はじまりの鐘は鳴らない


弔と先生のために頑張る、とは言ってもやはり1年以内に偏差値79は無謀すぎではなかろうか。市営の図書館で一人参考書を広げた殺那は何度見てもさっぱりすぎる数字と記号の羅列に完全に手が止まっていた。何故殺那は1人こんな所で出来もしない勉強に耽っているのか、その理由は1時間前に遡る。
雄英に潜入することが決まってからというもの殺那のやるべきことは一にも二にも勉強だった。雄英のヒーロー科の入試は筆記試験と実技試験の二つからなる。普通の学生であれば実技試験の対策に重きを置くところではあるが、殺那に関してその心配は必要ない。なぜなら彼女は敵だ。公に"個性"の使用を禁じられ自分の能力を引き出しきれない少年少女とは違い、先生から"個性"の使い方を叩き込まれた彼女は先生の司令で"個性"を行使した回数も少なくない。普通であれば起こって当然の経験不足が殺那には当てはまることはなく、彼女は14歳という若さですでに完成されつつある強さを持っていた。
だからこそ一番つまずく可能性の高い筆記試験を全力でカバーしないといけないのだが、これがなかなか難しい。今まで学校に行ったことのない殺那は学業に対しては赤子同然だったため、主に黒霧とドクターに勉強を見てもらっていた。今まで義務教育を受けてこなかったため勉強ができない殺那だが、地頭は悪くないうえに理解すれば早いので進み具合自体は悪くない。にも関わらず机に齧りついて勉強する姿が面白いという理由からちょっかいをかけてくる兄の存在があったので、最初こそ我慢して集中していたものの割と早い段階で限界を迎え、怒って出てきたのである。
せめて教えてくれる人がいればもう少し捗るのに!それもこれも弔のせいだと殺那は憤慨した。

「う゛ーーーん…ぜんっぜんわかんない、どうしよう…」

アジトに戻って黒霧に教えてもらおうか、でも帰れば弔にまた邪魔されるかもしれない。その状態で5分…10分…ややあって殺那はげんなりした顔で立ち上がった。弔にちょっかいをかけられるのは面倒だが、殺那にはなりふり構っていられるような時間も余裕もないのである。

「なぁ、あんた」

背に腹はかえられない、戻って黒霧に教わろう、と思いその場を去ろうとした時だった。
低い声と共にとんとんっと肩を叩かれる。後ろを振り返れば声の主の正体は、紫の髪を逆立てた同年代くらいの少年だった。どこか気だるげな目をしているのが印象的だ。

「俺、心操人使。急に声掛けてごめん。
さっきから近くで勉強してたんだけど、あんた雄英目指してんの?」
「えっ、うん。もしかして五月蝿かったですか?ごめ、」
「あぁ、いやそうじゃなくて。実は俺もなんだよね」

自分を指さしてどこか言いづらそうにしている心操に殺那は違和感を覚えたが、初対面でそこまで突っ込むのも図々しいだろうと思いスルーした。
「そうなんだ!一緒ですね!」表向き用に完璧に作った笑顔で努めて明るく振る舞う。

「私、殺那っていうの。心操君は何科を受けるの?」
「俺は第一志望はヒーロー科で、滑り止めで普通科も受ける予定」
「私もヒーロー科!じゃあお互い合格したら一緒に学べるかもね!」

「頑張ろうね!」握りこぶしを作って心操に普通の女子のように微笑みかける。うん、と頷いた心操が「それで…」と少し緊張した面持ちで続ける。

「良かったら入試までたまに一緒に勉強しない?」

予想もしていなかった展開に一瞬目が点になったものの、殺那にとっては願ってもないことである。雄英志望ということは勉強は間違いなくできるし、対策もしている。何より黒霧とドクターに教わったらもれなくついてくる弔の邪魔が、心操とならば無い!
最早天啓にも思えるような心操の提案に、思わずがしっと彼の腕を両手で縋るように掴んだ。

「いいの…!?正直すっごく助かる、私筆記超絶望的で…どうしようかと思ってたところだったの、」
「そ、そっか。良かった。じゃあ連絡先交換しようぜ」

携帯を取り出して互いにQRコードを読み込ませる。ちなみに、今交換した殺那の連絡先はこれから雄英生になる"音羽殺那"の携帯だ。先生や弔達と連絡が繋がる、敵用の携帯はまた別にある。こういう予期せぬことが起こることもあるので、早めにを受け取っておいて良かったなと思う。いつもながら先生の未来が見えてるのかと思えるほどの計画性には尊敬する。
ともあれ、これで弔の邪魔を回避しつつも勉強が進められる方法を手にしたわけだ。一緒に勉強する日はまた携帯でやり取りすることを約束し、今日のところは心操と別れた殺那は軽い足取りでアジトへと戻ったのだった。

心操との出会いから数ヶ月後、あれから何回か勉強会を重ね、彼らは勉強仲間から友達と呼んでもいいくらいには関係性が深まっていた。
今日も今日とて殺那は弔にちょっかいをかけられるのを防ぐためにアジトを出てきて心操に勉強を教わっていた。しばし一緒に勉強をしたあと、休憩がてら雑談に花を咲かせていた二人は互いの"個性"についての話になっていた。

