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「牧……あんたもそっち側かよ……」
「えっなに、どうした、七ツ森くん」
テストの順位表をぼんやりと見上げていたら、いつの間にか隣に立っていた七ツ森くんが心外といわんばりの目で見下ろしていた。そっち側とは?と思っていると、目線を再び順位表へ向ける。
「ちゃっかり、10位以内にいる」
顔を顰めた七ツ森くんの言わんとすることを理解して、思わず苦笑した。
「あ〜……まぁね。七ツ森くんは……」
「探さなくていいって……!」
「ぎゃっ!」
慌てた様子の七ツ森くんが私の目を覆う。……いや、覆ったというか、勢いよく片手で私の両目を押さえつけたと言った方が正しい。ちょっと痛い、そして手熱っ。
期末テストである。1回目のテストで8位をとってから、順位を下げるも不自然だし結局この位置をキープしている。周りの生徒たちが一喜一憂しているのを見ながら、そうだよね2年の夏だもんね、と納得する。皆、これから来たる将来に向けて、真剣に考える時期に差し掛かっているのだ。
「牧はやっぱ大学進学?」
「う、うん。まぁそうだね」
私にその未来はないのではないかと思っている。いつかこの夢から醒めるのだろう。そう遠くない将来。
「牧ちゃん!ミーくん!」
「うわっ、びっくりした」
唐突に背後から呼びかけられて肩を上げて振り返れば、そこには満面の笑みのダーホンが立っていた。いつもながらのキラッキラの笑顔だ。どことなくどんよりとした私と七ツ森くんの空気がさっと浄化された感じがした。恐るべしダーホンの癒しパワー。
「七ツ森くん、春乃ちゃん!」
「2人して順位見にきてたのかよ」
その後ろからマリィと風真くんが顔を出すと、再び七ツ森くんが嫌な顔をする。
「うーわ……学年トップ組が勢揃いとか……」
1年目のテストから、マリィは側に風真くんがいるからかグングン力をつけて、今や学年5位の成績である。トップは言わずもがなのダーホン、そして風真くんが続く。
「七ツ森くんも別に成績が悪いわけじゃないし、そんなに落ち込まなくても」
優しく声をかけるマリィの言葉も、今の七ツ森くんには響きにくいだろう。そんな七ツ森くんに追い討ちをかけるように風真くんがニヤニヤと笑って声をかけ、ダーホンが続く。
「こーら、甘やかすな。七ツ森、まず得意なところから伸ばしてみろよ」
「うんうん!ミーくんくんはまだ勉強の楽しさを知らないだけだよ」
……おや?おやおやおやおや?
マリィ、風真くん、ダーホン、七ツ森くんの楽しげなか掛け合いを見てピンとくる。これは、あれではないか。
「なんか、4人仲良いね?」
にやける頬を抑えて聞いてみれば、4人が揃って顔を見合わせて風真くんが頷いた。
「確かに、最近このメンバーでいること多いかもな」
風真くんの言葉に七ツ森くんも同調する。
「あんま意識してなかったけど、言われてみれば」
おお、やっぱりこれは。
「うんうん、いいね!仲良しグループの結成だぁ!」
ダーホンの言葉で確信に変わった。
マリィを中心とする風真くん、七ツ森くん、ダーホンのグループになったようだ。ということは、これからマリィがどんな態度をとっていくかで、男子3人の関係性も変わっていくのだろう。間近でそんな模様が見られるなんて嬉しすぎる。
「これから楽しいね〜、マリィ?」
「うん?」
1人なにも分かっていないマリィだけが、ニコニコと笑ったまま首を傾げた。
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腰を伸ばすために立ち上がって空を見上げたら、遠くに大きな入道雲が立ち上がっている。茶園の風をかきまわす扇風機がのんびりと回り、茶畑全体が陽光に青々と光る。
真昼間からはばたき山茶園にいられるのは夏休みに入ったからだ。期末テストも終わり、学生にとって待ちに待った夏。今頃、マリィ含むあの仲良しグループはグループデートでもしているのだろうか。
「牧先輩、これどうしましょうか」
「あ、ありがとう。そこに置いといてくれる?」
後輩の言葉に飛ばしていた意識を戻して、指示を出す。そこへまた別の後輩がやって来る。
