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「来週の日曜は、課外授業だ。休みの日に俺の顔みたいっていう奇特なヤツは参加するように」
御影先生が教卓の前で冗談めかしてい言った言葉を、生徒たちはざわざわと聞く。
なんかこのイベント、ゲーム内で見たことある気がする。
つい反応して周りを見回していると、目の前の桜色の髪が揺れた。
「ねぇねぇ、牧さんは参加する?」
うわ!マリィに話掛けられた!
くるりと振り向いて小さな声で聞いてくる仕草が可愛い。
「えぇっと私はどうしようかな」
最初の課外授業ははばたき城という、かつてこの土地を治めていた主が住んでいた城だという。この世界の歴史がどうなっているのかも知りたいとは思っていたが、課外授業で大勢で行く必要あるか?と思ってしまう。
ふと、御影先生に言われた「お前はまず仲間を作んないとな」という言葉が浮かぶ。言われて気がついたのだが、どうやら私は友達の作り方を知らないらしい。大学では小さいゼミに入ったので、有無を言わさず初日から交流の機会に放り込まれ、そこからはゼミの仲間とずっと一緒だった。だから大人数の中で自発的に動いて友達を作る方法が分からない。こういう行事ごとに参加すれば交流が持てるのだろうか。
「牧さん?」
間が空いてマリィが心配そうに私を見る。
「あ、あぁ、じゃあ行こうかな」
「ほんと?じゃあ私も行こう」
え、とその顔を見ると、ダメかな、とマリィが困ったように笑った。
「実は牧さんとお友達になれる機会を伺ってたんだよね」
な、なんていい子だろう、マリィ。
「あ、ありがとう……」
「いえいえ、こちらこそ」
ぺこり、ぺこりとお互いに頭を下げあっていると「おーいそこの女子2人何やってんだ?」と御影先生に声を掛けられ、クラスメイトたちに笑われてしまった。
「先生、私と牧さん、課外授業参加します」
私の代わりにマリィが手を上げてくれる。
なんとなんと。私の友達第1号は、高校時代私に青春を楽しませてくれたマリィになってしまった。変なこともあるもんだと思いつつ、ああ友達ができるってこんなに嬉しいことなんだなと、ふよふよと緩む頬を抑える。
「ふふ、牧さん楽しそう」
ちらりと背中越しに私を振り返ったマリィの、朗らかな声に私も微笑みで返した。
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「そういえば、マリィは風間くんとデートしなくて良かったの?」
「えぇ?!デート?!」
課外授業当日。はばたき城天守閣に向かう組と共にぞろぞろと歩く道すがら尋ねると、目を丸くして返される。
しまったまだそこまで進んでなかったかと、言ってから後悔した。いやだってゲーム内ならさっさと好感度上げるために、デートの約束をすぐに取り付けるから。
この世界のマリィは随分初心らしい。顔を真っ赤にして、デートなんて!とか風間くんは幼なじみってだけで、とかごにょごにょと呟いている。
「ごめんごめん。てっきり2人は付き合ってるのかと思ってた。日曜日はデートかなって」
「もう、春乃ちゃん!風間くんとは、ついこの前再会したばっかりだよ?まだ早いよ」
「え?まだってことは、これから何かあるってこと?」
マリィの分かりやすい返しに思いっきりニヤついてしまった。一々反応が可愛いんだ、この子は。風間くんが意地悪したくなる気持ちが少し分かる。
「ちっ!違うよ、そういうことじゃなくて……って、春乃ちゃん揶揄ってるでしょ?」
「ふふ、可愛い。若いっていいねぇ」
「はは、お前も若いだろ」
物凄くナチュラルに会話に参加してきた人物を認めて声を掛ける。
「御影先生」
「なに年寄りくさいこと言ってんだよ」
並んで歩きながらそう言うと、牧、と付け加えて可笑しそうに笑っている。
「年寄りって酷いですよ、先生」
マリィが抗議してくれるが、内心その言葉はぐさっときた。もっと言動に気をつけないと。
「でも確かに春乃ちゃんは、同い年っていうよりも、お姉さんって感じはするかも」
「え、そ、そう?」
マリィにまでそんなことを言われるとは。
動揺を隠そうと話題を探していると、タイミング良く御影先生が「お前ら仲良いな」と朗らかに笑った。
