて目を逸らす。
そうでもしないと、顔に上ってきた体温を誤魔化せないと思ったから。

「…もう、変なこと言ってないで、行きますよ!」

恥じらいで紅く染まった顔を見られないように、千笑は喜助の背中を押す。
喜助はされるがままに、くすくすと笑いながら歩き出した。

ぴかぴかのホテルの窓ガラスに映った自分の姿をふと見て、千笑はそっと微笑む。

さり気なく光沢のある銀色の地に、細かく散りばめられた草木模様が美しく、黒の名古屋帯に、ぴりっと効いた濃い紫の帯揚げが気持ちが良い。

実は結構気合を入れて選んだのだ。
褒めてもらえたことが、こんなにも嬉しいとは。





嬉しそうに目を細めて背に手を当てている姿を、窓ガラス越しに喜助が見ていることに彼女は気がついてない。

可愛すぎるんスけど…。

あー!と叫び出してしまいたいような気持ちで、喜助は背に当てられた掌の体温を感じる。

幸せだなァ、なんて浮ついた気持ちで。