二,受難




壱.


 
 「お味噌汁のおかわりは、いかが?」
 「ん……!いただきます……!
 お母さん、このお漬物とっても美味しいです!」
 「あら、そう?
 全部うちの畑で採れた物ばかりだから、御加護もあると思うわよ〜」

 元気の良い言葉と共に運ばれていく椀を見送って、それは心して食べなければと目の前の膳に再び取り掛かる。
 湯気の立つ米の白と卵焼きの黄色のコントラストのなんと素晴らしいことか。
 はりはりと気持ちの良い音を立て口内で砕けるぬか漬けの旨味を堪能していると、向いから飛んでくる視線を感じた。
 見ると、作務衣姿で座卓に頬杖をついた宇佐美さんが非難がましい視線を送ってきている。

 「お前さぁ、遠慮無さすぎない?」

 目が合うと不機嫌そうな顔の眉間に皺が寄った。
 昨夜からずっとこの表情を見ているので、最早これがデフォルメの顔として私の中にインプットされつつある。
 
 「こーら!時重」
 「いってっ」

 嗜める声と共に突然宇佐美さんの頭に拳が降ってきて首を[[rb:竦 >すく]]めた。

「ごめんねぇ。この子口が悪くって。こんなんだから、30過ぎても独り身なのよ」
「ありがとうございますぅ」

 世間広しと言えども宇佐美さんの頭に拳骨を落とせるのは、御母堂ただ一人だろう。
 手渡されるお味噌汁の椀を受け取りながら礼を言いつつ、不服そうな顔をする宇佐美さんを見て思わずほくそ笑んだ。いいぞ、もっとやってください。

「母ちゃんやめろ、人前で!それに僕が独り身なのは、」
「何?言い訳?やめな、みっともない」
「みっ……!……もういい……」

 目の前で繰り広げられる微笑ましい親子喧嘩は、その様子を物珍しい顔で見ていることに気づかれて中断されてしまった。
 すかさず、ごめんねぇゆっくりしていってね、とにこりと笑って言うと、母上殿は再び慌ただしい様子で家事に戻っていく。

「宇佐美さんも人の子なんですね……」
「馬鹿にしてる?」

 まじまじと宇佐美さんの顔を見つめると刺々しい調子で言葉を返され、さっさと食えよ、と急かされた。

 
 昨夜から卯月寺にて、一宿一飯の恩を受けている。
 まぁ恩も何も、昨夜の会社での怪異事件後に一切の説明もなく尾形さんの車でここに連れてこられ、帰るに帰れなくなっているだけなのであるが。
 その尾形さんは今朝方そそくさと帰って行った。朝食食べて行けば?という宇佐美さんの誘いを、落ち着かんからいい、と断っていたことを思い出すだに、宇佐美家の暖かい雰囲気が苦手なのだろうかと推測する。
 
 
 「それにしても、昨日の今日で結構元気だね」
 「え、まぁ、1日2日寝ないくらい、前の会社だとザラだったんで。
 あ、でも、あれですよ。気失ってた時間、がっつり寝てましたから、回復してます」
 「いや、そういう意味で言ったんじゃないけど」
 
 若干引いている宇佐美さんを見て、あぁ精神面の方か、と思い当たる。

 「まぁやばかったですけど、こうして生きてますし、ご飯も美味しいですし」

 昨夜の出来事を思い出しながらそう返したら、ふん、と鼻で笑われた。
 
 「お前、図太過ぎ。可愛くね〜」

 本当に大きなお世話である。悪かったな、可愛く怖がるタイプじゃなくて。
 半眼で面白くなさそうな顔でこちらを見てくる宇佐美さんを見て、私はこれ見よがしにご飯を掻き込んでやった。
 しかし実際、昨夜は大変だった。宇佐美さんが私に心配の声をかけるくらいには。



 *

 
 
 「脱げ」
 「は?」
 「ここで全部脱げ」

 宇佐美さんの指示通り、尾形さんが寺の裏手に車を回した。だだっ広いただ砂利が敷かれた広場で、さっさとしろ、と宇佐美さんが急かしてくる。その様子を尾形さんが、にやにやと笑って見てきた。
 もしかしてこの人たちは本当に変態野郎で、私はここで犯されるのだろうか。

 「ここで、ですか……?」
 「そう。説明は後ね、ダルいから。百之助も笑ってんなよ、お前も脱げ」
 「は?俺もかよ?」
 「当たり前だろ、馬鹿。
  脱いだら、これに着替えて。それで服はこの袋に入れてから、あの中に入れて」

 戸惑う私と、舌打ちをしてぶつぶつ文句を言う尾形さんに、宇佐美さんは何か布製のものを投げ寄越してから、指を指して短く指示を出す。
 宇佐美さんが指を指した方向を見ると、四方を細い木で囲った中に簡易的な木組があるのが見えた。
 素人目に見ても分かる。これは何かの儀式の準備だ。
 とりあえず貞操は守れたらしいことにほっと胸を撫で下ろしていると、尾形さんに小突かれて睨まれた。どうやら、お前のせいで、と言いたいらしい。

