四,神域の双子




壱.


 朔の夜だった。
 晩秋の夜、星の瞬きと虫の声が溢れている。
 ぱち、と鳥居の両脇に据えられた松明の木が弾ける音がした。

 ーおぎゃあ、おぎゃあ。

 遠く産屋から聞こえてきた赤ん坊の声に、村人たちが一斉に顔を上げた。

 間も無く境内の奥から女が走ってきた。
 鳥居をくぐって近寄ってきた女の白い割烹着かっぽうぎには血が散っている。
 女が村人のうちの1人の男に耳打ちをすると、2人とも無事に生まれたぞ、と男が声を張り、皆一様にほっと息をついた。
 それから、ひそり、と誰かが小さな声で喋り出す。
 
 「朔の夜の双子だ」

 1人めの声に呼応する形で、波紋が広がるように人々の言葉が繋がっていく。
 
 「縁起が悪い」
 「神さんの子だとしてもなぁ」
 「本当に父親は分からんのか?」
 「神巫女だからな。名乗りでらんだろう、相手は」
 「しっ……!」

 誰ともなく、伺うように神社の奥へ視線をやった。
 視線の先には暗闇の中でもはっきりと分かるほど、黒々と聳え立つ巨木の影が見えている。

 大人たちの思惑も、不安も、おそれも、何も知らない双子は、母の手の中で安らかに眠っている。
 
 月はない。
 朔の夜のことである。



 
 

 
 *


 
 



 「今月末空けといて」
 「空いてません」

 真っ直ぐパソコンに向かったまま即座に答えると、聞こえるか聞こえないかくらいの音で舌打ちが落ちてきた。
 不機嫌そうに片眉を上げる宇佐美さんが目に浮かぶが、パソコンから視線は逸らさないでおく。

 「あっそ。あぁ、そうだ、これ」

 心なしか軽やかになった声と共に、たった今叩いているキーボードの上に書類が落ちてきた。

 「何です?……これ……昨日、私が提出した受注書?」
 「そ。受注数の数、0一個多かったから直しといた」

 ぱっと顔を上げると宇佐美さんが満面の笑みで立っており、これが修正前のコピーね、と再び書類を投げ寄越す。比べると確かに言われた通り間違っている。

 「うわ、すいませ、」
 「まぁ僕としては?見て見ぬフリもできたわけだけど、君のためにこうして修正してやったんだよねぇ〜」

 細めた双眸をますます細くして笑う宇佐美さんを見て、ため息をついて項垂れた。

 「……ありがとうございました」
 「で、話聞く気になった?」

 隣に座る宇佐美さんの顔が勝ち誇ったように輝いている。これでは話を聞かざるを得ないではないか。修正前のコピーをわざわざ取っているあたり、確信犯であることには違いない。本当に嫌な奴である。
 

 「……失礼しました。どうぞ」

 嫌々言葉を絞り出すと、うわ、不服そう〜と吹き出した。

 「最初からそうしてりゃいいのにさぁ。馬鹿じゃねぇの」
 
 辛辣な言葉とは裏腹ににっこりと微笑んだその顔は会社用の外面であるが、目の奥はやっぱり笑っていなくて、嫌だな、と私は顔を顰めた。






 









 



 曰く、そこは貸倉庫のような物らしい。
 
 神聖な物として扱われた物にはその記憶が、反対に忌まわしい過去がある物にはその記憶が残る。
 物の“記憶”がまた同じようなモノを引き寄せる。
 これは先に聞いていた話だ。

 餅は餅屋ってね、と言って宇佐美さんは口の端を上げる。

 「忌物を専門に管理してる知り合いがいる。あぁいう物は然るべき所に置いとくんだよ」 

 宇佐美さんの言う“ああいう物”とは、我々の勤める会社で怪異を起こしていた例の櫛のことである。
 
 「あの櫛はうちが芳姫の菩提寺だったっていうこともあって一旦供養したけど、ちゃんと綺麗になるまでそこに預ける。あれは特例。
 持ち込まれる曰くつきの物品なんかは、供養しなくてもそこに預けるだけで解決する物もあったりする」
 
 世間的には呪物と言われている物なんかも管理される物に含まれるらしく、そんな稼業があるのかと考えるだに恐ろしい。
 
 「おい、なんのことだ。その櫛とやらの話聞かせろ」
 「……事情は分かったのですが、なぜ尾形さんがいるんですか?」
 
 運転しながら口を挟んできた尾形さんの言葉を無視して宇佐美さんに話しかけると、取材だってさ、と答えたその言葉を疑う。嘘だ、絶対に良いように言って運転要員として連れ出したに違いない。

 「おいおい、なんだその口ぶりは?傷つくじゃねぇか」
 「何が傷つくですか。私記事のこと許してないんですからね」
 「はぁ。阿呆かお前。俺は身元も明かした上で言ったはずだぜ。“お前の話は記事になる可能性がある”と」
 「えぇ、えぇ、聞きましたよ?!聞きましたけど、許可出してないですよね?!」
 「知ってるか、お前。この日本国には表現の自由って便利な法律があるんだぜ」

 呆れて返す言葉がなくなった私を見て(言い負けたわけではない、断じて)、尾形さんは勝ち誇ったような顔で髪を撫で付けた。

「……そんな仕事してたら、いつか刺されますよ」
「ははっ。ご忠告恐れ入る。だがもう経験済みだぜ、それは」

 脅してやろうと思って言った言葉に、にやにやと薄ら笑いを浮かべた尾形さんを見て思わずため息が口をついて出る。駄目だ、この人に何を言っても。
 
 『月刊奇譚異聞クラブ』は尾形さんが記者、編集をやっている雑誌である。いかにも怪しげなタイトルの雑誌だが中身も想像通りの怪しさで、オカルトマニアが好きそうな眉唾物の都市伝説ネタから、民俗学的な内容まで嘘か本当かわからない内容を幅広く扱っている。
 その中でも尾形さんは実録系の記事を書く人気記者で(あくまで本人談である)、常にその手のネタを探しているらしい。
 そこに転がってきたのが先日の事件である。会社から宇佐美さんの実家である卯月寺まで尾形さんに運んでもらったのが運の尽きだった。
 私は『月刊奇譚異聞クラブ』の記事に“霊感OLの事件簿”なる特集の主人公に仕立て上げられ、霊に取り憑かれてお祓いを受けた女として卯月寺での儀式についてあることないことを書かれた(黒い吐瀉物にまみれ、とか、護摩壇の前でお経を読まれ悶え苦しんだ、とか。盛って書き過ぎだ)。
 しかも連載になると言うのだからたまったものではない。

