「えぇ、ですから、浦原は今…」
『だから、そこをどうか頼みますよ。先生に繋いでいただけませんか』
「何度もお申しあげましたように、浦原は不在でして」
『先月からずっと不在じゃないですか!』
「そ、それは…」
『今日という今日は、直接お話しさせて頂くまで諦めませんからね』
埒が明かない不毛なやり取りに、出かかったため息を飲み込んだ。
黒電話のコードをなんとなくくるくると指に巻き付けながら、のらりくらり相手の追求をかわすが、どうにもしつこい。
事情が事情なだけに、無下に扱うわけにもいかず苦慮している。
電話口に捲し立てる相手に、あぁ、とか、えぇ、とか、適当な相槌を打っていると、顔の横をぬっと腕がかすめていった。
チンー。
伸びた腕の先では、分厚い手が受話器を切っている。
「あ、…あーーーーー!何するんですか!」
勢いよく振り向いて、よれよれの
「いや、だって、不毛で聞いてられないんスもん」
五月蝿くて敵わない、とぼやきながら、電話線を抜き去って床に落とすと、浦原喜助は満足そうに笑った。
「これでいい。今日は電話はナシっス。そのままにしといてください」
機嫌を取り戻した喜助が大きな欠伸をしながら歩き去る後ろ姿を見て、苗字名前は先程飲み込んだため息を吐き戻した。
『浦原喜助探偵事務所』
読んで字の如く、探偵浦原喜助が運営する探偵事務所である。
運営といってもその能力は本業に全振りされるため、結局のところ生活を成り立たせる細々とした事務を、アルバイトでアシスタントである苗字名前が担っている。
1年前、大学に入学したと同時にアルバイトを探していた折、偶然見つけた『急募!求ム、探偵アシスタント。退屈ハサセマセン。勤務時間要相談』という張り紙の、“退屈ハサセマセン”の文言に惹かれてこの事務所の門扉を叩いたのが運の尽きだった。
以降、アシスタントという名の、浦原喜助の世話役兼目付役として大学以外のプライベートな時間を使うこととなる。
しかしそんな厄介な職場でも、彼女には辞められない理由があった。
「さて、さて、さてと…ネタは溜まってるんだよ、色々と…」
ほくほくとした表情で手帳を
黒々と書き込まれた取材用の手帳には、写真やその他のメモなどが挟み込まれている。
「例の復刻版カストリ雑誌っスか?」
「ぎゃ!」
いつの間にか喜助が背後に回り込んで、しげしげとその手帳を覗き込んでいた。
慌てて手帳を閉じて、隠すようにして胸に抱え込む。
「いつもいつも、音もなく背後に立たないでくださいって言ってますよね?!」
あと!、と無駄だと分かっていながら、名前は声を荒げる。
「カストリ雑誌っていつの時代の話ですか。そして、あんな下品なモノと一緒にしないでください!心外です!」
「えー?アタシからすれば、大差ないように見えますケドねぇ」
にやにやと笑いながら向かいに座った喜助に顔を顰めて見せるが、なんら気にすることなく、卓にあった魔法瓶を引き寄せて、手にしていたコップに紅茶を注ぐと美味そうに
名前は憎々しげにその様子を眺めて、口を開く。
「いいですか浦原さん。私が刊行している雑誌には、エロもグロもナンセンスもありません。
大真面目に、ジャーナリズムとして、本当にあった事件を取り扱っているだけです」
そりゃあ少しの脚色は加えますが、という歯切れの悪い最後を、喜助は聞き逃さない。
「ジャーナリズムをエンターテインメントに作り替えるのは、充分、グロくてナンセンスだと、言ってるんスよォ。
あぁ、しかし、確かにエロもセクシーも入ってないっスね。カストリにも成れない、カストリ
悠々と表情を変えずに紅茶を啜り続ける喜助を前に、名前はやり場のないフラストレーションを原稿にぶつけるべく、再度手帳を広げた。
2人してカストリ雑誌などという時代遅れの言葉を普通に使っているが、今やコレクターが集めるような戦後に流行ったいかがわしい雑誌のことである。
性的な写真、文章や、眉唾物の都市伝説や猟奇事件を取り扱う、なんでもアリの大衆娯楽雑誌だ。
名前からすれば当然面白くない。
苗字名前のもうひとつの顔、それは、大学の記者倶楽部に所属する学生記者である。
身内にも内緒でこっそりと月刊誌を手刷りしては、ゲリラ的に学内で売り捌いている。
新聞では大きく取り上げられないような事件の詳細を、最初から最後まで調査して結末までを記事にするところが売りだと自負している。
意外にも支持者がおり、大抵の場合黒字にはなるくらいには売れた。
そのことが、彼女の自尊心を満たしていることを、喜助はしっかりと見抜いている。
「若い娘サンが書くモノじゃぁないでしょう。ホラ、恋愛小説なんかいいんじゃないスか?」
喜助の発言に名前は、ゲ、と顔を
「そ、そうですか?そんなに文章上手です?」
「まァ、その辺の学生よりは、書ける方なんじゃないっスか」
「…浦原さんって、ほんと失礼な人ですよね」
「やだなァ、正直者と言ってくださいよ〜。アタシ嘘はつけない
カラカラと笑うたびに揺れるふわふわの髪を、根こそぎ引っこ抜いてやりたいと思いながら、名前は叶わぬ願望だと諦める。
それに特色のある記事が書けるのは、この風変わりな探偵のお陰であるといっても過言ではない。
何せ求人チラシの文言通り、勤めてこの方退屈はしたことがない。
彼のもとに集まる事件は、奇怪で変わったものが多いのだ。
否、喜助がそういう事件を選り好みして引き受けている節がある。
「そういえば、さっきかかってきてた電話ですけど」
「どうせ、
「そうです、良く分かりましたね」
名前が目を丸くすると、ここのところ毎日っスからね、とうんざりした調子で喜助が頭をかいた。
つい先日、嬰児拐かし事件を解決してから、その手の依頼が殺到している。
その事件も奇怪な事件で、実は次のネタをこの事件にできないかと名前は密かに目論んでいた。
「もう子供絡みはいいっス。気分が悪い」
「最初は乗り気だったじゃないですか」
「でも、もう今は興味がない」
「じゃあ、この事件、記事にしてもいいですか」
「ダメっス。というか、今の話の流れで、どこをどうとって、じゃあ、となるんスか」
ケチ、と口を尖らせて呟いた名前を意にも介さず、喜助は卓上にあった朝刊を広げた。
「でも、浦原さんの評判を聞きつけて、皆さん電話してこられてるんですよ」
紅茶の入ったカップが朝刊に当たらないようにどかしながら、名前は喜助の目を覗き込むようにして言う。
当の喜助自身は一瞥も寄越すことなく、朝刊に夢中だ。
「浦原さん、聞いてますか」
「アタシでないと解決できない事件でないンなら、やる気はないっス。
アチラが本気なら、ここまで足を運んでくるでしょう。話はそこからっスかね」
相変わらず朝刊に目を落としたまま、そう言って退ける喜助に再び溜息を吐こうとした時だった。
ブー。
事務所の呼び鈴が、来訪者を告げている。
「浦原さんお待ちかねの、“本気の依頼人”じゃないですか?」
嫌そうな顔をしている喜助に、だらしない格好してないで着替えてきてください、と言いながら追い立てると、足を引きずって自室へ引き返していった。
「はーい、ただいま」
名前は依頼人を出迎えるべく、事務所の扉に手をかけた。
内心、好奇心で浮き足立っていることを悟られぬように注意して。