 「おい、いい加減早くしろ。下着も脱げよ。あぁ、そうだ、靴も袋に入れろよ」
 
 宇佐美さんはいつの間にか背中を向けて、法衣を身につけようとしているところだった。それを見て、私も尾形さんもそそくさと離れ、各々投げ渡された物に言われた通り着替えていく。
 投げ渡された衣服は所謂白装束で、着ていた服を入れろと言われた袋もまた白かった。真ん中に梵字というのだろうか、読めない文字が書かれている。

 「着替えたな。じゃあ、これ鼻から下が隠れるように巻いて」

 着替え終わり、尾形さんと二人して履き慣れない草鞋わらじを履いてよたよたと歩いて木組の中に袋を入れると、宇佐美さんから左右に長い紐がついた白い布を渡された。指示された通りに布を巻く。
 そんなことをしている間に、宇佐美さんは私の吐瀉物が入った袋も運んできた。それから、服が入っている木組の中に入れる。
 一連の動作を見ていた尾形さんが、恐らく抗議の声を上げようしたのと同時に宇佐美さんが振り向いた。

 「その布を巻いたら以降一言も喋るな。口開けたらそこから入るから」
 
 ぐぅ、と尾形さんが押し黙り、その眉間に深々と皺を刻んだ。入るとは何が入るのか、と問い詰めたい気持ちを私もぐっと飲み下す。その様子を見届けてから、宇佐美さんも同じ布を顔に巻いた。
 夜も中々深い時間に、白装束に布で顔の半分以上を隠し目だけを出して無言で佇む男女二人に、同じく目元以外は顔を隠した僧侶が何やら儀式めいたことをやろうとしている。こんな所を人に見られたら、それこそホラーだろう。

 立ち尽くす私たち二人をそのままにして、宇佐美さんは木組の前に敷かれたむしろの上に座った。
 すっと息を吸うのが分かる程の静寂。
 空気が、変わる。
 それから、ゆっくりと滑り出すように、暗闇に読経が響いた。
 
 経は有難い仏の教えなのだと聞いたことがある。
 神聖で尊い物である筈だし、宇佐美さんの艶のある美しい声で謳われるそれは、本来聞き惚れるような物であるはずだ。頭では分かっている。だが。
 
 正直言って、ただただ不快であった。
 可能なら、殴り飛ばして今すぐ止めさせたいくらいの嫌悪感が身体を満たしていく。
 それができないのは、とにかく息苦しいからだった。
 周囲の闇が、目から、耳から、鼻の穴から入り込んでくるような感覚。溺れてしまいそうな切迫感。
 
 呑まれる。
 
 瞬間的にそう思った時には、立っていられなくなり座り込んだ。
 地面についた手で砂利を握りしめる。
 苦しい。気道が狭まっていく。
 そんな私のことなど構うこともなく、経は朗々と続く。
 
 じゃりっじゃりっじゃりっ。

 さらに不快な音が加わり息苦しさで涙の膜が覆った目を凝らすと、読経の隙間で数珠を擦り合わせているようだった。
 
 やめて。
 叫び出したいのにそうできないのは、宇佐美さんが先ほど言った、喋るな、という縛りがあったからではない。
 爪先から喉元まで、私の中で何かがパンパンに詰まっているからだ。
 最初に闇で溺れそうになった感覚は間違いだったのだと悟る。
 
 外からではない。内側から溺れかけているのだ。
 
 自分の中から無数の虫が湧き出してくるような、嫌な心像が浮かんでくる。
 暗闇の中にぼんやりと見える宇佐美さんの後ろ姿がなければ、現実感を失ってしまいそうだ。

 宇佐美さんが動く気配がする。
 それから、かちっかちっ、と固い何かが打ち合わさる音の刹那、宇佐美さんの顔が暗闇に浮かび上がった。
 それは火だった。
 木組の中が燃えている。

 一気に燃え上がった炎が煌々と宇佐美さんを照らし出した。
 私は宇佐美さんが落とす影の中にうずくまっている。
 ゆらりと影が動いて、視線を上げると目の前に宇佐美さんが立っていた。

 「      」

 きっと何か言ったのだと思う。
 とにかく耳鳴りが酷くて、何も聞き取れなかった。
 ぼんやりと炎が照らし出す宇佐美さんの顔を見ていた。
 綺麗。
 場違いにもそんなことを思った。

 宇佐美さんは淡々とした表情のまま私に近づいて、それから、ゆっくりと私に触れる。

 「?!」

 驚愕した時には、重たく地面にへばりついていた私の身体は宙に浮いていた。
 代わりに強い香と煙の薫りが全身を包み、自分が宇佐美さんに抱き抱えられて移動していることに気がつく。
 どこにそんな力があるのかと驚いている間にむしろの上に下ろされ、目の前には燃え盛る炎と木の桶があった。