そう、課外授業をきっかけに話しかけられてから、彼女の方からよく話しかけてくれるようになり仲が良くなった。その延長でみちるちゃんとひかるちゃんともお近づきになり、あだ名で呼べる仲になった。同時にマリィも私を名前で呼んでくれるようになった。今更この子を“マリィ”以外の呼び名で呼ぶのも違和感だったので良かったなと思う。
「そうなんですよ!ね、春乃ちゃん」
御影先生の言葉にぱぁっと明るい笑顔を向ける。この笑顔にはやられるな、と改めてその顔を見て思う。実はクラス内でもマリィは既に男子の注目を集め始めている。風間くんが牽制しているので、寄ってこないだけで。
「仲良しの最中なんだが、着いたぞお嬢さんたち」
先に立って階段を登っていた御影先生が振り向いて脇に退く。
「うわ……すごい」
いい景色だ。遥か遠くの街の方まで見渡せる。坂や階段を登って少し汗ばんだ体に、4月の少しヒヤリとする風が心地良い。
ふと横を見たら、同じように景色に見惚れて手摺りから身を乗り出すマリィと「お、おい。それ以上乗り出すなよ……」と恐々その様子を見ている御影先生という2人が目に入って、私はそっとその場を離れる。
この光景を見て思い出したが、確かこれはイベントだった。ゲームプレイ当時、御影先生の課外授業は最初こそ参加したものの、他の男の子との日曜デートをするのに忙しくなって行かなくなった。その薄らとした記憶の中に、この光景があった気がする。
もしかしたら御影先生ルートに乗ることもあるかもだし、一応距離感はとっとこう。
どんな気の使い方だよと自分に苦笑するが、だって、あの場にいてその可能性を潰すのってモブとしてどうなのと思うではないか。
2人からかなり離れた場所にあるベンチに座って、仲良く景色を見ている姿を眺める。まさかこのシーンを俯瞰して見る時がこようとは。10代の私は先生との恋なんて現実的じゃなくて興醒めだと思っていたけれど、20代の目で見れば、いやいやこれはこれでいんじゃない、なんて思う。あり得ないシチュエーションを楽しめるのがゲームじゃないかと思うと、今やってたら御影先生ルート楽しめたかもな、なんて考えてニヤける頬を抑えた。
あ、やば。
不意に辺りを見渡した御影先生と目が合って、咄嗟に視線を外してベンチから立ち去る。人の恋愛事情を覗き見していたようでバツが悪い。考えてみれば恋愛ゲーム自体がそういうものなのだが。
階段を降りて何となく歩いていたら、廊下の一面にはばたき城に関する年表のパネルが掲示されていて一気に興味が傾く。
元々父が歴史好きでその影響があり、多分その辺の人よりは少しばかり歴史には詳しい自信がある。年表の最初から見ていくと、やはり始まりは戦国時代末期からになっていた。平山城は戦国末期に多く建てられた城で、その城内に城主の家族や家臣を住まわせたものだ。典型的な平山城であるはばたき城の興りもそこから推測される。
この世界の歴史がどうなっているのかにかなり興味があったので、とても興味深い資料だ。大筋は私が知っている歴史と大きくズレておらず、よく知る名だたる武将の名前もちらほらと出てくる。もっと私が歴史に詳しければ、このはばたき城の存在によって微妙に色々な勢力が変わったことなんかが分かってもっと面白かっただろうに。あぁそういえば、風間くんのご先祖はここの城主に仕えた家老ではなかったか。確か両親はイギリスにいて、風間くんは日本でお爺さんの世話になっていた筈。マリィにお願いして、風間くんのお爺さんに話を聞けないか頼んでみようか。
「いやぁでも風間くんかぁ」
「おい」
「うわっ」
すぐ真横で声がして飛び退いたら、御影先生が立っていた。この人はいつも背後から現れるな。もっと普通に声を掛けてくれたら良いのに。
そんな私の不満を察したのかそうでないのか、御影先生がにっこりと笑顔を作った。
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やば、という心の声が聞こえそうなバツの悪そうな顔をして目線を逸らされる。そのままベンチを立つ牧の後ろ姿を目で追う。
おいおい、何だよ一体。
「おい、あんまりはしゃぎ過ぎんなよ」
近寄ってきた別のクラスメイトと談笑を始めている真面目ちゃん達に声を掛ければ、はーい、という返事が返ってきた。そのままそこを後にし、彼女が降りて行った階段を俺も降りる。
てっぺんの1段下は城内の説明や、展示スペースに入りきらないのであろう品々の展示コーナーになっている。正直高い所があまり得意ではないので、天守閣はそわそわしてしまう。真面目ちゃんにまで「高い所、苦手なんですか?」なんて見透かされる始末だ。つくづくかっこ悪い。ここはまだマシだ。外が見えない分落ち着く。
