15
「悪い、七ツ森が急用だとかで帰っちまって……」
頭を掻きながらそんなことを言う御影先生を見上げる。なんて気まずそうな顔をしているのだろう。
そのことにムッとして、ついぶっきらぼうな物言いになる。
「何も謝られるようなことは……」
「そ、そうだよな」
なにやってんだろうな俺は、と呟くように御影先生が言って、心の中で盛大に後悔した。
そんなことを言わせたかったわけでも、そんな顔をさせたいわけでもないのに。
その気持ちを言葉にできなくて、気まずい沈黙がおちる。本当に可愛くない。自分という女が私は大嫌いだ。
帰るか、と呟いた先生の表情は夕暮れに陰ってよく見えなかった。
じくりと傷んだ胸と一緒に、下腹部に針で刺されるような痛みが広がって思わず顔が歪む。それでも立たなければ。これ以上先生に迷惑をかけられない。
「牧?!」
「え……?」
声をかけられて顔を上げたら、すう、と頭の先から血が引いていく感覚がした。それから視界がぐらりと揺れる。
まずい。
徐々に目の前が真っ暗になっていく。頭がぐわんぐわんと波打つように揺れる感覚がして、盛大な立ちくらみを起こしていることを理解した。このままだと倒れると察知して、掴まれる物を探して手を伸ばす。
「おい?!」
慌てた声がして、腕をとられる。同時に身体がぶつかった。
頭がひどく重たくて、寄りかかるように額をあずけたまま動けない。
「……す、すいません……すぐ、退くので……」
「馬鹿、無理すんな」
頭の上で深い声が掠れた。
ハーブと洗剤が混ざったいつもの御影先生の匂いに、ここまで近づかないと分からない肌の湿った香りが加わる。
少しずつつ血が巡って頭がクリアになるにつれ、目が開けられるようになって視界が開けた。俯いていた頭を上げて状況を知る。
分かってはいた、けど、これは。
「大丈夫か?」
注がれる心配そうな視線、分厚い胸板から伝わる熱、私の肩を簡単に支える大きな手――。
……破壊力ありすぎ。
「すいません……」
思わず視線を逸らして、顔近くにあった胸板を押し返した。
多分今私は酷い顔をしているだろう。青くなったり、赤くなったり、馬鹿みたい。情けなさと、加えて申し訳なさとで、どんな顔をしたらいいのかわからない。
「……悪い」
一言。御影先生がポツリと呟いて離れていって、この後に及んで離れた温もりを名残惜しく思う自分の浅ましさに嫌気がさす。そんなことをしていたら、再び軽い目眩と刺すような腹痛が襲った。痛みを逃がそうとそっと息を吐いた時だった。
「ちょっと我慢な」
先生の声が近いと思ったら、いきなり身体が宙に浮いた。
「へ、」
ぽかりと開けた口から間抜けな声が漏れる。それから状況を理解して、
「ちょ、え、先生?!」
ジタバタと藻がいた。 そんな私の動きなど物ともせずに、先生のがっしりとした腕が私を抱き抱えている。背中に添えられた大きな手が熱い。
私は今、御影先生に抱き上げられて運ばれている。
「嫌かもしんねぇけど、車まで辛抱してくれ。大人しくしてくれると助かる」
落っことしたくねぇからな、と続けた声は戯けたように見せかけて少し上擦っている。
「重いですよ……!」
「はは。全然って言えたらかっこいいんだろうけどな。結構頑張ってるから、お前も協力してくれ」
そう言いつつ軽々と私を抱えて歩く御影先生の髪がふわふわと揺れた。いつもは私の所まで香ることはない、シャンプーの匂いがする。
なんだこの状況は。頭が沸騰する。
先生の長い足がずんずんと私を前に運んでいく。思わず、ぎゅっと先生の肩を握った。
長い長い時間に感じたけれど、多分本当は1分もないくらいの時間だったろう。それでも後部座席の広いスペースにそっと降ろされた時には目眩も腹痛も吹っ飛んで、ただただ熱に浮かされたみたいに体中が熱かった。
「辛かったら横になってもいいからな。じゃ、出すぞ」
