2020/07/09
ぐっしょりと濡れたワンピースをしぼりながら、琴都へ対する恨み言をぽつぽつと漏らしている合歓。
私たちは、一度プールから上がって、用具室にて着替えていた。
更衣室が無かったからである。
中は名前の通り、プール用具でいっぱいで、全員が同時に着替えるのは無理だと判断した私達は、先に茶柱さん達に着替えてもらった。
先に譲れと合歓が怒りそうなものだけど、はしゃいですっきりしたのか、合歓は後でいいぜ、と機嫌良さそうに言っていた。この美少女、男児のようなメンタルをしている。
「うふふ。さっすが合歓しゃん、水着もとびきり似合いますな〜」
琴都が水着姿の合歓に擦り寄る。
「あたりめーだろ。顔もスタイルも完全無欠の側葉良合歓だぜ!」
「お胸は成長途中なんだねー。やがて完全無欠になるポテンシャルってことかぁ」
「殺す!」
「ひーん、やめてぇ」
からかわれて合歓は怒っているけど、あんなに細いくびれと長い脚があったら完全無欠も同然じゃないか、と思う。
おまけにお肌もすべすべで、やっぱりお人形みたいに綺麗。
それでも、余程気にしていることなのか、合歓は琴都の後ろに回り込むと、ガッと胸をつかんだ。
「ぎゃー合歓のヘンタイ!」
「なんだよこの程度の乳で偉そうにしやがって! ウエスト寸胴のくせに! 二の腕むちむちのくせに!」
「わたしはべつにいいのー! あとこの中だとわたしがいちばん大っきいし!」
「やっぱ殺す!」
「うそうそ! ほんと許してもう!」
所狭しと置かれた用具が、はしゃぐ2人のせいでガタガタと揺れている。そんな2人には一切構わずに、ルトラはもう準備を終えていた。
「先に行ってる」
「あっルトラ! 逃がさねーぞ!」
扉を開き掛けたルトラの腕を、合歓が掴んで止める。
ルトラはめんどくさそうに振り返ると、さっさと用件を言えとばかりに、じとっと合歓の顔を見た。
合歓は不敵に笑ったかと思うと、正面からルトラの胸を鷲掴んだ。
「はっ...あたしより無い! やった!」
「そう」
「4人の中で真ん中くらいなら、あたしは平均ってことだよな! なんだよやっぱり完全無欠じゃん!」
「ねぇ、気は済んだ?」
ルトラは呆れたように吐き捨てると、胸を触っていた合歓の腕を掴み、ぐりっと外側に捻った。ギリギリと危なそうな音がする。
「うわぁぁもげるもげる! 離せ! ごめんなさい!」
合歓が喚くと、ルトラは無言で腕を離し、今度こそ扉を開けて用具室を出ていった。
床に倒れ込んだ合歓は、ルトラが立ち去った方を見ながら、ひとり嘆いた。
「どうなってんだあのチビ...。このあたしをぞんざいに扱うなんてぇ...ぐぬぬ」
可哀想な自称完全無欠美少女を眺めながら、私も着替えを終えた。
...終えたけど、私って水に入れなくない? 傷口が濡れちゃうし、なんか腕の無さが一目で分かるこの格好は、少し悲しくなる。
しょんぼり、と顔に出ていたのだろう。それとも、初めから気遣いで準備してくれていたのか、琴都はキャラ物の可愛い羽織を掛けてくれた。
パステルカラーのペンギンのキャラクターみたいだ。
そういえば、琴都が背負っているリュックとか持ち物に、よくこのキャラクターのマスコットが付いていた気がする。
「紗如、水着とっても似合うしかわいいよー? どんな姿でも、かわいいお洋服はウキウキさせてくれるはずだよ」
「ありがとう...。上着、濡らさないようにするね」
「あはは、いーよいーよ。濡れるつもりで持ってきたんだから! ペンキまみれにでもならない限りどうにかなるからー」
「うん、ありがとね」
さて、そうは言っても、腕は水濡れ厳禁だもんね。せっかくだけど、プールサイドで静かにしていよう。
ううん、プールを眺めるだけでもきっとすごく楽しいし、それに東条さんが何か準備しているみたいだし。
きっと楽しく過ごせるよね。
それじゃ出ようか、と琴都に声を掛けた瞬間、合歓が起き上がった。
「待てよ紗如!」
「うわっ」
彼女は何やら怒った様子で、ずいっと顔を近付けてくる。
私は驚いて後ずさった。
「紗如がいちばん大っきいじゃん! ばかぁ!」
そして、子供みたいに泣きじゃくりながら私の胸を掴んできた。