「え?ヴィランみたいって…そんなこと言う人いるの?ひどいね」
「ははっ、まあ気持ちは分かんなくもないんだよね。多分俺もそう思うだろうし」

心操の"個性"が『洗脳』であるということは勉強会の割と早いタイミングで聞いていたが、殺那が特段何かを思うことはなかった。初見殺しの強い"個性"だなとか、先生が欲しがりそうな能力だなとか、精々そんなところだ。だがこれで最初の違和感が腑に落ちた。なるほど、だから初対面のときヒーロー科受験を言いにくそうにしてたのか。
確かに一般的に見れば敵っぽいと捉えるのも分からないでもないが、そんなのは正真正銘本物のわたしたちと対峙したことがないからだ、と殺那は心の中で軽率な発言をした心操のクラスメイトを嘲った。どんな力も使い方次第であり、その"個性"で人を害したいと思わないだけでも、目の前の彼は自分なんかとは正反対の優しい人だと殺那は思うのだ。

「逆を返せばさ、敵側にいたら厄介な"個性"っていうのは──ヒーロー側にいても厄介っていうことだから。紙一重だと私は思うな」

これは敵としての殺那の本音だ。実際に心操がヒーローになったらかなり厄介だろうと思う。
まるで目からうろこ、といった風に驚いている心操は思ってもいなかった殺那の彼の"個性"に対する肯定的な言葉に照れくさくなったのか、首の後ろを掻いて誤魔化していた。

それからまた時は過ぎ、秋が来て、冬が来て──彼らは入試当日を迎える。





入試当日、受験者が一堂に会する講堂で殺那はドクターが手配してくれた願書を見つめた。
音羽殺那、幼い頃両親が敵の起こした事故に巻き込まれ命を落とし、少ない親戚にも引き取られる事はなく天涯孤独となり、施設で育った。両親の死による心の傷から中学校には行けておらず、通信教育により中学校卒業を認められている。両親の死を乗り越える過程でヒーローを志すようになった──という設定だ。
改めて、随分とお涙ちょうだいな設定だなと思わないでもない。しかし、天涯孤独の身の上としておいた方が色々と都合がいいのは殺那にも理解できるので特に構わない。殺那はただ、与えられた役を完璧に演じるだけだ。
まぁ、それもこれもこの試験に合格しないと始まらないのだが。

「今日はオレのライヴにようこそ!エヴィバディセイヘイ!!」

プレゼント・マイクが登壇し、高校入試とは思えぬテンションで実技試験の概要を話し始める。
全受験生をA〜Gの、7組に分けての10分間の模擬市街地演習、仮想敵を破壊しポイントを稼ぐ試験──幸いスピードには自信がある。仮想敵がどのくらいの硬いかによっては手こずるかもしれないが、まあ大丈夫だろう。

(私は…演習場Aか…)

殺那がそうやってイメージを湧かせている間に前の席では、緑谷出久が飯田天哉に睨まれていたが素知らぬ顔である。

「最後にリスナーへ我が校"校訓"をプレゼントしよう。かの英雄ナポレオン=ボナパルトは言った!
『真の英雄とは人生の不幸を乗り越えていく者』と!──Plus Ultra!それでは皆良い受難を!」

案内された更衣室で実技試験用に持ってきた運動着に着替え、アッシュグレーの髪を高い位置でポニーテールにして指定の演習場へと向かった。
ゲートの前には既に人が集まっており、どの受験生も少なからず緊張をしているようだった。
その中でも一際殺那の目を引いた人物がいた。不安を感じるでもなく、気負う訳でもなく、ただ自信に満ちた、既に勝ち誇るかのような笑みでスタートを待つ少年。半年以上前にニュースでかなり話題になったヘドロ事件、その被害者にして最後まで持ち前のタフネスで抵抗を続け賞賛を集めた少年、名前は確か──爆豪勝己だったか。
おしりのポケットから皮のグローブを取り出して手にはめながら、まあ有名人だからって興味無いけど、と心の中で一人ごちた。

──仮想敵がどのくらいの数配置されているかが不明な以上、他の受験生より先に破壊していかなけれならない。それに0Pギミックのこともある。

「ハイ、スタート!」
「えっ?」

脳内でシミレーションをしていたところで、プレゼント・マイクの声に意識が引き戻された。
前触れも何もないスタートの合図に一瞬惚ける受験生たち、その中で一瞬呆気にとられて反応が遅れはしたものの、即座に状況を理解した殺那が一番に飛び出した。その後に一歩出遅れたことに舌打ちをしながら爆豪が、最後にその他大勢と続く。

一瞬反応が遅れはしたものの、他の受験者たちの理解が遅くて助かった。ひとまずスタートダッシュは悪くないだろう。とりあえず会敵する仮想敵をあしらいながらより数がいるであろう市街地中心に向かおう──そう考えながら走っていた殺那を補足したのだろう、ビルの壁を突き破って姿を現した仮想敵に殺那は好戦的な笑みを浮かべた。
一直線に向かってくるそれに対して走るスピードを緩めることなく、殺那は十分に引き付け自分を瞬間移動させる。一瞬で仮想敵の背後を取り、標的を見失った機械のスコープ部分を体操でよく見るサマーソルトのような身のこなしで宙返りしながら掴んだ殺那はそのまま体重をかけ、勢いを利用して地面に叩きつけ破壊した。まずは1Pだ。