「大体記事にするなら私より宇佐美さんでしょうよ。オカルト坊主じゃないですか」
「誰がオカルト坊主だ。口のきき方に気をつけろよ、“霊感OL”」
「まじでやめてくださいよ、それ……何なの霊感O Lって……ダサ……」
「それは認める。タイトルにセンスなさ過ぎ。そういうとこ百之助だよな〜」

 宇佐美さんと私のやりとりを聞いて、心外だと言わんばかりに尾形さんが、あ?と凄んだ。

「わかりやすいだろうが。実際評判も良い」
「あぁ〜あの雑誌読むような奴、IQ低そうだもんな」
「殺すぞ、宇佐美」
「は?やってみろよ」

 どこで火がついたのか着火した二人の不毛なやり取りを無視して、窓の外に目を向けた。
 仲が良いのか悪いのかよく分からないこの二人はいつも何かしらで小競り合いをしているが、お陰で櫛のことから話題が逸れたから良しとしておく。そう易々とネタを提供してなるものか。

 ナビ通りに進んできた車はいつの間にか山道を走っていた。両脇に[[rb:聳 > そび]]え立つ木々の間を、尾形さん自慢のSUV車がその性能を遺憾無く発揮して走り抜ける。
 卯月寺に行った時も思ったが、都会から少し車で走れば田舎はまだまだ残っているものである。ただ卯月寺の周辺との違いは、人の気配が全くないところだ。ここはあまりにも寂れている。
 ここまでの間に朽ち果てた廃屋を何軒か見かけた。昔はここら辺一帯は集落があったのだろうが、今はその名残が残っているだけだ。それがうら淋しさを更に増長させている。
 こんな不便な所で曰くつきの物品ばかりを預かる仕事などやっていて需要があるのだろうか。
 
 走り去る緑と茶色の風景を暫くぼんやりと眺めていたら朱色が目に入った。よく見ると一定間隔で木の幹にしめ縄が巻かれており、これまた一定の間隔で白色と朱色の紙が縦に連なったものがぶら下がっている。

「宇佐美さん、あれ」
「あ?あぁ、神域に入ったってこと。あの紙垂しではここらでしか見ない、ちょっと珍しい形だね」
紙垂しで?」
「しめ縄にぶら下がってる紙のこと」

 私の方にちらりと視線を送ってきた宇佐美さんがする解説を聞いて、通り過ぎる一瞬目を凝らす。確かに神社ででよく見るぎざぎざの紙垂とは違う形をしている。人型が二つ縦に重なったような形に見えた。上が白色の人型、下が朱色の人型である。なんだか少し気味が悪い。
 これなんですか、と口を開きかけた時だった。
 
「うわっ!」
「ぐえ」

 窓の外を見ていたら尾形さんの叫び声と共にいきなり急ブレーキが踏まれ、バランスを崩した私は思いっきり運転席にぶつかった。身体が圧迫されて酷い声が出たことはなかったことにしよう。
 何事かと顔を上げて運転席と助手席の間から前を覗き込もうとすると、宇佐美さんが思いっきり引いた顔で私を見たが無視する。

「なに……?」

 車の前に坊主の男が両手を上げて立っている。どうやらこの人が車を止めたらしい。車を回り込んで運転席まで来たその男が半泣き状態の情けない顔で尾形さんの横の窓を叩き、渋々といった様子で尾形さんが運転席の窓を開けた。

「尾形ちゃぁん!遅ぇよ〜!」
「白石、てめぇ。何やってんだこんなとこで」
「はー?!何やってんだじゃねぇっつの!俺ぁバイト代出すって言うからこんなとこまでわざわざ……って、げ!宇佐美!」
「やっほ〜白石」

 男はにこやかに手を振る宇佐美さんを見て酷く嫌そうな顔をすると、次は私に視線を向けた。

「誰?」

 私を見てぽかんと口を開ける。
 
「おい、いつまでダラダラ喋ってんだ。乗らねぇなら走ってついて来いよ」
「ちょ、待って待って待ってぇ??!!」

 情けない声を出した白石という人物は、尾形さんにエンジンを吹かされ泡を食ったように後部座席に乗り込んできた。彼が乗るや否や車が急発進する。

「ったく、ひでぇなぁ……」

 男はぽりぽりと頭をかいて一息つくと、その騒々しさに呆気に取られている間に私の手をとった。

「初めまして!白い石に自由の由に植物の竹で、シライシ ヨシタケといいます!彼女募集中です!好きな人には尽くすタイプです!よろしく!」
「は、はぁ……」
 
 物凄い勢いの自己紹介の後、名前は?と聞かれ、つい自分も名乗ってしまう。
 そのやり取りを面白げに観察していた宇佐美さんが、モテて良かったね霊感OL、と揶揄ってくるので思いっきり睨みつけてやった。手を握っていた白石さんが、何かに思い当たったような顔をする。

「霊感OL……って、あぁ〜尾形ちゃんが言ってた新しいネタの子かぁ。
なんだよ、じゃあ尾形ちゃんのお手つきかぁ。残念だぜ〜」
「お手つき?」
「尾形ちゃんに食われたってことでしょ?記事に書くようなことになる女なんて、みーんな尾形ちゃん手出すからさぁ」

 つまらなそうな顔をする白石さんの言葉を聞いてバックミラーに視線をやると、にやにやと笑う尾形さんと目が合った。なぜそんな自慢げな顔ができるのか理解に苦しむ。

「安心しろ、そいつは例外だ。微塵みじんnも興味が持てねぇ」
「こっちから願い下げですけど」
「まぁいつか気が向いたら抱いてやってもいいぜ」
「死ね」

 尾形さんの酷い軽口に苛々して運転席を蹴ったら、はは、と愉快そうな笑いが返ってきた。令和の時代にこんなセクハラ発言をかますなど、この人は社会不適合者だ、絶対に。
 白石さんの、じゃあ俺と付き合っちゃう〜?という下らない冗談を聞き流しているうちに、車はどんどん山道を進み、そしてゆったりと停車した。
 
「ついた」

 そう言う尾形さんが見上げるようにして視線を上に上げた。私と白石さんもそれに倣い、後部座席から身を乗り出して見上げる。
 そこには道の両端に大きく聳え立つ2本の木があった(その2本だけ綺麗に枝が落とされている)。
 道を横断して一際大きなしめ縄がその2本の木を結んでいる。まるで天然の鳥居だ。

「さ、行こうか」

 宇佐美さんの声に促されて私たちは車を降りた。
 まるで巨木に閉じ込められたようなその空間に。







 
弐.



