背筋が凍る音を知る
1年前までヒーローの恋人がいたにも関わらず、わたしはヴィランという存在をどこか空想のように思っていたのだなとその瞬間に思った。

会社の近くで女性ばかり襲うヴィランが出ている。
最近上司から朝礼で注意喚起されたことが頭に過ぎる。
1人で昼休み外に出たことを今更後悔したって遅い。
まさか自分が襲われるなんて思っても見なかった。

「お前が1人になるときを待ってたぜ。大人しく俺に捕まりな」
「い、嫌です」

ヴィランとの距離は3mはあったけれど、ジリジリと距離を詰められる。

「…っ!」
「逃げても無駄だぜ?今この付近を管轄してるヒーローは近くの銀行強盗にかかりきりだ。まさかこんなに近くで別の犯罪が行われてるなんて夢にも思わないだろうな」

絶望に近い宣告をされて、顔が真っ青になった。
そのとき。

ドン!!!

「な、なんだ!?」

遠くから爆発音のようなものが聞こえた。
ヴィランがそれに気を取られた一瞬の隙をついて走る。

「あっ!まてコラ!」

会社の近くなだけあって土地勘はあった。
建物の影に身を潜める。
とりあえずヴィラン視界から逃れることには成功したけれど、見つかるのは時間の問題だ。
ずっとここにいるわけもいかない。

助けを呼ばなきゃとスマホを取り出す。

いずくくん。
いずくくん…!

履歴をスクロールするけれど、ずっと連絡を取っていなかった出久くんの番号は、埋もれてしまっていて、すぐに見つかりそうもなかった。

どうしようどうしよう。
はやくしないと見つかっちゃう!
アドレス帳から探し出せばいいだけなのに焦って頭が回らない。
こわい。いずくくん、助けて。
半泣きになって、ハタ、と気付く。

そもそも、なんで出久くんに助けを求めようとしているのだろうか。
素直に110するべきじゃないのか。
出久くんの負担になる自分が嫌で別れたというのに、この期に及んで助けられようとしているなんてありえない。
あれだけ行かないで欲しいと願ってしまったわたしが出久くんに助けられる資格なんてあるはずもないというのに。

「見つけたぞ」
「……!」

見下ろしていたスマホに影がおちる。
出久くん。
出久くん!

わたしとのデートを放り出していつも現場に向かう出久くん。
ヴィランに襲われても、ピンチの人のところには出久くんが駆け付けてくれることを、わたしは痛いほど知ってしまっていた。
だから。

「ヒーローは、きっとすぐにあなたを捕まえにきます。無駄なことはしない方がいいですよ」
「ゲヘヘ。そんなことやってみなきゃわかんねぇだろ」

ヴィランがわたしの顔に手のひらをかざし、途端に意識がぼんやりしてくる。

薄れゆく意識の中で浮かぶのは、やっぱり出久くんのことだった。








ドン!!!

無線からの合図で銀行のドアを勢いよく蹴りで突き破る。

「今だ!突入ーーー!」

ドアを突き破った勢いのままヴィランを僕が取り押さえると、警察の人が一斉に建物に押し入り、人質の銀行員やお客さんを保護した。

「デクさんが応援に来てくれて助かりました!ありがとうございます」
「いえ、被害が出る前に確保できてよかったです!」

この辺りを管轄しているヒーロー事務所の人にそう笑いかける。
他事務所と連携することは珍しいことじゃない。

「でも、まさかデクさんが来てくれるなんて思わなかったです。デクさんの事務所、隣町でしたよね」
「あ、アハハ…ちょっと気になることがあったのでつい」
「ああ、この辺り最近物騒ですからね。女性が何人も行方不明になっててパトロール強化してるのにいまだに犯人は見つからないし…」
「手がかりはないんですか?」
「うーん。被害者はいずれも若い女性としか」
「そうですか……」
「被害者の写真を見ると、容姿の好みが分かりやすいんですよね。キレイな雰囲気の人ばかりです。コレクションにでもするつもりかな」

コレクション。
本当にそうだとしたら、犯人は相当悪趣味だ。

今月に入ってから人攫いがこの町で何件も起きていると、知り合いのヒーローから聞いたとき、被害者のリストを急いで取り寄せた数日前。
なまえちゃんの会社のある町で事件が起きていると思うとジッとしてはいられなかった。

僕の管轄外だし、ちゃんと他のヒーローが逮捕するだろうと分かっていても、どうしても気になってしまう。
そんなとき、銀行強盗が出たと応援要請があって、すぐに「僕が行きます」と立候補した。
おそらく人攫いとは同一犯ではないだろうけど、地元のヒーローから何か話を聞けるかもしれないと思ったのだ。

それも空振りだったようだけど。

とりあえず事件は犯人確保で解決したと事務所に連絡しようとすると、先ほどまで話をしていたヒーローに無線が入る。
何やら焦ったような顔だ。
すごく、嫌な予感がした。

「なに!?目撃情報が!?もう現場には向かってるんだな?よし。じゃあそのまま追い詰めて確保だ。人質は絶対に無傷で保護だ。オレもすぐに向かう」
「……何があったんですか?」

ドクン、ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
そうと決まったわけではないのに、なぜか絶対に起きて欲しくない最悪の事態が起きているような気がした。

「例の人攫いが出たようです!どうやら被害者を攫ったところを目撃した住民がいたようで…!このすぐ近くです!」
「やっぱり…!」
「被害者はやはり若い女性で、目撃情報では××という会社の制服を着ていたと…ってデクさん!?」

話している暇なんてなくて急いで現場に急行する。
よりにもよって、一番出て欲しくない社名だった。
もう、キミでありませんようにと願う段階はとうに越していた。

頼むから、無事でいてくれ……!