銀河鉄道の夜
05

ー少し遅くなってしまった。

ボクは焦ってペダルを漕ぐ。
牛舎の脇を抜けて丘の方へ急いだ。

丘に向かう途中に星渡しの橋はある。
街とこの放牧地帯になっている草原のある丘の間には、大きな川が流れている。
その川の上を跨ぐ唯一の大きな石橋が星渡しの橋だ。
所々に小さな木の橋は渡っているけれど(これらは街の人のために、石垣のおっちゃんが掛けたものがほとんだ)、重たいものも運べる頑丈な橋は星渡しの橋だけだ。

ようやく星渡しの橋のシルエット見えてきた。
ポツポツと橋には灯が点っていて、光が綺麗なアーチ型を描いている。

「苗字さん?」

橋の近くまで来て自転車を降り、土手の下の青々とした草原に向かって声を掛けてみる。
リンリンと澄んだ音色だけが、静かにボクの呼びかけに返事をする。

ーおかしいなぁ。帰ってしまったんやろうか。

ボクは自転車を橋の袂に止めると、土手に沿って丘を登っていくことにした。
小走りで土を蹴りながらキョロキョロと辺りを見渡す。
ふと横目に土手の下に影が横切ったような気がして、急いで振り返った。
と同時に、足元の衝撃とともに、視界がぐらりと揺れてボクは大きく傾いで、勾配を体が転がって行くのを感じた。

「…いっ…たぁ…」

変な走り方をしていたせいで、足元の石に気が付かず転んでしまったらしい。
そのまま土手を転がり落ちてしまったようだ。
ズキズキと痛む膝の痛みを感じながら、仰向けにひっくり返った。

「う、わぁ…」

思いもかけず目前に広がった夜空を見上げて、ボクは思わず声を上げる。

濃紺の夜空に、ミルク壺をひっ繰り返したかのように満天の星空が広がっていた。
天の川が遠く空の端まで連なり星々が其々に輝くから、まるで輝く川の水がうねって動いているように見える。
赤や黄色や青の星々を見つめていると、段々と光が強く大きくなるように感じられた。
星の光を遮って甲高い鳴き声をあげた夜鷹が飛び去るのを見て、ボクはハッと起き上がる。

ーそうや、苗字さん。

土手の上は街の明かりで白くぼんやりとしている。
辺りを見渡すと、川の水が夜空の光を反射してキラキラと光った。

「御堂筋くん」

か細い女の子の声が聞こえた気がして、ボクは振り返る。

「苗字さん?」
「そ、そこ、は、危ないよ」

こっちに、と土手の上で小さな影が手を差し伸べているのが見えた。

ボクはその手に向かって土手を駆け上がる。
ボクの足が一踏み坂を蹴るたび、地面についた掌で土を掻くたび、そこら中にカンパニュラやツキミソウやマツヨイグサの花なんかが、今起き出したと言わんばかりに咲いて香りだした。

ーこの土手ってこんなに長かった?

不思議な距離感を感じながらもボクはひたすら土手を登る。
濃紺の夜空とピカピカと輝く星々がどんどん近くなる。
さっきの夜鷹が目の前を通り過ぎて行った。
羽ばたく翼の風をはっきりと感じると、草花の中にひっそりと潜んでいた小さな黄色い光を灯していた蛍たちが一斉に飛び立ち、いくつかの星が落ちてきたかのような柔らかな光で辺りが照らされた。
その仄かな灯に照らされて、土手の上の苗字さんの心配そうな顔が見える。
ボクが差し出されたその手をグッと掴むと、女の子の力とは思えないくらい力強く引っ張られて宙に浮かんだ。

「銀河ステーション、銀河ステーション」

遠くで不思議な声が聞こえて、ボクはぎゅうっと自分の手の中にあるその手をもう一度握りしめた。



※※※※


気がつくとボクはゴトゴトと進む列車の車室の、赤く上品で暖かなビロードの椅子に座っていた。

「御堂筋くん」

名前を呼ばれて横を向くと、苗字さんが困ったようにボクを見て笑っている。
少しぼぅっとする頭でその顔を見て、苗字さんの手を握ったままだったことに気がついて慌てて離した。

「ご、ごめん」
「ううん。私こそ約束守らなくてごめんね」

苗字さんの言っていることの意味が一瞬理解できなかったが、あぁ星のことか、と彼女が言っている約束を思い出す。

「ええよ、こうやって会えたんやし」
「うん、それがね、不思議なんだよ」

彼女は少し戸惑うように話しだす。

「私、御堂筋くんと星が見れるの嬉しくって急いでお家に帰ったんだけど、熱が出ちゃって…川には行けなかった筈なんだけど」

気がついたら、ボクの手を引っ張ってここにいたのだという。

「え、じゃあコレ何なんやろ。夢?」
「なのかなぁ…」

2人して呆然とした後、慌てて車窓から身を乗り出して外を眺めた。

濃紺の夜空の中どこまでも続くように見える白銀の星のレールの上を、黒光りする鉄の大きな機関車が走っていく。
辺りはまるでダイヤモンドを散りばめたように輝き、きっとルビーやサファイアはこんな風に輝くのだろうといった具合に、通り過ぎていく惑星が瞬いている。
星々の間近を列車が通るたび車体がその光を反射して、きらりきらりと規則正しく輝いた。

「うわぁ、見て、御堂筋くん!」

興奮したように苗字さんが言って、ボクはその指差す方を見る。
遠くの方で大きな星の振り子がくるりくるりと回っているのが見えた。

「あれは何かなぁ、時計座かなぁ」

くふふ、と嬉しそうに笑う苗字さんを見ると、別にこれが夢だろうが現実だろうがどうでもいい、なんていう曖昧な不思議な気持ちになって、そうやねぇ、と相槌を打った。

「そういえば、苗字さん喋りが…」
「うん、そうなの!これって、すっごく不思議!」

ふと気がついたことを口に出してみて、言わない方がいいことだったんじゃないかと止めたが、そんな心配もどこ吹く風と言わんばかりに、苗字さんは風を受けながら満面の笑みを浮かべる。
彼女の長い髪がふわふわとなびいて、星がまとわりついて小さな天の川ができていた。


fin
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