穿つは永青

「はぁ、はーっ…!」
「あきらは近接が弱いね」

芝生に倒れ込んであきらは荒い息を整える。そんな少女を覗き込み、息一つ乱さない五条はくつくつと笑った。
季節は6月、入学から2ヶ月が経過していた。あきらは入学初日の課外授業以降は、座学、実技訓練、時々任務という日々を送っていた。任務は五条が引率として同行したりしなかったりだったが、中でも2級以上の任務の場合は殆ど五条が同行をしていた。というのも、術式の性質上あきらは呪霊を取り込む必要があるからだ。呪霊操術は取り込んだ呪霊の能力はそのままに操れる術式だ。よって強い呪霊を取り込むことがそのまま自分の強さにも直結する。しかし、あきらと呪霊に力の差があればあるほど、弱らせてから取り込むことが必要になってくるというリスクもあった。そのため五条は、しばしば難易度の高い任務にもあきらを連れ出し、手持ちの呪霊を増やさせていた。

「さ、時間だよ。あきら任務に行っておいで」

携帯の時計を確認して五条が言う。あきらは呼吸を整えてから立ち上がった。今日は2級の任務だ。

「階級的には少しキツいかもしれないけど、大丈夫。手持ちの強い呪霊を使えばすぐだよ。油断だけはしないように」

「分かった?」と、念押しする五条に返事をした。振る舞いこそ軽薄そのものだが、指導は実戦経験が豊富なだけあってさすがに的確。加えてこちらの感情の機微も意外とよく見ているというのはここ二ヶ月でわかったことだ。

「僕も別任務だから引率はできないんだけど、終わったらすぐこっちに行くよ」
「はい」

「だからくれぐれも死なないようにね」

だからという訳でもないけれど、もうちょっと言い方を考えて欲しい。


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呪力がある人間が珍しいこの現代において呪術師の数というのはごく少数だ。しかし、それに反して人の負の感情が根源の呪霊の被害が減ることはない。その中でも、1級や特級の呪霊と渡り合える実力者となるとさらに数を減らす。呪術師の任務は、任務の等級と同等級の術師が当たるのが基本ではあるが、万年人手不足の呪術界において自身の等級より高難度の任務が割り振られることもよくある話だった。
今回、あきらに割り振られた任務は2級の任務。3級術師のあきらには荷が重いが、手駒の呪霊に1級を複数体所持している彼女ならば十分祓えると踏んでの割り振りだった。任務の概要は廃病院に確認された2級の呪霊一体の祓い。決してこなせない難度の任務ではない。

いつ現れてもいいように、一級呪霊を出したあきらが静まり返る院内を歩く。最近近くの大きい病院に吸収されたため、閉めることになった病院なので施設自体は比較的新しい。ちなみに病院を取り壊したあとはマンションが建つらしい。
リノリウムの床にローファーのコツコツという音を響かせながら歩く。無駄に広い施設だ、ターゲットの2級呪霊と出会うまで時間がかかりそうだ。

​───この階だ。

1階から順番に見て周り3階にやってきた時、むわっと立ち込める呪霊の気配にあきらは顔を顰めた。手持ちの呪霊をもう一体出して当たりを警戒させる。
進んでいくとそれとはすぐに出会えた。見慣れた異形の化け物。四足歩行の呪霊はのしのしと院内を徘徊していた。左右合わせて6つある目のうち、一つがギョロリと動いた。

ぉオオ"ああ"ぁ──!

あきらを視認した途端、雄叫びを上げながらドスドスと襲いかかってくる呪霊にあきらは構えた。一歩大きく後ろに飛び退きながら、手駒の1級呪霊を盾にして、受け止める。体格差は2級の方があるが、呪霊の強さというのは体格では測れない。難なく突進を受け止めた呪霊に迎撃の命令を出した。

「殺さないで弱らせろ。そいつは取り込む」

苦戦はしなかった。バキッと2級の手足を折千切った1級がバリバリとそれを食べる。それをうぇ、という表情で見ながら、あきらは2級を呪霊玉へと変えた。黒い玉に金色が渦巻くような禍々しくも美しいそれをあきらはいつものように飲み込んだ。

「よし、任務終りょ、」

帰ろうと振り返った瞬間、視界いっぱいに蠢いたそれにあきらは一発もらい、吹っ飛ばされた。数メートルは吹っ飛んで壁に叩きつけられた衝撃でゔっ、と口から呻き声が出る。

──受け身取り損ねた…!肋も多分折れてる、
「くそ、頭打った…!」

ぐわぐわと揺れる視界にあきらは吐き捨てた。
薄まる視界で蠢く呪霊の姿に舌打ちを零す。

──さっきのやつと気配が似てる、多分2級呪霊…。一体だけって話だったのに…!

まさかもう一体いるなんて。そんなの言い訳にもならない。出発前に五条に油断しないように念押しされていたのに。

「やば、立てない…」

視界が揺れる。肋が痛んで立ち上がることも出来ない。思考が定まらない。うごうごとこちらへ向かってくる呪霊がスローモーションで見えた。

──あぁ、もう終わりか。

あきらはその育ちが原因か、性格のいい人間ではない。
これから先、見えない人間を守り、守られてることにも気付けないそいつらを俯瞰して笑ってやれればそれでいいと思っていた。自分にはその才能があると、心のどこかで奢っていた。その油断のせいで、あきらは今死にかけている。

──まぁ、死んだところで悲しむ人もいないけど、

グパッとあきらを丸呑みできそうなほど大きく口を開けた呪霊を目前に、あきらは目を伏せた。

「あきら!」

呪霊の肉の抉られる音と、珍しく焦っているその声に、あきらは目を開ける。人工の夜の中で窓から差し込む光を受けてキラキラと輝く白髪。初めて目にした包帯の下の瞳は恐ろしい程に蒼々として美しかった。

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