夢の中でも焦がれてる


ゴホゴホと掠れる喉から咳が出た。
パソコン作業をしながら、ぼーっとする頭にこれは本格的にやばいかもしれないと頭を押さえた。

入社してから今まで、企画を提出しても提出しても採用をもらえなかった。編集長の目に止まらないそれが悔しくて、寝る間も惜しんで最近の流行や読者の興味を引きそうな話題を漁りまくって、やっと通ったページを担当させてもらえるようになって初めて通った企画だった。
私が考えた企画が初めて雑誌に載る。それはとても嬉しくて、見境なくオフィスではしゃいで喜ぶ私に編集長は「頑張りなさい、期待してるわよ」と激励をくれ、同期や先輩も「大抜擢やん!サポートするから頑張ろう!」と肩を叩いてくれた。
しかし無理したツケは回ってくるもので私は風邪を引いてしまった。きっと企画が通った喜びで気が緩んだのもあると思う。もちろん酷くなる前に治そうと思い、早めに休んだりいつものような夜遅くまでの残業は控えたりはしていたのだが、残念ながら全く効果はなく、今の状態だ。

ちゃんと測ったわけではないが発熱時特有の寒気も出ているので、間違いなく熱はあるだろう。昼休みに解熱剤を買いに行って今日は乗り切ろうと思っていた時だった。

「名字、今日は帰りなさい」
「え?」

編集長から厳しい声がかかった。
頭がぐわんぐわんする。あぁ、でもこの企画がやりたいのに。私の企画。

「体調管理もなってない、100%で仕事ができない人にはやらせない。自分でやりたければ体調を戻してからにしなさい」

ぴしゃりと言い放たれた正論に鼻の奥がツンとした。いつもであれば傷つくような言葉ではないのに、体調が悪いからかやたらメンタルにきた。
編集長の言葉が正しいと自分でも理解出来ているだけに言い返すことはできず「すみません、」と頭を下げ、痛む頭で5時間も早い退社をしてしまったのである。


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ベッドサイドに置いた携帯が着信を知らせ、意識が浮上する。あのあと病院に寄ってからすぐに帰宅し、着替えだけしてベットに潜り込んだ。どうやらその後眠ってしまったらしい。今の時間は15時、寝ていたのは3時間程か。画面に表示された"宮侑"の文字に通話ボタンをタップした。

『もし?すまん、仕事中やった?』
「こほ、ううん。熱で早退して今家…」
『は!?大丈夫なん?飯は?薬は!』

機械越しに聞こえる明らかに焦っている声とは正反対の覇気のない声で返す。

「力尽きて3時間くらい寝ちゃってて、まだ食べてない」
『アホ!今日18時で練習終わるから、色々買って行ったる。それまで大人しく寝とき』
「だっダメ!!」

侑が家に来る──ほとんど反射で拒否をしてしまった。彼はプロのアスリートで体調管理は最重要事項といっても過言ではない。うつす可能性がある以上絶対に来させてはならない。

「ごめん、でもうつしたくないからダメ、絶対に来ないで」

改めて伝えると、電話の向こうで侑が黙った。少し強く言い過ぎただろうか。でも私よりも余っ程大切な身体だ、間違ったことは言っていないはず。
「あつむ?きいてる?」と熱で回らない舌で問いかけた時だった。

『いやや』
「え?」
『いやや、言うてんねん!自分の体調管理ぐらい自分でできるわ。練習が終わったら行く。大人しく待っとれ』

不貞腐れているのか怒っているのか表情が見えないので分からないが、低い侑の声が聞こえたかと思ったら私の返事を待たずブチッと通話が切れる。言い逃げされてしまった。電話をかけ直すことも考えたが、恐らく今は練習中で休憩だったのだろう、練習が再開していたら邪魔になってしまう。せっかく来てくれるというのに大変申し訳ないが、部屋の中には入れずに帰ってもらおうと決め私はもう一眠りつくことにした。

ピンポーンという来客を知らせる音にまたもや意識が浮上した。同時に携帯のディスプレイに『着いた、開けて』の文字が映し出された。そのメッセージに既読だけ付けて、未だ重い体を引き摺りながらベッドから出て玄関へと向かい、ドアチェーンはそのままに扉を開けた。
そっとドアの隙間から侑を見上げると彼はビニール袋を片手に下げて大層不機嫌な様子で私を見下ろしていた。

