裏路地を抜けて少し行くと、もう街外れで灯が少ないせいで星の明かりがはっきり見えた。
ポプラの木がザワザワと揺れると、呼吸するようにチカチカと星が瞬く。
唐突に途切れた石畳の道を跨いで、所々に草の生えた道を行く。
黒い門をくぐると、程なくして牛の匂いがしてきて牛舎の灯が見えた。
牛舎横の壁に自転車を立てかけて背伸びをして入口を覗き込むと、点々とぶら下がるオイルランプの灯りの中、牧草を運ぶ青年のシルエットが見える。
「すいません…」
「ん?なんや、お前」
近づいてきたひょろりと細い青年を見上げる。
ここには小さい頃からよく通っているけれど、見かけない顔だ。
「ボクとこに今日牛乳届いてへんかったから、貰いに来ました」
緊張しながら恐る恐るそう言うと、青年はさも面倒くさそうにため息をついた。
「ハァ?もう配達はとっくの昔に終わっとる。届いてへんわけないやろ。
この俺が配達しとるんや」
帰った帰った、と追い立てられそうになるが何とか踏みとどまる。
「母さんの牛乳や。今日ないと困るんや」
「そんなん、知らんわ。俺、祭り行きたいねん。とにかく今日は帰れ」
「な…」
「なんや、ノブ。どちらさん?」
強引なやり方に抗議の声を上げようとしたところに聞き慣れた声が割って入ってきた。
「石垣さん…」
背後でノブと呼ばれた青年のバツの悪そうな声が聞こえる。
「翔くんやないか」
どないしたんや、と言いながら親しげな笑みを浮かべて近づいてきた背の高いその人は、すっと屈んでボクの目線に合わせてくれる。
「おっちゃん、ボクとこにまた牛乳来てへんかった」
「またか?すまんなぁ。やっぱ配達俺が出た方がええかぁ」
申し訳なさそうに微笑んだその表情に、ボクは幾分ほっとして口を尖らせた。
「母さん、石垣のおっちゃんの牛乳、楽しみにしてんのや」
「ほうか、ほうか。すまんかったなぁ」
文句を言っているのにも関わらず、嬉しそうに目尻を下げておっちゃんはボクの頭を優しく撫でる。
「ちょぉ、待ってくださいよ、石垣さん。俺が配達し忘れた言うんですか?」
「ノブ、俺、お前が配達に出る前にわざわざ言うたよな?
西の外れの村に1瓶だけ届けて欲しい家があるて。そこ行ったか?」
不機嫌な声を上げたノブ青年は、おっちゃんの言葉を聞いて、あっという表情になった。
その表情をみておっちゃんはため息を吐くと、今日はもう上がり、と声をかけた。
「今まで手伝ってくれとった井原のおじさんが腰悪してなぁ。
ちょうどそんな時にフラッとあいつが現れて、手伝って貰うことになったんよ。
ノブいうんや。悪い奴やないから、仲良うしたってや」
そそくさと帰っていくノブ青年の後ろ姿を見送った後、置き去りにされた牧草を抱えて運びながら石垣のおっちゃんが言う。
ーええ奴にはとても見えへんかったけど。
ボクはおっちゃんの横を歩きながら、すやすやと眠ったり、のんびりと草を食んだりと思い思いに過ごしている牛たちを眺める。
「また変なモン拾って、後でどうなっても知らんで」
「なんやぁ、心配してくれてんのか?翔くんは優しなぁ」
ハハハ!と能天気に笑っているおっちゃんの顔を見ていると、何故だかわからないが少し苛立ってしまう。
時折ボクはおっちゃんの、こういう底の見えない優しさが理解できなくて気持ち悪いとさえ思ってしまうことがある。
ボク自身がこの優しさに何度救われてきたか分からないというのに。
「あぁ、すまん、翔くん。牛乳なぁ今すぐ渡せるもんがないわ。
今から用意するから、後で届けるわ」
「ボク、今から用事あんのや。
終わったらまたここ取りに来るから、届けんでええよ」
「ん、わかった。祭り行くんか?」
「いや…皆んなが祭りしとる間に、星見るんや。星渡しの橋とこで」
「星?そらまた楽しそうやなぁ。1人でか?」
「ううん…友達と、見んねや」
ボクが躊躇いがちに紡いだ言葉を聞いて、石垣のおっちゃんは一瞬驚いたように止まったがその後嬉しそうに笑った。
「そうかぁ、友達とかぁ。ええなぁ。
今日は七夕の夜や。ぎょうさん星が見えるなぁ。
まぁそもそも七夕祭りて、最初はそういう祭りやった言うしな」
「そういう?」
「あぁ。昔の人らはなぁ、お空に輝く星さんに死んだ大切な人らがおるて思ったんや。
一年に一度、1番お星さんが綺麗に輝く日に皆んなで地上から大切な人を想ういうところから、七夕祭りは始まってるんよ」
天灯飛ばして、俺らは元気やでーって伝えたかったんやろなぁ、とおっちゃんは目を細めた。
「翔くん、これ持っていき」
「ええの?」
「おん、友達と食べ」
おっちゃんが差し出してくれた金平糖の包みそっとポケットに仕舞って、ボクは再び自転車に跨る。
fin
