愛なんてないB




夜景の見える、ホテル12階のバーのカウンター。
周囲はカップルだらけで、距離感の嫌に近い男女が密やかに会話をしている。


「で?どうなんです?」

私の隣で男がにやにやと薄ら笑いを浮かべた。

こんな日に、こんな場所で、一体私は何をしているんだろうか。
こんなことなら会場で時間潰せば良かったと、ため息の代わりに、ぱちぱちと弾けるジントニックを喉に流し込んだ。






「そうですか…」

私が肩を落とすと、大変申し訳ございません、とホテルのフロントマンが頭を下げた。

「お待ち頂ければ手配致しますが、如何でしょうか?」
「待てる所がありますか?」
「1階ラウンジをお使い頂くか、12階にバーがございます」

少し考えて、1人で1杯やるのも悪くないかと思い直す。

「じゃあ、バーにいます。
タクシー手配できたら、お声かけ頂けますか?」

畏まりました、と折り目正しく言うホテルマンに名前と連絡先を告げ、バーに向かった。


会場を出てタクシーの手配をお願いしにいったら、生憎今の時間帯は全て出払っているらしかった。
考えてみれば、バレンタイン当日だ。
そうだろうな、と思う。

入店するとやはりカップルが多く、こんな日に1人でホテルのバーなんて、と苦笑を噛み殺した。

案内されたカウンター席に腰掛けて、おしぼりを持ってきたウエイターに微笑みかける。

「ジントニックとお冷を1杯頂けますか?」
「俺はスコッチの水割りで」

隣から急に聞こえてきた声にぎょっとして横を向いたら、光のない目に見下ろされていた。
ウエイターが、畏まりました、と言って去っていく。

「尾形さん…?」
「三島が来ると思いましたか?」

ははぁ。

独特な笑い方をして、尾形さんが隣に腰掛ける。

「どうして」
「あぁいう、おぼこっぽいのが好みでしたか。
いやしかし、意外ですね。
もっと無骨な男がタイプかと思っていましたが。月島さんのような」

さっきから何を言っているのだろう、この人は。

「…何の話ですか?」
「貰ってたでしょう。三島から、チョコ」

ずっと見られていたのか、と思うといよいよ良い気はしない。
ここまでわざわざ追いかけてきてどういうつもりか知らないが、面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。

「あの、有坂さんは…?」
「あぁ、置いてきましたよ。
今頃は三島が相手をしているんじゃないですかね」

有坂嬢が血眼になって尾形さんを探しているのが目に浮かぶ。

うんざりしている私とは反対に、尾形さんが口の端を吊り上げて笑ったところで、二人分の飲み物がやってきた。
グラスを口元に持っていくのを、尾形さんがじっと見つめてくる。

「何ですか?」
「いえ」

気になって横を向くと、無表情の尾形さんがふいっと目を逸らした。

「で?どうなんです?」

にやにやと薄ら笑いを浮かべ直した尾形さんをちらりと見て、ジントニックを一口飲んだ。
この人こんなに表情豊かな人だったんだな、とどうでも良いことを思う。

「どうって、何がです?」
「三島ですよ。月島さんのことでもいい」

男のタイプの話だろうか。
コイツは一体何を私から聞き出そうとしているんだ?、と思ったところで、はたと思い当たる。

そういえば、私を狙っているとかいう人の頼みで、合コンに私を巻き込んだ張本人が尾形さんだった。
これはきっと、その人のために私のタイプを聞き出そうとしているんだろうと合点がいく。
そんな回りくどいことをしてくるような人は正直論外だけれども、角も立てられないしと、頭の中で素早く良い返しを探す。