「すいません、牧先輩こっちは……」
「それはね……ここに広げておこうか」
人生で初めて部活の後輩ができた。厳密に言えば園芸部に所属する後輩だけれども。夏休みだというのに早朝から出てきてくれて、素直に指示に応じて手伝ってくれるいい子たちばかりだ。
「昨年の文化祭、お茶部の売れ行きが好調だったから今年は皆んなで手伝うことにしたけど、牧あんた去年こんな大変なことひとりでやってたの?」
「いえいえ、ひとりでなんてとんでもないです。御影先生が手伝ってくれたので……」
隣で作業していた部長の言葉に返して、チラリと遠くで部員と笑い合っている先生を見る。
お茶部のはばたき山茶園での活動に園芸部の面々も今年度は手伝いを募ると言い出したのは御影先生だった。それに部長も賛同してくれ、部員の面々に声をかけてくれたのだ。皆んなで一緒に活動ができるのは楽しい。茶園の人たちだって助かると喜んでくれているし、きっと若い子達がお茶に興味を持ってくれるきっかけになったことは茶園の人たちにとって嬉しいことだろう。でも。
「おーい!部長!ちょっといいか!」
「あ、はーい!」
遠くの|畝《うね》から御影先生が部長を呼んで、私は彼女が御影先生に近寄っていく後ろ姿を目で追う。御影先生と最後に話したのは体育祭。あれ以来、御影先生と2人で話していない。去年のお茶部での活動が遠い昔のようだ。理由は分からないが、私は御影先生に距離を置かれているらしい。
「春乃ちゃん、大丈夫?」
「あっ、はい!すいません、ちょっとぼーっとして」
茶園主の奥さんが心配そうに声を掛けてくれて我に返る。考えるな、手を動かせ私。
「それならいいけど。春乃ちゃん、少しいいかしら?」
「え?はい」
作業に戻ろうとする私に、奥さんがにっこりと笑って手招きをした。
「ここなんだけどね」
「ここって……」
奥さんに連れてこられた場所には、ぽっかりと空いた空間に小さな茶畑が広がっている。
「試験茶園っていってね、いくつかあるうちの一つなんだけど。色んな品種を育てたり、栽培方法を試すための茶畑なの。ここはまだ比較的若い茶の木なんだけど、良かったらここをはば学用の茶の木として貸し出そうかという話になったのよ」
「えっ!そんな……いいんですか?!」
これまでは茶園のお手伝いだったけれど、そうなると栽培から管理までできることになる。
「いいのよ。試験茶園も管理するのは大変だしね。はば学の子達にやってもらえるなら、私たちも嬉しいわ。あ、サポートはするから任せて」
願ってもないことだ。ありがとうございます!と勢いよく頭を下げたら、奥さんがくすくすと笑った。そこでふと疑問が湧く。
「あの、御影先生はこのこと……」
「勿論知ってるわよ。御影先生から、貴方に直接話してやってくれって、頼まれたの」
「そうですか……」
奥さんの言葉に気持ちが沈む。お茶部のことなのだから、御影先生がこの場に一緒にいてくれたっていいのに。
「春乃ちゃん、本当に大丈夫?」
「え?」
眉を寄せて私の顔を覗き込む奥さんに思わず体を引いた。
「元気ないでしょ?具合悪い?」
「あ、いえいえ!ちょっと夏バテ気味なだけです」
「本当に?無理してない?」
じっと目を見られて問われて、ああこんな感じ仕事してた時もあったな、とふと思い出が蘇る。自分では無自覚でも気を抜くと顔に出てしまうタイプらしい私は、ホテルマン時代も上司や先輩によく心配された。体力もないので、働き初めの頃はよくへばったものだ。そのくせ体調を崩し掛けた時に人にうまく頼れなくて、色んな人に迷惑をかけた。
「心配して頂いてありがとうございます。本当に無理はしてないんですけど、今日は念のためにもう帰ります」
「そう、それがいいわ。夏はまだまだこれからだもの、ゆっくり休んで。送っていきましょうね」
奥さんがほっとした表情を浮かべて、正解の選択肢を選んだなと私もほっとする。奥さんからしたら、学生を預かっているのだ。無理されて倒れられる方が迷惑に違いない。まぁ実際のところ、月1恒例の地獄の週間が始まった初日でもあったので、意地を張らずに帰っておこう。
「すいません、助かります。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
