3
空は青い。ここは屋上でお昼休みで、どういうわけか人がおらず、今日私はここを独り占めしている。
学生だから仕事もない。完全なる自由時間。こんなこと仕事してたら有り得なかった。昼食を食べそびれるなんて日常茶飯事だったし。
「どんなきっかけで、なにが2人を引き寄せたんだろう♪」
スマホから流れるご機嫌な曲を口ずさむ。
イヤホンを忘れてきてしまったから、人がいないことをいいことに音楽を垂れ流しだ。
懐かしい。元の世界で中学生時代に流行っていた曲。
私のスマホにはお気に入りのプレイリストが入っていてそれらは全部、私が元いた世界では10年以上前、流行りの音楽を追いかけていた頃の曲たちで構成されていた。けれど今私がノリノリで聴いているこれらの曲は、今やこの世界では懐メロになりつつある。
この世界の西暦はゲーム発売当時のものになっていて、私はそこに転生したのだから10年程過去に遡ったことになる。ということは、私が中高生時代に流行ったものが今流行っていることになるはずだ。けれど、今私が聴いている曲の発表日は10年以上前。
医療の進み具合にしろ、この世界は私が元いた世界の10数年分先を進んでいるのだろう。この場所で生きて行くためには私はまだまだ無知だ。色々調べて勉強しなければ。
「わ、この曲懐かし!好きだったわ〜」
不意に新たに流れ出した曲に心弾む。ついでに気も大きくなって、ごろんと寝転がった。空に向かってスマホの中で歌うアイドルと一緒に歌ってみる。
「Swing Swing!ポップに胸踊る♪」
「うわ、懐かしっ」
「わぁっ!?!」
視界に突然人が現れて飛び起きると、さっと避けられる。お陰で相手の顔面に頭を強打することは避けられたが、心臓は早鐘を打っている。
「み、御影先生」
「よぉ。ご機嫌だなぁ」
にこにこと笑って手を振る先生を尻目に、慌ててスマホの音楽を止めた。完全に1人だと思って油断してデカい声で歌っていたのを見られるのは、想像の斜め上をいく恥ずかしさだ。浮かれすぎている自分に腹が立つ。立ち上がってスカートの裾を直して項垂れる。顔が見れない。
「す、すいません……楽しくなっちゃって……」
「ははっ。なんで謝るんだよ。別にいいだろ、昼休みなんだから。それにお前が楽しそうで安心したよ」
そろりと顔を上げたら、先生が可笑しそうに笑って腕を組んだ。
「お前は学校生活楽しめてっかなーって思ってたからさ」
「え?」
思わぬ言葉に吃驚してしまう。楽しくない筈がない。憧れの高校生ライフだ。学校自体が新鮮で、教室でじっとしてるなんて勿体なくて、暇さえ見付けたら校内を彷徨いているというのに。今だって憧れの屋上でランチをして寛ぐなんて、漫画やゲームの中でしか知らなかったことができて、こんなにテンションが上がってしまったくらいだ。
「いや、とても楽しいですよ。こんなに楽しいと思ったの久しぶりで。思ってたより高校って自由ですね!」
そうなのだ。初日に校則云々で色々あったのでもっと堅苦しいかと思えば、スマホは持参OKだし、メイクも派手じゃなければ許されるようだし(許されなくてもこればかりは薄くでもしたと思うが)、お菓子を食べたり、プレゼントを交換するのも特に縛りは無いという許容の広さだ。
はば学はとりあえず勉強さえちゃんとすれば、あとは比較的自由という校風らしい。近くに座っていたクラスメイトに聞くところによると、みちひかツインズを筆頭に髪型や色、アクセサリーなども派手にする人は派手にしちゃうのだそうだ。
まぁ氷室先生はこの緩さが気に食わないみたいだけど、とかつてこの学園をお姉さんが卒業したのだというその子は笑って言っていたけれど。私はとてもいいと思う。これから存分に楽しめそうだ。
「そっか。いい学校だろう、ここは。俺もはば学は気に入ってんだ」