「お二人共素敵な方ですけれど…。私、彼氏がいるので」

口調はあくまで柔らかく、これ以上発展しようがない言葉を紡いだ。
勿論彼氏などいないが、こう言っておけば後は何を言われても躱せる。

ははぁ。

まただ、この笑い方。癪に触る。
感情の無駄遣いだと分かっていながら、理由のわからない不快感が込み上げてくる。

「彼氏ねぇ…。
彼氏持ちのくせに、こんなところに顔を出すんだな」
「付き合いです。
有坂さんにも、早めに帰るでいいなら出る、と伝えましたが」

苛々した気持ちが滲んでいることを自覚しているが、止められない。
普段の仕事の中で、もっと嫌なことはあっても、淡々としていられるのに。
早く会場に戻ってくれないかな、と思ったら、溜息を吐き漏らしていた。
あんなに我慢していたのに、と自分で自分に驚く。

このままでは良くない。早くこの人から離れなければ。

「有坂さん待ってますよ。尾形さんは有坂さんのことが好きなのでしょう。
それこそ、三島さんに取られてしまうのでは?」

辛うじて作った微笑みが上手く機能せず、鼻で笑ったようになってしまう。

「はぁ。有坂嬢は今関係ないでしょう」

尾形さんが、ぐっと髪を撫でつけた。

「有坂重工社長のご令嬢というから旨みがあるかと思えば…期待外れもいい所でね。
馬鹿女の相手は疲れる。
まぁ、アンタのことはベラベラ喋ってくれたから、全くの無駄という訳でもなかったが」

驚いて顔を見ると、やっとこっち見たな、と尾形さんがにやりと笑って言った。

「なんだよ、その顔?
アンタだって、俺と同じようなこと思ってたんじゃないのか。
アンタが有坂嬢を見る目、人を馬鹿にしきった目だったぜ」

本当に嫌なことを、言ってくる奴だ。
私のことを面白半分で色々聞き出していたことも、この間合いの詰め方も、とても侵襲的で不快極まりない。

私はこの男が、大嫌いになったらしい。

「…失礼します」

ジントニックはまだ半分以上残っているが、とても飲める気になれない。

鞄とコートを掴もうとした反対の手の手首を、尾形さんの大きな手が掴んだ。
この期に及んでなんだと、思いっきり顔を睨みつける。

その敵意を、隠すつもりはもうなかった。

「ははっ。
いいな、そんな顔もできるのか」

嬉しそうに尾形さんが口を歪めて笑う。

「なぁ、アンタのこと狙ってる奴ってのは、俺のことだぜ」

近づいてきた顔に身を引こうとするが、がっちり掴まれた手から逃れられない。
耳元で、有坂さんが"子宮が痺れる"と称した、尾形さんの掠れた声がする。

「俺と付き合えよ。
彼氏はいないんだろう。知ってるぜ」

ぼそぼそと、わざと耳に息がかかるように話しているのが分かって腹が立つ。
こうすれば、女が全員落ちると思ってるなら、ちょっと舐めすぎだ。

「嫌です」

至近距離で目を見つめて、はっきりそう言う。

「へぇ。断るのか」

面白そうにそう言って、尾形さんが顔を離した。
それから、打って変わって、思いっきり爽やかな笑顔を向けてくる。

「じゃあ俺は、アンタに振り向いて貰えるまで、気持ちを伝え続けるしかないな。
幸い、御社とは契約関係にあるわけだから、何かと理由をつけて会いに行ける。
有坂嬢の前ででも、アンタを口説いてみせようか」
「…最低ですね」

女の職場の怖さや、面倒さを分かった上で、本当にやるつもりだ。
吐き捨てるように言った私の言葉は、なんの効力もなかったようで、フン、と鼻であしらわれる。

「まぁ、考えておけ」

そう言うと、尾形さんはゴソゴソとジャケットのポケットから包みを取りだして、握っていた私の手に落とした。
リボンの間に名刺が挟まっている。

「良い返事、待ってるぜ」

尾形さんの手が緩む。
その手を振り払って、私はその場を後にした。

尾形さんに渡されたチョコの包みが、ずっしりと手の中で重たい。


fin



prev | top | next

表紙へ