 2本の木と木を繋ぐしめ縄の下をくぐって山道を登っていく。心なしか空気が変わったような気がした。同じように感じているのか、先程まで賑やかだった白石さんと尾形さんも黙って歩いている。
 
 それにしても中々勾配のきつい道だ。宇佐美さんが珍しく上下アウトドアブランドのウェアで来たので(カーキのマウンテンパーカーに黒のトレッキングパンツ、黒のキャップ、スニーカーというシンプルな格好だが、スタイルがいいせいか不思議によく見えるのが腹立たしい)不思議には思っていたが、こういうことかと合点がいく。尾形さんもこうなることを知っていたのか、靴だけは歩きやすい靴を履いてきたようだ。(いつもは革靴やブーツを履いている)
 一方なにも聞かされていないであろう白石さんと、勿論なにも知らない私は、普段着とどう考えても山道に向かない靴で、もはや登山のような道を四苦八苦しながら進んでいった。自然、前を行く二人からは遅れ気味になる。見失わないように歩くので精一杯だ。

「……聞いてねぇぞ、こんなの。しんどいぃ……」

 ついに白石さんが沈黙を破ってぼやき出した頃、前の二人が止まった。
 
「どうしたんです?」

 なんとか追いついて二人の視線の先に目を向けると、立派な石垣とその上に日本家屋が立っているのが見える。入り口であろう場所になった木としめ縄からして、てっきり登りきった先には神社があるものだとばかり思っていたので違和感を感じる。
 それにしても、二人はなぜこの場所から動こうとしないのか。
 疑問を口にしようとしたところで、真横の木々ががさがさと大きな音をたてて揺れた。

「来たな」
「遅かったね」
 
 薮の間から顔を出したのは、グレーの作業着を着た二人組の男だった。一人は上半身だけ脱いで腰元で袖部分を結んでおり、一人はきっちりと着込んで頭に白いタオルを巻いている。二人とも眉がなく、黒々とした光のない目が印象的だ。何より顔も声もそっくりで、それが異様な雰囲気を醸し出している。
 二人の言葉に、慣れない奴がいてさ、と宇佐美さんが私と白石さんに視線を向けた。

「……双子?」

 白石さんが私の後ろから恐る恐るといったように得体の知れない男二人を見て呟くと、そうだよ、と作業着をきっちり着た方が答えた。

「俺が兄貴の二階堂浩平」

 それから、と腰元で袖を結んでいる男の肩に手を置くと、入れ替わるように口を開く。
 
「俺が弟の洋平」

 弟がちらりと私を見て、それから目を細めた。

「何か見えるのか、洋平」
「……いや……大丈夫だ浩平」

 ふっと目を逸らされて、ついて来い、という言葉と共に藪に向かって歩き出す。
 物凄く気になる。何だ一体。

「気味が悪ぃ双子だぜ……」

 ぼそりと白石さんが呟いて歩き出す。固まっていた私を追い抜く時に肩を叩いて、行こう置いていかれる、と声をかけてくれた。その言葉で我に返って慌てて後を追う。
 ふと後を振り返ると背後には木々の緑と茶色と時折差し込む陽の光のみがある。どこを見回しても同じ景色、同じ色だ。
 ざぁっと吹いた風が私の背を押した。

「大丈夫?」
「ひゃ……!」

 気がついたら、音もなく双子の弟の方である洋平さんが立っていた。宇佐美さんたち一行は先に行ってしまったらしく姿が見えない。

「だ、大丈夫です」
「そう。じゃ、行こうか」

 一人残ってくれた洋平さんは手を差し出して、荷物貸して、と淡々とした調子で言うと、断る前にあっという間に荷物を取っていった。

「すいません……」
「さっさと家に戻りたいから。この方が早い」
「はぁ……」

 洋平さんは時折私が追いつくのを待ってくれながら、すいすいと音を立てずに山道を進んでいく。
 地面に生えた草や枯れ草を踏み締める音は私の分だけしか聞こえない。
 
「あの、洋平さん」
「なに?」
「お二人、は……、ずっと、ここに住んでるんですか」

 沈黙が耐えきれなくなり、荒くなってきた息の隙間から質問を絞り出してみる。
 洋平さんは全く息が上がっていない。

「うん。小さい頃からここに住んでる。母ちゃんもいるよ。まぁ母ちゃんは離れで修行してて、外には出てこないけどね。だから二人で暮らしてるようなもん」

 歩きながら答えてくれる。表情が無さすぎて少し怖いが、親切な人ではあるようだ。質問をしても一言余計な言葉を添えて返してくるような輩とは違う。
 
 不意に道の途中で立ち止まると、脇にあった木と土で作った足場の悪い階段を先に洋平さんが登り、手を差し出してくれた。手を乗せるとぐいっと力を込めて引っ張り上げてくれる。山道を登ってきたせいで重くなった足でも勢いで登り切ることができた。

「着いたよ」
「あ……」

 すたすたと先を歩いていく洋平さんの後を慌てて追う。
 木の門柱が綺麗に[[rb:均 > なら]]された道に立っており、そこを起点にして石垣がスタートし家を囲んでいる。先ほど宇佐美さんたちと見上げた先にあった石垣だろう。門柱にはしめ縄が巻かれており、山の下で見た大きな木の鳥居の縮小版のように見えた。
 
 あれ。

 門柱をくぐる時にしめ縄からぶら下がる紙垂しでを見て些細な違和感を感じる。下で見た紙垂は朱色と白の人型が2枚縦に連なった形をしていたが、この紙垂は朱色の人型しかない。まぁでもその意味など私には到底知るところではないし、そういう物なのだろうとすぐに視線を外した。

 門柱をくぐると、庭と平屋の古い日本家屋が佇んでいた。
 庭は秋も終わり頃だというのに青々とした草がそこら中に生い茂り、むっとするような湿気を帯びた植物の匂いを発している。草花が自由に育っているのに不思議と雑然とはしていない、調和のとれた命溢れる美しい庭。苔むした岩の一つでさえ輝いている。空気はひんやりと澄んでいて少し肌寒いのに、風景はまるで夏のようで頭が混乱する。
 家が、緑に飲み込まれそうなーー。

「入って」

 風景に呆気に取られていると、玄関の引き戸に手をかけたまま洋平さんが声をかけてきた。

「お邪魔します」
「うん、どうぞ。あんたの部屋に案内するから」

 櫛を預けて帰るだけの短い滞在で、わざわざ部屋をあてがわれることに違和感を覚える。

「え、いえ。すぐお暇すると思うので、大丈夫ですよ、部屋とか」
「今日はもう帰れないよ。泊まっていくって、宇佐美からも聞いてるけど」
「え?」
「聞いてない?」

 聞いてない。……聞いてない!!!!一切聞いていない!!!!