「ああ……確かに先生の格好を受け入れてくれる学校ってそうそう無いでしょうね」
「お前さぁ、急に冷静な視点で意見述べるの止めてくれよ」
苦笑してそう言うと、御影先生はよっとその場に座り込んで、お前も座れよと促してくる。
「昼飯は食ったのか?」
自分は手にしていたあんパンを口にしながらそんな事を言う。
「食べました。今日は母がお弁当を作ってくれたので」
つい自慢したくなる。だってお弁当を作って貰ったのも、実は初めてだったのだ。
朝起きたら普通にリビングテーブルに置かれていて、今日から午後も授業あるでしょ、なんて軽く言う母親に感激した。今日半日はずっとお弁当の中身が見たくてソワソワしていたのだ。
学生生活といえば大学生しかなかった私はこんな機会にすら恵まれなかったから、こんなふうになるのは仕方がないと思う。
色とりどりのおかず達におにぎりにスープ。涙が出そうなくらい嬉しかった。
「美味しかったです、とっても」
「そりゃあ良かった。それちゃんと、お母さんに伝えるといい。作った側からしたらこの上ないお返しだからな」
「はい」
ふふふ、と口元が緩む。
ああ幸せだ。家族がいて、健康で、こんなにお天気がいい日に10代の私は外にいる。とても自由だ。
「うん、やっぱり、そうやって笑ってる方がいい」
幸せに浸っているとそんな言葉を掛けられて、横を見れば御影先生が微笑んでいた。おお、スチルっぽい。攻略対象なだけあって顔が良い。こんな場面がゲームでもあったのだろうか。
「その台詞はバッチリ好印象だと思いますよ、先生」
「は?なんだよそれ」
「いえ、こっちの話です」
楽しくなって笑えば、御影先生は不服そうな顔であんパンをまた1口齧った。
「そういえばさ、さっきすげぇ懐かしい曲聴いてなかったか?」
「え?あぁ。プレイリスト作ってて、その中の一曲です」
スマホのプレイリストを差し出すと、うをー懐かしいー!と、私が最初にこのプレイリストを見た時のような反応を示す。
「知ってるんですか?」
「大体は。だってこれ俺が小、中学生の時に流行ったような曲ばっかだぜ?
そんな追っかけて聴いてたわけじゃないけど、聴いたことある曲ばっかりだよ」
まじまじとリストを見ながら先生は目を細める。
よく考えてみれば、中身的には私は御影先生と同級生くらいになるのだろうか。
あぁそれでか、と妙に納得がいく。
現役女子高生達は若すぎてまだ少し腰が引ける。男の子たちに至っては幼すぎる。
それが御影先生とはスムーズに会話できるのは、ゲーム内で関わりがなかったからかと思っていたけれど、多分本来の年齢が近いこともあるのだ。まぁ先生は高校生として扱ってくるから、少しズレることはあるけど。
「良い曲ばかりですよね」
「普段あんまり人の声が入った曲聴かねぇんだけど、なんか懐かしくなっちまったな。俺も久しぶりに聴こうかな」
「おすすめしましょうか」
「是非頼む」
音楽の話をして盛り上がるなんていう他愛ない時間を思いがけずに得て、なんだか本当に本来の高校生になった気分にして貰った。
「あ、予鈴ですね」
キンコンカンとチャイムの音がして立ち上がると、さーて午後からまた頑張るかぁ、と先生も立ち上がって伸びをする。
「次の授業なんだ」
「現文です。面白いんですよ、これがまた」
教科書を先に少し読んだが、こんな内容だったっけ?と思うものも多くて面白かった。自力で高校認定の勉強するのとはやっぱりちょっと違うなと思う。
勉強を面白がる生徒なんて珍しかったのだろう。そんな私をみて御影先生が目を丸くした。
「へぇ。お前は何でも面白がれていいな。本多なんかと気が合うんじゃないか?」
一緒に歩き出しながら御影先生の言葉に大いに反応する。
「本多くん……!!ダーホン!!」
「なんだいつの間にもう仲良くなってたのかよ」
