2021/02/18
苛立っていくらでも文句が出て来そうだった合歓も、コメントを読むうちに絶句してしまった。
琴都に対しては特に酷いコメントばかりだ。
学級裁判でついでに処刑しろとか、エグイサルで殺せとか、そんな事まで言われていた。
けれど。
「あははっ」
いつもと変わりなく琴都はへらっと笑った。
一瞬、半狂乱になって、笑いが漏れ出したのかと思ったけれど、そうではない。
雑談に相槌でも打つように、どうでも良さそうに笑ったのだ。
「……無理して笑うなよ」
合歓が気遣ってそう言う。
だけど、琴都はもう興味無さそうにルトラの方を眺めている。
「これを見たから、一緒にリタイアしようって事なんだな」
合歓に問い掛けられて、私は慎重に頷く。
彼女は、流石にもう文句は無いようだった。
「紗如、悪かったよ、キツいこと言って。でもさ、あたしここを出てもぜってー楽器職人の夢諦めねーぜ。だから、紗如もあたしに着いて来いよ。一緒にやり直そう」
「い、いいの……? まだ、私に付き合ってくれるの?」
「付き合うなんて水臭いこと言うんじゃねーよ。お前が夢を諦めようと、諦めなかろうと、もう友達なんだぜ」
差し出された手に、胸が熱くなった。
ずっとずっと、一緒に夢を追う仲間が欲しいと思っていたけど、彼女は、夢が無くなっても友達で居てくれると言ってくれたんだ。
それだけで、もう、この学園で得た物は大きいと思った。
その手を握り返そうとした時、合歓のもう片方の手にあったタブレット端末が、するりと引き抜かれた。
その手を追って後ろを振り返ると、ルトラがその画面をただじっと見下ろし、機械のようにひたすらログを捲っている。
「あの、ルトラも、一緒に……リタイア、できないかな」
冷たい無表情を崩さないルトラに、そう提案するのは勇気が要った。彼女はルールに厳しそうだし、真面目に修理に取り組み続けている様子からして、簡単に作業を投げ出す事はしないだろう。
……ところが、ルトラは返事すらしなかった。
こちらに目を遣ることもせず、ただ流れていくコメントを凝視しながら、深刻そうに顔を歪めたのだ。
意外だった。ルトラは常に無表情で、どちらかと言えば冷酷に寄った顔付きをしているが、その彼女が動揺を見せるなんて思ってもみなかった。
それに、この視聴者たちはルトラに対してはほとんど悪口を言っていない。中継されている事なんてここに来る前に聞かされているから、私は彼女がどうして動揺しているのか分からなかった。
「ルトラ? どうかしたの……?」
私が声を掛けると、ルトラは僅かに目を見開き、こちらを見上げた。
何かを確かめようとする、強い瞳で私は見詰められ、空間に磔にされるような思いがした。
「紗如、君はこの学園に来た理由を憶えているかい」
緊張感のある声でそう訊ねられる。
何故そんな分かりきった事を聞くのだろう、と困惑したけれど、その真剣さの前でその質問はできない。
「もちろん、ピアノを直して楽器職人になるっていう夢を叶える為だよ……。ここでの頑張りを配信で見てもらって、気に入ってくれた楽器工房が登用してくれる、ってそういう約束だったよね」
私がそう答えると、ルトラはゆっくりと視線を逸らして、考え込むように空中を見た。
そして、小さく口を開きゆく。
「……恐らく、それは本当の理由じゃない」
実験器具を眺めていた琴都も、悔しそうに俯いていた合歓も、すうっと釣り上げられるようにルトラの方を見た。
……本当の理由じゃない? 私の理由を尋ねておきながら、私にとっても定かでは無いような口ぶりに、戸惑う事しかできなかった。
「これは僕の推測だけれど……いや、まずはこれに見覚えがあるかどうか、答えてほしい」
そう言って開かれたルトラの手のひらには、ごく小さな白い粒が乗っていた。
それは、よく見れば半分に割った錠剤のようだった。
「見覚え、っていうか、よく見る普通の錠剤だよね?」
私は、見たままの事を答える。
「そうだね。……君たちがこの分野に興味があるか解らないけれど、数十年前から、誤飲防止の為に全ての錠剤に印字しようという取り組みが始まった。印字で事故が防げるか……そもそも賛否があったから義務ではなかったけれど、印刷技術の進歩によって、それは低コストに、簡単に、手軽に行えるようになったんだ。その結果、10年程前に全ての錠剤に印字する、という目標は達成された。そして、その後で錠剤への印字は義務になったんだ」
普段気にして飲んでいなかったから、全く知らなかった。
そう感心すると共に、ルトラの言わんとしている事を理解し始める。
「この錠剤、印字が無い……」
「ああ。だからこれは、よく見る錠剤じゃない。ここにしか無い、あるいは法に背いた市場にしか無いという事だろうね」
だけど、その珍しい錠剤が、楽器職人になるという夢と、何の関係があるのだろう。
あまりに掴みどころが無くて、質問すら出来ないでいると、それを察したようにルトラは続けた。
「これは、僕達がここに来て始めに飲まされた物だ。君たちも睡眠薬だとか言って渡されただろう。僕は初めに渡された1錠を落として、失くしたフリをしてもう1錠貰っていたんだ」
「ま、待って、それじゃあ私たちは、何か危険な物を飲まされたってこと!? ルトラは気付いていたのに飲んだの……!?」
「……順番に答えていこうか。まず、僕はこれが違法な物だと一目で分かったけれど、運営を信用して飲んだ。1錠隠し持ってたのは、僕の趣味だからだ」
「趣味、って?」
「勉強が好きなんだ。他にも市販の薬を分析した事があるから、何の薬か分かると思った」
勉強好きなんて珍しいヤツ、と合歓が悪態をつくが、ルトラは気にせずに次の答えを出す。
「次に、これが危険な薬かどうかはまだ判断出来ない」
ふと思い出して、ルトラのPCの方を見る。水の入ったビーカーが僅かに濁っていたので、半分に割れた錠剤の片割れがそこに溶かされているのでは、と思ったのだ。
仕組みは分からないが、ルトラはもう、この錠剤の成分を調べたのではないだろうか。
だから、まだ判断出来ない、という曖昧な答えに疑問を抱かざるを得なかった。
「ルトラ、その薬がなんなのか調べたんだよね……? どういう効能だったの?」
私がそう言い迫ると、ルトラはやや困ったような顔をした。