 心中で盛大に宇佐美さんを呪う。
 本当にあの人はどうしてこう説明をしないのだろう。

「洋平さん……宇佐美さんはどこに?」
「あんたの部屋の隣」
「連れて行ってください」
「うん、行こうか」

 淡々としていた洋平さんの顔が、少しだけ笑ったように見えた。




 



 *




 
 「ちょっと、宇佐美さん?!……ってあれ」

 文句を言ってやろうとスパンと勢いよく隣室の襖を開け放ってみたが誰もいない。

 「宇佐美さん?尾形さん?」

 あてがわれた自室から顔を出して、白石さーん、と今日出会ったばかりの男の名を呼んでみるが返事が返って来ることはなく、しんと静まり返った廊下だけがある。

 「何なの?!最悪!」

 苛々しながら鞄から携帯を取り出すと、予想はできていたが圏外表示になっている。そりゃそうだ、こんな山奥で電波が立つわけがない。あんな人たちでも姿が見えないとなると流石に心細くなってくる。

 「どうしよう……」
 「あれ、宇佐美たちいなかった?」

 途方に暮れていると、またもや音もなく洋平さんが立っていた。
 驚いて固まっている私には目もくれずに部屋に入ってきて隣室の襖を開けて中を確認すると、先に蔵に行ったかな、と考えるように呟いた。
 
 「蔵ですか?」
 「そう。そこに用があるから今日来たんだし」

 宇佐美さんが言っていた忌物管理のことか、と思い当たる。
 でも靴は玄関にあったのに、と不思議に思っていると洋平さんが首を傾げた。
 
 「どうする?蔵、行く?」
 「行く!行きます!」

 ここに独り取り残されるのは御免だ。すぐさま返事をすると、そう、と言った洋平さんが作業着のポケットから古びた鍵を取り出した。

 「家の前の道を上に少し上っていったら、蔵があるから先に行っといて。もしそこにも誰もいなかったら、鍵開けといてくれる?どうせあとで、皆んなそこに来るから。
俺はちょっと作業して、すぐ後を追いかける」

 じゃあよろしく、と言い置いて鍵を文机に静かに置くと、返事をする前に洋平さんは去っていってしまった。コミュニケーションが取れているようで、会話した気になれない変な人である。文机の上の鍵に目をやると錆で赤茶けている。大きな錠前の鍵だ。こんな骨董品がまだ使えるのか甚だ疑問であるが、持ち主が使えというのだから使えるのだろう。
 鍵を手にして立ち上がる。廊下に足を踏み出すと、硝子戸の向こう側には先ほどの美しい庭があり、暖かな陽の光が差し込んでいた。もう午後であることが分かる。この時期日が暮れるのはあっという間だ。

 「急がないと」

 慌てて部屋を出た。日が暮れてしまう前に終わらせたい。








 



 言われた通りに家の前の道を上に上って行ったらぽっかりと空き地が現れ、確かにそこには土蔵造りの古びた蔵があった。
 頑丈な錠前がしっかりと扉にかかっている。
 
 「蔵ってこれだよね……?」

 穏やかな午後の陽光が差し込んで白い土蔵の壁を照らしている。風を受けた木々がざぁと音を立てて揺れた。ゆっくりと蔵に近づく自分の靴が土を踏み締める音が響く。
 錠にそっと手をかけると、不意に中から音が聞こえた。かりかりと引っ掻くような、細く微かな音だ。あわせて人の喋る声のようなものも聞こえる。

 「宇佐美……さん?」

 違うと分かっている。分かっているのに、そうであって欲しいと願いを込めてそう呼んだ。

 「……かえ……し……よへ……こ……」
 「何?聞こえな、」

 思わず耳を扉に近付けた。
 
 「開けてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!」

 耳を つんざくような女の絶叫。弾けるように扉から耳を離した。
 途端に頭の中に蔵の中に閉じ込められた女性の映像が浮かぶ。

 「いっ!今!今開けます!待って……!あれっ……回らない……?!」

 錠前に鍵を差し込み回そうとするが固くて回らない。
 鍵と格闘している間もずっと扉の奥から女性の叫び声が聞こえる。
 返して、だの、あの子達を、だの、呪ってやる、だの合間で無意味な叫び声を上げながら、恐ろしい言葉を叫び続けている。

 「ちょっと待っててくださいね!今やってるんですけど、」
 「やめな」

 やたら滅多に鍵を触っている私の背後から、耳元でぼそりと声がした。それから白い両の手が伸びてきて手元を抑えられる。
 驚いて横を向くと、宇佐美さんの顔がすぐ真横にあった。

 「宇佐美さん……!この中に女の人が!出してあげなきゃ!」
 「お前は“これを開けた方がいい“って、本当にそう思うの?」

 宇佐美さんが確かめるように言った。
 何のことか分からずにいると、ちゃんと見ろよ、と私の身体を錠前から無理やり引き離して一緒に後ろに下がる。

 「やめ……!!」

 一刻を争うことかもしれないのに、と腹立たしさを覚えながら藻がいてふと顔を上げて愕然とした。

 先程まで陽が燦々さんさんと降り注いでいた筈なのに、いつの間にか日が暮れて夜の帷が降りていることにまず目を見張る。
 そしてその闇の中にぼんやりと浮かび上がる蔵に目が向いた。それは先程まで見ていた蔵の様相とは全く違うものになっていた。

 空き地の周辺には 鬱蒼うっそうと木々が生い茂っているのに、蔵が立っている空き地には草一本生えていない。それなのに蔵の側面をびっしりと蔦が張っており、その蔦は茶色く枯れ果てている。まるで錆びた鎖で蔵ががんじがらめにされているようだ。その上から蔵の壁面をしめ縄が何重にも巻かれている。
 入り口であろう場所には錠前が見えるがそこにはしっかりとお札が貼られており、例の人型の紙垂が扉を塞ぐように貼られていた。
 異様過ぎる姿に思わず怯む。明らかにこれは何かを封印しているようなー。

 「分かった?」

 宇佐美さんの声を聞いて、手首を掴まれたまま力が抜けてその場に座り込んでしまった。腰が抜けた、というやつである。
 さっきの声は、洋平さんは、一体何だったのだろう。

