ただ煙草を吸いにきただけだけですからA




小さな頃から、『名前ちゃんは、おっとりしてるねぇ』とよく言われてきた。
思ったことを口にしてもそう返されてしまう他者評価に、釈然としないまま思春期に突入した。
その反動からか、中学、高校時代は、あまり素行がよくない生徒だったと思う。

煙草を初めて吸ったのも、高校生の時だ。
当時付き合っていた、大学生の彼の影響だった。

私をもっと見て欲しくて、彼が咥えていた煙草を奪い取って吸って見せた。
ゴホゴホと咳き込む私を笑った口元とか、その後に落とされた苦いキスの味とか、触られたはずの皮膚感覚や息遣いを、時折ふと思い出すことがある。

10代にありがちな、年上のちょっと悪い男に惹かれてしまうというベタな恋愛をしていたのだ。
結局ただ遊ばれて、捨てられたというお粗末な結末だったけれど。

その出来事から、結局肩肘張ったところで特に自分の人生が好転することはないことを学んだ。
その後元々勉強は得意だったので、成績を伸ばして、普通に大学に進学して、普通に就職した。
残ったのは、結局変わらない他者からの評価と、諦めと、喫煙習慣という悪癖だけだった。


入社して暫く経って、喫煙所に出入りする私に、男性社員の中で眉を顰める人達がいることには気がついていた。
女で、新入社員で、生意気にも煙草を吸いにくる、となると可愛くないと思われたのだろう。
昔から言われてきた“おっとりしている”という、そのイメージとのギャップも、きっとあったに違いない。

『女の子が煙草とか、ちょっと無いわ。折角可愛いんだしさぁ、やめたら?』なんて、お前の方がねぇわ、と言いたくなるような余計なお世話を言ってくる、クソ野郎もいた。
あの時、ありがとうございます〜、と軽く流して、心の中で中指を立てただけに留めた私は相当に偉かったと思う。

そんな新入社員時代、社会に出てからも自分の見た目と中身のギャップに辟易することになるとは、と悶々とした日々を送っていた頃、菊田部長に出会った。


『あ、失礼しました…』
『いいよ、いいよ。一緒に吸おうぜ』


何度かの失敗体験の後学んだ、あまり喫煙所に人がいない時間帯に、よりによって他部署の次長(当時まだ菊田さんは昇任前だった)がいたことに内心がっかりしながら、慌てて扉を閉めようとすると、緩く手招きされた。

本心かどうか分からず伺うようにして見ていると、あれライターがねぇ、とポケットを弄ってへらっと笑った。

『すまん、火、貸してくれ』

そう言ってから、おずおずと喫煙所に入ってきた私を横に座らせて

『堂々としてりゃいい、俺が許す』

とまた笑ってくれた。




誰にでも分け隔てなく優しい菊田部長のことだ、きっとあの時のあの台詞は、私への配慮の言葉だったのだろう。

だけど、あの時私に向けられた優しさが嬉しかったのではなくて、お前はお前のままでいい、と言って貰えた気がして、それが嬉しかったのだ。

それで、気がついたらいつ間にか恋に落ちてしまっていた。
我ながら、なんてチョロい、と思うが、でも、恋なんてそんなものだろう。
ただその恋が5年も続くと思わなかったけれど。

一度離婚して、それから部長に一切女の影がないので、社内では奥さんを引きずっているのでは、というのが専らの噂だ。
私に出る幕は、きっとないのかもしれない。

それでも、20代前半から30手前まで、菊田部長のことが好きだったこの時間が、ずっと幸せだったことだけでも伝えられたらいいなと思っている。

別に報われたいと思っているわけじゃない。
そんなふうに言い訳をしながら、この恋が終わる日を待っている。

そしてそんな日は、案外早くやってくることとなる。




「わ、お疲れ様でーす」
「お、お疲れさん」

喫煙所の前でばったり鉢合わせて、この時間珍しいな、と菊田部長が言う。
いや、それはこっちの台詞だ、と思うが口には出さない。

「今日、鶴見商事のとこの合コンだって聞いたぜ?」
「なんで…あぁ、そっかぁ…えぇ、はい、そうです」

付き合いで出らねばならない合コンに、総務部の同期を誘ったのだ。
きっと彼女が菊田部長に言ったのだろう。
2人は傍から見ていても、羨ましいくらい仲が良い。
正直、余計なことを、と思うが彼女に罪はない。



