回想(3/4)



「名前ちゃん!」
「みきちゃん」

少し離れたところから可愛らしい声が聞こえて、目をキラキラさせたお人形さんみたいな女の子が走ってくる。

「来てたんだね!」
「俊輔に許可もらって」

苦笑いすると、みきちゃんが嬉しそうにふんわり笑う。

「おー、名前ちゃんじゃないの」
「お兄ちゃん」

こんにちは、と挨拶をするとくしゃっと笑顔になった通司さんが、頭を撫でてきた。

「大きくなったなー」
「そうですか?」

撫でられた痕がついた前髪を触る。

通司さんはみきちゃんのお兄さんだ。
俊輔が通うサイクルショップがみきちゃんの家で、通司さんがそのお店を回しているようだった。
面倒見が良くて優しい通司さんに、俊輔も珍しく懐いている。

「お兄ちゃん、本部に行くんじゃなかった?」
「あ、そうそう。みき、お前も来て手伝えよ」
「はぁい。名前ちゃんも一緒に行かない?」

ううん、私は大丈夫、とどう考えても自転車のことで手伝えることがあると思えなかった私はやんわり断った。
みきちゃんは残念そうな顔をしたが、じゃあまたスタート前でね!と手を振って通司さんを追いかけて行く。

気持ちの良い日曜。
自転車を押す人が一箇所に集まっていく。

今日は“レース日和”なんだろうな。

前に俊輔が言っていた言葉を思い出す。
今日は俊輔が誘ってくれたレースの日。
会場の熱気に私の胸もドキドキと高鳴った。

人混みをすり抜けて少し広い場所に抜けると、遠目に見慣れた姿を見つける。
駆け寄ろうとして、ふと足を止めた。
まだ小さい妹ちゃんの手をひいた俊輔のお母さんが、彼の頬を撫でているところだったから邪魔してはいけないと思ったのだ。

なんだか、あそこだけ別の世界みたい。

羨望にも似た感情を感じながら、眩しいものを見るようにその光景を見る。

「…チィッ」

突如上方から聞こえた舌打ちに、はっと我に返って横を見ると背の高い男の子が立っていた。

「そこ、邪魔やで」
「あ、ご、ごめんなさい」

聞き慣れない言葉遣いに戸惑いながら、急いで彼の為に道を開ける。
ツゥと流れた視線の先には俊輔と家族の姿があった。
重苦しい空気感を感じて、でも、その眼差しはさっきまでの私と同じように一瞬細められる。
そのままその彼はグレーの自転車を押して、さっと私の横を通り過ぎていった。
私はその名前も知らない男の子の背中を見送る。


「名前!」

こちらに気がついた俊輔が手を上げて私を呼んでくれる。
私はようやく張り付いていた足を動かして、俊輔の元に向かった。






スタートで選手たちを見送ってしばらく経つ。
もうそろそろゴールする頃だという通司さんの言葉に、私とみきちゃんはゴールに向かった。
私もみきちゃんも、勿論一着は俊輔だと思い込んで到着するその姿を待っていたのだが…。

「あれって」
「…今泉くんじゃないね…」

2人で遠目に見えるゴールに向かってくるその姿に目を疑う。

「あの子…」

さっきの子だ。

大会前にうっすらと目を細めていた表情を思い出す。

そのまま彼は単独でゴール。
長い両腕を目一杯伸ばして、ゴールの先に走り去っていった。
それからしばらく経って俊輔が暗い顔でゴールして、準優勝という結果に終わり、みきちゃんはしきりに、そんなはずは…、とか機材トラブルだったのかな…とか呟いている。

「ごめん、ちょっと、私行くね!」
「えっ!名前ちゃん?」

じゃあね!と手を振って私は駆け出した。
今、傍にいてあげないと、そう思って。



「俊輔…」

目立たない道の片隅、木の下でタオルを頭から被って項垂れている。
見たこともないその姿に息が苦しい。

「…見てたよな」
「…うん」
「っハハ…すげぇかっこ悪いな、俺」

そんなことない、と言い掛けてやめる。
気休めにしかならないそんな言葉に意味はないと思ったから。

「…あんな卑怯な手…くっそ…」
「なにかあったの…?」

悔しそうに呟くその言葉に遠慮がちに問うてみると、しばらくの沈黙があって俊輔が重い口を開いた。

「母さんが事故にあったって聞かされて」

一瞬息が止まる。
動悸がしてうまく息が吸えない。
そういえば、ゴール付近にいたのにおば様を見ていない。

「え、う、そ」
「嘘だったんだよ。俺を動揺させるための」

俊輔の一言を聞いて、どっと止まっていた血が流れ出したように指先に感覚が戻ってきた。

「…よ、よかったぁ…」
「…は?」

ピクリと俊輔の肩が震える。

「おば様、無事なんでしょ?俊輔も怪我とかないんでしょ?
それなら私はそれだけで…勝ち負けとかそんなの」
「わかったようなこと言うなよ」

ピシャリと私の言葉を遮る俊輔の言葉を聞いて、しまった、と思った時にはもう遅かった。
怒りに俊輔の目が轟々と燃えている。

「1位以外、なんの意味もねぇんだよ」

吐き捨てるように行って、俊輔はその場を後にした。
私は力なくその後ろ姿を見送ることしかできない。
そう、勝ち負けに拘らないのは、私のスタンス。
命があればそれでいいというのも。
それを、今、彼に押し付けたんだ、私は。