 ぱち。
 弾けた炎が、頬に触れて鋭い痛みが走る。

 「うえぇぇぇ……!!! 」
 
 嘔吐感など感じる間もなく、吐いていた。
 桶の中に身の内から出たものが落ちる。
 例の黒いタールのような液体。
 宇佐美さんが桶を差し替えて、それを炎の中に投げ込む。
 一段と炎が高く上がり、火の粉が私に降りかかる。
 熱くて、刺すような痛みが走る。同時に反射的な嘔吐。
 果たして、桶の中に吐き出されたものはもう黒くはなかった。
 
 それは赤黒いゼリー状の粘液に変化していた。
 
 次から次に内から湧くように口から吐き出されるそれを、私は他人事のように眺めていた。
 暫く嘔吐を繰り返し、横から取り替えられるその桶が何往復した頃だろうか。

 明確な嘔吐感を感じる。
 腸がせり上がり、胃が圧迫され、喉に何かが持ち上がってくる。
 狭い気道を、明らかに通れない大きさの物が運ばれていく感覚。
 自分の身体が、まるで水の入ったゴム袋のように変形するのが分かった。
 そっと背に手が当てられる。
 振り返る余裕はない。

 出る。

 自分の口が大きく開く。
 苦しい、息ができない。
 誰かの手が、私の口の中の何かを引き摺り出した。

 −ぼったん。

 桶に何か、“物体”が落ちた。

 「ぎ……ぃ……」

 “其れ”は動いて、声を発し、それからゆっくりと、恐らく顔を私の方にー。

 「見るな」

 目を塞がれて、耳元で宇佐美さんが囁く。
 経ではない、何か別の言葉が唱えられる。

 あぁ、やめて。
 “其れ”は、きっと、私のー。

 どさり、という重量感のある音で、“其れ”が炎のなかに投げ込まれたことを悟った。
 
 叫び声も、鳴き声もない。
 静かに燃えていく様が、視界を遮られているのに分かる。
 否、違う。誰かが啜り泣いている。誰だ。
 そうか。
 泣いているのは、私だ。
 
 
 『あーあ……。死んじゃった。僕たちの、    』


 意識を手放す前に聞いたのは、宇佐美さんの声だった。
 否、私はその声と同じ声の存在を、よく知っている。
 会社の先輩の宇佐美さんではない。この声はー。


 



 
 目が覚めたら、流れる水の中にいた。
 驚いて思わず息を吸ってしまい、鼻と口に水が流れ込む。

 死ぬ。

 命の危険を感じた。
 同時に自分が生きていることも。
 死にたくない。
 もがいて手を伸ばした先で、掴んだ物に[[rb:縋 > すが]]る。

 「……ヒュッ……ゲホッ! ゴホッ! ゴホゴホッゴホ!!!! 」

 急いで息を吸う。身体が空気で満たされていく。
 世界は私が生きるために必要な物で満たされていることを知った。
 私は生かされている。

 「おはよう」

 頭上から声がした。
 握っているのが腕であることに気がついて、がくがくと震える私の身体を支えているのが、人であることに思い当たる。
 酸素不足で朦朧とする頭を上げると、にっこりと微笑む宇佐美さんと目が合った。

 「どう? 一回死んで、生き返った気分は」
 「……いや、今まさに死にそうなんですけど」

 巫山戯た質問に更に巫山戯た言葉を返すと、背後から噴き出す声が聞こえて、尾形さんの、上がってこい、という声がした。
 胸元まである水がある水場を支えられながら苦労して歩き、尾形さんが用意してくれていたバスタオルに倒れ込んだ時には、空は白み始めていた。





 

弐. 




 
 朝食を終え一息ついたところで、事の顛末について宇佐美さんが話をしてくれるということになった。
 
 尾形さんは、田舎まで送らされ、挙句衣類一式を燃やされ、こんなこと記事にも出来ない(荒唐無稽過ぎて)ということで、私が風呂に入ったりと色々している間に(勿論私も服を燃やされたので、宇佐美さんのお姉さんのジーンズとシャツをお借りしている)先に聞かせろと言い張り、あらましだけ先に聞いたらしい。
 成程、それですんなり先に帰ったのかと納得する。

 宇佐美さんは2回同じ話をすることが相当面倒らしく、じゃあ話すけどあんまり質問すんなよ、と嫌な前置きをしてから口を開いた。

 「冗談じゃなく、本当にお前は一回死んだんだよ」

 宇佐美さん曰く、私の中に長年蓄積してきた悪いものは、もうどうにかできる状態ではなかったらしい。
 それまで溜め込んできた肉体とも、魂とも、一旦離れるために死ぬが必要があったという。