御影先生は何事もなかったかのように扉を閉めると、運転席に座ってエンジンをかけた。
・
・
・
カーステレオからラジオの音が小さく流れている。さっき、先生が何気なくつけたラジオだ。
「寒くないか?」
「いえ、大丈夫です」
ありがとうございます、と付け加えると、ミラー越しにチラリとこちらを見た先生と目が合った。
「そうか」
少し笑って、そう言うと先生は視線を前に向ける。また沈黙。
視線を窓の外へやれば、真夏のまだ明るい夕方の風景が過ぎ去っていくのが見えた。駅まで自転車で来れるような距離だ。ボンヤリしていたらすぐに着いてしまうというのに、私には持ち出す話題が何も思い浮かばない。駅での出来事で昂った気持ちも落ち着いて、気づけばまた腰がずっしりと重くなってきた。頭も痛い。お腹も。本当は全大丈夫なんかじゃないって素直に言えたら、少しはこの空気も変わるのだろうか。
「悪かったな。体調悪いの、すぐに気がついてやれなくて」
「いえ、そんな……」
なんで先生が謝るんだろう、とそれにすら少しムッとしてしまう。もうさっきからずっとこんなことの繰り返しだ。
そんなことじゃない。私がモヤモヤしている理由は。
「御影先生」
「ん?なんだ?」
どうして避けるんですか、と口まで出かかった言葉が音にならない。
私何かしましたか、避けられるのは悲しいです、不安になります――。言いたいことはいくらでもあるのに。
「……なんでもないです」
「おいおい、気になるだろ。言いかけたなら言ってくれよ」
先生は笑っている。私は笑い返す気になれない。こんな顔して、なんでもないなんて、よく言えたものだ。
沈黙が苦しい。
「……もしかして、さっき車まで運んだこと怒ってるか?」
不意に飛んできた先生の言葉があまりにも考えの外過ぎて、私はぽかんと口を開けた。
「え?」
「あんまり辛そうで、ついやっちまった。すまん」
私の様子など見もしないで、ふわふわの髪を御影先生がぽりぽりと掻いて、また謝罪の言葉を口にする。
もう謝ってなんか欲しくない。
「先生、もう謝るのやめてください」
自分で思ってるよりずっとずっと固い声が出て、喉がぎゅっと閉まる。
「あ、あぁ……悪い。って……何やってんだ俺は」
先生が弱々しく息を吐いて、それから赤信号に引っ掛かってゆっくり車が停止した。自分の心臓の音が大きく聴こえる。カーステレオから、やけに明るいDJの声が車内に響いた。
「罪悪感、勝手に感じてんのは俺だよな」
ポツリと呟くように先生が前を見ながら言う。視線は前を向いて合わないけれど、すっと息を吸い込んだのがわかった。それから力を抜くように、ははは、と笑って、言葉は続く。
「いやぁ自分でも、自分がこんなに下手くそだとは思わなかったぜ。
高校生活を謳歌してるお前をさ、ただ応援したかったんだよ。牧が自分の世界をちゃんと作りだしたのに、折角俺から離れていこうとしてるのに、秘密を知ってる俺が側にいると邪魔になるんじゃねぇか、とか色々考えて……。
気づいてたと思うが、だから距離をとった。いつまでも俺が側にいたんじゃ、やりにくいかと思って。でも、それでお前の不調に気がつけなかった。それが俺の罪悪感の理由」
信号が青に変わって、アクセルが踏まれて車がゆっくり動き出した。先生は乾いた笑いを溢す。
「でも、そんな罪悪感俺が感じること自体、牧にとっては迷惑な話かもな」
先生の言葉に耳を傾けていた私は吃驚して顔を上げた。先生は変わらずにまっすぐに前を見ている。ミラー越しにさえ目を合わせてくれない。そのまま、言葉は続く。
「お前のことを心配したり、大切にする役目は、お前がそうされたいと望む相手であるべきだし、その相手はもういるだろう」
その後続けて、ったく、こんなべっぴんさん相手に何やってんだよアイツは、と軽い調子でついた悪態は私の頭には全然入ってこなかった。
俺から離れて行こうとしてる?側にいると邪魔?迷惑?相手はもういる?……は?