思わずゲーム内での愛称で呼び直してしまうと、御影先生が笑う。
「あ、いや……全然喋ってもいないのですが、周りの子たちがそう呼んでてて……」
モゴモゴと口ごもると、ほぉ?と御影先生の口元が緩んだ。
「じゃあ今度本多を誘ってランチするか」
「えっ!?いや、いいです!いい!緊張しちゃうから!」
「緊張〜?なんで緊張するんだよ〜?なぁ?」
顔の前でぶんぶんと手を振ってお断りするが、先生はにやにやと笑うばかりだ。いや、本当にまだ攻略経験のある男の子と話すのは心の準備が出来ていないのだ。勘弁してくれ。
「ほらほら、先生も次があるでしょう?私はこっちから行くんで、さよなら〜!」
そそくさとその場を立ち去って、会話を強制終了させた。
本多くん、もといダーホンといえば、ゲーム内屈指の癒しキャラである。風間くんとのデートで上手くいかなかった時に、ダーホンの優しさに何度慰められただろう。ダーホンだけはずっと優しかった。
「うわ!」
「わ!すいません!」
急いで廊下の曲がり角を曲がったところで、派手に人にぶつかってしまった。
「大丈夫?ごめんね、急いでて飛び出しちゃった」
気遣ってくれる言葉に、大丈夫ですすみません、と顔を上げて固まった。
う、噂をすれば……!!
「本多くん……!」
「ん?君誰?なんでオレの事知ってるの?」
目の前にダーホンがいた。
え、ちょっと待ってダーホンってこんなに背高いの?!髪!金髪!瞳がくるくるしてる、可愛い!
アホのような語彙が頭の中で飛び交い、言葉を返すどころではない。
「あっ、やばい!ごめん、オレ先行くね!」
そう告げるとダーホンはバタバタと走り去って行った。私も我に返って走り出す。
まだドキドキとうるさい心臓を鎮めながら、授業ギリギリで教室に滑り込んだ。
廊下は気をつけよ。
そんな戒めを呟きながら席に着くと、タイミング良く本鈴が鳴り授業が始まった。
ーーーーーーーーーーーー
今日ら本格的に学校生活がスタートする。
そんな日にふらふらと1人で校内を彷徨っている奴がいれば嫌でも目につく。
牧だ。俺のクラスの不良娘。
1限目の終わりには廊下をふらふら、2限目の終わりには中庭をふらふら、3限目の終わりにはグラウンドをふらふら。
周りの奴らは友達を作るのに必死だっていうのに、牧はといえばクラスメイトと距離を置いているかのようにすら見える。
ランチも1人で取るようならいよいよ声を掛けようと思い注意して見ていたら、昼休み開始と共に1人で屋上へ向かう姿を見てしまった。
腹が減った時のためにストックしている引き出しからあんパンを引っ掴んで、急いで屋上へ向かう。
扉を開けてみれば誰もおらず、あぁそうか皆学食に行ったり、中庭で友達と飯食ってんだなと思う。人は自然に人が集まる場所に集まるものだ。例外を除いて。
誰もいない屋上で1人クラスに馴染めず泣いていたりしたらどうしよう、と過ぎった不安は機嫌の良さそうな鼻歌がかき消した。
なんだよご機嫌じゃねえか。
思わず吹き出す。俺の存在に気付かず寝転がって手足をバタバタ動かしながら、スマホから小さく流した音楽に合わせて歌っている彼女は、先日街で出会った少しピリッとした不良娘とは違う雰囲気だ。
「Swing Swing!ポップに胸踊る♪」
「うわ、懐かしっ!」
丁度顔を覗き込んだ時にサビ部分に差し掛かり、思わず声を上げた。確か10数年前、まだ俺が留学する前に流行ってた男性アイドルの曲だ。
叫び声を上げて勢いよく牧が起き上がるので、俺も急いで避ける。危ねぇ頭突きされるところだった。
立ち上がった彼女は気まずそうにして、何に対しての謝罪なのか分からない謝罪を述べる。そりゃああんなに気持ちよさそうに歌ってる所見られたら恥ずかしいよなと思いつつ、彼女が十分に浮かれていることが分かって嬉しい。「お前は学校生活楽しめてっかなーって思ってたからさ」と暗に大丈夫かという意味を込めて聞くと、きょとんとして少し考えてからしっかり高校生活を楽しめていることを教えてくれた。
