だから大好きなんだってば!@
きっかけは、ハンドクリームだった。
門倉部長の手の節が乾燥して赤くなっていて。
『それ、痛くないですか?』
『あー、うーん。あまり気にしてなかったけど、言われたら痛くなってきたかも』
自分の手を見て、しおしおになったその顔が気の毒だったからっていう思いつきだった。
『私のハンドクリーム使ってください』
『えっいいよ、悪いって。おっさんの手なんて別に、』
『いいから、早く』
『うわっ』
グダグダ言ってる門倉さんの手を引っ張って、ハンドクリームを出してあげると、ふわっとベリーの香りが漂った。
手を擦り合わせて、それから、手の甲をすん、と嗅ぐと、私を見てふにゃりと笑って言ったのだ。
『苗字さんと、お揃いの匂い』
その言葉と笑顔に、私はいとも簡単に堕とされて、気がついたら門倉部長しか見えなくなっていた。
▽
「俺ん家、すぐそこなんだけど寄っていかない?」
「いや、お前それ露骨過ぎだろ〜。こいつ、やめときな?俺と飲み直そ」
だっっっっっっっる。
思いっきり冷めた顔をして、面倒なテンションで絡んでくる男2人を無視した。
その間ずっと喋り続けているが、内容は全くなく、「ヤリたい」と言っているだけのように聞こえる。
脳味噌下半身にあんのか、と脳内で悪態をついて、ショットをあおった。
まぁ放っておいても、そのうちすぐに。
「おい、俺のツレに何か用か」
「はいはいは〜い。この子俺らの友達だから、ごめんね〜キミらは向こうに行っててね〜」
予想した通りの声がした方をちらりと見ると、見慣れた2人組が立っていた。
表情のない冷たい目の長髪長身男と、へらへらと笑う銀髪坊主の男。
見るも賑やかなふたりだ。
にこにこと手を振る銀髪坊主を尻目に、「おい…あいつだ」「やばいやばいやばい」と囁きあいながら退散していく男たちを眺めて、長髪長身の男の方に向き直る。
「房太郎、またなんかやった?」
「助けに入った王子に、その言葉はつれねぇなぁ」
「誤魔化すな、触るな」
流れるような所作で腰を抱いてくる手を引き剥がして、銀髪坊主に話を振る。
「白石、房太郎なんとかして」
「無茶言わないでよぉ。
俺なんかじゃコントロール不能だって」
お手上げのポーズをして、白石がへらっと笑った。
このクラブに通い出して暫く経つ。
馴染みの顔も増えてきて、そのうち特に仲がいいのが房太郎と白石だ。
房太郎はDJで、白石は客(仕事は知らないが多分プー太郎)として、この店に出入りしている。
因みに、房太郎は元彼だ。
尤も、彼のフルネームを知る前に別れてしまったくらいの、短い御付き合いだったけれど。
「最近どうなの」
「どうって?」
「恋してる?」
房太郎がにこにこしながら聞いてくるので、「なにその、マッチングアプリの広告みたいなセリフ」と吹き出してしまった。
「なになに、恋のお話?」
飲み物をとってきた白石が、すかさず話に入ってくる。
「最近、恋してるかって話だよ。まぁ、俺は変わらず名前を愛してるけど」
「だる」
白石から飲み物の入ったグラスを受け取りながら、房太郎の軽口を受け流す。
飲み物はモヒートだった。
白石はよく分かっている。
「いいねぇ〜。ちなみに、俺は最近気になる子ができました、ピュウ」
「いいじゃん、私は絶対あんたと付き合いたくないけど」
「なんで?シライシ面白いよ?」
「房太郎…!」
「あのねぇ…楽しいだけで一緒にいらんないでしょって話」
房太郎に抱きつく白石と、腑に落ちないといった顔をしている房太郎を見比べて、モヒートで口の中をすっきりさせて言葉を繋ぐ。
「ちなみに、私も最近恋してる」
「は?」
「えっ?!」
一瞬で目が据わった房太郎と、驚愕する白石の顔を交互にて、私はまた1口モヒートを飲んだ。
▽
「門倉さんのこと言ったんだ?アイツらに」
「うん。房太郎にはちゃんと言っとかないとと思って…」
ハイボールを飲み干して、「お兄さん、コレおかわり」と店員に言うと、「はーい」と元気な声が返ってくる。
「大変だったんじゃない?」
「もーうるさかったよ。杉元がいる時に話せば良かったって後悔した。白石じゃ歯止めになんないんだもん」
門倉さんに恋していることを2人に言った時のことを思い返し、うんざりして溜息をついた。
房太郎は「どんな奴なの?そいつは名前のこと好きなの?俺よりも好きってこと?」と物凄い勢いで詰め寄ってくるし、白石は空気を察してその場を離れようとするしで、本当に大変だったのだ。