 「やっぱり首輪つけといた方がいいな。連れてきて良かった」
 「は?」

 しゃがみ込み膝に肘をついて頬杖をついた宇佐美さんが、私の顔をじっと見て物騒な言葉を言うものだから眉をしかめる。
 
 「いや、お前すぐ連れていかれそうになるからさぁ。そんなに魅力的か?わかんね〜」
 「……話が全然見えないんですけど」
 
 話は見えないが失礼なことを言われたことだけは分かった。

 「まぁいいや。立てる?」
 「はい……ってあれ……?おかしいな……」

 勝手に話を切り上げて立ち上がった宇佐美さんに続こうとするが、足に全く力が入らない。
 差し伸べてくれた宇佐美さんの腕にすがって立とうとするが、ふにゃりと足が曲がってしまって座り込んでしまう。幾度かの試みの末に観念して音をあげた。

 「……立てないみたいです……」
 「は?」

 立っている宇佐美さんを見上げて言うと、これみよがしに片眉を上げて面倒くさそうな顔をするが、それから私を見下ろしてにんまりと笑った。

 「頼み方次第では運んでやらないこともないけど」
 「は、運ぶ?!嫌です!」
 「はぁ?ここに置いて行ってもいいってこと?まぁ僕は別にいいけど?」

 条件反射で返した言葉に宇佐美さんが意地悪く顔を綻ばせた。その反応に、周囲を見回してみる。
 今夜は月がなく真っ暗だ。木々の黒々とした影が覆い被さるように空間を埋めており、蔵だけがぼんやりと浮かんでいる。
 正直宇佐美さんがここにいなければ発狂しそうなほど怖い。
 しかも考えてみれば、私はどこに行けばいいのかも分かっていないのだ。

 「……で……さい」
 「は〜???聞こえませんけど〜?」
 「私を!!運んでください……!!!」

 屈辱この上ないがどうにか振り絞って言った私に、宇佐美さんが更に口角を釣り上げた。
 
 「お願いします、宇佐美さん、は?」
 「つっ〜〜……!!お願い、します、宇佐美さん」
 「んふふ。はいはい、貸し一つな〜」

 ようやく満足した宇佐美さんが私に近づいて、よいしょと腰を掴む。
 そのまま持ち上げられて肩に担がれた。

 「えっえっ?!おんぶとかじゃないんですかっ?!」
 「うるさいな〜運び方は僕の自由でしょ。おんぶだと手が疲れるから嫌なんだよ。お前重いから」

 これではまるで米俵である。まさかお姫様抱っこをしてもらおうなんて思っていなかったが、もう少し丁寧に扱ってくれたっていいじゃないか。
 宇佐美さんの背中でぶつぶつ文句を言っていると、舌噛むよ、と忠告を受けて素直に受け入れることにした。

 蔵が遠ざかっていく。
 暗がりの中に沢山の人の人影が見えた気がしたが、目を凝らしたら消えていた。







 参.

 


 蔵を後にして宇佐美さんに山の中にある神社に連れて来られていた。
 あの双子はここで、この神社と山の管理をしながら暮らしているらしい。

 ここへ向かう道中で、“洋平さんのようなモノ”に案内された家を見た。
 石垣に囲まれたその家は、よく見れば不気味な様相だった。しめ縄だけが真新しく、紙垂しでの朱が闇夜の中で揺れているのを見てぞくりと肌が泡立った。去り際に【二階堂】と書かれた表札がかかっているのを見たが元は双子の生家なのだろうか。下の山から見上げた所は確かにその場所だったようだが、目的地は違ったらしい。
 何にせよ斯くして私は今、二階堂双子の住む“本当の”家に通されて尾形さんと白石さんと同じ部屋にいる。
 
 「で、宇佐美に担がれて帰ってきたと」
 「……笑わないでください」

 事の顛末てんまつを話せと凄まれて話し終えると、ははぁ、と例のムカつく笑みを浮かべた尾形さんが、髪を撫で付けながらレコーダーのスイッチを切った。またこれが面白おかしく記事にされるのかと思うと気が重い。
 尾形さんの横で白石さんが、だけど本当に心配したんだぜ、と眉を下げて笑った。
 浩平さんと洋平さんが迎えに来た時から私の行方が分からなくなり、心配してくれていたらしい。
 もっとも尾形さんと白石さんの二人は途中にあった廃集落の取材があったとかで(実は知る人ぞ知る心霊スポットだったらしい。今回白石さんは尾形さんにその取材の手伝いで呼ばれていたのだとか)私を探し回ったわけではなかったようだが、それでも白石さんは尾形さんにくっついて取材の手伝いをしながら気にかけてくれていたという。(尾形さんは言わずもがなである)

 「ここに着いた頃にはもう夕方だったし、本気で危ないと思ったんだが……宇佐美が飛びだして行ったから、まぁ大丈夫かなとは思ったんだけどね〜」

 足を投げ出して白石さんが言い、しかし焦ったぜ、と続けた。

 「拾った鍵を無くしたって言っただけで、飛び出して行くんだからさぁ」
 「鍵?」
 「そうそう。すげぇ古い鍵だった。ありゃ金目の物を仕舞ってる鍵と見た」

 白石さんは私たちと合流する前に廃集落に入る手前でタクシーに降ろされ(この先には断固として行かないと運転手が拒否したらしい)、そこから歩いて目的地に向かう途中で鍵を拾ったのだという。
 形状を聞くに見覚えがあり過ぎて気分が悪くなりながら、ポケットに手を突っ込んだ。

 「もしかして、これですか?」

 あの謎時空で“洋平さんのようなモノ”に手渡された古びた鍵を見せる。
 あんなことがあったのに、私はしっかりとこの鍵を握って帰っていたらしい。

 「あー!そう、それ!!」
 「そんなに良い物じゃないと思いますけどね……」
 
 手を伸ばして、返してぇ、と言う白石さんに鍵を渡そうとしたら、横から伸びてきた手がさっと鍵を取っていった。

 「触るな!俺たちのだ!」
 「保管の仕方も知らないくせに!」

 鍵を握る浩平さんと腕を組んだ洋平さんが怒った顔で立っている。
 こうして見ると、あの洋平さんがいかに変だったかが分かる。ちゃんと表情も感情もこの双子にはある。

 「よく言うよ。お前らの管理不行き届きだろ」
 「うるさい、宇佐美」
 「口出しするな、宇佐美」

 呆れ顔で入ってきた宇佐美さんは、口々に双子に文句を言われている。

 「もしかして、その鍵ってなんかヤバいやつ?」

 気味が悪そうに聞く白石さんに浩平さんが、場合によっては死ぬね、と事もなげに言ってのけて、聞いた白石さんは元より、その鍵を持ち歩いていた私も震え上がった。

 「この鍵たまにいなくなるんだよ。探してたから見つかって良かった」

 浩平さんが鍵を懐紙に包みながら言い、双子は何やら話をしながら部屋を出ていった。

 「変わった奴らだよなぁ。やっぱりなんだか気味が悪いぜ」
 
 二人が出て行くのを見届けて、白石さんがぼやく様に呟く。
 確かに得体の知れなさはあるが、先に様子がおかしい洋平さんの方を見ているので、私としては“全然マシ”という感覚である。
 そういえば、と私は口を開く。