はば学がいい所だと思ってくれてよかったと思う。俺みたいな教師も受け入れてくれる懐の深い学校だしな、と思った所でそのままを彼女が言うから苦笑してしまった。本当に大人じみたことを言う子だ。
並んで一緒に他愛ない話をしていると色々と気がつく。家族が好きな子なんだな、とか、本当に高校生活を楽しんでいるのだろうな、とか。幸せが漏れ出たように、うふふ、と笑う横顔を見て、やっぱり笑っている顔がいいと言えば、俺の言葉を“台詞”だという。怪訝な顔をすれば、「いえ、こっちの話です」とまたはぐらかされた。前回の街での会話の時もそうだったが、この子は何か背に隠したようなところがある。あどけない笑顔と、その見えない部分が同居して不思議な印象を受ける。
なんかこいつと喋ってると10代の女の子と話してるってより、同じ歳か歳上の女に翻弄される感じがあるんだよな……。
女子高生にいいようにされている気がして正直あまり面白くはない。あの真面目ちゃんくらい素直な方が、俺としては接しやすいのだが。
「そういえばさ、さっきすげぇ懐かしい曲聴いてなかったか?」
考えても仕方がないので話を変えてみればそこは嬉しそうに乗ってきて、作ったのだというプレイリストを見せてくれた。くるくると表情も雰囲気も良く変わる。
プレリストにざっと目を通せば、およそ今どきの女子高生が聞くようなラインナップではないようなアーティストの曲がずらりと並んでいた。世代的には俺や俺の少し上がドンピシャの世代の曲とアーティストたち。喉元まで、年齢偽ってんじゃねぇか、と出かかったがやめておく。なんだかオヤジくさいイジリだと思ったからだ。
実際そんなこと言わなくて良かったと思った。深くは知らないにせよ、見聞きしたことのある音楽のことを
話して盛り上がるなんて、まるで本当に高校生のような面白い会話ができたのだから。
楽しい時間は長くは続かない。予鈴が鳴ると彼女はスッと立ち上がっていつもの凜とした顔つきに戻る。しかしその顔つきが、本多の名前を出したら崩れた。
ほぉー意外だな、とにやにやと笑う。周囲が呼んでいるのを聞いただけだなんて言いながらあだ名で呼んだり、ランチに誘ってみようかと言ってみれば、大袈裟に手を振って抵抗したり、これは間違いない、恋だ。
年相応の可愛らしい部分が見れて少しほっとする。
いいじゃねぇか、青春を楽しめよ。
踵を返して慌てて俺の前から走り去る後ろ姿を見ながらエールを送った。
「て、やべ。俺も間に合わねぇ」
慌てて次の教室へ向かうために足を早めた。
・
・
・
1年生の1学期が始まって暫くが経ち、校内見学にも満足した。ぼんやりしている暇はない。3年は短いと私は知っている。次はクラブ活動だ。放課後、腕を組んで掲示板を見つめる。
最初は文化部しか視野に入れていなかったが、いや折角健康になったんだし運動部も見学してみようと欲目が出た。結果、惨敗した。
柔道部では非力過ぎてへなちょこだし、新体操部は体幹が無さすぎて軸がブレ過ぎて無様だし、陸上部は2分走っただけでへばった。颯砂くんが遠目に見えて心拍数が上がったことも関係しているかもしれないけれど。
分かったことは、運動部はこれまでの積み重ねた運動経験が物を言うということである。これではただの修行になってしまい全く楽しめないので、運動部は諦める。あぁ神様どうせならそこもパラメーター上乗せしてくれていたらよかったのに、と罰当たりなことまで考えてしまったりする。
「もしくは、男子になれてたら……」
「えぇ?君、男になりたいの?」
