それは、とても大きくて立派な十字架だった。
その大きさは、列車がごうごうと風を切ってすごいスピードで走っても、ゆっくりゆっくりその十字架が回転しているように見えるくらいだ。
そんなに大きいのになぜか十字架とわかるから不思議で(だって普通そんなに大きかったら像の足を見ている蟻みたいに一部分しか見えない筈だ)、その十字架が放つ光は白く柔らかいのに煌々としていて、列車の中の電灯の橙色はすっかり白いその光に飲み込まれた。
でも目が潰れてしまうような眩しさはない。
本当に身体ごと、すっぽりとその柔らかい白い光に包まれてしまうような、そんな光。
車窓を覗くと、いつの間にかきらきらと光る不思議な川が流れている。
列車はその中をすぅっと音もなく通過していた。
水なのか、銀河の星々の残骸なのか、不思議なその川に流れている何かが列車の音をかき消しているらしい。
「静か…」
苗字さんの呟きが、ほろりと解けて消えていくと、背後からさらりさらりと衣ずれの音がいくつも聞こえてきた。
振り返ると、旅人たちが幾人も立ち上がって厳かに手を組んで祈りを捧げていた。
ずっと最初からこの人たちと旅をしていたような気もするし、突然現れたような気もする。
だけど、この場所ではこの風景が当然のように思われた。
どこの国の言葉かは分からない呟くような心地の良い祈りの声は、紡がれてはあの大きな十字架へ光の一粒となって、吸い込まれていく。
ボクらはそっとその祈りの声に耳を傾けて、誰からともなく目を閉じた。
その美しい光景は、瞳を閉じていても、開いていても、よく見ることができたから。
暫くそうしていると、1人、また1人と声が止んでいきボクはそっと目を開けた。
それはお祈りの時間に、こっそり1人薄目を開けて母さんを見るような、いけないことのような、でも見たいようなそんな気持ちで。
旅人たちは静かに各々の席に座って、じっと十字架を見つめていた。
まるで祈りの言葉の返事を、神様から聞くように。
ボクは単純に、いいなぁ、と思う。
彼らにしか聞こえない何か声があるんだろうと思うと、なぜだかその声を聞くことができないことが、ひどく残念だし悲しかった。
でも、ボクには何故だかよく分かってもいた。
まだ、ボクが聞くには早すぎるんだということが。
そっと視線だけを動かして隣に座る苗字さんの横顔を見ると、彼女もボクを遠慮がちに見たところだった。
「ずっとずっと昔なら、私にも聞こえたような気がするんだけどなぁ」
「…ボクには、よぅ分からん」
「ううん、きっと御堂筋くんも聞こえていたと思うよ」
「そう、やろか…」
「うん、絶対。でも私たちにはまだ早いね」
「うん、それは何となく分かるわ。でも、いつか」
「うん、いつか」
苗字さんとボクはそう確かめるように言い合って、悲しいような不思議な気持ちをそっと抑えて笑い合った。
気がつけば車内は元の橙色の電灯の灯にぼんやりと照らされて、十字架は遠く遠くに光っているくらいに小さくなっていた。
列車は相変わらず銀河の川を静かに静かに進んでいる。
いつの間にか周囲には芒の原が黄金に揺れいた。
時折揺れるリンドウの花にぽうっと青い炎が灯って、風に揺られて光の筋をつくっていた。
「もうすぐ、白鳥の停車場やよ」
アキラくんがぼんやりと車窓の外を頬杖をついたまま見ながらぽつんと言った。
その言葉通り、シグナルの緑の灯を通り過ぎ、転轍機の前のぼうっとした灯が見えてきた。
列車は緩やかに速度を落としながら、ぽつりぽつりと規則正しく並ぶ一列の電灯の灯の中に滑り込むように入っていく。
きぃー……、っと随分と控えめな音を立てて、列車は白鳥の停車場の大きな時計の前に慎重に止まった。
時計の針はきっかり11時を指している。
時計の下には“20分停車”と書いてあった。
祈りを捧げていた旅客たちがそろそろと席を立ち皆降りていくと、車内はすっかり寂しくなってしまった。
「私たちも降りてみない?」
ワクワクしたような表情の苗字さんの言葉にボクは少し詰まって、伺うようにアキラくんを見る。
アキラくんは一瞬眉を顰めて難しい顔をしたけれど、行こか、と一言言って立ち上がった。
ボクらは顔を見合わせてその後に続いて立ち上がり、跳ねるように走って、アキラくんを追い越した。
fin