「うわわ、合歓、ちょっと、ひぃぃやめて」
「この巨乳女ぁ!」
「もー合歓、まだ気にしてたの? あとそれはただの事実だよ〜」
「うるせぇ!」
駄々っ子のようになった合歓に琴都が軽くチョップする。
それだけで合歓はよろけて、浮き輪みたいなものにぶつかった。
合歓の手から解放されてから、私は、いくら美少女でも泣きじゃくる様子は不格好でちょっと面白いな、と思った。
ぐすぐす鼻を鳴らしながら、合歓はこちらを見上げてくる。ちょっとショックを受けすぎではないだろうか。
私はあまりに合歓が不憫になって、思わず声を掛けた。
「あの、合歓はどうしてそんなにスタイルを気にしているの? 脚は長いし、ウエストも細いし、すごく綺麗だと思うけど...」
「だってぇ...あたしバカだしクソ雑魚だし...見た目が可愛い以外に何もねーんだもん! あたしが一番かわいくないとやだぁ!」
「そんなこと、胸なんて関係なく合歓はすっごい美人だよ?」
「うるしゃい!」
「噛んだね」
なんだか、ある意味別の種類の可愛さがあるな、と合歓の泣き顔を見下ろしていた。
そうしていると、今度は琴都が合歓に近付き、彼女の前に屈み込んだ。
「そんなことより、早く遊ぼうよー」
「そんなことじゃねーし!」
「あはは、心配しなくても合歓はかわいいし、私も紗如もルトラも、みんなとびきりかわいいのだ!」
「なんだよそれ...」
「みんなでいちばんかわいいってこと!」
言い終わると同時に、琴都は合歓を引っ張り上げて立たせて、ついでに私の腕も掴んで、用具室の扉を体で押し開けた。
そして、私たちは再びプールサイドに出てきた。
埃っぽい薄暗闇の部屋から出て、神秘的な光を体いっぱいに浴びると、まるで季節が真夏になったような気分だった。
「なぁ、琴都」
合歓が泣き止んで、でもまだちょっとふてくされた声で言う。
「...あたし、一番かわいい?」
「もちろん! 合歓だってお姫さまだよ〜」
琴都の返事に、ちょっとうれしそうに、密かに照れ笑いしているのが可愛くて、私は思わず合歓に抱き着いてしまった。
「おわっ、何すんだよ紗如!」
「もうっ、合歓って意外と可愛いんだね!」
「はぁ!? ...いやその、あたりめーだろ!」
「ふふふ、合歓ってもっと怖い子なのかと思ってたよ。煙草みたいなの持ってたし」
「煙草はホントに持ってるけど」
「じゃあそれは良くない」
すっかりいつもの得意気な様子に戻って、合歓は茶柱さんの方へ駆けていく。
彼女たちは、走ってくる合歓に気が付くと、何やら水鉄砲のようなものを向けた。
そっか、水に入らなくても遊ぶものって結構あるかも。よかった。
なんて思ったのも束の間。
「うぎゃああああ何しやがる!!」
合歓に向かって放たれたのは水ではなく、蛍光色のべったりとしたインクだった。
よく見ると、夢野さんや夜長さんも同じ物を持って、ルトラと交戦している。
「あっ、どうしようこの上着」
私は琴都に借りた上着を脱ぎながら逃げようとするが、琴都がそれを止める。
「だ、大丈夫だよ、あれくらいのインク。それよりも紗如が大変だよ、気にしないで着てて、うん、気にしないで気にしないで...気に、しないで...」
「全然大丈夫じゃなさそうだよ! それにこの上着大事なものなんでしょ!」
「ううぅ...べ、別に平気だもん! 色違いで3着持ってるから...」
「それってすっごいお気に入りじゃん! やっぱりダメだよ!」
「うわぁぁん、ごめんね紗如!」
「ううん、仕方ないよ!」
私は琴都に上着を差し出して、申し訳なさそうにする琴都を慰める。
琴都はそのまま用具室に引き返し、上着を置くと急いでプールサイドに戻ってきた。
「ううぅ...紗如は濡れないように気を付けてね」
「う、うん、大丈夫だよ...」
「それじゃ、むこう側のプールサイドいこーか?」
「え? 琴都は向こうで遊んで来たら? 私もう1人で大丈夫だよ」
「それじゃ紗如がさみしいでしょ! それにいいんだ、私が紗如とお話したいから!」
「うーんと、分かった、ありがとう」
気を遣ってくれたんだろうか。それとも、本心だったらうれしいな。
なんて考えながら、濡れた床を踏み進めようとした瞬間、後ろから肩を叩かれた。
