5話


穏やかな海と潮の香りに、踊る鴎の鳴き声。
白壁の土蔵や、木造の町屋が並ぶ古い街並み。
情緒溢れる港町。
遠く見える岬には灯台が立っている。

素敵…!!!

港に降り立った千笑は、美しくもどこか懐かしさを覚える風景を見て、心を弾ませる。
いつか読んだ詩の中に出てきたような、そんな街に惹かれないわけがなかった。

「お気に召しました?」

振り返ると喜助が、ふわりと笑った所だった。
見透かされたみたいで恥ずかしくなる。

「…素敵な所なのは確かです」
「はは。素直じゃないっスねぇ。そんなとこも可愛いんスけど」
「な…!」

一瞬言葉を失って、冗談言ってないで行きますよ、と千笑が言うと、楽しそうに喉の奥でくつくつと喜助が笑った。

2人でのんびりと街を歩く。
柔らかい潮風が時々頬を撫でて、心地良さに千笑は目を細めた。

そういえば旅行、ずっと行ってなかったな。

改めて彼と別れて以降の殺伐とした生活を思うと、寂しくも悲しくもないが、なんだかなぁ、という気持ちになるのだった。

久しぶりに遠出をしたのが仕事の延長線で、それもまたどうなんだ、と千笑は思う。

まぁでも。

穏やかな表情で隣を歩く喜助をそっと見て、千笑は心中で呟いた。

仕事じゃなかったら、きっとこんな風にふらっと出かけるなんてなかったかな…。

先生には振り回されっぱなしだけれど、そんなことを思って、ふと前にも同じような事があったなと思い出した。

『デートに行きましょ』

そう言って、連れ出してくれたのはもう1年程前。
彼に突然別れを切り出された次の日だった。

「あ、ホラ、あれが今日の宿っスよ」

あの日と同じような笑顔で言う喜助に、千笑は内心で有難いな、と感謝しつつ微笑んで返した。







旅館から見える景色を眺めて、千笑は1人息を吐く。
からりと窓を開けると、潮風が入り込んできて、髪をサラリと撫でていった。

部屋には千笑1人である。

ちゃんと1人部屋を用意してくれているとは…。

ぼんやりと遠くを見ながら、千笑は宿についてからのことを思い出していた。


『部屋は隣にしてるんで、何かあったら言ってください』
『え、別にお部屋とってくださったんですか?』

思わず驚いてそう言った千笑に、喜助は一瞬目を見開いた後悪戯っぽく笑った。

『…千笑サン、大胆っスね。同室が良かったっスか?それじゃあ今からでも…』
『ち、違います、そう意味じゃなくて!いいです、このままが!』

千笑が慌ててそう言うと、そんなに拒否しなくても、と苦笑して思いついたように口を開く。

『あ、でも夕飯はアタシの部屋で一緒にとるってことにしてもいいっスか?』
『は、はい、勿論』

返事を聞くと満足そうに笑って、受付をスムーズにこなす喜助を思い出す。


予約を任せてしまった手前、個別に部屋を用意してほしいなどということは言えずにいた千笑は、同室でも仕方ないと思っていたのだ。

決して踏み込みすぎない、喜助の距離感の取り方の上手さには感心する。

女性に好かれると聞いてはいたが、顔が良いという単純な理由ではなくて、こういう大人の対応にルックスが重なるから女性が寄ってくるのだろう、と千笑は自分が実際体験していることを基にそう思う。

女性慣れしてるよねぇ。

きっとこんな風に女性と旅行に行ったことなど、何度もあるのだろうと思うと、少しだけ苦しくなってしまうのは気のせいだと、言い聞かせる。

「…写真でも撮りに行こうかな」

仕事、仕事!、と声に出して言って、カメラを手に取った。
執筆のネタになるような写真を残しておくのも、編集の大事な仕事である。

灯台まで行けるかな。

千笑の思考はもうすでに、編集者のそれに切り替わっている。