頭を下げると、荷物取ってらっしゃい、と軽く声を掛けて奥さんはいそいそと去っていった。
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「牧が?」
「はい、体調悪いらしくて今日は早く帰るそうです。茶園の方が送ってくださったそうで……」
大丈夫かなぁ、と呟いた部長の言葉に俺の心拍も速度を増していく。全然気がついてやれなかった。
牧と最後にまともに話したのは体育祭のフォークダンスだ。あれ以来俺は彼女に声を掛けられないでいた。完全な俺の都合だ。
元々は想うことすら許されない対象だった牧が、実は中身は同じ歳の女性だと知った時そのストッパーはいとも簡単に外れた。想いはどんどん膨らんで、止められなくて。気がついた時には、急に出てきた七ツ森にまで嫉妬する始末。挙句、体育祭での自分の発言だ。
『ずっとこのままだったら、いいのにな』なんて何を自分勝手なことを言ったんだ。
俺はあの日からずっと自分を許せないままでいる。牧は失った高校時代を取り戻そうとしている。高校生として生き、全力でその時間を謳歌している彼女が恋をするとして、それは同じ高校生の男子相手ということもあるだろう。苦労して苦しんできたあの子に、きっとこの時間は神様がプレゼントした奇跡だ。それを俺はぶち壊そうとしたんだ。誰よりも、青春時代を失うことの重さを知っている俺が。だから、これ以上醜い感情を彼女にぶつける前に、離れようと思った。
「悪ぃ。ちょっと、俺行くわ。おーい!みんなー!昼前には上がれー!部長、後頼んだ」
「あ、はい」
近くにいた部長と、作業中の部員たちに呼びかけて茶園を飛び出す。自分で離れると決めたのに、それすら中途半端だ。なんて情けないことだろう。自分のしている思考と行動が支離滅裂で、から回っている自覚はある。それでも、後悔してしまう。ちゃんと近くにいられたら、彼女の不調に気がついてやれたのではないかと。
「あ、すいません!牧は」
「春乃ちゃんなら、さっきバス停まで送り届けましたよ」
「そうですか」
茶園主である斎藤さんの奥さんは、従業員をまとめているだけあってよく人を見ている。この人が牧の不調に気がついたのは納得だ。
「お家まで送るって言ったんだけど、ここでいいってそこは強情で……」
「え、じゃあ、あいつバス停からは」
「自分で帰るって言って降りて行っちゃったのよ」
奥さんは、大丈夫だったかしら、と心配そうに眉を下げている。あいつの悪い所だ。周りに迷惑をかけまいと無理をするところがある。それでも、素直に休む選択肢を取ったのは偉いと思うが。
「ご心配おかけしました。一応、牧の家に顔を出して確認します。道すがら、拾えるかもしれないですし」
「ああ、それがいいわ。ちょっと不安だったのよ」
「ありがとうございます。では、今日はこれで。部員たちは部長が連れて帰るので、大丈夫ですので」
挨拶もそこそこにその場を後にする。さっきバス停に降ろしたってことは、まだバス停にいるか、バスが来ていれば駅まで行くだろうから、どこかでは会えるのではないかと早る気持ちを押さえて車に飛び乗った。
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休日昼時の、人で賑わうはばたき駅。俺は生垣の陰で必要もないのに息を殺している。
「ごめ……ん……」
「……いいって。それ以上謝ったら怒るよ、俺」
ぐずぐずと泣いている牧の横にいるのは俺じゃない。
「……七ツ森くん、ありがとう」
「そ、言うべきはそっち」
そう、今彼女の隣にいるのは七ツ森だ。俺は情けなくこそこそ隠れて、途切れ途切れに聞こえる背後の2人の会話を聞いているだけ。垣根を挟んで背中越しに座る牧を感じながら、自分の間の悪さを呪って頭を抱えた。事は遡ること30分ほど前。
ー 休日のはばたき駅をなめてたな……。
俺は駅の人の多さに圧倒されていた。どこもかしこも人、人、人。何かイベントもあっているらしく、ことのほか人が多い。はばたき山から着くバスの停留所付近まで走り、きょろきょろと辺りを見回す。もし自転車なら駐輪場付近か、などと考えつつ姿を探しながら歩いていて見慣れた姿が目に映った。
あ、いた……!
