ひとつひとつ解いてね


すっかり日も暮れた夕飯どき、宮くんに連れられて温かな光が灯るおにぎり宮の暖簾を潜った。

「いらっしゃ──何やツムか」
「何やとは何や、一応客やぞ」
「せやったらもっと客らしく入ってこんかい」

店主の明るい声が出迎えたと思ったが、相手が宮くんと知るなり声のトーンが数段落ちた。

「アホか、よう見ろや。ちゃんと客も居るやろが」

宮くんが一歩後ろにいた私の背を押して前に出す。同じ顔だが、よく見ると宮くんのそれよりもおっとりとした目と視線が合う。

「名字さんやん、いらっしゃい」
「治くん、こんばんは、」
「はぁ!?何で知り合いなん!」
「やって俺ら3年生ん時同じクラスやったし、席も近かったからな」

あっけらかんと言ってのけた治くんを宮くんは悔しそうな顔で睨みつける。それを見た治くんは「自慢しにきたんやろうけど、残念やったなぁ」と最高に良い表情で煽っていた。
煽りにぎゃんぎゃん喚く宮くんをスルーした治くんにカウンターの端の席へと案内され、冷たいお茶を目の前に置かれる。不機嫌なまま私の隣にどかりと座った宮くんが慣れた様子で注文を済ませた。おにぎりの具が3つ選べるということでメニューの中から選び伝えると、治くんは「少々お待ちください」と調理場へ引っ込んで行った。
動物園までは話題が尽きずとても楽しかったのに、急に訪れた沈黙に気まずい思いでいっぱいだった。明らかに不機嫌な横顔に恐る恐る話しかける。

「えっと、宮くん」
「それ」
「え?」
「サムのことは名前やのに何で俺は宮くんやねん」

ええ…そんな理由で…。ぶすっと不貞腐れて机に突っ伏してしまった宮くんに私は困り果ててしまった。助けを求めるように治くんの方を見たが、当たり前だが調理に集中していてこちらの話を聞いているはずもない。

「宮くん」
「……」
「、侑くん」
「………」
「あつむ、」
「なに?名前」

「これからはちゃんと名前で呼んでな」そう言った宮くん、もとい侑は、腕を組んで机に突っ伏していた体勢から顔の向きを横に変えて、上目遣いでにんまりと笑い見上げてくる。見た目はどう見ても成熟した大人なのに、言動や行動は学生の頃からちっとも変わっていないように思えた。
普通なら人をおちょくるなとでも言ってやりたいところだが、悪戯が成功した子供のような無邪気な笑顔にすっかり毒気が抜かれてしまったので今回は見逃すことにした。

「名前」
「なに?侑」
「何もあらへんよ」

何だこの甘酸っぱいやり取りは。侑の蕩けるような視線が恥ずかしい。そこへトレイを片手にひとつずつ持った治くんが、気持ち悪いものでも見たような顔で出来上がった料理を持ってきた。

「おい、いつまでやってんねん。気色悪い」
「何やと!うっさいわ!」
「ほい名字さん。梅・ツナマヨ・高菜のおにぎり定食お待たせしました」

続いて侑の前にもおにぎりのラインナップが違う同じメニューが置かれる。
ほかほかと湯気を立てるおにぎりと添えられたたくあん、焦げひとつない綺麗なだし巻き玉子、揚げたてなのかカリッとしている唐揚げとシャキシャキのキャベツの千切り、ビジュアルからものすごく食欲を刺激された。
手を合わせてから頂くと、それはそれは美味しくて。程よい力加減で握られているふわふわのおにぎり。やはり揚げたてだった唐揚げは噛むとざくりといい音を立てて肉汁が溢れた。口に入れるものどれもこれも美味しい。

「美味しい!」
「せやろ?今後ともご贔屓にな」

冗談めかしながら会話でリピート客を掴むのも忘れない。まだ20代前半なのに本当にできた店主である。大阪に住んでいるので県跨ぎになるため距離は少し遠いが、これは今後リピート確定だなとだし巻きを箸で割った。

時刻は21時、空腹もすっかり満たされ私と侑はおにぎり宮を後にしようと席を立った。結局ここでもお財布は使わせてもらえず、会計をする双子のやり取りを眺めていると「名字さん」と治くんから声が掛かった。