 「まぁ死んだっていうか、正しくは部分的に死んだっていうのが正しいんだけど」

 そんなことを言いながら、私にお茶を差し出した。
 礼を言って受け取る。

 「部分的に?」
 「うん。腐ってたところだけ切り落としたって感じ」

 恐ろしいことを笑顔で言ってのける宇佐美さんに恐怖を覚える。
 なんというか、手術が終わってみたら執刀した人は医師免許は持っていない人でした、みたいな怖さである。

 「え、なに、こわ……」
 「いや、あんな腐った状態で生きてたお前の方が怖かったわ。
  本当に、今まで見た事がないくらい酷かった。思い出しても気持ち悪い」

 おえ、と宇佐美さんが舌を出して顔を顰めた。酷い言われようである。

 「そんなにですか?」
 「そんなにも何も、掃除されてない畜生の檻って感じで、酷かった」

 そんなにグロテスクな表現をされると、確かにぞっとする。

 「お前の中にいた奴、相当悪食だったみたいだね〜。
 食い散らかした残骸が、お前の周りに散らばってるって感じだった」

 私の中にいる忌まわしい"何か"に、宇佐美さんは私が入社してきた段階で薄ら気づいていたらしい。というのも、その“何か”が他の霊やらその他の魑魅魍魎なんかを片端から殺して、あまつさえ食べていたらしい。
 宇佐美さんは見えるし祓える希少な人物だが、一目見て、これは無理だ、と悟ったという。

 「だって、守護霊も食い散らかしてるような奴なんか、無理じゃん。
 ていうか守護霊食うような奴くっ付けてるって、もうそれ憑かれてる奴側の問題だからね」

 守護霊に被害が及ぶということは、その宿主自身がもう自分を棄てているか、何かしらの理由で意図的に守護してくれている存在を差し出したかのどちらかしい。

 「本人自身が諦めてるか、望んでそんな状態になってるとしたら、他人ができることなんてない」

 宇佐美さんはきっぱりそう言うと、自分のぶんの湯のみに口をつけた。

 宇佐美さんとしては、周囲に害が無いように観察しつつ放置するという方針で行くつもりであったのだそうだ。
 なぜか宇佐美さんが近くにいると私の中のその“何か”は影を潜めるということもあり、特段自分とその周囲には害が無いかと思っていたらしい。
 それがあの夜、崩れた。

 「お前と篤四郎さんが話してた時、見たんだよ」

 宇佐美さんの目から表情が、声から温度が消える。

 「お前の中の奴が篤四郎さんの背後の人を食おうとしてるのを。
  しかも、いつもは篤四郎さん側に憑いてる筈の奴も、何故かその時はお前側に立ってた。
  それで僕は、お前がそういう悪いモノを背後に憑けて使役する呪術師か何かだと予測した」
 
 呪術師なんていう、漫画の世界の話か、と突っ込みたくなるような嘘のような話も、この状況では信じざるを得ない。
 それよりも、何より淡々としたその声に皮膚が粟立つ。
 多分この人は、その気になれば躊躇なく私を殺すと思わせるような冷たさ。
 目の前のこの人が怖い。

 「それでとりあえず、お前から篤四郎さんを引き剥がしにかかったんだけど……。
 まぁ予想外だったよね」

 くるりと表情を変えて溜息を吐いた宇佐美さんが、私の目をじっと見た。

 「ねぇ、一体お前の中の“あれ”は何なの?」

 困惑したようにその形の良い眉を寄せるのを、私も困って見返した。

 鶴見さんから私を引き離す為に近づくと、元々鶴見さんに憑いていた“モノ”は慌てたように鶴見さんの元へ戻っていき、私の中から出ていた“何か”も私の中に戻って行ったらしい。
 そしてあの廊下で、宇佐美さんは私の目を、正確には私の中を覗き込んだ。
 そこには、彼がいたのだ。
 
 手鏡の青年。
 トキシゲくん。

「あれは、僕だった。でも、僕じゃない」

 トキシゲくんのことをそう評する宇佐美さんは、初めそれが、自分の姿を模倣した“何か”だと思ったらしい。
 巫山戯ていると激昂しそうになったが、観察するうちにどうもそうではなく、本体の姿であることに思い当たった頃、トキシゲくんが一言こう言ったという。

 『僕かぁ……。邪魔だなぁ』と。
 
 その言葉の意味を考える暇もなく、そこで鶴見さんに憑いて帰っていた筈の“モノ”が物凄い勢いでこちらへ戻ってきた。
 宇佐美さんは鶴見さんから離れた“モノ”が来たと同時に電気が消えて暗闇が広がったことで初めて、私自身の意思ではなく私に憑いているこの“何か”が全て引き起こしているらしいこと、この“何か”は自由に霊や魑魅魍魎や妖怪等の類を使役できるらしいこと、今は邪魔な自分に対して鶴見さんに憑いていた“モノ”をけしかけていることに気がつき、しかも、私を彼方側へ連れて行こうとしているらしいことまで理解した。

「よくそんなこといっぺんに分かりましたね」
「お前、本当に意味がわかっていないみたいだったしね。そもそも謎だったんだよ。精神を病んでいるわけでもなさそうだし、人を呪った痕跡がお前からは匂わないし、なのになんでそんなのが憑いてるんだって。
 そう考えたら、背後の奴の仕業だって考えるのが普通でしょ……ってまぁこんなこと普通ないんだけどさ。
 わざわざ僕に別の奴けしかけるってことは、狙いはお前ってことでしょ」