男なら体力もあるし色んなことができるのに、と思って出た独り言に明るい声が返ってくる。
「オレは女の子って楽しそうでいいなって思うけど」
「ほ、本多くん」
ほら、お化粧とかさ色々研究すること多そう、と隣に立ってにこにこと笑っている。うう子犬系男子、可愛すぎる。
「もうずっと君のことが気になって、休み時間のたびに探してたんだよ」
「えっ?!わ、私ですか?!」
「そそ。でも君いつも教室にいないし、やっと見つけて走ってきちゃった」
いや私モブですよ、そんな言葉勿体無いよ、ていうかこんなシチュエーションゲームではなかったよね。
ぐるぐると言葉が頭を巡る。
「オレは本多行!って何故か君には知られたけど。君は?」
「えっと……牧春乃」
「牧ちゃんだね!」
きらきらの笑顔にあてられて目眩がしてきそうだ。しかも自己紹介イベントまで。ご馳走様です。
「ところで君はなんで俺のこと知ってたの?」
「あ、えぇっと……他の子たちが凄く頭の良い子がいるって話してて、それで本多くんのことを」
「あぁ、なるほど!そういうことか」
実際みちひかコンビがマリィに話しているのを聞いたのは事実だ。
本多くんは手をポンと打って合点がいった!という顔をする。それから、うふふと楽しそうに笑った。
「君はもしかしてこの1学年の名前を全部覚えたのかな、とか、もしかしてどこかで会ったことがある人だったのか、とか、色んなこと想像しちゃったよ」
「そんなことはないよ」
返ってきた言葉に笑ってしまった。この子と喋ると気分が明るくなる。やっぱりダーホンは癒しキャラだ。やっぱり緊張はするけれど、ダーホンとは喋れる気がする。ダーホン呼びは心の中だけだけど。
「ねね、ところで牧ちゃんはクラブ活動迷ってるの?」
「うん。運動部の見学はもうしてきたんだけど、向いてなかった。文化部にしようかなと思うけど、文化部もピンとくるものが見つからなくて」
「そっか。クラブの数自体そんなに多くないもんね」
一緒に掲示板を眺めながらそう言うダーホンの言葉を聞いて、ううんやっぱりクラブ立ち上げを申請してみるかな、と入学式の時に考えていたプランを頭の中に引っ張り出す。その場合誰に言えばいいんだろう。氷室教頭先生?それとも担任だろうか。
「それなら、園芸部なんてどうだ?」
背後から聞きなれた声がかかる。
「あ!小次郎先生!」
振り向いたダーホンの後髪がぴょこんと跳ねると、隣に御影先生が並んでダーホン越しに視線を送ってきた。
「園芸部は来る者拒まず、去る者追わずの精神だ。腰掛けでも全然構わねぇよ?どうだ2人で入部」
物凄く期待した顔をしている。
「オレはパース!自由にやりたいこといっぱいあるからね!それに部員にならなくたって、園芸部の畑はいつでも観察できるし」
「植物を育てると色んな発見があると思うけどなぁ。牧、お前はどうだ?」
ダーホンと御影先生の視線が向けられる。それならいっそ。
「御影先生。私、お茶が好きなんです」
急な私の宣言にダーホンはおっという顔をして、御影先生は首を傾げた。
「ここが園芸部の畑だ」
ダーホンはバイトがあると帰って行き、私は先生に連れられて園芸部の活動エリアに来ている。きょろきょろと周りを見回しながら歩いている私に、御影先生がこっちこっちと手招きをした。見ると小さなビニールハウスの前に立っている。ビニールハウスの扉を開けながら肩越しに御影先生が柔らかく微笑んだ。
「うわ……いい匂い」
続いて中に入れば春の陽気に温められたハウス内に、ハーブの良い香りが充満している。その香りを胸いっぱいに吸い込めば、爽やかな良い香りで満たされた。
「おおいい反応。喜ぶと思ったぜ」
くっくっと嬉しそうに笑う先生は、我が子を自慢する父親のように腕を広げる。
「どうだ、これが俺の自慢のハーブたち。お茶好きっていうんなら、ここのハーブ育ててみないか?」