遠く広場の方に牧の姿を認めて、ほっと胸を下ろす。とりあえず、道中倒れたとかそういうことはなかったらしい。歩いている牧に近寄ろうとしたところで、見知らぬ男が彼女に背後から声を掛けるのが目に入る。知り合いかと思い様子を見ていると、どうも違うようで男を振り払うようにして牧が歩き出し、更にまた男が後を追っている。恐らくナンパだろう。男を止めようと走り出して、若干頭に血が上った状態で声を掛けかけた時だった。
「牧!」
不意に現れた人物が、俺より先に牧の名を呼んで、
「七ツ森くん?!」
吃驚した様子で声を上げた牧の言葉で、相手が誰かを知る。駆け寄って来たのはメガネ姿の長身の男、七ツ森だった。相手が何か言い、それを無視するようにして七ツ森が牧の手を取って、すぐ側にあるベンチに座らせた。男は暫くその場にいたが、七ツ森が無視し続けて去って行ってしまった。俺はといえば完全に出遅れて、七ツ森と牧が座っているベンチと生垣を挟んだベンチに座っただけ。
まいった。完全に王子様じゃねぇか、あんなの。
男の俺から見てもかっこいい七ツ森の登場に気後れして、出るに出られなくなってしまった。車で来ているから、どこかのタイミングで出て行って送り届けようと思うのだが……。
「……えっ、牧?!どうした?!」
七ツ森の言葉にギョッとして思わず振り向くと、俯いた牧がふるふると首を振る。多分、泣いている。余程怖かったのか、それ以外の理由なのか。今すぐ飛び出して行って慰めてやりたい思いを噛み殺すように、ぎゅっと拳を握った。そして今に至るわけだ。
今すぐ出て行って、それで。……それで?
胸の内を苦しい靄が占めていく。このタイミング、起こる出来事、全てが牧と七ツ森の為にあるようだ。まるでお前じゃないと言われているような気がしてくる。所謂、いい雰囲気というやつだ。ここでこれを壊してどうする。1番したくなかったことだろうが。
結局俺はそっとその場を離れた。少し離れた所から隠れるようにして2人を見て、牧が落ち着く様子を取り戻すのを待つ。あのまま背中越しに2人の会話を聞いているのは、流石に堪える。それにしても、なんとも情けない姿だ。
「牧」
「え……先生……」
何事もなかったかのように、俺は牧の前に現れた。泣いた後の少し腫れた目に、気づかない振りをする。よ!と手を挙げると、目を逸らされた。代わりに七ツ森と目が合う。
「御影先生、こんにちは」
「おー七ツ森。悪いな、牧に付き添ってくれてたのか。いや、助かったよ。茶園から1人で帰っちまうし、俺も顧問として体調不良の生徒見送る監督責任あるからな。探してたんだが、お前が付いててくれて良かった」
よくもまぁべらべらと。ヘラヘラと笑いながら、自分で自分に反吐が出る。
「御影先生、私」
何か言おうとする牧を俺は笑顔で制して、それ以上喋らせないようにする。狡い、牧に前そんなような事を言われたことが、ふと思い出される。
「七ツ森、悪いんだが牧を車で家まで送るから、着いて来てくれないか?車を近くまで回すから、付き添ってくれると助かる」
「はぁ、わかりました」
「悪いな。ちゃんと最後お前も家まで送ってやるから」
「まじっすか。ラッキー」
七ツ森の表情が明るくなったのを見て、牧に視線を向ける。目が合って苦しくなる自分の心はおくびにも出さない。これで良いはずだ。牧にとってきっと七ツ森はそういう存在だろうから。
なのにどうして、牧、お前の表情はそんな寂しそうに見えるんだろう。
「……じゃ、準備しとけよ。車回してくる」
視線を逸らして、俺はその場を立ち去った。
そう見えたのは、きっと俺の都合の良い罪悪感と自意識のせい。とことん情けない男だ俺は。
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「ねぇ、いいじゃん行こうよ」
しつこいナンパ男を無視して歩く。普段の私なら全く気に留めないのだが、こと今日に関しては苛立ちが勝る。
先生には謎に突き放され、思うようにことは進まず、挙句今になって生理痛が酷くなってきた。段々顔から血の気が引いていく。身体中が痛い気がする。月1のこれがこんなにキツかったかと思うが、10代の身体は不安定で、尚且つ心も大人の私よりも揺れやすい気がする。これ以上なにか負荷がかかったら、一気に破裂してしまいそう。
「ねぇってば」
そんなことはお構いなしに、ナンパ男は声をかけてくる。いい加減文句を言ってやろうとした時だった。