見回して例の不良娘を探す。
ああ、いたいた。
普通課外授業で皆で来ておいて、1人外れて行動するか?と思う。こういうところが俺がこの子を不良だと思う所以だ。
まぁでも、仕方ないか。団体行動の経験がないんだもんな。
邪魔しないように熱心に年表を読み込んでいる後ろ姿を眺めながら、氷室教頭に聞いた彼女の人生について考える。
クラスメイト達がおそらく当たり前に体験してきた経験を、この子はできないままここにいる。小、中学校で行われる夏のキャンプ合宿も体育祭も修学旅行も行けていない筈だ。あの小さな肩にどれだけの期待と不安を乗せて、あの子はここにいるのだろう。
ふと、はば学に赴任してきた最初の頃のことを思い出した。ここで青春を取り戻してやると意気込む気持ちと、受け入れられるのだろうかという不安のせめぎ合い。今ではすっかりはば学に自分が馴染んだと思える。彼女が3年後そうなっていたらいいと勝手ながら願う。不安や痛いくらいの意気込みに代わって、卒業するのが惜しいと思えるくらいの、沢山の思い出をその両手に抱かせてやれたら教師冥利に尽きるってものだろう。
気が済んだのか、年表パネルに近づけていた顔を離したところで近づく。なんか俺はいつもこの子の背後から声をかけるな。
「いやぁでも風間くんかぁ」
「おい」
年表を見て、この城に馴染み深い人物の名前を呟く彼女に声をかける。心底驚いた顔をして、うわ、と横に飛び退いてすぐさま俺から距離をとる姿は、さながら警戒心の強い子猫のようだ。
不満そうな顔をしている牧の顔を見てにっこりと笑って見せる。
ほらほら、そんな怖がんなって。俺は味方だぜ。
「こら、不良娘」
丸めたパンフをポンと小さな頭に柔らかく乗せる。
「あのな、課外授業は団体行動だぜ。クラスメイトから離れて、おまけに先生から逃げてどうする。
どっか行きたいんなら、ちゃんと報告してから行けよ?」
「なるほど。分かりました」
真剣な目で頷く顔を見て笑ってしまう。
そうだよ、お前は危なかっしいんだからちゃんと目の届く所にいてくれ。こうやって側にいれば、一つ一つ教えてやれるんだから。
「ところで先生」
「ん?」
並んで年表を見ていたら、牧が俺を見て眉を寄せる。
「さっきの“不良娘”って何ですか?」
「あぁ。だってお前不良じゃん」
「え?!私めちゃめちゃ真面目ですよ!真面目じゃない子が日曜に課外授業に出てきて、お城の年表見ます?!」
心外だと言わんばかりに食いついてくる反応が面白い。
「そういうことじゃねぇんだよなぁ……真面目ってのは、お前の友達のようなことを言う」
「マリィ?」
「そ。真面目で前向き、一つ一つを真っ直ぐ受け止めるようなそんな奴」
恐らく牧は物凄く勤勉な生徒だ。それは入学して数週間しか経っていないのによく分かる。俺が言いたいのは、でもそこじゃない。
「まぁこの3年間で不良を卒業してくれよ。期待してるぜ?不良娘」
「卒業も何も、不良じゃないですもん」
「はははっ、そういうとこが不良だっつうんだよ」
揶揄い過ぎたのかむくれてしまったその顔を見て、またひとしきり笑うと、ぽかと痛くもないパンチが飛んできた。
そいうとこだよ、牧。
だけど、そんな所が俺は結構面白いと思っていることは、言ったらいよいよ嫌われそうだから言わないでおくけど。
あまり他の子達を放置するのも良くない。行くか、と牧を連れて皆と合流するべく移動しながら、ポケットから取り出したスマホで時間を確認する。今日の課外授業は午前中で終了するから、そろそろ解散時間だ。
「牧、課外授業の後ちょっと時間あるか?そうだな、2時間もあれば終わると思う」
そう、元々このことについて牧に伝えたかったのだ。
「え、何ですか?」
「そんな警戒すんなって。別に説教したりなんかしねぇよ。例のお茶部のことでちょっとな」
ぎくりと身を引いてまた警戒体制をとる牧に吹き出してそう言えば、少し考えた後に、大丈夫ですと答えが返ってきた。
・
・
・
「今日はよろしくお願いします。見学を快諾頂いて本当にありがとうございます」
「こちらこそ。お茶に興味を持ってくれる高校生なんて、そういないから楽しみにしてたんですよ」
頭を下げるとにこやかに挨拶を返してくれた茶農家さんが、帽子をとって優しい言葉をかけてくれる。ちらりと横にいる牧に視線を向ければ、きらきらした顔で見回していた顔をきりっと引き締めて背を伸ばした。