「ちょ……ちょっと待ってください、えぇっと……?」
本当に一体何を言っているのか理解が不能で、精一杯頭を働かせてみるが何も思い当たることがない。これは、あれなのか、私の話だと見せかけて先生自身のことを言っているのだろうか。
「あの、それは、側にいると邪魔だから、彼氏でも作って先生から離れろってことですか?」
そうなんとか要約すると、今度は御影先生が吃驚した顔をしてミラー越しに目が合う。
「はぁ?!なんでそうなるんだよ?!主語がまるっきり変わってんじゃねぇか!」
「だって!側にいると邪魔だとか、迷惑だとか、やりにくいとか、意味分かんないことばっかり言うから……え、本気で私がそう思ってると思ってたんですか?!」
だとしたら、あんまりだ。あまりにも飛躍した邪推すぎるだろ。腹が立ってきた。猛烈に。ていうか、そんな謎の勘違いで距離を置かれてたなんて、腹立たしすぎる。私のモヤモヤ、クヨクヨした気持ちで過ごした時間をどうしてくれるというんだ。そんなこと一言も言ってない、とボヤくけど、怒りは収まらない。あーイライラする。
そんな私に即発されたのか、先生もムッとしたような顔で私を見る。勿論ミラー越しに。
「言えるわけねぇよなぁと思うから気遣って距離とったんだよ!大体距離とったのはお前もだろ」
「そ……!それは……」
図星を突かれて言葉に詰まる。
言われた通り、その自覚はあった。5月のはじめにショッピンモールで御影先生とマリィに会ってから、自分の立ち位置を見誤らないようにしようと決めた。これまでなら真っ先に先生の所へ行っていたのをやめたり、先生の誕生日だって本当は個人的にプレゼントしたいのを諦めたり。本当はマリィと御影先生が親密になっていくのを見ることになると思うと苦しかった。逃げたのだ、私は。
つまり自ら先生との間にうっすら線を引いたのに、先生が離れていったら、それはそれで気にしていたイタイ奴ということだ。……改めて考えたら、恥ずかしくて辛い。
いや、でも、言い訳をするわけじゃないけれど、先生と縁を切ろうとしたわけじゃない。だから、先生の言ったことはやっぱり的外れだ。
私がむっつりと黙ってしまうと、ほらな、と珍しくムキになっている先生が、勝ち誇ったような顔をして(腹立つ……!!)にやりと笑った。
「その反応を見るに、距離とってたのは無意識ってわけじゃないよな。理由を聞かせてもらおうか、牧?」
次はお前の番だよな?と続けて、車をゆっくり停車させた。家の近くまで来ていたことに、漸く気がつく。まずい、これはじっくり腰を据えて話すつもりだ。ここで帰すつもりはないという意思を感じる。
「き、気のせいじゃないですか?」
「それはない」
苦し紛れの私に先生はきっぱりそう言うと、今度はミラー越しではなく振り向いて肩越しに私と目を合わせた。
「教えてくれ。お前がなにを考えてたのか」
懇願するようなその視線は、たちまち私を弱らせる。観念するしかない。ひとつ溜息をついて、口を開いた。
――――――――――――――――――
こんな追い詰めるような言い方をして、我ながら大人げないと思う。それでも。
「教えてくれ。お前がなにを考えてたのか」
聞かずにはいられなかった。
俺が1人でぐるぐる考えていたことを勢い任せに喋ってみれば、それらはあっさり否定されて、もはや恥ずかしさすらある。本当に俺はなにやってたんだと、今日何度目かの自責の言葉が胸をしめた。それと同時に、じゃあほんのり感じた彼女からの距離はなんだったのか、という疑問が湧いた。
今回のことから得た教訓。それは、話を聞いてみなければ分からないということだ。それで、学期の初めに氷室教頭に言われたことを思い出す。
『人間関係で悩んでいるのなら、対象となる相手とちゃんと話すこと。自分の思い込みだけで動かないこと。