「ハーブティー……」
元の世界でハマっていたのは日本茶と台湾茶だった。できればクラブの中で栽培から収穫までしてみたいと思っていたが、調べてみれば茶ノ木の栽培には水捌けがよく土は酸性であること、日照時間と降雨量が程よくある必要があるなどの条件に加え、朝晩の気温差がある程度必要で、霧が出る程度の場所といった具合に、いやもうそれ山じゃないと育てらんないじゃんというハードルの高さがあることが判明した。おまけに収穫までに2〜3年の月日を要する。それじゃあ卒業に間に合わない。となると、ハーブティーはかなり現実的かもしれない。
「でもこれ、先生が大切にお世話してきた子たちですよね」
「なんだお前、良い言い方するな。そうだよ、こいつらは俺の子供みたいなもん。だから、やることはできねぇけど、一緒に世話するのは別に構わねぇよ。慣れてきたら自分のお気に入りの子たちを見繕って植えてもいい」
とても魅力的なお誘いだ。うず、と心が跳ねる。
マリィの攻略対象にこんなに近づいて大丈夫か?と思わなくもないが、私はただのモブ。御影先生の中にはDNAレベルでマリィへの気持ちが組み込まれている筈で、マリィがその気になればちゃんと落とせる仕様だろう。だってそれがゲームというものだ。
御影先生の厚意を受け取るべく頭を下げる。
「ありがとうございます。ハーブ、育ててみたいです」
「おっじゃあ入部するか」
嬉しそうに手を叩く先生を制して、私はここぞとばかりに我儘を申し出る。
「でも先生、私、ハーブティーだけじゃなくて他のお茶も色々試したいんです。新生お茶部、立ち上げるっていうのは駄目でしょうか?」
そう、私は高校3年間を使って目一杯楽しむのだ。例え欲張りだと言われようと、一つになんて絞ってられない。
それにこの3年間が終わる時、私がどうなるのかの保証はないのだから。神様が与えてくれたこの時間を、1分も無駄にせず生ききりたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まったくこの子は、と目の前で挑むように笑う不良娘を見た。いつも突飛なことを言動をして俺を困らせる。
けれど、その目にはどこか決意のような強い意志の光があって、どうもそういうのに俺は弱いらしい。
「クラブ立ち上げにはある程度人数が必要だし、顧問もいる。当てはあるのか?」
そう尋ねると、む、と眉間に皺が寄った。
「当て……はないです」
だろうな、と思う。今この子は独りで突っ走っているだけだ。
「お前はまず仲間を作んないとな。こうやって、1人じゃできないことが沢山あるんだ。協力して、支え合える仲間を作ること。いいな?」
俺の説教くさい言葉に分かりやすくしゅんと肩を落とす姿を見て、思わず笑ってしまった。
「心配すんな。俺がその仲間第一号だ。顧問、引き受けてやる」
「本当ですか……?!でも先生、陸上部も兼任してるって……」
おおなんだよく把握してるな、と内心驚いた。自己紹介の時にチラッと言っただけだったから、覚えていないかと思っていた。そもそも俺に興味はないのだろうと。これは嬉しい誤算だ。
柄にもなく申し訳なさそうに俺を見るその顔を見て、任せとけ、と頷いて見せる。
「陸上部の顧問は名前貸しだから、まぁいいんだよ。
それにお前の“新生お茶部”はまだ人数が足りなくてクラブとしては認められないから、クラブの前の同好会だな。同好会の責任者として教師がつくのは、別に縛りはなく自由だ。だから気にすんな」
クラブ顧問の方はあまり沢山持つといい顔はされない(特に氷室教頭に)から、本当にお茶部がクラブとして活動するならその時は俺が頑張ってどうにかするしかない。まぁそのくらいのことは、どうとでもできる。それよりもクラスの不良娘が本気で何かしたいって言ってるんだ。応援してやりてぇじゃねぇか。
