ただ煙草を吸いにきただけだけですから@




ぷわ、と吐き出した煙が、もやもやと漂う。
ぼーっと天井の空調機器を眺めていると、扉が開いて、見慣れた顔が入ってきた。

「あ、菊田部長ぉー」
「よぉ。苗字も休憩か」

よく会うよな、ここで、と菊田部長が少し離れた所に腰掛けるのを横目で見る。

そりゃそうだ。
だって、部長が来る時間に合わせて休憩取ってるもん。

「あ、加熱式に変えたんですか?」

本音は言わないまま、部長がわざわざとった距離を理由をつけて詰める。
すぐ横、肩が部長の腕に当たった。

「ん…まぁな。匂いも気になるし」

近づくと、いつも菊田部長の身体が少しだけ強張るのがわかるけれど、私はあまり気にしないようにしている。

それはそうと、紙煙草にこだわって吸い続ける人がいるが、てっきり菊田部長もその部類かと思っていた。

伸び上がって、菊田部長の顔の近く、首辺りに鼻を寄せて、すんと素早く息を吸う。

「ど、わ…!近い…!」
「残念。部長の、濃い煙草の匂い、好きだったんだけどな」

部長が驚いて身を引くのと、私がすとんと座るのとほぼ同時くらいで、意外に隙が多いところが可愛い。

「今くらい近寄らないと、匂い、わかんなくなっちゃうじゃないですか」
「…あのなぁ…おっさん揶揄って遊ぶんじゃねぇよ」

菊田部長は、はー、と腹の底から深いため息をついて、加熱が終わったタバコを疲れた顔で口に咥えた。
その横顔を見て私は、あはは、と笑う。

おっさん揶揄って遊ぶほど、暇じゃないんだけどなぁ、なんて思うけれど、それを言うと何だか色々と壊れてしまいそうなので胸にしまっておくことにした。




総務部の菊田部長は、優しくて面倒見が良いと、社内でも評判の上司だ。
男女問わず人気があって、顔も広い。
バツイチ、子なし。
私より一回り上の、中年男性。

私の片思いの相手だ。

入社してからだから、もうかれこれ、5年か。
私の虚しい一人相撲は、未だに続いている。





「オイ苗字、ちょっと相談したいことが、」

ぼーっと感慨にふけっていると、ひょこり、と同期の鯉登くん(通称鯉ちゃん。通称といっても私が呼んでいるだけだが)が顔を出して、それから、あ、という顔をする。

「菊田部長、お疲れ様です」

ぺこり、と礼儀正しく頭を下げる鯉ちゃんに、よぉ、と菊田部長が片手をあげた。

「やっほー、鯉ちゃん」

菊田部長の横から、ひらひらと手を振る私には、菊田部長へとは打って変わって呆れたような顔をする。

「お前、また他部署の部長に絡んでたのか」
「またとは何よ、失礼な〜」
「語尾を伸ばすな。お前は緩すぎる。もう少しシャキッとせんか」
「鯉ちゃんは、力入りすぎだよぉ」

鯉ちゃんは、私の態度がずっと気に食わないようで、何かにつけてはしつこく正そうとしてくる。
私には、どうも、鯉ちゃんのもつ体育会系の生真面目さ、みたいなものが合わない。

「お前ら仲良いなぁ。足して2で割ったら、丁度いいんじゃねぇか。
だからまぁ、主任コンビとしては良いバランスなんだろうが」

ぷかぷかと煙を吐き出しながら、菊田部長が面白そうに言う。
和田課長も確かそんなこと言っていた。

「だってさぁ、鯉ちゃん」
「ふん」

面白くなさそうに鼻を鳴らして、鯉ちゃんがそっぽを向いた。
自分一人だと役不足だと言われているようで、いい気はしないのだろう。
苦笑して、私と鯉ちゃんじゃ能力値が全く違うんだから、そんなこと思う必要ないのにな、と思う。

ふと、菊田部長の視線が気になって、これ以上ここにいても、きっと鯉ちゃんとの無駄なやり取りを菊田部長に見せるだけだろうと判断し、鯉ちゃんの背中を押した。

「じゃあ菊田部長、行きますね〜」
「おー」

また、と言って微笑むと、菊田部長の緩く浮かべていた笑みが若干引きつるが、それすらも可愛いと思ってしまうのだから、重症だ。








「そういえば、聞いたか、あいつの話」
「あー、別れたって話?」

廊下を歩きながら思い出したように尋ねれられた質問に、総務部の同期の話だろう、と思い当たってそう返すと、お前聞いていたなら言え、とムッとした顔をして無茶なことを鯉ちゃんが言う。

「知らずに話題を出して、まるで無神経な奴になってしまった」
「いや言えないでしょ。それに、鯉ちゃん今更だから、その点あんまり気にしなくていいかも」
「待て、どういう意味だ」
「鯉ちゃんは、鯉ちゃんらしくそのまま、健やかでいてねって話」
「キェ…!!馬鹿にしているな?!」

眉を上げて怒る通常運転の鯉ちゃんに、いや本心なんだけどな、と思う。

「あぁいうとき、気使われる方がしんどいんじゃない。
だから、鯉ちゃんはそのままでいいんだよ。
触れて欲しくなかったら、あの子ちゃんと言うから。別に気に病まなくていいよ」

私にそう言われれ、そうか…、と素直にテンションを下げる鯉ちゃんは、本当に優しくて、健全な人だ。
恐らく知らずに話題を出してしまったことを、相手を傷つけてしまったのではと、気にしていたのだろう。
相手を気遣って不安になると、決まって、ただ本人はきっと無意識のうちに、情緒が乱れる。

顔が良くて、仕事ができて、人当たりも良い。
鯉ちゃんのそういう側面だけを見て、彼のファンになる子は大勢いる。
でも、その裏側にある真っ直ぐすぎる誠実さとか、それ故の繊細さとか、痛いくらいの優しさとか、そういう側面も含めて彼のことを見ている人は少ないだろうな、と思う。

何というか、どうしても、偶像化してしまうようなところがあるのだ。
件の総務部の同期もそういう目で見ているようだが、“アイドル”になってしまう。
周囲から期待されるその役割に、意識的か無意識か、応えようとする鯉ちゃんの生真面目さも含めて、私には眩しすぎる。
巷で言う“陽キャ”というものは鯉ちゃんのイメージには少し合わないけれど、私の中では、陰と陽でいうなら鯉ちゃんは完全に陽側の人間だ。

私とは反対。

「鯉ちゃんにはちゃんと幸せになってほしいよ…陽のままでいいてね…」
「は?何だ、急に」

そっとその背中に手を当てると、煩わしそうに見下ろされた。
お前話聞いていなかっただろう、と呆れたように鯉ちゃんに言われて、そういえば横で何か言っていた気がするが、頭に全く入っていなかったことに気がつく。

「ごめん、考え事してて全然聞いてなかった」
「おい、また一から説明し直せだと?」
「お願いします、鯉登主任」
「腹立つ…!」

放っておくと止めどなく彷徨い始める思考を切り替えて、今取り組んでいる案件の進捗に耳を傾けた。



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