これで大抵の悩みは解決する』
……エスパーかよ、あの人は。まぁ忠告を丸ごと無視して、今に至る愚かな俺なわけだが。
そして、同じ轍を踏んでいたのは俺だけじゃなかったことを知る。
「真面目ちゃんと俺?!」
なんでだよ?!と素っ頓狂な声を出す俺に、牧はモゴモゴと、2人でデートしてたしそういうことかと……、と気まずそうに言った。
「デート?」
「ゴールデンウィークにモールで会ったじゃないですか」
そう言われて漸くピンときた。
「あ〜!あったなそういえば……ってお前あれをデートだと思ってたのかよ?」
牧が至極真面目な顔で頷いて、俺は頭を抱える。
確かにあの日、俺は真面目ちゃんといた。だけど、偶々居合わせただけの偶然を、まさかそんな風に解釈されていたとは。飛躍も甚だしい。
「いや流石に、付き合ってるとか思ったわけじゃないですよ?御影先生、ちゃんと大人だし、そんなことはしないってわかってるけど、でも、マリィが先生好きということもあるかもだし、先生がマリィを好きという可能性もなくはないわけだし」
「ちょっ、ちょっと待て!それは無ぇだろ?!」
「無いとは言い切れないでしょう?!そういうルートもあるかもしれないんですから!」
急に独自の解釈を喋り出した牧に面食らう。ルートってなんだよ、ルートって。
「どちらにせよ、私が側に居たんじゃ邪魔だろうなと思ったんです」
と、どこかで聞いたような台詞を言ってから、あ、という顔をする牧を見た。
「……自分で言って気づいたか?」
「……えぇ……ほんと……何やってんでしょうね、私たち……」
2人して、はぁー、と長めの溜息を吐いた。どっと脱力感が押し寄せる。
「この際だから聞くけどさ……お前もあの時、七ツ森といただろ。その……」
俺の言葉に牧がきょとんとした顔をして、それから察したような顔をして、そして鼻の頭に皺を寄せた。
「私もあの日偶然七ツ森くんに会ったんですよ。しかも、あの時いなかったですけど、ひかるも一緒でしたし。2人に出会して、着せ替え人形にされて大変だったんですから……。ていうか、七ツ森くんと私が付き合ってるとかいう噂、まさか間に受けてたんですか?」
呆れたようにそう言って、相手高校生なんですけど、と付け加えられたその言葉を、そのまま牧に打ち返してやりたい。まぁ高校生の姿の頃しか知らない間に、牧に惹かれた俺が言えることじゃないかもしれないが。
それにしても事の真相を聞いてみれば、なんだそんなことかと思うようなことばかりで、さっさと聞いていればよかったと後悔が襲う。
「いや、噂だけを信じたわけじゃねぇよ?ただ、2年になってからやけに仲良いっていうか、距離感が近いっていうか……それでだな……」
バツが悪くて言い訳じみたことを言ってみて、馬鹿馬鹿しいことを言っていることに気がつく。校内で堂々とキスしてたこともあっただろ、とは流石に言わないが、考えてみればあの場面だって角度的にそう見えただけということも多いにある。というか、そう考えた方が自然だ。七ツ森にしても、牧にしても、性格的にそんなことをするとは到底思えない。冷静になった今なら分かることを、どうしてこの数か月ずっと考えもしなかったんだろうか。思い込みとは怖いものだ。
「そりゃあクラス一緒ですし。でも七ツ森くんと2人でいることってほとんどないですよ。大体はひかるが一緒にいます」
言われてみれば確かにそうか、と思う。花椿と一緒にいる姿はよく見かける。そこに七ツ森が合流して来るというのが、よくある組み合わせだ。そう言えば最近は、風真、本多、七ツ森に真面目ちゃんという組み合わせもよく見るか。そうなると、牧は花椿と2人で行動していることが多いようだった。そんなことを考えていると、牧が言葉を続けた。
