ここはきっと天国の裏側

──傲慢だな。君にならできるだろ、悟。

──君は五条悟だから最強なのか?最強だから五条悟なのか?

──殺したければ殺せ。それには意味がある。


「……っは、」

まただ。必要な家具以外何もない部屋で五条は「クソ、」と苛立ち一つ舌打ちを零した。
夏油が大量虐殺を行い離反してもうすぐ4年、五条悟は未だにこうして過去のことを夢に見る。やるべきことは決まっている、迷いもない、だがそれでもあの出来事は五条に大きな爪あとを残していた。
それにしたって何もこんなタイミングで夢に見なくても。五条はベッドサイドの水を飲み、はあぁ、と大きくため息を吐いた。夢を見た理由は分かっている。明日から自分が受け持つ新入生のせいだ。
ベッドから起き上がりリビングへと向かう。そして、昨夜ダイニングテーブルに放り投げた一枚の履歴書を手に取る。癖のないセミロングの髪にどちらかと言うと色白の肌、どこまでも無表情な女生徒のプロフィール欄、<術式>の項目に書かれた"呪霊操術"の文字に五条は苦虫を噛み潰したような表情になった。

──アイツと同じ、呪霊操術。

「あ"〜、恨みますよ、学長」

呪術界の大改革、そのために必要な聡く強い仲間。そのために取った教育という手段。ようやくそのスタートラインに立ち、内心やる気に満ち溢れる五条に夜蛾が突きつけたのは思わぬ難題だった。
教師生活一年目──まさかのハードモードからのスタートに、五条は項垂れた。


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「君はそれがなんなのか知ってるのか」
「は?いや知らないけど、てかおじさん誰、」

今しがた弱らせたもう見慣れた化け物を吸い寄せて丸める。握りこぶしくらいの大きさもあるその球体をえづきそうになりながら一呑みにした。味は相変わらずクソ不味い。
見た目通り最悪な化け物の味に内心うぇ〜、と思いながら喋りかけてくる大男に視線を向けた。強面でガタイが凄くいい──ていうか、この人ちゃんと堅気の人かな?私事件に巻き込まれたりしない?あまり危機感がないのは、生まれ持った力故だろうか、どうとでも逃げおおせる自信が私にはあった。
でも、恐らくそんな心配は無いのだろう。相手はサングラスをかけていて目元が隠れているのでなんとも言えないが、驚いているのが雰囲気で伝わってくる。敵意は感じられない。

「ん?ていうか、見えるの?」

きっと私は今、結構なアホ面な気がする。だって、"見える人"に初めて会ったし。「あぁ、見える。私はそれを祓う仕事をしてるんだ」

「はらう…」
「君が今取り込んだそれは"呪い"だ。人の負の感情から生まれる」

おじさん…夜蛾正道さんは淡々と語った。全国の怪死者、そのほとんどが呪霊の仕業であること。目には目を、歯には歯を、呪いには呪いを──呪霊を祓うことを仕事とする呪術師の存在。私が扱う力の正体を術式と言うらしい。術式は多種多様、血筋によって脈々と受け継がれているものもあれば、私のように一般家庭の人間にたまたま宿っていることもある。
夜蛾さんが自販機で奢ってくれた甘いココアを飲みながらふぅん、とまるで他人事のように聞いていた。

「歳は?」
「15歳」
「受験生か、」
「まぁ一応」

好都合とでも言うように夜蛾さんがとある提案をしてきた。

「東京の呪術高専に来ないか?」

さっきの説明にも出てきた呪術師を育成する学校。全寮制で授業の一環で任務もこなす、そしてそれにはちゃんと給料も支払われる。おいしい話だ──常に命懸けなのを除けば。
でも──。

「うん、いいよ」

私にとっては好都合だ。このクソほどにつまらない町から抜け出せる。


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宝生あきらは生まれつき呪霊が見えていた。子供というのはどこまでも正直者である。

「あきらちゃんうそつき!なんでそんないじわるいうの!?」

わんわん泣きながら保育園の先生の足に抱きついたのは園で一番仲の良かった友達だった。困ったように若い先生が「あきらちゃん、いじわる言って怖がらせたらダメじゃない」と諭す、あくまで優しく。だが、優しく言おうが厳しく叱ろうが、幼い女児の心を抉るには関係ないのだ。「うそじゃないよ、」か細い声で、あきらは制服のスカートを握りしめた。涙目で見つめた先、友達の女の子の肩には蠅頭がニヤニヤと笑っていた。
嘘じゃない、ただ女の子には先生は"見える人"ではなかったと言うだけだ。幼いあきらにはこの世は酷く生き辛かった。女の子の母親と先生に頭を下げる母親を数歩離れたところで見つめながら、あきらは自分が特別であることを知ったのだ。

そして、小学生。園児らしからぬ悟りを開いて育ったあきらは全てを達観して見るようになった。見えるものを見えないものとし、黙って平凡な生活を送った。しかし、小学校なんて大抵同じ区の子供が集まるものだ。保育園の時点で失敗してしまったあきらは、友達だった女の子に嘘を言い人を怖がらせる子、または本当に見えている気味の悪い子と言いふらされ、かなり早い段階で孤立した。
暴力に訴えられたり育児放棄こそ無いものの母親からも気味悪がられ、できれば早く縁を切りたいと思っているのが見え見えの態度にあきらの心はどんどん冷めていった。

自分が扱える力に気付いたのは中学に上がってからだ。一度目があった低級の呪霊に襲われたことがある。その時防衛本能が働いたのか、たまたま祓うことができたのだ。それまで目に見えるその異形が倒せるものと思っていなかったあきらは、他に何ができるのか試した。そして、自分がその異形を使役できることを知ったのだ。
試しにあきらを孤立させた女の子の肩に乗るそれを吸い込んでみた。あれ、と不思議そうな表情をした女の子が肩を回しながら軽くなったとはしゃぐ様子を教室の隅から見てあきらは笑いだしたくなったのを今でも覚えている。

──嫌いな私に知らない間に命を助けられてるなんて、あんたが知ったらどんな顔するんだろうね、ざまぁみろ。

はじめて飲み込んだ呪霊は、例えるなら吐瀉物を拭いた雑巾のような最悪の味がした。