「こいつ基本人でなしやし、バレー馬鹿やし、めっちゃめんどいけど──」
「オイコラ、何唐突にディスってんねん。喧嘩なら買うど」
「よろしゅう頼むわ」

ピキっと青筋を立てる侑を受け流して、治くんは穏やかな笑顔を浮かべた。同じ顔でもこの双子は本当に性格が違うのだと、実感した。私が知る侑の笑顔とは時に少年のようであり、時に意地悪な雄のそれだ。
ともあれ治くんのこの発言と今までの行動、きっと私達が付き合い始めたことは侑から聞いているのだろう。ありのまま話したかは定かではないし、もし話していないのなら恥を自ら晒すようなものなので、確認まではしないが。
あの夜のことを全て覚えていたのなら、この笑みに嘘偽りなく頷けたのだろうか。「こちらこそ、」と紡いだ声はこの場から逃げるための建前でしかなくて、心が傷んだ。
そんな私を見透かすように見つめてくる侑と視線を合わせられず、私達はお店を後にしたのだ。

「昼間に、まだ行きたいところある言うたやん?最後にもうちょい付き合ってな」

動物園でそうしたように侑の手のひらが私の手のひらをさらう。助手席に乗せられて、また車は走り出した。運転中、侑は何も言わなかった。
車通りの少ない山の中を進み、上へ上へと登っていく。そうして走ること20分くらいだろうか、開けた場所に侑は車を停車させた。

「着いたで、下りよ」

言われるがまま車を下りて、また侑に手を引かれた。背中をそっと押されて数歩前に出る。展望台になったその場所から見える絶景に、私は息を飲んだ。
目下に広がる街の光の集合体がキラキラと煌めいている。地平線の向こうまで広がる壮大な夜景に、先ほどまで萎んでいた気持ちが幾分か晴れた気がした。侑がゆっくりと口を開いた。

「ここ穴場やねん」

ここなら人来んからいっぱいイチャつけるんや。
上機嫌な声が頭上から聞こえ、背後から太い腕に力強く抱き込まれた。しっかり筋肉がついているからか、私より高い体温が心地よい。このまま身を預けてしまいたくなった。
だがダメだ。聞きたいことも、言いたいこともある。自身のフワついた心を律して侑に問いかけた。

「侑はなんで私と付き合ったの?」

私は仕事ばかりで、女の子らしく泣くこともできない。挙句酒に溺れて関係を持ってしまい、本当に侑のことが好きなのか自分の気持ちも分からないようなどうしようもない女だ。
こんな私の一体どこが──。

「面白そうやと思ったからや」
「? どういう、」

「同窓会で会うたとき、お前が高校のとき言うてた新しい場所で好きな物に囲まれるっちゅう夢を叶えたのが分かった。でも、お前は俺が思うてたよりずっと先に進んどった。ただ好きなだけじゃなくて、俺と同じようにそれを仕事にして生きとった。

俺は一生バレーで生きてくって決めとる。コートの中で誰より楽しく遊んだる──名前にとってそれは今やっとる仕事なんやろ。
俺が上にいく度に、お前も同じだけ上にいくんやろ。俺らに共通点なんざ何一つ無いけど、俺もお前も生き方は同じや。そんな奴がずっと隣におる。そうやって2人で好きなことして生きてくって想像したら、めっちゃワクワクせえへん?」

傷一つない美しい手が頭に触れて慈しむように髪を梳いていった。楽しそうに弾む侑の声が鼓膜を揺らす。
変わる必要などない、このままの私でいいのだと赦された気がして、自然と本音が溢れ落ちた。

「あのね、私、侑より夢が大事だよ」
「知っとる。俺もお前よりバレーが大事や」

「侑のこと、まだ好きかも分かんない」
「そんなんこれからどうとでもなるわ。俺が名前のこと好きやから問題無い」

私も侑もきっと人と生きていくことに不向きだ。
私はそれに負い目を感じていたけれど、侑はそうではないらしい。好きなように進み、好きなときにお互いを見て、好きなように抱き合えば良いのだという。

恐らく他人から見て、相手のためではなくどこまでも自分の為に生きるという私達の関係は異様だ。だがこれが私達にとっての最上で最善だということは、凪いだ心を考えれば火を見るより明らかだろう。