「七ツ森くん、感が鋭いところがあって、私のことをあまり同級生として見てないのかもしれません。私にはお姉さんに似たものを感じるらしいですよ。だからちょっと距離感が近いのかな」
実際お姉さんと私年齢近いですからね、と言う牧を見て、えっ、と俺は身構えた。
「大丈夫なのかよ」
「大丈夫は大丈夫です、全然。私の状況、突拍子無さすぎて、バレようが無いと思うので……。
まぁとにかくそういうことで、七ツ森くんが私に感じてるのは、歳上への親しみやすさみたいなものなのかと思います。私からしても、弟みたいな感じがしますしね」
ふふ、と笑って牧はそう締めくくる。
「弟、か。じゃあ、遠慮する必要はないってことだな」
「え?」
「ん?いや、こっちの話だ」
七ツ森と牧の距離感の近さを、もう俺は邪推しなくて済むわけだ。変な親近感を持っているのはやや癪に触るものはあるが。とにかくもう、こういうのはやめた。考えすぎて身動きが取れなくなっていくなんて状況になっていくのはもうごめんだ。と、そんなことを考えていたら、ラジオの番組が切り替わって時刻を知らせた。
「うわ、もうこんな時間じゃねぇか。話し込んじまったな。体調は?」
「なんか力抜けたからか、随分マシになりました」
そう言いながらも、よく見るとやっぱり牧の顔はいつもより白い。
先に車から降りて後部座席の扉を開けてやると、よろよろと力の入っていない足で降りてきた。鞄を持ってやりながら、駅前ではつい抱えてしまったことを今更思い出して少し手が震えた。あまりにも弱々しくて見ていられなかったとはいえ、我ながら強引なことをしたものだ。
「歩けるか?」
「だ、大丈夫です」
牧も同じ場面を思い出しているのだろう。動揺したような口ぶりに、今度はちょっとした嗜虐心が顔を出す。
「お望みなら、運んで差し上げましょうか?」
「えっ!結構です!」
「ははは、冗談だ」
今は何より、この何気ないやり取りが嬉しい。
牧を無事に家まで送り届けて、その日俺は久しぶりに軽い心持ちで家に帰った。
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「つっかれたぁ……」
帰宅後すぐにお風呂に入って、軽い食事を済ませ(生理中は食欲が増すのだが、今日はもう色々お腹いっぱいだった)、ベットに倒れ込んだ。薬も効いてきたのか生理痛も引いている。確かに年に1、2度程度、心身共にコンディションが崩れると、ひどいPMSに悩まされることがあった。今回のは完全にそれだと思う。
でも、まぁ良かったのかもな。
枕に預けた重たい頭のまま、そんなことを思う。きっとそんな状態だったから、溢れた本音もあった。時には吐き出してしまった方がいいこともあるんだな、とそんなことを思う。
ぼんやりと今日のことを考えていたら、スマホが振動した。手にとって見てみれば、メッセージが2件きている。1件は御影先生からだった。
【お疲れ。無理させたよな。でも、色々話せて良かった。今日はゆっくり休めよ。】
“色々話せて良かった”の文字に何度も目を走らせる。
2年目の夏休みに入った。この時点で御影先生はマリィに対して特別な感情はないようで、マリィはマリィで、風真くん、本多くん、七ツ森くんとの仲良しグループの中にいる。御影先生ルートは無いということなのか、と随分打算的なことを考えてしまう。
『遠慮する必要はないってことだな』
先生の言った言葉が思い出される。あれはどういう意味だったんだろう。先生がしていた勘違いとか、距離の置き方とか、色々と話せて良かった、と思う真意についてとか、考えを巡らせて、一つの仮説に行きあたる。
もし、御影先生が、私と同じ気持ちで距離を置いていたなら――。
「いやいや……それはちょっと、都合良すぎない?」