 「浩平さんと洋平さんお二人で、忌物の管理してるんでしたよね?」

 ふと沸いた疑問を口に出してみると、そうだよ、と宇佐美さんから返事が返って来た。

 「神社の管理もしてるってことは神職ってことですよね?その忌物管理と何か関係があるんですか?」
 「神職っていうか……まぁ血筋だよね」

 やや言葉を濁した宇佐美さんの言葉の跡を引き継ぐようにして、畳に寝転んだ尾形さんが天井に煙草の煙を吐き出した。

 「キノミヤ信仰って知ってるか」

 ごろりと寝返りを打って肘枕をし、携帯灰皿に灰を落としながら尾形さんが聞く。

 「何ですかそれ」
 「民間信仰だ。この辺一帯の地域だと割とポピュラーだがな。ここに馬鹿でけぇ木があったのは見たか」

 見た。社殿の後、一般的な神社なら本殿がある部分に巨木が立っていた。恐らく御神体なのだろう。
 この神社に足を踏み入れて真っ先にそれが目に入る。

 「キノミヤには由来がいくつかあるが、ここの場合はまず“木の宮”、樹木信仰だな。アミニズムってやつだ」

 木自体を崇めている神社は多くないにしても、樹木信仰自体は割とどの神社でも見かけるものだ。
 [[rb:所謂 > いわゆる]]御神木というものである。よく神社の境内にある大きな木にしめ縄が巻いてあったりする。
 
 頷く私を見て尾形さんは美味そうに煙草を吸うと、再度ふっと煙を吐き出して続ける。

 「それから、もう一つ。キノミヤはキは忌みの“ ”にも通じる、“ の宮”だ。
  一般的に神さまってのは穢れを嫌うが……ここはそういう物を受け入れて、縁を絶ってくれる懐の深い神さまってわけだ」

 縁切りの神様ということかと納得したところで、尾形さんの、表向きはな、という不穏な言葉が続きぎくりとする。

 「表向き?」
 「ここはその昔怨念渦巻く呪いの里だったのさ」

 尾形さんがにやりと笑った。
 
 「出鱈目ばっかり言うな、クソ尾形」
 「本当に呪い殺すぞ」

 スパンと勢いよく二階堂双子が扉を開けて、私と白石さんが肩を竦める。ずかずかと部屋に入ってきた双子は全く同じジャージに着替えており見分けがつかない。
 やっぱこいつ嫌いだ、と宇佐美さんに双子の片割れが言い、まぁまぁ〜と宇佐美さんが適当に宥めている。

 「ダイモク様の力をお借りして生業なりわいをしてただけだ」
 「ダイモク様?」

 宇佐美さんに文句を言い続けている双子の片割れが発した聞き慣れない言葉を思わず聞き返すと、うん俺らがお祀りしてる神様、と返事が返ってきた。
 ダイモクとは恐らく“大木”でダイモクだろうか。

 「あの御神木のことですか?」
 「そう。あそこにダイモク様がいる。俺らはその護人。だから忌物を管理する」

 二階堂さんの言っていることが絶妙にバラバラで理解ができないでいると、悪食なんだよここの神様は、と宇佐美さんが口を挟んだ。
 ダイモク様を悪く言うな、と怒る二階堂さんを制して宇佐美さんは話を続ける。

 「ダイモク様は怨念とか呪いとか、そういった類の“忌”を好んで食うとされている」

 宇佐美さん曰く現在廃集落になっているあの場所はかつて、拝み屋や呪術師といった人智を超えた力を使う仕事を稼業としている人々が集まってできたものであったらしい。
 その拠り所となっていたのが、ダイモク様であったという。

 「そういう仕事を稼業にしてると仄暗い話も沢山舞い込んでくる。人を呪わば穴二つっていうでしょ。そういう仕事に手を出せば出すほど土地が忌み穢れていくから、定住するのは難しくなる。
  そこでダイモク様だ。ダイモク様は好んで穢れを食ってくれるからね。ダイモク様からすれば都合の良い話でWinWinの関係だった。だからか、ここにいた人たちの力も不思議と強まったそうだよ」

 忌み穢れを気にすることなく住める場所があり、しかも力を与えてくれる神様がいる。界隈でひっそりとそんな噂が広まり、自然とそういった生業の中でも呪いを扱う人々が集まった。
 あの廃集落で幾人もの人々が生活しながら呪いを代行し、それを依頼しにくる人々の姿を想像すると肌が粟立つ。白石さんも同じ感覚なのか青白い顔で、マジかよ、と呟き、尾形さんは愉快そうに短く笑って、やっぱ怨念渦巻く呪いの里じゃねぇか、と言った。

 「外の奴らが持ち込んでくる“忌”をどうにかしてやってたんだ。寧ろダイモク様が清めてた」
 「見解の相違ってやつだな」

 歯を剥き出す二階堂さんに、尾形さんがふんと鼻を鳴らす。
 
 二階堂さんの言い分は、外から持ち込まれた因縁や怨念を受け取って“呪い”という形でダイモク様に捧げることで昇華していたということだろう。二階堂さんは恐らく先祖代々この土地に住んできた人で、家業について悪く言われることが気に食わないのだと思う。そして恐らく尾形さんはそれを分かっていて刺激している。本当に敵を作るタイプの人である。

 「それじゃあ、なんだってあんなに寂れちまったんだ?」

 白石さんが悪くなった空気を変えるように質問をする。

 「神巫女が子供を産んだからだ」

 宇佐美さんが二階堂さんたちをちらりと見て言い、そのまま続ける。

 「それまで集落が均衡を取れていたのは、ダイモク様を代々守っていたのが子を成さない巫女で、家系など関係なくその力のある者に引き継がれていくものだったからなんだよ。
 権力が偏らず皆が横並びで平等に暮らせていたのはそういうカラクリがあったからさ」

