スパ・バレンタイン・ナイトA
「ありえないでしょ?!」
「あはっ。それは、大変だったねぇ」
先日の尾形さんの“月島さん合コン行こうぜ事件”を、鼻息荒く話す。
それを聞いて、珈琲の入った紙コップを口元に持っていきながら、宇佐美さんが面白そうに笑った。
自販機がある共用の飲食スペースで出くわせば、愚痴を聞いてもらうのがルーティンになっている。
宇佐美さんは企画部の先輩で、尾形さんとは同期だ。
尾形さんと仲が良いので、尾形さんにくっついている内にいつの間にか愚痴を聞いてくれるようになった。
『オイ、お前、宇佐美に色々俺のこと喋るな』と尾形さんに結構真剣に怒られたこともあるが、あまり気にしていない。
ソファに座って宇佐美さんが奢ってくれたミイルクティーに私も口をつける。
「もう…ほんと疲れる…合コン誘うのは女だけにしとけって」
「え、何、アイツ、誰か女誘ったの?」
宇佐美さんが驚いた顔をして言うので、私は首を傾げる。
「えぇ、なんか、二七ホールディングスの受付嬢を誘ったみたいですよ。
有坂重工の娘さんと、確か彼女経由でもう一人誘ったって言ってました。
え、でも、尾形さんが女の人口説き回ってるのっていつものことじゃないですか?」
自称“尾形百之助の女”は社内にもいっぱいいるし、たまに取引先や、まだ契約成立していない営業先にも存在していたりする。
そのせいで、私が今までどれだけの女性に嫌がらせを受けてきたか。
尾形さんが女にだらしないのなんてそんなに珍しいことじゃないでしょう、と鼻で笑うと、宇佐美さんは、うーんと考えるような声を出した。
「アイツは、まぁ女を利用もすれば、来るものを積極的に拒むこともしないけどさ。
自分から誰かを誘うようなことはしたことがないから、ちょっと意外でね」
さては本命でもできたかな、と楽しげに言う宇佐美さんに、嘘嘘ありえないでしょ、と私は再び鼻で笑った。
「百も嫌われたもんだねぇ。アイツにここまで辛辣なの女の子も、珍しいんじゃない」
苦笑した宇佐美さんに、会わない間に溜まった愚痴の続きを漏らそうと口を開きかけると、まぁまぁと遮られた。
「そんな不憫な苗字ちゃんに良いものアゲル。良いことも教えてくれたしね」
宇佐美さんはご機嫌な顔で、胸ポケットから一枚の紙切れを取り出す。
ぴらっと目の前で揺れた紙切れを受け取ると、思わず大きな声が出てしまった。
「これ…!新しくできた健康ランドのじゃないですか!」
トゲトゲの吹き出しの中で割引の文字が踊り、デカデカと大きな文字で、【入浴料、飲み物、おつまみ1品、ぜ〜んぶついて1000円!】と書いてある。
「好きだったでしょ、健康ランド」
「めっちゃくちゃ、大好きです…!」
趣味は銭湯、健康ランド巡りである私は、目を輝かせて頷いた。
良かった良かった、と言いつつにこにこと笑いながら、宇佐美さんはポンポンと柔らかく私の頭に手を置く。
尾形さんは意味が分からないが、宇佐美さんがモテるのは物凄く分かる、とイケメンに頭ポンポンされたことに喜びを噛み締めた。
尾形さんに、宇佐美さんは優しくて男前だと言ったら、『アホかお前。騙されてるぞ』と鼻で笑われたことがあるが、それならそれで別に、自分にメリットがあれば良い、と思っている。
「でも、良かったんですか、これ。すごいお得なチケットですよ」
「いやぁ、僕、他人の入った風呂とか入りたくないし、絶対行かないから」
「なんだ、最初から要らなかったんじゃないですか」
「要らないからって渡されるより、良いものアゲルよって貰う方が嬉しいでしょ」
にっこりと笑った宇佐美さんの笑顔を見て、騙すなら最後までちゃんと騙してくれよ、と思う。
「でも、宇佐美さんの嘘は優しい嘘だから良いんです」
「急になんの話?ていうか、僕の優しさ勝手に嘘にしないでよ〜」
宇佐美さんが他の女性の前だともっと上手く誤魔化しているのを知っているし、人を利用することに罪悪感がない人だということも分かっている。
最初のうちは一々傷ついてもいたが、今や、でも人間関係ってそんなもんでしょう、といつの間にか冷めてしまった自分の思考が虚しい。
それもこれも、尾形さんがチューターになってから私に吹き込んだことで、全てアイツのせいだと思い込むことにした。
「あー尾形さんムカつく。マジでどっか飛ばされろ」
「まだ言ってる」
あは、と笑う宇佐美さんを横目に、くしゃりと握りつぶした紙コップをゴミ箱に放り投げた。