2人で喫煙所内に入る。

行く前に一服してから、と思ったところに偶然会うとは。
何となく決まりの悪い気持ちになるが、そんな私を他所に菊田部長はベンチに腰かけて緩く笑った。

「良いなぁ、若いって。楽しんで来いよ」

視線を合わせて、のんびりとそんな事を言う菊田部長が憎たらしい。

もう言ってしまうおうか。

自分のデスクに置いてきた、包装されたプレゼントの中身を思い浮かべて些か気が大きくなる。

合コンに持寄るチョコを探しに行って、結局買って出てきたのは、菊田部長を思い浮かべて買った、上品で高級感のあるバーガンディーのネクタイとウィスキーボンボン。

渡せない可能性だってあるのに、気づいたら買ってしまっていた。
見ず知らずの相手に渡すチョコなんて、馬鹿馬鹿しくて買っていられないと思ったので、結局買っていない。


「楽しめませんよ〜。
菊田部長がいる合コンなら別ですけどね」


ここまで言ったら普通気づくよね、いや気づけよ、と思いながら、緩く笑い返して反応を見ると、一瞬きょとんとしたあと、いつもの苦笑が広がった。

「だから…いつも言ってるだろ、おっさんを揶揄うなって…。
心臓に悪ぃんだよ」

巫山戯てないでさっさと行けよ、といつもの調子でいなされて、今度は私の方が一瞬呆然とする。
すぐに、沸々と込み上げてきた感情は、腹立たしさと、悔しさと、悲しさだ。

「菊田部長」
「ん?」

座る部長の前に立ちはだかると、逸れていた視線が交わる。

「すぐ戻ります。ここにいてくださいね」
「は…?…って、おい!ちょっと!」

きっぱりと言い残して踵を返すと、背後から焦ったような部長の声が聞こえるが、振り返らない。
そのまま廊下をダッシュで駆け抜け、営業部のフロアに飛び込んだ。

「お疲れ様です〜行ってきます〜」
「お、おぉ…」
「お、お疲れ様です…」

口調はいつもの調子でも、椅子に置いていた、バックとコートと紙袋を引っ掴んだ私を見て、まだ仕事中の鯉ちゃんと、後輩が驚いた顔で声を返してくる。

バタバタと走って喫煙所に戻ると、菊田部長は言った通りそこで待ってくれていた。
喫煙所に勢いよく入って、息を整える。

「お、おい…大丈夫か?」

心配そうな菊田部長の声がするが、それどころではない。
走ってきたせいなのか、今からしようとしていることのせいなのか、心臓が痛いくらいに音を立てている。

すぅ、と息を吸った。

「今日の合コンの企画、バレンタインチョコを各々持ち寄って、気に入った人に渡すっていうやつなんです」
「あ、あぁ、そうなんだ?」

菊田部長が困惑した顔をするが、構わず続ける。

「私も勿論、チョコ見に行きましたけど、でも結局浮かんでくるのは菊田部長のことばかりで、知らない人に渡す為のチョコなんて、選びたくもなくなっちゃいました」

言いながら段々苦しくなってきて、誤魔化すようにへらっと笑った。

でも、もうここまで来たら、引き返せない。

これ、と綺麗に包装された紙袋を、菊田部長の横に置く。

「バレンタインプレゼントです。いらなかったら捨ててくださいね。言っとくけど本命も本命です。
お返事は要りません。これからも喫煙仲間としてよろしくお願いします」

言いたいことだけ言うと、やっと少しいつもの呼吸が戻ってくる。
それでは〜、と言い残して、すぐさまその場を立ち去った。



次に会った時は、もう、今日のことはなかったことにしておくんだと、自分に言い聞かせながら、会社を出る。
何もなかったように、平気なフリして笑って話すのだ。

5年も思い続けて、今までその好意を表にも出してきたつもりだ。
私の好意に気がついていない筈がない。
それで今までの反応なのだから、きっと振られるに決まっている。
それにさっきの顔。
困っていた。
きっと、返しようがないと思ったんだろう。

返事を聞かずに出て来たのは、良い判断だったと思う。
もし聞いていたら、合コンなんてとても参加できなかった。

5年分の想いは、見事バレンタインの日に、プレゼントと共に砕け散った。
だけど、後悔はしていない。
すぐに好きじゃなくなるなんて無理な話だけど、心の中でだけでも十分じゃないか。
私にとっては今まで通り。


スマホを取り出して、同期に連絡をした。

うん、案外平気かも、なんて思いながら。



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