だから大好きなんだってば!A




「部長、おはようございます」
「お、おはよう」

身構えた門倉部長に、思いっきり微笑んで見せる。
慌てて視線を逸らした門倉部長を見て、昨日のことが響いているんだろうと想像すると苦笑が漏れた。
昨夜の飲みの席での突飛な行動は、門倉部長を随分怖がらせてしまったみたいだ。

プライベートで会う時は門倉さん、だけど、職場では門倉部長。
そのくらい私だって弁えている。

いくら私でも、会社でそんな露骨なことしませんって。

心の中で語りかけるが、勿論届いてはいないだろう。









我が二七ホールディングス本社経理部は、常に慢性的な人員不足に悩まされている。
1人が2、3倍の仕事をしなければ回らない。

「それでも、出納がシステム管理になって随分楽になりましたよねぇ」
「ほんと、それ」

パソコンに齧り付いて次年度に向けての準備書類を整えながら、隣のデスクで唯一の同僚である松田くんの言葉に頷く。

一昨年までは一枚一枚領収書をもらっては、ちまちま手で入力していたのだ。
その労力たるや、このご時世にあり得ないものだった。
総務部の菊田部長に嘆願してシステムを導入してもらってからは、大体定時に上がれるようになったのだから有難い話だ。

松田くんが伸びをして、あ、と何かを思いつくと、私に身体を寄せてコソコソと話しかけてきた。

「そういえば、聞きました?人事の話」
「出た。平太師匠のお宝人事情報」

松田くんはどこからか、人事部外漏洩は基本無いはずの情報を得てきては、こうしてこっそり教えてくれるのだ。
その情報を聞くときだけは、平太(松田くんの下の名前)師匠と呼んでいる。

「門倉部長に異動の話が出てるらしいんですよ。しかも支店に」
「は…?嘘…?」

頭が真っ白になる。

門倉部長がいなくなる。
考えたこともなかった。

呆然と松田くんの顔を見つめる私を見返して、松田くんもまた、途方に暮れたように眉を下げた。

「ですよねぇ。ただでさえ、ギリギリで回してるのに、これに経理未経験の部長なんて来た日には…」

そう言葉を途切れさせてから、平太師匠は目を大きく見開いて

「私ら死にますね」

と、陰った声で言った。

いや、そうじゃなくて。

私は心の中で呟く。

本当にうかうかしてられないのではないか、と自問自答する。
いや、今までだって積極的に気持ちは伝え続けてきたのだけれど、それは門倉さんには響いていないようだし。

「2月に入ったし、そろそろ内示がある頃なんじゃないかなぁ」

松田くんがのんびりした口調で言った言葉に聞き返したいことは沢山あったが、「おつかれさん」と会議から帰ってきた門倉部長によって有耶無耶になってしまった。















ランチ時にラウンジを使うのは、これだから嫌なんだ。

持参したお弁当を睨みつけて、心の中で呟く。

「弁当手作り?いいねぇ。ねぇ、ところで週末は何してるの?」
「よかったら、今度うちの部で飲み会やるんだけど混ざらない?」
「それいいな、苗字さんと呑みながら話してみたかったんだよ」

男性社員3人が私の座るテーブルを囲んで、話しかけてくる。
はっきり言って鬱陶しい。

面倒くさくて視線を彷徨わせると、社内でも高嶺の花と評判の受付嬢の女性が近くを通り過ぎて目が合う。
目礼されて私も目を伏せた。

なぜ、あちらに行かずに私にくるのか。
それは、私が手の届く“丁度いい女”だからだ。
私でなくても、この人たちは別にいいのだ。
そこそこ顔が整ってて、そこそこコミュニケーションが取れて、皆が「いいよな」と共通認識を持っている女を、誰が手に入れるのかということが大事なのだろう。

なんだか虚しい気持ちになり、溜息を押し殺して、ランチバックに放り込んでいた社用携帯を取り出した。

「あ、すいません。部長が呼んでるので、私もう行きますね」

連絡も何も入っていないが、権限ある“部長”の肩書を言い訳に使わせて頂く。

「え、経理部忙しんだね」
「そうなんです。やることが山積みで…」

愛想笑いを浮かべて、いそいそと食べかけのお弁当を片付けながら会釈をすると、私の所作を眺めていた1人が、下卑た笑いを浮かべて口を開いた。

「門倉部長ってさぁ、大変でしょ、尻拭いとか色々。能力ないくせに、謎に部長やってるって。左遷の話も出てるらしいじゃん」

ぴくりと、自分の手が止まるのが分かる。

「あ、その話、俺も聞いたことあるわ。確かに、なぁんか頼りないおっさんだよなぁ、門倉部長」
「苗字さん、いつも帰り遅いって言ってたのは、部長の尻拭いしてたからなんだ。大変だなぁ」