「よろしくお願いします!」
「良い挨拶だねぇ。じゃあ早速案内しましょう」
「はい!!」
俺を追い越して農家さんの後についていく牧の足取りはとても軽い。
はばたき山は実はお茶の栽培が行われている地域でもある。
茶ノ木の栽培には様々な条件が必要で、まず栽培地を選ぶのが難しかったりするのだが、ここはばたき山はお茶の栽培に適した土地で昔からお茶の輸出をしている。それこそ今日見学してきたはばたき城ができた戦国末期頃からお茶の生産が盛んになり、この土地の特産物として他の地域に輸出されてきた。いわばこの土地のお茶生産は領主直々の一大事業だったわけだ。
課外授業がはばたき城ということではばたき山近くに来ていたので、この茶畑を見せてやれると踏んでの提案だった。事前に見学させてもらえるか確認しておいて大正解だった。
「
本簾栽培ですね……!!すごい……!!感動です!!」
「よく知ってるねぇ」
農家さんの後をついて回りながら、植物について詳しい俺でも知らない言葉を使って喋っている。農家さんも嬉しそうだ。
「
本簾栽培?」
「古くから続くお茶の伝統的な栽培方法です。春先に萌芽した茶の葉の上に
葦簾……すだれを立てて更にその上に藁を敷いて日光量を調整することで、美味しいお茶ができるんです。湿度のコントロールの意味合いもありますね。とても手間のかかる大変な方法ですよ」
なるほど、日光量を調整することで葉っぱの光合成をコントロールするということか。確かにその日の日光量によって藁の量を変えるなんてのは、時間も技術もいるだろう。
「お前、すげぇな。よく知ってるな」
俺の言葉に農家さんも、うんうんと頷いている。
「好きなので……ちなみに手摘みですか?」
「本簾栽培をしているこの区画だけね。お嬢ちゃんが言うように、とても手間がかかる作業だから、全てのお茶ではできないんだよ。ここにあるのは、品評会に出したり、少し値の張る高級茶として出す分だけだ」
「うわぁ茶摘みかぁ……!!!!」
彼女の目がきらきらっと輝く。おお、おお嬉しそうなこと。こんな顔を見せられたら、大人としては何とかしてやりたいと思うのが人情だろう。どうだ?と思い様子を伺っていたら、もはや孫を見る目つきの農家さんが笑って言った。
「茶摘みの時期にまた見学に来てみるかい?」
「えっ、良いんですか?!嬉しいです、是非!!」
嬉しさのあまり農家さんにぐっと近寄って礼を言うその顔はまるで子供だ。農家さんも満更でもないようで、顔を赤らめて嬉しそうにしているのでそのままにさせておくと、今度は俺の方へぱっと振り向いて切羽詰まった顔を見せる。
「待って、どうしよう!私ここまでの足がない!」
茶畑は山の上にあり到底下から歩いて来れる場所ではない。今日も農家の方のご厚意で車で送迎してもらっていた。
「そこは任せろ。その日に合わせて車を調達してやる」
ふん、と胸を張ってみせれば、やったぁ!とその場で両手を広げて喜んでいる。あまりの喜びように、大人2人は顔を見合わせて吹き出してしまった。
「はぁー楽しかったぁ……」
送迎してくださった車が遠ざかるのを見送って、牧が余韻を噛み締めるように言った。こんな反応してくれるなら連れてきた甲斐があったなと思う。
2時間と言っていたが、彼女のはしゃぎぶりを止めるのも可哀想だと思ってそのままにしていたら、いつの間にか陽が傾く時間になっていた。
「帰るか」
「はい」
並んで帰路に着く。駅に続く道が夕日でオレンジに染まっている。
「お前、バスだったよな」
「いえ、自転車で来ました」
「なんでまた」
意外な返答に聞き返すと、「だって気持ちいいじゃないですか。風がビューンって」と楽しげに答える。お茶効果なのか、なんだか今日は少し幼い。
「じゃあ丁度良い。俺もバイクだから、駐輪場まで行くか」
のんびりそう言うと、はい、と素直な返事が返ってくる。そこから今日の課外授業、茶畑の話を楽しそうにする声に耳を傾ける。くるくると表情を変えながら俺の笑いを誘う饒舌な女子高生がそこにいた。
「なぁ、そう言えばお前は、なんでそんなにお茶が好きなんだ?」
「え?」
駐輪場から自転車とバイクを引っ張り出して来て、別れる間際にふと疑問に思ったことを聞いてみた。牧はきょとんとした顔で俺を見て、それから少し考える。それで考える時に左上を見上げるのがこの子の癖だと気づく。そしてまた視線が戻ってきた。