 私の質問への滑らかな回答を、そこで宇佐美さんは一旦切る。
 それから、苦虫を噛み潰したような顔で私を見た。
 
 「お前の中の気持ち悪いと思ってた“何か”が僕にそっくりで、しかも其奴がお前なんかに執着してる。
 何もかも気に食わない。何なんだよ一体」
 
 珍しく動揺している様子の宇佐美さんが、お前は何だ、とあの廊下でもされた質問を再度繰り返す。
 私はからからに乾いた喉をお茶で潤し、ゆっくりと唇を湿らして、それから口を開いた。

 「私が何なのかは、すいません、分からないのですが……。少し、昔話をさせてください」

 そう前置きをして、私はトキシゲくんのことを語って聞かせた。
 尾形さんには話さなかったことも含めて全て。
 勿論、トキシゲくんと会った最後の日のことも隠さずに。


 「……ふぅん……成程ね」

 私の話を黙って聞いていた宇佐美さんが、考え込むように呟いた後何かに納得したような言葉を繋げた。

 「え、なんか分かったんですか?」
 「いや。その話だけじゃ、僕との関係は全く分からないけど、お前がなんで其奴に執着されてるのかは少し整理できた」

 曰く、契約だよ、と宇佐美さんは語る。

 「彼岸の者と結ばれるってことは此岸の人間からすれば、イコール死だよ。
 “私がいいって言うまで”っていう縛りがなけりゃ、お前、とっくに死出の道をバージンロードよろしく彼奴と一緒に腕組んで歩いてたぞ」

 恐ろしいことを言う宇佐美さんに、やめてくださいよ、と言うが聞いているのかいないのか、まぁでもその前からお前に拘ってた理由は分からないけどね、と独り言のように呟くのだった。



 「でも、これで一件落着ってことですよね。良かったぁ〜」
 「は?何言ってんの」

 何もかも終わったという気分でのんびりと伸びをした私に、宇佐美さんの訝しげな視線が飛んでくる。
 嘘だろ、まさか、やめてくれ。

 「其奴自体を祓えた訳じゃないから。
 最初に腐った部分切り落としたって言ったけど、もっとちゃんと言うと、その腐った部分だけ渡して、今は其奴が少し大人しくしてるだけ。また来るよ。
 だから大事になる前に、もう一回其奴引っ張り出してどうにかしないと。
 あ、そうだ。今まで其奴の力強すぎて怪異に会わなかったみたいだけど、其奴が引っ込んだ今、多分幼少期同様、めちゃくちゃ怪異にあっていくことになるよ!」
 「嘘……」
 
 週間占いのワンポイントアドバイスの如く明るく言い放つ宇佐美さんに脱力する。
 こんなに大変な思いをしたというのに、良いことなんて一つもないではないか。
 呟くように絶望する私に、宇佐美さんが更に追い討ちを掛けてくる。

 「そういう訳で、決着着くまでは僕の副業の方手伝ってもらうことになるから。よろしく〜」
 「えっ?何で?どういうこと?」
 「はぁ……。やっぱりお前頭悪いね〜。
  だからぁ、お前は僕の弟子になって怪異への対応を学ぶ。僕はお前の中の奴引っ張り出すタイミングを図るってこと。理解した?」
 
 面倒臭そうに言い放つ宇佐美さんの言葉を飲み込むのに時間がかかっていると、間抜けな顔、と鼻で笑われた。
 


 *
 
 
 
 「あの、宇佐美さん、一つ聞いていいですか」
 「一つね〜」

 飲んだ湯呑みを片付けながら、ふと思い当たったことについて質問する為に口を開くと、もうあまり深く話すつもりは無いのか、どうでもいいといった顔で私の質問に対して釘を刺してくる。

 「あの、昨夜、私が吐き出した“アレ”は、」
 「“アレ”のことは僕もよく分からない。
 恐らく、お前の中にいた奴が食い散らかした物の集合体みたいな物だと思う。
 ま、とにかく良くないモノだし、しっかり浄化させたからご心配なく〜」
 「そうですか……」

 昨夜の記憶の中に一際鮮明に残っている記憶。
 自分の中から出てきたモノ。
 どんな形であったにせよ、生き物だったと思う。
 アレは泣くことも許されず、ただ静かにー。

 「考えても仕方ないことは考えるな」
 「え?」

 急に声の調子が変わった宇佐美さんに視線を向けると、真顔でじっとこちらを見る視線とぶつかる。
 宇佐美さんが静かに口を開いた。

 「答えなんて、在って無いようなことばっかりだから、あまり答えを出すことに囚われない方がいい。
  そうじゃないと、それこそ思考から連れていかれるよ、あっち側にね」

 それでふと、尾形さんが車の中で、考えても無駄か、と呟いてそれ以上質問をやめたことを思い出した。
 この世界にはこの世界のルールがあるらしい。

 「肝に銘じます……」
 「まぁ、お前すぐ忘れられるでしょ。さっきまであんなに大口開けて飯食ってたんだし。
 ブッサイクだった〜」
 「なっ……! 大口開けてませんよ! 」

 
 どうやら、私の受難の日々はこれからが始まりらしい。
 この嫌味で意地悪な先輩と、仕事上でもプライベートでも関わっていくことになるのかと思うと先が思いやられる。
 いつか解放される日が来るのだろうか。
 思わず重たい溜息が口から漏れ出た。








 
 
 参.