「じゃ、まずは同好会申請書くぞ」
「……はいっ……!」
きらきらと瞳に輝きが宿る。あぁ若いっていいなと、こういう瞬間いつも思わされるんだ。何でもできる気がしてくる。
前を歩き出した彼女の後ろ髪が動くのを見て、こっそりと微笑んだ。
・
・
・
「“新生・お茶部”?」
「えぇ。うちのクラスの牧の立案で……私が責任持ってしっかり見ますので」
どうか立ち上げ許可頂けませんか、と氷室教頭に頭を下げる。
「メンバーは1人だけですか?」
「これから集めていくところです。牧はまだあまり友達がいなくて……私としてはこれが、あの子にとって周囲と関わるきっかけになればいいなと思っているところなんです」
人は理由があれば動く。どうも牧を見ていると、周りの子たちにどう接したら良いのか分からないのではないかと思うことが多い。だから、同好会が呼び水になって輪が広がらないかと思うのだ。
「牧春乃ですか。……いいでしょう。許可します」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
喜ぶ牧の顔をが見れると思うと嬉しい。
「牧はクラスに馴染めていませんか?」
浮かれている俺に氷室教頭が淡々とそんなことを言う。
「いや……浮いているというわけでもないんですが……なんというか周りとの距離が縮まりにくいところがあって」
「そうですか」
はぁと溜息を吐くと、氷室教頭がおもむろに口を開いた。
「牧春乃について、御影先生に伝えていないことがあります」
「院内学級?」
「えぇ、牧は幼い頃から心臓の疾患で学校に通えず、病院内でずっと学習してきたんです。ようやくその治療が済んで根治し、この学園に入学した」
だから彼女にとってこの高校生活は同年代の集団で過ごす初めての経験なのだと、氷室教頭が語る。
「ご両親からくれぐれも宜しくと、直に話を聞いたのは私です。その時点でまだ彼女の担任は決まっていなかった。私は彼女の初年度の担任に御影先生を推しました」
「どうして早く教えてくれなかったんですか」
そんな大事なこと、もっと早く知っていれば、とこの数週間彼女の様子を静観していたことが悔やまれる。
「伝えたらそうなるでしょう」
「はい?」
「今、“もっと早くに手助けしてやれていたら”と思ったのではないですか。
このことを伝えてしまえば、貴方のことだから最初から手を差し伸べてしまいたくなったでしょう。
それでは牧のためにならない」
あ、と自らを顧みて固まる。
「まぁそんな貴方だから、彼女を託すことにしたのだが……。
私が言いたいことは、牧春乃をしっかり見守ってやってほしいということです。だからこそ同好会にも許可をした。宜しく頼みますよ」
「……はい」
重たいバトンを受け取ったと思う。
そうか、あの子のあの目の光にはそういう背景があったのか、と今更ながら理解する。
きっと色んな制限を受けながらの小中学校時代だったのだろう。やっと身体が言うことをきくようになって、色んなことを貪欲にやりたいと全身で訴えていた目だったのだ。
高校生活を楽しめなかったとクヨクヨしてる俺なんかより、よっぽどあの子はー。
「氷室教頭」
呼びかけると冷静な視線が俺に向く。
「牧が高校生活を全力で駆け抜けられるように、俺がしっかりサポートします」
真っ直ぐに目を見て伝えれば、その鋭い相貌がふっと緩んだ。
「……話は以上」
いつもの口癖が少しだけ柔らかく感じた。
高校生活でいえば俺の方が先輩だ。これから沢山あの子に経験させてやりたい。でなきゃ俺が教師やってる意味がない。
「……っし!新生・お茶部!やってやろうじゃねぇか!」
手始めに同好会から目一杯楽しめるように、しっかり計画を練ろう。
明日からまた新しい日々が始まる。
続