「あ、あのー、譜字平さん」
控えめに、気まずそうに掛けられた、男の子の声。
振り返ると、声の通りに気まずそうにした最原さんが立っていた。
「ど、どうしました?」
「えっと、その」
どうしよう、男子にこんな水着姿見せたこともない。ちょっと露出多いかも。変かな、やっぱり男子はスタイルがどうとか思うのかな。
熱くなる顔、泳ぐ視線。
それでも勇気を振り絞って彼の顔を見上げると、最原さんも同じだったのか、顔を赤くして何も無い空間を見ていた。
「あ、の、呼び止めてごめんっ」
「へっ? いえいえ! あのっ、何用で御座いますかっ!?」
焦って言葉がおかしくなる。
「...あの、迷惑かもしれないけど、これ」
そう言うと最原さんはおもむろに学ランのボタンに手を掛け、つっかえながら不器用に外し始めた。
徐々に、眩しい白のシャツがあらわになっていく。
そしてボタンを外し終えると、肩から緩め、後ろ手に袖を抜いて、学ランを脱いだ。
軽く畳むように袖を揃えると、こちらへ差し出してきた。
「えっ、私に、ですか?」
「実は、さっき2人で話してたのが少し聴こえちゃって...。僕の上着だったら汚しても構わないから、よかったら使ってよ」
「え、でも、制服汚したら洗うの大変じゃないですか...?」
「大丈夫、別に寒くないし、替えもあるから。あっ...というか、ごめん。あの、水着なのにこんなの勧められても気持ち悪い、かな」
私はまじまじと彼の顔を見詰めてしまった。
いろいろな感情が湧き上がるが、全ては「なんて優しい人なんだ」という言葉に集約される。
異性としての気遣いに、打算が含まれない、よく出来た人だ。
その上、照れた表情が可愛くて。
はっ、いけない。
だからダメなんだってば。
こんなところで恋愛なんて絶対絶対しないって決めたんだから。
確かに最原さんは優しくて、表情が可愛くて、もっと話してみたいとは思うけど。
でもいいの、外に出たら、そういう人と出会えばいいんだから。
ここでは恋愛なんて、有り得ないんだよ。
私は邪念を振り払うように頭を振って、やっぱり上着を借りるのは断ることにした。
けれど。
「やったー、ちょうど良かったね紗如」
琴都が既に受け取っていた。
「わわわ、琴都、なんでもう受け取ってるの!」
「えっ、ダメだった!? 紗如に着せてあげようと思って...」
「ダメじゃ...ないけど...」
いいや、ダメだ。
ここではっきり断らないと、私がダメになるかもしれない。
「なあんだ、よかった。それじゃ着せてあげるー」
「へっ?」
私の逡巡よりも早く、琴都は最原さんの学ランを私の肩に掛けてきた。
「ま、待って…」
抵抗虚しく、ふわりと柔軟剤の甘い香りに包まれる。
それと、少し汗ばんでいたのか、清潔な汗の匂いもする。
ダメだ、私この匂い好き。安心する。好きかも。
「はっ、いけない! ちょっと琴都!」
「えっなに、紗如なんかおかしいよ?」
「こ、こんなもの着たらだめなの...!」
「ええっごめん、僕の上着臭かった...!?」
「やっ、違います、すごくいい匂いだからダメで...!」
勢い余って、本音が口から飛び出してしまう。
最原さんは驚いた後に、恥ずかしがって目を合わせてくれなくなった。
なんでよぉ! 誰か助けて!
たぶん何も分からないままヘラヘラ笑っている琴都が、「そういえば」と顎に指を当てた。
「誰かに聞いたんだけど、匂いが好きな相手ってキスしたい相手らしいよ〜」
「キス!?」
私と最原さんの声が重なり、思わず彼の方を見てしまう。
すると、同じ様子でこちらを向いた最原さんと目が合ってしまった。
「あっ、あわわ、あわ」
言葉が出てこないまま、どんどん顔が熱くなる。
動揺していることがバレてしまう。どうしよう、万が一、私がキスしたがっている女だと思われたら。
いや、こんな反応してたら絶対キスに興味津々な奴だと思われる。
恥ずかしい奴だと思われる。いやむしろもう手遅れじゃない!?
私恥ずかしい奴じゃない!?
「うぅぅ、もう無理! ごめんなさぁぁぁあああい!!!」
私は咄嗟に琴都の腕を掴んで、出口の方へ逃げ出した。
「上着ありがとうございましたああああ!!」