いつもはうるさいくらい元気に俺に擦り寄って甘えてくる失恋が、今日は静かに美術室に来て、静かにそばに座る。
「……今日は静かだな、やりやすくて良いが」
「……昨日ね、レイプされちゃった、結構久しぶりに」
「…!、久しぶりって……大丈夫か…?」
「…久しぶりにとか言って、半年ぶりくらいだけど。…別に平気。」
失恋から告げられた言葉に眉を顰める、他人事じゃない…自分も同じ様なトラウマを持っている、そんな時に変に捻くれる隙間は勿論なく素直に心配をする。
心配げに失恋を見つめても、失恋はこっちを向かない。そのままさらりと半年ぶり、さらに平気だ、と告げられた事に驚いた。
「半年って…平気じゃ無いだろ、強がるな」
「平気なの、何も感じない。……、ううん…感じる、めんどくさいなぁって」
「めんどくさいって…」
「お金貰えないのにエッチすんのはだるいけど、別に辛く無いの。乱暴なエッチしたがるお客さんみたいなものだし」
「……客と違って、そこには」
「愛なんて要らない、敬意とか尊重とか、そんなの要らない。男娼だよ?俺」
酷く口調は淡々としていた、これを強がりじゃないと思う方が無理があった。強がっている、本当は辛いのだろう?素直に泣けば…、俺が泣かせてやれれば良いのに。
「怖いとか嫌とか気持ち悪いとか助けてとか、そういう気持ちの前に…あー、めんどくさ、ってなっちゃうんだよね…」
「……よく、被害に遭うんだっけ、か」
「…まぁ、痴漢とか、よくあるし…レイプも年に1回…酷い時はなんか何回も遭うかも。なんか狙われやすいみたい、黒髪で地味だからかな?でも、椿の派手めの時もされるから、どっかで騒がないのも分かってるのかもね」
「…でも、…痴漢に遭うから電車通学もバス通学もやめたんだろ?」
言葉を選んで辿々しい俺と反対に、失恋は早口で淡々と、悲しみよりも苛立っている様にすら感じた。
「そう、でも別に辛かった訳じゃないよ。いつか誰かが助けようとしてくれたら面倒になるから、やめただけ」
「俺は、辛かったから…よく分からないな。思い出す度に……いや、すまん…」
純粋に理解が出来ずに、パッとでた言葉だったが、これではただの不幸自慢だと思えば途中で言うのをやめた。
「……俺も…辛くなりたい、悲しくなりたい…。傷付きたいよ……それで…よしよしって辛かったねって…慰められてみたかった。男娼のくせにね…?馬鹿みたい」
「男娼でも関係ないだろ、それは…」
「……俺ね、いつか恋人が出来ても…そーゆーのに狙われやすい事も、レイプも痴漢も全部…隠す事に決めてんだ」
諦めた様に、半笑いで言いながらようやくこっちを向いた。
「…慰められたいんだろ?なら、言えば慰めてくれるだろうに」
「慰めて欲しいのも俺のエゴだし…、ただでさえ男娼なのに…一層汚い体になったと思われたら…捨てられちゃうかもだし、男娼のくせに何を今更って思われるかもだし、それに…悲しんでもほしくないし…。辛くないのに傷付いたフリするのも、虚しいから。良いの…いいの…」
捲し立てる様に言い訳するように、言葉を並べていた。
傷付いた心を慰める方法もあまり分からないのに、傷付きたい気持ちはどう対応すれば良いのだろうか。
それ以降何も言えなかった俺は、落月の家で亞架音に相談してみる事にした。
俺よりよっぽど人の心理に詳しいし色んな悩みに関わってきた奴だ、良い意見が聞けるかも知れない。
「…で、どう思う…?どうしたら良いんだろ」
「失恋くん、自尊心がかなり低いんじゃないのかしら…今まで月拾から聞いてる分だけだけれど、そう思うわ。」
俺の話を聞いた亞架音は、うーん、と指を曲げた手を唇に当てて眉を顰めながら、そう答えた。
失恋も卑屈だとは思っていたが、それでも知者程ではないし卑屈な知者は強姦に対していつも悲しげに辛そうにしていたのもあって、亞架音の言葉がイマイチ腑に落ちず首を傾げた。
「でも、同じ様な状況の知者は辛そうだが?」
「ん、子供の頃から売春して…お父様とも性的関係があったのでしょう?自分の価値を性的接触でしか得られない状態になっているんじゃないかしら」
「…自分の価値…か…」
「10年間、まともな愛情を受けられずに…自分が求められて、愛された時には性行為が伴っていた、だから性的に求められる事が存在価値になっていった…」
話しながら亞架音は悲しそうに瞳を伏せつつ、見解を続ける。
「失恋くん自身に自覚はないかも知れないけれど、強姦や痴漢にすら価値を与えられた気持ちになっちゃうのかしら、嫌な気持ちより先に、安心感を覚えてしまう。それくらい自信がないのね。
…だから、月拾が性行為を拒んだり、する事を好んでいないと伝えた時に、異常なほど息巻いたんじゃないかしら…」
「でも、それだけが愛情じゃない事くらい分かってる筈だ」
俺の言葉に亞架音は悲しげに小さく首を振った。
「分かって…いえ、知っていても本人にはそれしか無いの、それがないと愛してもらえない、必要とされないのだと10年間洗脳されて来たのよ。性行為の一切の拒否は同時に自分は要らないという意味に感じるかもしれない」
もう何年前…いや、何回前になるんだろうか、俺の拒否に酷く取り乱した失恋を思い出す。変な方に変な方に思考を歪めていく姿に恐怖心すら覚えたのを鮮明に思い出す。
「……どうすりゃ良いんだよ…」
「ゆっくりゆっくり、自尊心を回復させるしかないと思うわ。性行為中は勿論、日常でも沢山愛情を伝えてあげたりね?…とにかく…」