 尾形百之助は、漸く辿り着いた自宅のデスクで煙草を吹かしていた。
 昨夜のドタバタ劇のせいで眠れていないが、未だ興奮状態にある頭では眠りに落ちることもできずに、とりあえずパソコンに向かっているという訳である。
 
 尾形はじっと白紙の原稿データを見て舌打ちをした。すでにいっぱいになった灰皿の隙間に、短くなった吸い殻を押し込む。

 昨夜あった出来事を文字に起こしてみようとするが、どうすればそれが人に伝わる形になるのか、全く見えてこないでいる。
 宇佐美に突然呼び出されたことがまるで遠い昔のようだが、宇佐美を迎えに行き、そのツレと共に宇佐美の実家である卯月寺に送り届けた昨夜のことを思い出す。
 まるで連続する悪夢を見せられているような夜であった。


 
 卯月寺の裏に車を回すように指示されて従ってみれば、すでにそこには祓いの為の簡易的な用意がされているのが見てとれた。
 宇佐美が他人の儀式をするところを尾形に見せたことはこれまでになく(見せ物にするだろうからと毎度きっぱりと断られていた)、これはチャンスだと心躍った。しかも、ツレの女に服を全て脱ぐように指示しだすではないか。オカルトとエロスの組み合わせの記事は人気が出るのだ。これは思わぬ土産になったと記者根性が疼いた。
 しかし、尾形の当ては大いに外れることになる。まさか祓いの対象は自分にまで及ぶというのだ。そうなると取材どころではなくなる。
 面倒なことになった、というのがこの時の尾形の感覚だった。取材にならないのであれば、宇佐美にも女にも用も興味もないのである。
 しかしそんなことも言えずに、指示された通りに渋々行動するしか尾形に選択肢はない。せいぜい腹いせに女を小突く程度である。
 
 女と二人着替えて佇んでいると、いよいよ祓いの儀式が始まった。
 そこで尾形は強烈な違和感を抱く。
 通常、祓いを受ける対象に向かって行う筈の祓いの儀式だが、宇佐美は最初から尾形と女にすっかり背を向けているのだ。

 そもそも最初の段階でおかしな点はいくつもあった。
 故あって尾形はこれまで幾度も宇佐美に祓いを受けてきているが、鼻から下を覆う布などしたことがない。
 持ってきた衣服全てを、卯月寺の本尊である仏を表す梵字が描かれた袋に入れるという徹底ぶりも解せない。
 表門から不浄過ぎて入れられない、という言葉も良く考えると引っかかった。
 不浄という考え方は勿論仏教の教えとしてある考え方ではあるが、それはあくまで人間界の醜い争いや憎しみあいのことを言うのであって、神道でいうような穢れのような考え方は仏教にはない。
 どんな者でも仏の広い心によって救いに導くというのが、仏教の根本姿勢である筈である。仏教においては、つまり祓いとは救済なのである。だから、どんな者でもまず大切に扱う。
 しかしこれではまるで、扱いとしては穢れではないか。
 おまけに寺の裏手であるこの場所は、鬼門にあたる位置である。ここで祓いをやるというのもおかしな話だ。普通祓いをやるなら、加護のある本尊の仏が司る方角でやるべきだろう。
 無論、これらのことを宇佐美が知らない筈がない。
 
 最初から祓うつもりなんかないってことか?

 尾形の頭に結論らしきものが浮かび、読経を途中で切り上げて苦しむ女に宇佐美が言い放った一言で確信に変わった。

 「これで駄目だったら殺すしかない」
 
 やはり最初から祓うつもりなど、宇佐美にはなかったのだ。
 これはつまり、この女に入っているモノを殺す儀式だ。
 もしも失敗した場合この女もろとも、彼岸へ送るということが前提の。
 この女は今訳もわからないままに殺されようとしていると思うと、尾形の背中にぞくりと寒気が走った。

 簡易護摩壇の前に女を運ぶ宇佐美の手は厭に優しい手つきで、それが尾形の目には気色悪く映った。
 これから殺すかもしれない相手に、慈しみなんぞくれてやってどうする。
 そんな心持ちである。

 そこからはまさに悪夢であった。
 護摩壇からの火の粉が蹲る女に降り掛かり、その度に苦しげな声をあげて嘔吐する。
 宇佐美は淡々と読経を続け、吐瀉物で桶が一杯になるとそれを炎の中に投げ入れた。
 女が嘔吐く声の隙間で、ガラスを引っ掻くような叫び声が響き渡る。
 女の背骨が嘔吐をするたびに何か別の生き物のように動く。
 燃え上がる炎、真っ白い宇佐美の顔、呻く女。