「牧!」
聞き慣れた同級生の声がしてその方向を見る。
「七ツ森くん?!」
Nana姿ではないメガネの七ツ森くんが、頭ひとつ人混みから覗かせてこちらに手を振って、それから駆け寄ってきてくれた。
「悪い、遅れた」
私に向けての言葉を、ナンパ男の目を見ながらわざと聞かせるように言っている。この状況に手助けをしてくれようとしているのだろう。正直かなり有難い。
それからの流れはとてもスムーズで、私を連れであるかのように振舞ってくれ、それでも尚しつこく話しかけてくる男を華麗にスルーして大事にせずに撃退してくれた。おまけに私の顔色を見て、的確な質問をした後色々察してくれたようだ。お姉さんがいるからなのか、七ツ森くんは妙に察しが良い。
「牧、とりあえず水。常温でいいよな。頭痛薬、俺のなら一応あるけど」
「いや、自分のある……う……ありがと……」
腹痛で顔を歪ませた私を見て、七ツ森くんが眉を下げる。
「……暫くじっとしてた方がいい。俺の上着貸すし、あれだったら寄り掛かって」
そんな気遣いの言葉までくれて、有難い反面申し訳なさでいっぱいだ。彼女でも何でもない女の、生理痛の心配をさせるなど気の毒な事この上ない。
「いや、流石に悪いよ」
「そういうのいいから、今」
ぴしゃりと七ツ森くんに言われてしまって、本当にそうだよな、と思う。こんなところを見せて、気遣うなというほうが無理がある。うまくいかない時というのは、とことん上手く回らないものだ。大人の私ならきっと嵐が収まるのを待つ動物のように、じっとやり過ごすことができた。だけど。
「ふっ……うっ……ごめ゙……」
「……えっ、牧?!どうした?!」
七ツ森くんの驚いた声に、自分が晒している醜態を知る。でも自分の意思に反して、涙はとめどなく流れていく。情緒はもう取り返しのつかないくらいにぐちゃぐちゃで、暫く涙は止まってくれなくて、その間七ツ森くんはとても居心地が悪そうに横に座ってくれていた。
「で、どうしたんすか……って、コレ聞いてもいいヤツ?」
涙がおさまってきた所で、七ツ森くんが気遣わしげにそう言った。そりゃそうだ。自分が何で付き合わされてるのか知りたくないわけがない。でも。
「どう……したんだろうね……」
はは、と力なく笑うと、七ツ森くんが呆れたようにため息をついた。だって、どう説明したらいいのか分からない。
「言いたくないならいいケド……喋った方がスッキリするってこともあんじゃないの」
無理にとは言わないケド、ともう一度フォローをしてくれる七ツ森くんに申し訳なさが込み上げてくる。
「ごめんね……」
「いいって、謝ってほしいわけじゃないから」
「いや、そうだよね……マジでごめん」
ついまた謝って口を噤んだ。それから、頭の中を整理してみて口を開く。
「なんだろう……なにもかも上手くいかない時ってあるでしょ?今日はまさにそういう日で……」
口にしながら、いや違うな、と思う。気持ちが溢れた本当の理由。それはもっと単純で簡単なことだ。
「……勝手に仲良くなれた気がして、勘違いしてたのかな、とか」
脈絡なく口にした気持ちの断片にも、七ツ森くんは黙って耳を傾けてくれている。その沈黙が心地よくて、胸のうちにある気持ちがするりと言葉になっていく。
「多くを望むわけじゃない。自分の立ち位置のまま、一緒に過ごす時間があればそれで良かった。でも、もしかしたら私、距離感間違えちゃったのかもしれない。なんかすごく情けない気分っていうか……」
気をつけてたんだけどなぁ、という呟きとともに、ツンと鼻の奥が痛む。また溢れそうな涙を引っ込めるために上を向いた。夏の夕方の空は、まだまだ明るい。情けない私の姿を、鮮やかに照らす太陽が恨めしい。
「……牧が誰との何の話してんのかはよく分からないけど、でもちょっと分かる気がする」
少しの間のあと、そう言った七ツ森くんの横顔を見ると、彼もまたぼんやりと夏空を見上げていた。眼鏡の脇から見える目が、眩しそうに細められる。
「距離感って難しい。大事にしたい相手だと尚更。相手と自分がちょうどよく居られる距離感をいつも探ってて、そのままで良いって思うのに、ふとした瞬間に全部ぶち壊したくなる。で、後で大後悔したりな。俺の場合は相手がケロッとしてくれてるから良いけど……良いのか?よく分かんないな、ただの一人相撲って感じでムショーに虚しくなることもあるし……そもそも、俺に参戦権があるのかすら怪しいし」