「おい、この期に及んで何抵抗しとんねん。さっさと入れぇや」
「げほっ、こほ、ダメって言った」
「どうせ電話の後から何も食ってへんのやろ。そんな状態やと治るものも治らんやろが」

侑の言う通りなので、正直ぐうの音もでないのだが相手はアスリート、ここで折れてはならない。正常とは言い難い頭をフル回転させてどうにか帰ってもらおうと首を横に振った。「強情な女やな」と侑が呆れたような呟きを漏らしたかと思えば、足をドアに挟んで閉められないようにする。「入れてくれんとここで大騒ぎするけど、どうする?」と口角を上げた侑の目は本気で、どうあっても引いてくれる気は無いらしい。
こちらもこちらで決して入れたくはないが、外で騒がれて好奇の目で見られるのは困る。結局ドアチェーンを外して侑を受け入れることになってしまった。

「…ごほ、練習後なのにありがと。でも、できるだけ早く帰ってね」
「……お前、今日マジで可愛いないで」

なんで私はいきなりディスられたんだろうか。一言物申してやりたかったが、残念ながら問いただす元気はない。ふらふらとベッドに戻ろうとしていたとき、背後に歩み寄ってきた侑が流れるような動作で私を抱えあげた。
突然の浮遊感に驚いた私は思わず「ひあっ、」と声をもらし侑の首に腕を回して掴まる。

「こういう時は甘えればええんや」

成人女性を抱き上げて歩くなんて多少は重いはずなのに、そんな様子を微塵も見せない侑はさすがとしか言いようがない。スポーツしているから代謝がいいのだろう、私より高い体温が伝わってきてその温かさに無意識に擦り寄る。
私のその様子を見て上機嫌に笑った侑が私をベッドに戻し、優しく布団をかけてくれた。それから下げていたビニール袋をあさりだし、中からスポーツドリンクと冷えピタを取り出した。

「レトルトやけどお粥買ってきたからチンしてくるわ」
「ん、」

侑が冷えピタを額に張ってくれる。外側から熱が冷やされていくような感覚が気持ちいい。
宮侑は顔は良いが性格に難があり、人でなしというのは彼と同じ代に在校していた人間には有名な話だったが、決して鈍い訳ではなくむしろその逆で人をよく見ているというのが私の印象だ。お粥を温めている間、今だって私と視線を合わせながら頭を優しく撫で、少しだけ目を細めて笑っている。
その表情が普段の彼からは想像できないほどに優しく、愛情に満ちていて愛されているのだと実感する。それと同時に申し訳なさが湧き上がった。
自分と同じように夢中になれるものがある侑に、少なからず心を許している気持ちはある。だがそれが"恋"かと聞かれたら、即答できない自分がいた。彼にとってバレーが一番なのは紛れもない本心で事実なのは、最近まで彼とあまり関わりのなかった私でも分かる。それを踏まえてもこんなにも大切にしてくれているのに、それに見合ったものを私は全然返せてはいない。初めてデートに行った日に侑はそれでも構わないと言ったけれど、私にはそれはあまりに不誠実のように思えるのだ。

「温まったで、ほら食べて薬飲も」

温まったお粥を小さいトレーに水と一緒に乗せてキッチンから戻ってきた、侑にお粥を手渡された。それをスプーンで掬って口に入れると、卵がゆの優しい味が口の中に広がった。少しずつお粥を平らげていく私を侑は何も言わず、胡座をかいた上に肩肘をついた体勢で見守り続けた。
その後、侑の優しげな視線に恥ずかしさを感じつつもちゃんと完食し、薬も飲んだ。再びベッドに寝転んで布団を肩までしっかりかけた私の頬を侑の手がするりと撫でる。熱があるせいでひんやり冷たく感じる大きな手のひらが気持ちよくて自分から猫のように擦り寄った。

「ええ子やね」

優しい声が耳朶を打つ。優しい声が眠気を誘う。
だんだん深くなってくる眠気に従い、まぶたを閉じた。あぁ、でもこれだけは言いたい。

「あつむ、もうちょっといて、」
「フッフ、お姫さんの仰せのままに」

何それ、キザだなぁ。そう言いたかったが声にはならなかった。代わりにありがとうを伝えてみたけれど、届いたかは分からない。
沈んでいく意識の中で、繋がれた手の温もりだけはとても鮮明に感じれたような気がした。