君は縁(よすが)C




「危ない」

自分で避けられるわ、とツッコミを入れたくなるようなタイミングで、肩を抱き寄せられる。

カラオケに行くなんて言ったらついてくるかもしれないことを危惧して、ひとまず駅に行くと嘘をついたらこの様だ。
バレンタインだからかカップルが多くて、隣を歩いているこの男と私もそう見られているのかと思うと最悪な気分になる。

「名前ちゃんって、もしかして結構抜けてるところある?」

馴れ馴れしく名前で呼んでくる男に、精一杯の愛想笑いを返したところで駅に到着してほっとする。

「あ、ほんと、私ここで、」
「ちょっと待って」

走り出そうとする私の手を、男の手が掴んだ。

うわ、最低すぎる…。

物凄く引いた顔をして見せたが、このシチュエーションに酔っているのか彼は気がついていないらしい。
そのまま距離を詰めてきて、壁に追い詰められた。

「あの、人がいる場所なんで、ちょっと離れて欲しいんですが…」
「俺、今日ずっと君のこと見てたんだ」

鼻息が荒い。
正直に言って相当気持ち悪い。

「名前ちゃん」

ベタつく声で名前を呼ばれて、身体中に鳥肌が立つ。
身体を押し返しても相手にやめる気がないらしい。

「おい…マジでいい加減にしろよ」

ボソリと呟いた私の声に、え?と間抜けに聞き返してくるので、もう駄目だ、と判断した。

玉を蹴り上げて、そのまま逃走しよう。
もうこの際、仕事辞めるでもなんでもしてやる。
知り合いがいない所に引っ越して、やり直そう。
そうだ、それがいい、そうしよう。

頭の中で一気に方向性が纏まった。

ぐっと足に力を入れる。



「嫌がってるだろ。やめろよ」

淡々とした声が聞こえて、気がついたら目の前から男がいなくなっていた。
代わりに大きな背中が立ちはだかっている。

「なん…だよ、お前!」
「ずっと見てたけど、アンタ、これ立派な犯罪だよ。周りの目気にしないと、ね?」

声は冷静に聞こえるが、男のスーツの肩を掴んでいる手に力が入り過ぎて震えている。

「わ、分かったから…!離せ…!」

男が語尾を震わせて言うと、掴まれていた手がぱっと離された。
彼は最後に忌々しげに私を睨みつけると、そそくさとその場から逃げていった。

当の私は、目の前の背中を見つめるのに精一杯で、怒りを感じる暇さえなかったのだけれど。

「杉元…?」
「…久しぶり」

少し間があって、振り向いたバツの悪そうな顔を見て泣きそうになる。
たった半年離れてただけなのに、懐かしくて堪らない。

どうしてこんな最悪な時に、居合わせてしまったのだろう。
こんなところ、見られたくなかった。
情けない、恥ずかしい、悔しい。

溢れ出そうになる涙を、必死で堰き止めようとする。

「行こう」

優しく、一緒にいた頃と同じように手を引かれて、身体がふわっと軽くなる。





「大丈夫?」

駅前の広場にあるベンチに腰掛けさせられて、杉元は横には座らずに、私の真正面でしゃがんだ。
心配そうに揺れる瞳と、視線が合う。

「ありがと…大丈夫…」
「嘘。全然、大丈夫じゃないでしょ」

その言葉に、溜め込んでいたものが一気に決壊した。
ぼろぼろと溢れる涙で、視界が歪んでいく。

「…マジで…!めちゃくちゃむかついた…!何、あいつ…!
それに、杉元にもこんなところ、見られたく、なかった…!」
「うん…でもあのままだと、名前ちゃん、あいつのこと殴ってたでしょ」
「金玉蹴り上げて逃げようと思ってた」
「うん、それしちゃうと、傷害罪になりかねないからさ」

名前ちゃん追い詰められると、ぶっ飛んだ選択するからなぁ、と杉元が苦笑する。

「最初、男と歩いてるの見て、彼氏できたんだと思って、すげぇショックだった」

ぽつり、と呟くように言うので、その顔を見たら、杉元も泣きそうな顔をしていた。
心臓を掴まれたような痛みを覚える。

「なんとなく目が離せなくて、ずっと後ついて行ってたんだ。
そしたら、様子がおかしかったから…結果的に良かったよ」

はは、と弱々しく笑って、杉元が下を向く。
項垂れる大きな身体を見ていると、罪悪感が湧いてくる。
私はこの優しい人を、きっと、沢山、深く、傷つけてしまったのだろう。

「俺も、知らない間に名前ちゃんのこと、追い詰めてたのかも」

下を向いたまま、懺悔するように杉元が弱々しく言う。

「ずっと、うまくいってると思ってたんだ。
だからこれはちょっとした喧嘩で、飽きたらすぐ戻ってくるだろうって…。
でも、全然帰ってこなくてさ。
そこで初めて、いつの間にか名前ちゃんのこと、大切にできてなかったなって気がついた。
いい意味で空気みたいな存在になってると思ってたけど、そうじゃなかったんだ」

杉元が顔を上げた。
先程までの弱々しい瞳ではなく、強い眼差しと視線が合う。

「空気なんかじゃなくて、誰より君を大切にしなきゃいけなかったって。
俺には君が必要だから」

どうして、今、1番欲しい言葉をくれるんだろう。

「もう一度、俺と付き合ってください」

私には勿体無いくらいの言葉と、優しさに、また涙が出る。

「私、うまく言葉にできなくて、ごめん…。
杉元と向き合うことから、逃げて…でもまだ好きとか、そんなこと、言える資格ないって思ってた。
いいのかな、私、杉元のこと、傷つけ、た、のに」
「お互い気持ちがあれば、何度だってやり直せるさ。
俺は名前ちゃんと一緒にいたいし、名前ちゃんも俺を好きでいてくれてるなら、それで十分だよ。
これから、また始めよう」

そっと添えられた手が暖かくて、大きくて、安心する。
あぁ帰ってきたんだな、と思う。




「あ、ごめん、ちょっと待って…」

鳴り出したスマホのディスプレイを見ると、菊田部長からだった。

完全に忘れていた。
カラオケに行く約束をしていたのだ。

「俺、出てもいい?」

杉元が楽しそうに笑って、自分の顔を指さした。
頷いてスマホを渡すと、電話に出て喋り始める。

「菊田さん?そう、俺です。…うん、やり直すことになった。
うん。ありがとうございます…。あ、そうだったの?うん…分かった、じゃあそう伝えとく。はい、じゃあまた」

電話を切って、杉元がスマホを返してくれた。

「カラオケは今度なって。もう一人の子には俺から連絡しとくから、お前らは帰れだって」
「菊田部長…」

週明け職場に行ったら、生ぬるい目で見られるんだろうな、と思うが、まぁいいかと思う。

「じゃあ、帰ろうか」
「うん」

煌めく夜の街を手を繋いで帰る。
家に帰ったら、暖かい珈琲でも入れよう。
美味しいチョコレートもある。
もうこの幸せを手放さなさいように、握られた手をぎゅっと握り返した。


fin


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