ぼんやりと向けたその視線の向こうに、きっと私もよく知るあの子の笑顔があるのだろうな、と察するに、随分仲良しグループの中でヤキモキしているらしい。
「あ、悪い。俺の話してどうすんだよな」
はっとしたように七ツ森くんが言うものだから笑ってしまう。
「ううん、話してすっきりしたよ。ありがとう、」
お礼を口にして、それから言いかけた言葉を言って良いものか一瞬悩む。考えて喋らなければ、異分子である私がバランスを崩すわけにはいかない。よくよく考えてから口を開けた。
「……参戦権はあるでしょ。というか、参戦していかないと七ツ森くんの話は進まないんだから。頑張れ」
このくらいは友人に対するエールの範疇だと判定してほしい、といるのかいないのか分からない神様に祈ってみる。こんなにもひたむきに向き合っている七ツ森くんに、少しくらい背中を押す言葉があったっていい筈だ。
「ん……そうだよな、サンキュ……てか、何で俺が励まされてんの。やっぱ、あんた姉貴に似てるわ」
「ふふ。ミーくんは弟感あるね」
「そんなこと言うの、あんただけだって……」
面白くなさそうにそう言う七ツ森くんが可笑しくてまた笑ってしまった。気休めではなく、本当に言葉にして笑ったら心が軽くなった。
「ま、情けない者同士、頑張ろうぜ。俺がもらった言葉だけど、そのまま返すよ。参戦していかないと、話は進まないってさ」
そう言って七ツ森くんが悪戯っぽく笑う。
「……そうね」
その笑みに私も力なく笑い返してみせた。
一体どこまでこの世界に参加して良いのか、私は自分で分からない。御影先生がマリィに惹かれているのなら、マリィと御影先生のルートが確かに存在する世界線ということなのだろう。私がそこに図々しく参戦するなんて、それは絶対にしてはいけないことだと思う。だから、私は2年の始まりの時、御影先生がマリィを意識し出したのを見て距離感を間違えないようにしようと思ったのだ。
せめて一生徒として御影先生の側に居たいなんて、それ自体が大それた願いだったんだろうか。
「牧」
落とした目線の先にスニーカーが入ってきた。耳にしっくり馴染む声。ここ最近呼ばれることのなかった声で名前が呼ばれて、心臓が大きく音を立てる。
「え……先生……」
目線をあげて一瞬時間が止まった。今しがた考えていた人が目の前に立って、よ!と手を挙げている。思わず視線を逸らしてしまって、馬鹿、と自分に言う。なんて、あからさまな。
「おー七ツ森。悪いな、牧に付き添ってくれてたのか。いや、助かったよ。茶園から1人で帰っちまうし、俺も顧問として体調不良の生徒見送る監督責任あるからな。探してたんだが、お前が付いててくれて良かった」
私に話しかけることを諦めたのか、御影先生は七ツ森くんに向かって朗らかに声をかける。私の知る御影先生なら、相手が私でなくても第一声に心配の声を生徒にかけるような人だ。
「御影先生、私」
この後に及んで嫌われたくなくて、まだ悪あがきしようとする私は先生の名前を呼ぶ。
「七ツ森、悪いんだが牧を車で家まで送るから、着いて来てくれないか?車を近くまで回すから、付き添ってくれると助かる」
でもそんな私を有無を言わせない笑顔で制して、先生は七ツ森くんとの会話を続けた。七ツ森くんも若干の違和感を感じ取って、はぁ、わかりました、と歯切れの悪い回答をしている。距離を取られていると思っていたけれど、これはもうもはや完全なる拒否ではないかとすら思う。
寂しい、辛い、苦しい。
車をとってくる、と言い残して去っていく先生の大きな背中を見送って、目の奥まで上がってくるような、苦い感情が身体中を浸していく。力が入らない。
「あ、電話だ。ごめん、ちょっと出る……はい、もしもし。はい、はい……分かりました。じゃあまた」
かかってきた電話に対応して切った七ツ森くんが、私の顔を見てえっと声を上げた。
「顔ヤバっ!真っ白だぜ?!」
「あー……ごめん、ちょっとまたキツくなっちゃって……」
誤魔化すように、ははは、と笑うと、笑い事じゃないって、と七ツ森くんが眉を下げる。
「悪いんだけど、俺、事務所から呼び出しがあって行かなきゃなんだよ……ちゃんと、御影先生に送ってもらえよ」
「え」
ちょっと、待て。
「じゃ、じゃあ、私!」
「あ、先生来た!御影先生!」
このまま私、御影先生と2人きりってことか、と理解して、ひとりで帰ると言おうとした時には、遠くに先生が乗った車を見つけた七ツ森くんが走って行った後だった。
続く