 これは、まるで。
 
 ふと、薄気味の悪い想像が頭に浮かぶ。

 女が大きくのけ反った。
 女の背後に立っていた尾形と女の目が合う。
 助けて、と言われた気がした。

 尾形百之助という男は元来捻くれており、助けを請われたとて素直に応じるような男ではない。
 しかし、この時は身体が動いた。
 その背を摩り、手を握り、顔に汗で張り付いた髪の毛の一本一本を払ってやりたいと思った。
 もつれる足で女の元へ駆け寄る。
 宇佐美の一瞥が咎める物であることは理解したが、どうでもいいと思った。
 
 背にそっと手を当ててやる。
 彼女が大きく口を開ける。
 
 来る。

 尾形の感じた予感を、恐らく宇佐美もまた感じた。
 宇佐美は彼女の開いた口に手を突っ込んだ。
 女の口いっぱいに、宇佐美の手が肘まで突っ込まれている。

 頑張れ、頑張れ。

 尾形は必死でそう願っている自身に気がつき、唖然とした。
 
 なんだ、頑張れ?どうして、俺がこの女にそんな。
 大体、この女は何を頑張るというのだ。

 困惑して背に当てていた手を離した時だった。
 ずるり、と引き出された“其れ”を宇佐美が桶に落とした。
 べちゃり、とも、ぼたり、ともつかない、不快な音が響く。
 辺りは嘘のように静かになっていた。まるで時間が止まったように。
 
 桶の中の何かは焦げたように黒いが、赤黒い粘液が絡み付いており、見たことがない物体であった。
 しかし、“其れ”は明らかに生き物の動きをした。
 もぞもぞと、見えない目で何かを探すような動き。

 そう。母親を探そうと、顔を持ち上げようとしている。
 
 少なくとも、尾形にはそう見えた。
 

 「見るな」

 宇佐美のはっきりとした声と、女の目を塞ぐ動作ではっとする。
 尾形が慌てて視線を逸らすと、その隙に宇佐美は“其れ”を炎に[[rb:焚 > く]]べたようだ。
 黒々とした煙が立ち上った。女は気を失った。
 
 その間、終始無音。
 女から出た“其れ”は音もなくただ静かに燃えていった。
 まるで消音ボタンを押した、テレビ画面のような違和感。

 
 「……終わった」

 
 宇佐美の一声で、周囲に音が戻ってきた。
 宇佐美によって筵に寝かされた女の側で、尾形は動けないでいる。
 腰が抜けた、というやつである。

 「……なんだっだんだ、今のは」
 「見ての通りだよ。お前も感じてたろ」

 尾形の独り言のような問いに、宇佐美が答える。
 
 出産みたいだって。

 宇佐美のその言葉が、感じていた嫌な想像と結びついて気分が悪い。
 先程見ていた光景と、自身の最中の心境と、出てきたモノを思い出して、吐き気が込み上げてきた。
 見越していたのか、宇佐美がすかさず桶を寄越してくる。
 一瞬女が使った後の桶ではないかと疑念が過るが、新しいのだから、と宇佐美が言うのを聞いて胃の内容物をぶちまけた。

 「お前もちょっと入られてたからね。ここで吐いていけよ」

 辺りを手早く片付けていきながら、宇佐美は尾形に向かってそんな言葉を寄越す。
 
 「っぷ……ぅえ……入られてた……?」

 吐き気の隙間からそう聞くと、うん、といつの間にかすっかり灰になった護摩壇を塵取りで集めながら宇佐美が答える。

 「この子の中に入ってた奴。お前、一瞬“アレ”が愛おしかったろ」

 もぞもぞと動く、赤黒く光る物体。
 確かに尾形はあの時、“ソレ”を生まれ出た生命のように感じていた。

 「うえぇ……!!ゲホッ……おい……気持ち悪いこと、言うんじゃねぇ。
  だから、アレは何だったんだよ。答えろ、宇佐美」
 
 尾形は不快感と苛立ちで痛む頭を抑える。
 それから、まさか子供だなんて言わねぇよな、と問いかけると、宇佐美が真顔で尾形に向き直った。

 「いや、アレは子供だよ。但しお前は関係ない。
  この子と、この子の中にいた何かの、子供だ」

 宇佐美が息を吸う。

 「恐らくこの子は幼い頃に、中の奴に犯されてる。それで、孕んだよ。
  それから長い年月をかけて、其奴はこの子の中で……」

 その均衡のとれた顔が歪む。

 「育ててやがったんだ、赤ん坊を。産ませるつもりだったんだよ、この子に」

 宇佐美曰く女の中の其奴は、人の守護霊やら、魑魅魍魎なんかを噛み砕いて、赤ん坊に餌として与えていたらしい。
 強力な力を持つ其奴がいることと、怪異が近寄ってきても其奴が片端から喰らうため、女は怪異に全く気が付かなかったという。
 もはや臨月という所に至っており、無理やり取り出さざるを得ないと判断したのだと。