「だって美味しいお茶って、最速で人をほわっとさせることができるでしょう?」
ふわり。
羽が雪の上に落ちたみたいに笑うその笑顔に、こんな風にも笑うんだなと思う。一番最初に見惚れた笑顔とはまた違う、柔らかな表情に充てられてしまう。
話す度に変わる印象に目眩がしそうだ。まったくこの子といると、俺は男子高校生並みの感受性になっちまうらしい。
「そうか。……引き留めて悪かったな。じゃ、気をつけて帰れよ。また明日な」
手をひらりと振ると、さよなら、と綺麗にお辞儀をして彼女は自転車に乗って帰っていく。その後ろ姿を見送って、俺もバイクに跨った。
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5月に入った。新学期スタートからあっという間に1ヶ月だ。時間の流れは早い。
「よしお茶部初収穫はカモミールだ」
「カモミール!私、お茶は台湾茶と日本茶しか詳しくないので、ハーブティー楽しみです」
「ハーブは手軽に育てられるからな。おすすめだぞ」
体操服姿でウキウキした様子で横に座り込んだ牧が、俺の手元を覗き込む。別に大した作業でもないが、よく見えるようにしてやると真似て摘み始めた。
カモミールの名の由来は“大地のリンゴ”という意味のギリシャ語からきている。鼻先に持っていくと、その名の通り青リンゴのような爽やかな香りがした。
「んん、いい香りだ。カモミールはリンゴの香りがするんだ」
ほら、と手にしたカモミールを差し出す。
「ん……」
ぎくりと身体が強張る。受け取るだろうと思っていたら、横着をして顔の方を寄せてきた牧の伏せた長い睫毛を見つめる。
「……本当ですね。リンゴの良い匂い!」
天然か。天然なのか。
顔を上げて満足そうに笑う顔を見て頭を抱えたくなる。大体なんで俺も一々動揺すんだよ、馬鹿か。
「あぁ。お茶もいい香りがするよ。沢山取れるから他の生徒に振る舞ってもいいな」
「いいですね、お茶部の振る舞い茶!毎月、曜日を決めてそういう活動してみてもいいかも。効能とか調べてミニカードを作って……」
なんでもない振りをして言葉を返す。牧はまた真剣に花を摘みだしたかと思えば視線を左上に上げる。
「いいんじゃないか。場所がなければ理科準備室を貸してやるよ」
「さすが御影先生」
ほんと、こいつはお茶のことになると調子が良いな。
さっきの出来事は無かったことにして、いかにも教師らしいことを考える。
「おお、煽てとけ煽てとけ。いいことあるかもしれないぜ?」
戯けて見せれば、ふふ、と牧が笑った。
「そういえば、今度茶器を見に行ってみようと思ってて」
不意にそんなことを言い出すからどきりとする。もしかして、一緒にとか言い出さないよな。
「商店街に掘り出し物を探しに行くんです。マリィと風間くんと一緒に」
お邪魔になっちゃうんですけどね、と少し困ったように笑う顔を見て若干身構えたことを恥ずかしく思う。
「へぇいいじゃねぇか。休みの日に友達と買い物。良かったな」
心配していた友達関係はクリアできたようで、とりあえずホッとする。
俺が何もしなくても、本当はこの子1人で世界を広げていける力があるんじゃないかと思うと、嬉しいと思う反面少し寂しくもある。雛鳥が離れていってしまうような。まぁ、雛鳥というほど懐かれているわけでもないだろうが。俺が勝手に感情移入してただけで。
「はい。台湾茶をネットで注文したので、いい茶器が手に入ったら一緒に飲みましょう」
俺が悶々と考えながら出した言葉に、にこにこと笑って返す牧に呆れつつ、ふわりと胸が暖かくなった。
とはいえ、やっぱり呆れの方が勝つ。これが友達との仲を深めるチャンスになるだろうに。本多を誘ってもいいじゃねぇか。なんで俺なんだよ。
「いや、俺はいいよ。折角友達ができたんだろう?友達に振舞ってやれよ」
「え?先生らしくないですね。
勿論マリィたちにも振る舞うつもりですよ。でも先に友達を誘ったら、“俺は?”って言ってくるのが御影先生じゃないですか。だから最初は先生にって思ったのに」
「お前は一体俺をなんだと思ってんだよ……まぁでも一応一度は断ったからな!有り難くご相伴に預かることにする」
なんだか見透かされたような言葉にバツが悪くなって、冗談めかしておいた。誤魔化せたのかは分からないが、目の前の不良娘は笑っているので良しとしよう。
続