それはテメェらの誘い断る口実だわ、気づけよ、馬鹿が。

心中で悪態を吐いて固まった。

好き勝手なイメージ先行の言葉と、勝手な憶測で要らぬ同情をかけられて、頭のてっぺんからスゥッと血の気が引いていくのが分かる。

耐えろ。

自分に言い聞かせる。
ここでキレたら、門倉部長に迷惑がかかる。

手のひらの中で握りしめた爪の先が、皮膚に食い込んだ。

「俺らに協力できることがあったらいつでも言ってよ。頼りない部長の愚痴とか、聞くからさ」
「そうそう。我慢しちゃ駄目だよ」
「俺ら、苗字さんの味方だからさ」

あ、もう無理かも。

ヘラヘラと笑う男性社員たちの笑顔を直に食らって、頭の中で、パチ、と何かがハサミで切られた音がした。

すうっと息を吸う。

「…経理部って、私と松田さんと、門倉部長の3人で回してるんです。
この会社の、社員の給与の計算から、経費の処理、決算書類の作成、まとめ、備品にかかる諸費用の計算や、車の維持に関する諸費なんてことまで、その他にも物凄い量の細々とした、しかも、ミスの許されない業務を、たった3人でやってるんです。これは理解できます?」


馬鹿を諭すように淡々と言葉を紡ぎ出した私を、3人がぽかんと見つめている。
私の口は止まらない。

「そして、私と松田さんがした作業の全ての責任を負うのが、門倉部長です。
その部長の仕事量がどんなものか想像できますか?
できないか、できないでしょうねぇ、あなた方には。あの人がどれだけ、」

「は〜い。ストップストップ。落ち着いて、苗字さん」

不意に、息巻く私の肩に温かな重みが乗って、背中越しに柔らかな声がかかった。

「かどくら、ぶちょ…」

振り向いて向き合うと、いつもと変わらない眠たげな眼差しと目が合って、視線だけで「大丈夫だ」と言われた気がした。


「苗字さん、総務から物品のリスト貰ってるから、倉庫行ってさ、在庫の確認と予算確認一緒に手伝ってくれる?」
「は…い…」

うんうん、と頷いて、門倉部長は私に絡んでいた3人に視線を送ると「本当、優秀な部下が俺のケツ拭いてくれるから助かってるよ」とにこにこと笑った。

「す、すいません」
「俺ら仕事あるんで」
「お疲れ様でしたぁ…」

気まずそうに退散していく3人を見送ってから、門倉部長が私の顔を覗き込んだ。

「あの〜…苗字さん?」

への字口で、必死で怒りと涙を堪えている私の顔を見て、ふっ、と笑うと「行こうか」と優しく背中を押してくれた。











備品が押し込まれている倉庫の中は、ひんやりと冷たい空気が漂っている。
換気扇の音だけの静かな空間に、私の鼻をすする音が響いた。

「ほんっとにムカつく、腹立つ!あいつら、何にも、分かってないくせに、何なの?!
お前らが部長の仕事、やってみろって!経理のことも何も知らないくせに…!!!!!」
「うんうん…。やっぱ、苗字さん、これが素なんだよなぁ。よく我慢した、偉かった」

膝を抱えて文句を垂れ流し続ける私の横にしゃがみ込んた門倉部長が、笑みを含んだ声で言う。
その声に少しずつ、自分の気持ちが静まっていくのが分かって、段々平静を取り戻してきた。

そうなると、欲張りな私が顔を出す。

「門倉さん…私、頑張りました?」
「うん、頑張った」

ちらりと少し高い位置にある門倉さんの顔を、膝を抱えたまま見上げてみる。
私の視線に気がついた門倉さんが視線を向けてくれて、目が合う。

「じゃあ、よしよしって頭撫でてください」
「えっ」
「早く。ほら」

誰もいない倉庫に2人きりであることをいいことに大胆なお願いをしてみると、明からさまに固まった門倉さんを見て、考える暇を与えないように急かす。
門倉さんは「んぇ〜…」と変な声を出し、視線を忙しなく動かすと、

「仕方ねぇなぁ」

と呟くように言って、「よしよし」と、暖かくて大きな手を2回、そっと私の頭に乗せてくれた。
シャツからする洗濯洗剤の匂いと、門倉さんの皮膚の匂いが近くで揺れて、どきどきする。

「…んふふ…」
「あ、もう機嫌治ってるじゃねぇか。まさか、計算じゃねぇよな」
「なんてこと言うんですか」

きらきらふわふわした気持ちをぶち壊すような酷いことを言う門倉さんに口を尖らせると、「すまんすまん、冗談だ」と声を出して笑った。
それから、今度こそしっかり視線を合わせて、目尻を下げてふにゃっと笑う。

「ありがとな…。俺のために怒ってくれて」


あぁ、この人は。


その笑みを見て思う。

私をちゃんと見てくれる人で、大人な人なんだ、と。
私の発する言葉の意味とかその裏の意図を汲み取って、考えてくれる、成熟した人。

翻って、私には何があるんだろう、とそう思うと、虚しくもなるけれど、若さと勢いだって立派な力だと自分に言い聞かせる。


「しかし、嫌な思いさせちまったなぁ」

ぼんやりと視線を前に戻してそんなことを言う門倉さんに、正座で向き直って姿勢を正した。

「門倉さん、私とデートしてください。それで、私とお付き合いするか、真剣に考えて欲しいんです」
「えぇ?!デートぉ?」

素っ頓狂な声をあげる門倉さんに「お願いします」と頭を下げると、「え…えぇ〜…」と困惑したような声が頭上から聞こえた。









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