愚痴を溢す私に杉元が苦笑いして、「房太郎、名前ちゃんには意外に本気だったみたいだもんねぇ。馬鹿だなぁ、あいつも」と考えるように言った。
「本気ぃ?違うでしょ。一回手に入れた玩具を他人に取られるのだけは嫌ってだけだよ。
要するに所有欲が強いんだよ、あいつは」
杉元の言葉を鼻で笑って、店員が持ってきたおかわりのハイボールを流し込む。
何でも正面からぶつかっていく私と、どこか夢見がちでふわふわしてる癖に妙に人を求める房太郎とでは、相性が悪すぎた、というか、噛み合わなかった。
私は全く房太郎に未練はないし、今は友達だと思っている。
房太郎は、私にというよりも、もう2度と手に入らないものに対して執着しているのだと思う。
「そうかなぁ…今の俺には他人事に思えないんだよなぁ」
「彼女のこと?まだ連絡してないわけ?」
「だってぇ…」
でかい身体を小さくして、しょぼくれてしまった杉元の背中をバシッと叩く。
「好きなら、好きでやるべきことさっさとやんなよ、男でしょ!」
「ゲホッ…分かってるよ…」
杉元は暫く前に同棲していた彼女が出ていってしまったらしく傷心中だ。
正直、何をそんなに悩むことがあるのか理解に苦しむ。
好きならそれをちゃんと伝えるしか、道はないのではと思うのだけれど。
杉元とはジムが同じで、何がきっかけだったか忘れたが、こうして飲みに行くくらい仲良くなった。
少々湿っぽくて煮え切らないところのある奴だけど、いい奴。
房太郎と知り合ったきっかけも杉元だ。
杉元と房太郎は学生の頃からの知り合いらしく、杉元に連れられて行った店で房太郎がDJをしていて紹介してもらった。
ちなみに、部署が違うし喋ったことはないけれど、杉元の彼女とは同じ会社に勤務しているし、杉元は私の現在の恋の相手でもあり、私の上司である門倉部長と飲み友達だ。
人の縁とはなんと不思議なものか。
「あっ、門倉さん、こっちこっち!」
杉元が大きな声を出して手を上げて、その視線の先を辿ると、店の入り口でぼんやりと立っている愛しい姿が見えた。
*
今年の冬は、手が荒れてないんだな。
隣に座る門倉さんの、ビールジョッキを持つ手を見てそんなことを思う。
あの手が私の顎と頬を包んだら、どんな心地がするだろうと想像する。
見た目に手が荒れていなくても、やっぱり、その感触はかさかさと乾いたものを想像してしまう。
その枯葉みたいなかさかさの掌が、私のお腹をなぞったら、一体、どんな。
「あの〜…何?俺、何かした?」
門倉さんが困ったように私を見た。
「…んふふ。ただ見惚れてただけです、お気になさらず」
そう言った私を、杉元が、やれやれ、といった顔で見て、門倉さんはしどろもどろになりながら、「もう、勘弁してくれよ…」と助けを求めるように杉元に視線を送っている。
「あのさぁ〜、俺、君より二回り上なんだよ?そんなおじさんを揶揄うようなことは、」
多分、「やめなさい」と言いかけたのだろう。
でも、そんな言葉、聞きたくない。
だから私は、門倉さんのネクタイを引っ張って、顔を寄せた。
鼻先と鼻先がぶつかって、門倉さんの香りと酒の混ざった匂いがすぐ近くでする。
「揶揄う?これが、揶揄ってると思います?」
ぼそぼそと口元だけで囁くと同時に門倉さんが身を引いて、私もパッと手を離したら、席の側面に強かに頭を打ちつけて悶絶する門倉さんの姿を眺める。
キスしてやろうと思ったのに、惜しいことをした。
そんなことを思う私は、とことん門倉さんにイカれている。
「え、何…こわっ」
真向かいでその様子を見ていた杉元が、ドン引きした顔で呟いて、
「私、本気だもん。必死なんです」
と平然と答えた。
そう、私は必死なのだ。
この自分の魅力に気がついていない、妙に可愛い、しょぼくれたおじさんを堕とすのに。
「…本当にわかんねぇんだよ…悪いけど、俺なんか好きになったって、碌なことねぇと思うぜ?なぁ、杉元」
「碌なことがあるかないかは私が決めることでしょう。門倉さんが私の幸せを決めないでよ、ねぇ、杉元」
何故か気落ちした様子で、しょんぼりと杉元に話しかける門倉さんの言葉を私が拾う。
2人から話を振られた杉元は「え、えぇ〜?俺に振る?」と困った顔をして、それから、
「えぇっと…お、お互いの気持ちが、大事なんじゃない?」
とクソ面白くない返答をしてのけ、私も門倉さんも「そういうことじゃねぇんだよなぁ」と上を向いた。
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