話している途中で、言いにくそうに亞架音が俺を見た。
………何となく言いたい事は分かるが。
「なんだ、言えよ」
「貴方が直接的に出来る事は、ないって…事よ」
「…そうみたいだな」
「……。何にせよ、純粋な愛情を浴びて、性行為を対価では無いものにして、自分自身を愛してもらう事を知っていけば…いつかは傷心する事になると思うわ」
「結局、アイツを救ってくれるやつを見つけるしかないのか…」
「そうね。著しい自尊心の低さから、愛情を向けられるとすぐに恋に落ちてしまうけれど、相手を信じる事はなかなか出来ない。
勿論1人が頑張る問題ではないのよ。失恋くんも、ちゃんと愛情を受け入れ信頼する努力をしてもらわなきゃ…どんなに真摯に愛してもらっても意味がない」
必死に懐いて、甘えて、ねだるのは…安心したいからだったんだな。卑屈な所があるとは思って居たが、知者と同じくらい自分の価値が低いだなんて思って居なかった。
その後も亞架音から色んな見解を聞かせてもらった。
"自尊心が低い子にだってそれぞれ価値観があるのよ。嫌なラインはそれぞれ違うものよ…大小を決めるべきではないわ"
"貴方に今出来ることがあるとするならば、美味しいものでも食べに連れて行ってあげるとかかしら。嫌な事があった時に私はよく帰り際に美味しいものを買ったりして、やけ食いしてたものだわ。嫌な事だと認知する必要もあると思うの"
気が付いたら酒で酔った亞架音の愚痴になっていってたが、何にせよ失恋の卑屈さを軽んじていたのだと自覚した。
「……ぁ…あと…、この街とは言え…そこまで頻繁に被害に遭うのは異常だわ…。噂で聞いた事がある程度だけれど…そういう事をする目的でこの街に来る人も少なくないとか…、色々と…リスト…?があるとか…ないとか……ネットで情報が…どうこう…晒されている、のかも…」
「リスト…?」
酔ったせいかふにゃふにゃとした口調の亞架音の言葉に俺は真面目な表情をする。
「亞架音〜…寝るならベッド行こう、ほら」
落月にお姫様抱っこをされながら寝室に運ばれていく亞架音を見送った後、携帯で検索をかけてみる。
流石にそんなに簡単には見つからない…、何か上手い事別の文字や言葉にしているのだろう。
「見つからないのか?」
亞架音を寝かせた落月が戻ってくるなり、隣に座ると首を傾げる。
「…あぁ…、ってかお前聞いてたのか」
「黒神は俺も心配だし…、気になってんだよ。だから1回何のバイトしてるんだ?って聞いてみたら、すーって雰囲気が変わって怖くてやめといた」
「それが賢明だな。怒らせたら怖いぞアイツ」
「……痛感しました。…ん、なんかさ、雀って…強姦の隠語って聞いた事あるんだけど、それはどう?」
「雀…?」
色んな言葉で調べ尽くしていたし、次はその隠語に賭けて色々と調べる事にした。
"エグいの見たくないんだけど"と言いながらも落月も探してくれていた。
「…兄貴、ここ…それっぽくないか?」
落月の見せる画面には、
雪の小隹リスト
そう書かれていた。
見たくなさげな落月にURLを送ってもらって、自分の目でサイトの中を確認してみる。
…見つけた。
懇切丁寧に、性別、どこでヤったのか、その際の抵抗の有無、他にも沢山の色んな特徴と写真もあった。
情報を書き込んでいる人数もなかなか多そうだが、ここを見て情報を得るだけの奴はもっと居るだろう。
名前こそあまり把握されていないようだが、失恋はすぐに見つかった。
太腿のタトゥーのせいで、椿の姿も同一人物だと把握されている。
男、黒髪、口元にホクロ、太腿に椿のタトゥー、抵抗は無し。
顔の分かる写真と太もものタトゥーの写真まで載っている。
記事のコメントには感想やらも、気分が悪くなる程事細かく…恐らく色んな奴が、書き込んでいた。
「…うわ、えっ…写真まで載ってる…、これサイトの管理人とかに言ったら消してもらえないのか?」
恐る恐る俺の携帯の画面を覗き込んだ落月は顔を真っ青にしていた。
横目でチラッと落月を見た後画面に視線を戻す
「無理だろ…こんな事してる奴らだぞ。…あぁほら、知者も……」
知者の姿も見つけると、口元を手の甲で抑える。自分もどちらかといえばこのサイトの住人側かもしれない、それでも酷く寒気がした。
こうする事にこいつらは、罪悪感なんて感じていない…悪い事だなんて、思ってすらいないのは嬉々としたコメントから見てとれた。
「…なんで、こんな事して平気な奴らが居るんだろ…、なんで黒神も命切も…こんな奴らに…」
「……そう、だな……」
俯いて目元を覆う落月、俺はこいつらとは違うと思いながらもサイトの住民を責めきれない。罪悪感があるからなんだ?後悔もあるからなんだ?俺がしている事は…理由が違うだけでこいつらと同じエゴでしかないのに。
そんな俺には相槌以上、何も言えなかった。
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「今日は飯でも食いに行くか、奢ってやる」
「え……、う…うん!どうしたの?いきなり」
「…この前嫌な思いくらいはしただろ?ストレス発散させてやる」
「…っ…うん…!いっぱい食べちゃう!」
涙を流せないこいつに、とにかく美味しいもの、少しでも楽しい時間を。
失恋は突然の俺からの誘いに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、すぐに何度も大きく頷いた。
これが今の俺が出来る、雀の涙程の慰めだ。