 力の源となるダイモク様の世話をする役割が力を持つのは当たり前のことだろう。子から子へ受け継がれる世襲制になれば、その家自体が力を持つことになってしまう。もしも当時の神巫女に宿った子の父親が集落の者だったとしたら世襲制に変える権利を主張し始めるかもしれない、それを面白く思わない人々は出てくるだろう。

 「まさか」
 「まぁ当然そうだろうな」

 私がした忌まわしい想像を予測して、尾形さんが後を引き継ぐ。

 「大方呪い合戦にでもなったんだろう」
 「そうだね。それができる人たちだったからね」

 集落の人間全員が疑心暗鬼になり呪い合うのにそう時間はかからなかったという。
 尤も神巫女は父親はダイモク様だって言い張ってたみたいだけど、と宇佐美さんが言った。

 「呪いの効果かどうかは定かではないけど、集落の人間の数はどんどん減っていった。
 神巫女の子供がある程度育った頃、神巫女が生き残った集落の人間を集めた。それで、今に至る」
 「え、どういうこと?」

 急に話を端折った宇佐美さんに白石さんが驚いたような声を出す。

 「どうも何も、そのままだ」

 宇佐美さんはうんと伸びをして、集めてそれでおしまい、と足を投げ出した。

 「いや、分かんないですよそれじゃあ」
 「だからぁ〜神巫女と一緒にいなくなっちゃんだよ、皆。僕が思うに選び抜かれた“忌”として、みーんなダイモク様の餌になったんじゃない」

 抗議した私に宇佐美さんはいやにのんびりとした口調で答え、それから、蠱毒みたいなことなんじゃないかなぁ、と呟いた。その言葉に聞き返したことを後悔する。
 それではまるで、ダイモク様と神巫女が結託して意図的に“忌”を集めたようではないか。

 「ちなみに、その時の神巫女の姓が二階堂ね」

 宇佐美さんが最後に落とした不吉過ぎる言葉に、ぱっと双子に目を向けた。二人分の視線が、じっと私に注がれる。それからゆっくりと口を開いた。

 「集落の人間がいなくなったって、俺らはダイモク様の息子で、神巫女の息子だ」
 「今は色んな“忌”が憑いた物を集めてダイモク様に捧げてる。神巫女がいりゃあなぁ……なぁ浩平」
 「そうだな、洋平」

 森の闇を溶かしたような昏い瞳が二対私を覗き込む。双子の一方が声を出さずに口を動かした。
 母さん、と言ったような気がする。
 それで唐突に理解した。

 この二人は家業について悪く言われるのが嫌なのではない。父親だと信じているダイモク様のことを信奉しているから、ダイモク様について悪く言うことが許せないのだ。
 そして、さっきの“洋平さんのようなモノ”。あれはきっと、今目の前に双子の片割れだ。蔵の中の声は神巫女であった彼らの母親なのではないか。否、“母親だった”モノなのか。次の神巫女が現れるまで、前神巫女は役目を終えられないとしたら?蔵の中で役目を果たし続けているのだろうか。
 そうだ、神巫女は別に才さえあれば、誰でもいいのだ。それが、例えふらりと現れた余所者であっても。

 そこまで考えて云い知れぬ恐怖が一気に駆け巡った。

 「やめとけ。僕の弟子を揶揄うなよ」

 宇佐美さんがやんわりとした口調で双子に声をかける。

 「弟子〜?宇佐美の?」
 「そういうことだったんだ。じゃあ仕方がないな、洋平」
 「そうだな、浩平。あぁ、そうだ、浩平、その人に渡す物があったんじゃないの?」
 「そうだった。宇佐美、頼まれた奴できてるから、弟子に渡していい?」

 呼応するように途端に砕けた調子になった双子がくるりと目を回し、宇佐美さんは、渡してやって、と請け負う。
 何がなんだか分かっていない私は怯えてきょろきょろと辺りを見回し白石さんと尾形さんを見たが、白石さんは困ったように笑って距離をとり、尾形さんは興味津々といった様子で見てくるだけで、何も当てにはならなかった。
 気がつけばすぐ側に(恐らく)浩平さんがにじり寄っており、腕を掴まれる。思わず、ひっ、と短い叫び声をあげたが浩平さんは意に介さず淡々とした目で私を見た。

 「これ、ダイモク様から作った数珠。良くない物には嫌なものだろうから、お守りになるよ」

 無理やり手首につけられた数珠のブレスレットに視線を下ろす。ひのきのような質感の数珠には一つ一つに梵字が彫られている。

 「怖がらせてごめん」

 去り際に浩平さんがぼそりと呟いた。

 数珠に刻まれた文字は卯月寺のご本尊の真言で自分が直々に書いてやったと、宇佐美さんが恩着せがましく言葉を投げかけてくるが、私は離れていく浩平さんを目で追っていた。ついぞ彼が私に視線を向けることはなかったけれど。
 こんなところで、こんなことをしている双子だから、全く同じ思考を共有しているように思っていたけれど、考えてみれば二人は別個の人間なのだ。寂しい森の中で、母を奪われ、家族もなく、兄弟だけでひっそりと暮らす中で其々何を考えてきたのだろう。

 「浩平さん、洋平さん」

 思わず立ち上がり、名を呼びながら背を向けた二人の服の裾を引っ張った。驚いた顔で同時に二人が振り向く。

 「あの……数珠、ありがとうございます」

 大きな黒い目を二人して一瞬見開いた。

 「……どういたしまして」
 「まぁ、また来てよ」

 目を逸らして呟いたのが洋平さん、少しはにかんだようにして薄らと笑ったのが浩平さん。何だか今は少し、二人のことを認識できるような気がした。

 「怪異タラシ……」

 尾形さんが鼻を鳴らして呟いたが、無視しておく。二階堂さん双子も何も言わずに部屋を後にして行った。


 
 「そうだ、怪異タラシと言えば、白石お前も気をつけときなよ」
 「え、なんで急に俺?」

 やっぱり尾形さんの失礼な呟きは皆に聞こえていたのだと思いつつ、私も宇佐美さんの唐突な発言に目を向ける。
 
 「鍵拾ったでしょ。お前、あぁいうのに縁を持ちやすいってこと」
 「えぇ?怖い!俺にも数珠作ってぇ?」
 「やだよ、面倒くさい。まぁ死ぬようなことにはならなそうだし、白石は大丈夫でしょ」
 「うっそ、待って、なんか適当じゃない?!」
 
 尾形ちゃ〜ん、と情けない声で視線を向けられた当の本人は、白石さんに見せつけるようにして手首に巻いた数珠を掲げており、憎たらしい顔をしてふふんと鼻を鳴らした。








 

肆.