慌てて浮かんだ妄想を打ち消そうと、声に出して笑ってみた。不意にスマホが震えて、液晶に“花椿ひかる”の文字が表示されている。
「もしもし?」
「あ、春乃?なんだ、いるじゃん〜」
電話の主は表示の通りひかるで、メッセージ送ったんだよぉ、という口ぶりから電話の向こう側で口を尖らせているのが目に浮かぶ。
「ごめんごめん、今部屋に戻ってきて、まだ見れてなかった」
「待ちきれなくて電話しちゃったよぉ〜。今ねぇ、マリィとみちるとパジャマパーティーしてたんだけど」
ひかるの言葉に、うわ、あったなそんなイベント!、と上がるテンションを抑える。
「いいね、楽しそう」
「うん、楽しいよぉ〜!今度春乃もやろうね、ってそうじゃなくて!」
1人ノリツッコミをするひかるは随分楽しげだ。テンションが高い。これは何か企んでいるな、と勘づいて素早く言葉を差し挟む。
「着せ替えはしないよ」
「えぇ〜?!なんでぇ?!聞く前からひどいよぉ!」
案の定か、と思っていると、電話の向こうでガサゴソと音がして人が変わる気配がした。
「もしもし、春乃?」
「みちる!」
変わったのは双子の片割れだ。こんばんは、と穏やかな声が電話越しに聞こえてくる。
「話が進まないから、代わりに話すね。今3人で色々話してて、花火大会一緒に行こうって話になったの。それで春乃も誘おうっていう話になって…。それからマリィと春乃のヘアメイクは私たちに任せて欲しいんだけど」
駄目かな、とみちるの声がする。そう言われると、断れるわけないじゃないか。まぁ浴衣は自前だしいいか、と承諾すると、背後でわーい!と楽しそうなひかるとマリィの声がした。
「それじゃあ、また連絡するね!」
そう言って賑やかしい電話は切れていった。カレンダーを見れば、花火大会まであと一週間なことを知る。
スマホが再度振動してメッセージを開ければ、マリィからだった。
【花火大会楽しみだね!玲太くんと、本多くん、七ツ森くんも一緒に行くことになったけど大丈夫?】
いや、それ私ら邪魔じゃない?と思いつつ、仲良しグループを間近で見たい欲望に勝てずに心の中で男子3人に謝ってOK!のスタンプを送った。今年は賑やかな花火大会になりそうだ。そこで、そういえば、と去年の花火大会を思い出す。去年は1人で行って御影先生と会ったんだった。あの時もちょっとギクシャクしたのだ。その後も秘密がバレて距離を置いて……。
「……なんか、私めちゃくちゃ御影先生のこと振り回してない……?」
申し訳なさが湧き上がる。同時にこんなにも付き合ってくれている感謝も。不安定な私の気持ちに寄り添って、いつだって傍にいてくれた。その有り難さが、今回身に染みて分かった。私の中で先生の存在はこんなにも大きくなってしまった。
もし私が本当に女子高生でこの人生がそのまま与えられて、卒業後もこの状況が続くなら、何も考えることなく先生に恋をして、なんの疑いもなく結ばれる努力をするのだろう。でも私には未来があるのか分からない。努力して、もしも御影先生が私のことを――。
「……て、だからなんで、両思いになれる方向に考える」
枕に顔を埋めて複雑な感情をため息にして吐き出した。正直もうどう考えたらいいか分からない。分からないときは、
「流れに身を任せよう」
呟いて仰向けに寝転がった。考えても仕方ないことは、考えすぎないほうがいいことを今回のことで学んだ。
睡魔はすぐに襲ってくる。
『次は最初から御影先生を誘いますよ』
随分挑戦的な言葉だなと、いつかの記憶が薄らと微睡の間で浮かんできた。言ったのは去年の花火大会の後の私。これは約束になってしまっただろうか。
今年の花火大会のこの流れは、御影先生を誘う流れって考えてもいいのかな。
そんな都合の良い考えが浮かんで、それから眠りに沈んでいった。
続く