対人戦闘訓練・裏

「死否今年から雄英に通いなさい」
「ぶっ、げほ、っ先生もう一回言って?」

壁掛けのモニターから軽い調子で放たれた一言に死否はむせ返った。例えるならば、出掛けるんならついでにお醤油買ってきて、くらいのノリだった。
「今年から雄英に通いなさい」どうやら聞き間違いでは無かったらしい。

「先生、そりゃ無茶だろ。コイツ勉強できないぞ」

正気か?とでも言いたげに親指で人を指差ししてくる兄に死否は眉をしかめた。

「人のこと言えないじゃん、自分だって学校行ったこと無いくせに!」
「俺はもう行くこともないだろ」
「きぃーっ!」
「やめなさい二人とも」

黒霧のピシャリとした声に死否は口を尖らせた。

「でも先生、なんで雄英なんかに通わないと行けないの?私イヤだよ」
──ヒーローの巣窟になんて行きたくない。

「私も死否を送り出すのは心配なんだけどね、これも計画のためだよ」
「オールマイトを殺すっていう?」
「そうだよ」

ふぅん、と死否が唇を尖らせた。まだ不服そうだ。砂嵐のままのモニターの向こうで先生が言う。
今年の4月からオールマイトは雄英の教師として赴任することが決まっている。よりオールマイトを確実に殺せるように、内情を知らせてくれる目が欲しい、と。

「……それをすれば兄さんの役に立てる?」
「もちろんだよ」
「やる」

死否はヒーローなんてどうでもいい。ヒーローが活躍しようが、敵と戦って死のうが知ったことではない。全く興味もないヒーローの動向を探るなんて普段なら絶対ごめんだが、兄の​──弔の役に立てるなら話は別だ。

「よろしい。それでは今回君が演じる役について決めようか」


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「不和死否です。○○中学出身、ちなみに無個性です」

"無個性"というワードに教室が少しザワついた。一昔前ならいざ知らず、現代において個性は総人口の8割が持っているもので持たない人間の方が珍しい。更にここはより抜きの個性をもつヒーロー養成校の中でもトップレベルの雄英高校だ。ヒーロー科はもちろん、普通科にもヒーロー科への編入を目指して入ってきている人間は多い。そんな中で"無個性"の死否ははっきり言ってしまえば場違いな存在だ。

「無個性だけどヒーローが好きです。将来はヒーロー事務所に勤めて人助けに少しでも協力したいと思い、入学しました。よろしくお願いします」

ヒーローに憧れる健気な無個性の女の子、それが死否に与えられた役だ。
本当はヒーローなんてどうも思ってないし、個性だって持っている。しかし彼女の個性はその性質上、人に知られることは避けなければならない。"その時"がくるまで、死否の個性は秘匿する──それが先生の判断だ。だから死否は嘘をつく。口にする事が真実であるかのように。


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都内の駅から少し離れた単身者用アパート。灰色のコンクリートが剥き出しになったワンルームが不和死否の家だ。家具といえば折り畳みの簡易テーブルとパイプベッド、クローゼットしかない。最低限の物しかないまるで生活感のない部屋。
備えつけの小さな冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して喉に流し込む。冷たい水が風呂上がりで火照った体を冷やしていく感じが、心地いい。スピーカーにした携帯から黒霧から共有される情報を聞き返した。

「"緑谷出久"?」
「出身中学が同じ生徒に無個性だと言われていたという情報を得ました」
「ヒーロー科が?まさか、」

最近になって個性が発現したと言っているそうだが、そんな奇跡がそうそう起こるとは思えない。今年から雄英の教師に赴任したオールマイト、最近まで無個性だった少年、そして極めつけ──彼の発現した個性はオールマイトを思わせるような超パワーだったとか。

「決めた、緑谷出久を接点にする」
「そういうと思いました」

元"無個性"ならば、同じ無個性の死否を素通りはできないだろう。ファーストコンタクトさえ取れれば、その後はいくらでも親睦を深められる。空になったペットボトルをゴミ箱へと投げ入れて死否は嗤った。


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「こっからだ!!俺は…!こっから…いいか!?
俺はここで一番になってやる!!」

悔しさを決意に変えて、爆豪は強く叫んだ。
その力強い叫びを死角になっている位置で聞きながら、死否は何の偶然か彼が廊下に落としていった学生証をくるくると回した。

──なーんでそんなにヒーローになりたいんだか。

死否には全く理解できない。
「爆豪勝己くん、か」呟いて学生証を鞄へとしまう。本命は緑谷出久だが、ヒーロー科へと接近できるルートが一本では心許ない。可能ならばカードは多い方がいい。
下校する生徒の振りをして玄関を潜る。そして未だ爆豪を見送る緑谷の背中へと声をかけた。

「──ねえ、大丈夫?」
「え?」
「あ、ごめん。凄いボロボロだから痛くて泣いてるのかと思って」

「勘違いだったみたい、ごめんなさい」と死否は肩を竦めてみせる。
突然だが、緑谷は"無個性"だったが故にいじめられていた過去がある。見て見ぬふりをされる事はあっても、心配される経験などないに等しい。しかし今、見知らぬ女子生徒から話しかけられ、更には心配されるという思ってもみなかった出来事に直面し、彼はとても緊張していた。

「あっ!や、だ、大丈夫デス!」

アワアワと手を動かし、裏返った声で返事をする緑谷の挙動不審を気にも止めず、死否は「そう、良かった」とまるで本物のような作り笑顔で返した。

「でも、どうしたのこの怪我。体育の授業じゃないよね、」
「あ、これはヒーロー科の実習で…」
「ヒーロー科!?君ヒーロー科なの!?うわぁ、凄いんだね!」

ぐ、と緑谷に顔を近付ける。
無個性だけどヒーローが好きで、ヒーロー科に憧れる女の子──それが『不和死否』だ。

「雄英のヒーロー科ってすごく入試も難しいって有名だもんね!私、ヒーロー科は難しいから普通科に入ったんだけど、将来はヒーロー事務所で働いて影からヒーローを支えたくって──」

目をキラキラさせながら熱く語る死否に緑谷はたじろぐが、自分と同じくヒーローが大好きな目の前の女子生徒に少しずつ親近感が湧きはじめていた。

「君もヒーローが好きなんだね、」
「うん、大好き!あ、私不和死否って言うの」
「あっ、えっと、僕は緑谷出久」
「緑谷くんはどのヒーローが好きなの?」
「僕はオールマイト」
「え!じゃあ憧れのオールマイトに教わってるの!すごい!ちなみに私はね、ベストジーニストが好きなんだ!」
「ジーニストも格好良いよね!特に──」

あの敵を捕まえた時のインタビューが、オールマイトが解決した事件でも特に好きなのが、だったら私はこの時のうっかりが、あぁ!あれすごいいいよね!
緑谷の緊張が解けてヒーロートークが乗ってきたところを見計らって、死否はこの辺にしとこうと会話を切り上げる。

「あっ、緑谷くんごめん!そろそろ帰らないと!」
「あ、そうだよね!ごめん僕も気付かなくて!」
「ううん!話しだしたのこっちだし、良かったらまた話そう」
「うん!」
「じゃあね!」

手を振って駆け足でその場を去る。門を抜けて緑谷から見えなくなったところで、先程まで浮かべていた笑顔を消した。ファーストコンタクトはこのくらいで十分だろう。十分緑谷には印象付けられたはずだ。

さて、次は──。さっき鞄の中にしまった爆豪の生徒証を取り出し、ほんの少しだけ笑った。