 朔の夜のことである。
 神巫女が双子を産んで数年が経ったある冬の夜だ。
 うっすらとかかった雲が星の明かりさえ遮ってしまった。
 ぱち、と弾けた松明の火の粉が天へ昇る。

 「今日からダイモク様のところで暮らすのよ」

 社殿で代々継承されてきた舞を終えた神巫女は双子へ微笑みかけた。

 「母ちゃんは?」
 「どこ行くの?」

 二人の幼子の黒々とした瞳が光る。

 「このままじゃ、神巫女が絶えてしまう。だから、私が最後の神巫女として永遠にダイモク様にお仕えする」

 これが私に与えられる罰、という母の呟きの意味を幼い双子が知る由もない。
 それでも母に二度と会えなくなることを悟った双子は、必死に追い縋った。

 「いやだ、行かないで」
 「神巫女の役目は俺らがするから」

 そう口々に言い募る双子に神巫女は柔らかく微笑み、ごめんね、と申し訳なさそうに眉を下げる。

 「あんた達にもダイモク様のお世話はできるけど、役目は神巫女でないと駄目だから……。
 だけど、ダイモク様を恨んじゃ駄目よ。大切にお護りしてね。
 そして、私たちの家がある場所から坂の上の蔵までは今日から入っては駄目。でも1年に1回は掃除をするこ
 と。これもダイモク様のお世話の一環だからね」

 言うべきことを全て言い終えると神巫女はそっと立ち上がった。
 泣いて見送る双子の声を聞きながら、母である神巫女は社殿を後にする。

 月も星もない。
 静かな朔の夜である。







 *









 「しかし結局あの二人の父親は本当にその、なんとかっていう神様なの?」

 二階堂さんたちが見えなくなった頃、山道を降りながら白石さんが口火を切った。
 ダイモク様な、と宇佐美さんが応じる。

 「いや、それはない。恐らく父親は集落の人間ではない、外の男だと思うよ」

 普通に考えてみろよ木と人間の子供なんてあり得ないだろ、と鼻で笑った宇佐美さんを見て、何があり得て何があり得ないのかの境界線が分からないと思ったのは私だけではなかっただろう。
 
 宇佐美さん曰く、集落の人間がわざわざバランスを崩すことはしないだろうし、もしそうだったとしても子供が生まれる前に実権を握るために行動を起こした筈だということらしい。
 特殊な集落ではあったが閉ざされていたわけではなく、外からの出入りが自由であったから集落外の人間と関係を持つことはそう難しくないことだと言う。

 「恋愛云々の話なのか、それとも不慮の事故だったのかは分からないけど」

 それこそ神のみぞ知るといったところだろうか。
 考えても分からないことである。それよりも気になることがある。

 「ていうかなんで宇佐美さん、此処のことについてそんなに詳しいんですか?」
 
 私の問いに宇佐美さんが、あぁ、と気が付いたような声を出した。
 
 「この辺一帯元々霊山だから色々あるんだよ。ダイモク様なんて名前がつく大昔から、あれはずっとあそこにあったけど、何か変な信仰対象になっちゃったんだよねぇ。
 元々は入山した僧侶が内内で抑えてたんだけど、近づくなとも言えないしずっと見張っておくこともできないしね。
 今は二階堂双子が抑えてるから、時々様子を見に行ってるって感じかな。忌物管理を二人に提案したのも僕」

 “忌”が足りなくなると暴走し出すのは確かだしね、と言いながら宇佐美さんが枝を払う。

 「おい、待て。ここら一帯神域じゃなかったのか」

 尾形さんが硬い声を出すと、宇佐美さんが、そうだよ、と事も無げに言った。

 「あれがここから出ないためのね。あの独特な[[rb:紙垂 > しで]]も、あれの対策のためにご先祖様達が集落の人間と一緒に作ったものだ」

 淡々と足を動かしながら、集落の人間だってあれにいなくなられちゃ困るってことだったってことでしょ、と言う。

 ダイモク様とは一体なんなのだろうか。話を聞くに、まるでそれは化け物か何かである。
 宇佐美さんはもはや、ダイモク様とも呼ばなくなった。

 「宇佐美さん、ダイモク様って本当に神様なんですか?」

 前を歩いてた宇佐美さんがちらりと私を振り返り、そしてにやりと笑った。
  
 「[[rb:其奴 > そいつ]]が神かどうかが大事なんじゃない。何を神として、何をそうでないと見[[rb:做 > な]]すかさ」
 「それって」
 「神が神である所以は、"神格化"だよ。それは人間が決めるんだ。何も知らない人間がね」

 途端に自分がいるこの場所が、得体の知れない化け物の檻の中のような気がして悪寒が走る。
 心なしか下山する足が速くなった私たちは、尾形さんの車にたどり着いてほっと息を吐いた。
 猛スピードでバックして切り替えし、Uターンをした尾形さんの運転の荒さに文句を言ったのは宇佐美さんだけだった。

 後日、会社でお昼ご飯を食べていると白石さんからのメッセージ(下山後帰り際に無理矢理交換させられた)が入った。尾形さんと一緒に行った取材の写真の全てが黒くなっており使い物にならなかったこと、そのことで尾形さんが怒りまくっていたという内容で、覗き込んで文章を読んだ宇佐美さんは楽しそうに笑っていた。
 白石さんはバイト代を3分の1しかもらうことができなかったらしく、『お金貸してくれたりする?』というメッセージを送ってくるという屑っぷりを発揮してきてドン引きしたが、宇佐美さん曰く、そういう奴だよ、とのこと。

 「尾形さんと宇佐美さんもですけど、宇佐美さんと白石さんの繋がりも謎ですよね」
 「尾形とは高校からの同級生。白石は尾形経由で一時期うちの寺に住んでたことがあったんだよ」

 尾形さんと宇佐美さんの高校時代とは気になる。そして白石さんに関しては説明されても結局謎である。

 「教えてやったから、ここお前の奢りね」
 「は?!理不尽!!普通こういうのって先輩が奢りません?!」
 「理不尽〜?知ったこっちゃないね。じゃ、よろしく〜」

 宇佐美さんが伝票を押し付けて立ち上がる。
 後を追うようにして慌てて席を立つと、手首につけた数珠が控えめな音を立てて揺れた。
 


 <続>