 もし宇佐美に出会わなければ、この女は、身に覚えもない妊娠による、異形の出産をすることになっていたのか。
 そう思うと、一気に尾形の身体を悪寒が駆け巡る。まぁ知らぬ間に堕胎させられていたというのも、充分ぞっとする話ではあるが。
 
 それから、はたと思い当たった。

 「おい、その此奴の中の奴って、お前と瓜二つだっていう手鏡の、」
 「分かってる」

 宇佐美が尾形の言葉を遮って、眉間に皺を寄せて口元を歪めた。

 「僕が一番気分が悪いんだ。そのことについては、黙ってろ」

 まぁ確かにそうか、と尾形は口を噤む。
 女児を犯し、孕ませ、女が子を産める歳になるまでその腹の中で赤ん坊を育てていたのが、自分と同じ顔の男だとしたら気色が悪いことこの上ない。
 
 すっかり吐き気が治まり、吐いた吐瀉物を指示通りに片付けた後、宇佐美が身を清めに行くと言い出した。

 「この子も呼び戻さないといけないし」

 そんなことをさらりと言うものだから、尾形の口から思わず、は?、と間抜けな声が出た。
 そっち持って、と言われ女の足を持つと、宇佐美は女の上半身を持ち上げる。

 「今、この子半分死んでるから。
  “アレ”を殺して中にいた奴にくれてやったんだよ。半分連れてかれたようなもんだからね〜」

 軽く言いながら、ほらよく子供のこと自分の半身とかって言うじゃん、と解説する宇佐美の神経が尾形には分からない。
 宇佐美は尚続ける。

 「もう半分もちょっと殺してみようと思って」

 ちょっと殺すって何だ。

 意味不明な発言に顔を上げると、宇佐美は薄らと笑みを浮かべていた。

 「この子が自分で生きたいって思わないと駄目だろ?
  死に戻るにしても、後は自力でやってもらわなくちゃ」

 曰く、意思が大事なのだと、昔この目の前の僧侶に聞いたことがある。
 どこかが欠けても人が生きていけるのは、生きたい、という意志の力があるからで、意志の力で欠けた部分を補完できるからだと。

 それにしても一日で災厄に見舞われ過ぎだろ。

 流石の尾形も同情の視線を女に落とし、それから、いやずっと前から此奴の災厄は続いていたのか、と思い当たる。

 「……宇佐美、お前、此奴にさっきのこと話すのか。その、“アレ”の正体について」

 そんなことを知ってしまって、それでも受け入れて生きていきたいと思うだろうか。
 あまりに酷ではないか。

 そんなことを思っていると、宇佐美が細くため息をついた。

 「いや……。言わない。別に知らなくてもいいことだし」
 「そうか……、お前にも人の心あったんだな」
 「ねぇ、馬鹿にしてる?此奴じゃなくて、お前を殺してやろうか」

 いつもの軽口が戻ってきて幾分ほっとする。
 そこで、あ、と尾形は声を上げた。

 「いや、やっぱり、あの場に俺いらなかっただろ。お前、俺を利用しやがったな」  

 こうなることを見越して巻き込まれたことを今になって漸く尾形が気づいたことに、宇佐美が笑った。

 「いやぁ〜。バレた?でも良い物見れたでしょ」
 「巫山戯んな。運転させられた挙句に、靴まで全部燃やされて、しかもこんなもん記事にも出来ん。
 割に合わねぇ」
 「まぁまぁ……。ほら、着いた着いた」

 

 果たして滝行を行う行場で、気を失ったまま宇佐美の手で滝の中に沈められた女は、自らの意志で戻ってきた。
 
 「どう? 一回死んで、生き返った気分は」
 「……いや、今まさに死にそうなんですけど」

 タチの悪いブラックジョークに思わず吹き出した。
 よろよろと近寄ってきた女が、用意していたバスタオルに倒れ込んできたのを受け止めたら、あまりの軽さに本当に死にかけていたのだとぞっとする。

 その後、朝食を食っていけ、という宇佐美の提案を蹴って帰ってきた。
 それ以上その女を見ているのが、今日はどうしても堪えられなかったからだ。

 


 

 「あぁー、駄目だ。やっぱり記事にならねぇ」

 椅子の背もたれに頭を預けて、尾形は今日2本目の煙草に手を伸ばした。

 出来事の後味の悪さが残っている。
 今回のことはやはり記事にするのは難しいだろう。


 だがまぁ、良い材料が手に入った。


 今後彼女と行動を共にすることが多くなるだろうと言っていた、宇佐美の言葉を思い出す。
 いずれ決着が着くまでは、この不可解な出来事にどう足掻いても巻き込まれることになるだろうとのことで、だったら積極的に関与していってやろうということらしい。
 それは未だ彼女の中に潜む奴を引っ張り出すために、怪異に首を突っ込んでいくということを意味する。

 会社員僧侶とOL弟子の怪異譚シリーズ、とかな。

 天井に向かって煙を吹き上げてから煙草を咥えると、尾形は再びパソコンに向き直った。
 パソコンの青白い光が、尾形の顔に浮かぶにやにやとした笑みを照らしている。





<続>