ピンポン。
外はもう真っ暗で、誰かが訪ねてくるには遅い時間。
突然チャイムが鳴るものだから驚いてコップを落としそうになった。
北原くんと色違いで買ったコップなので一瞬ヒヤリとしながらもきちんと取っ手を持っていたお陰で助かって胸を撫で下ろす。
これを買った日の北原くんはいつもより機嫌が良くて普段なら眉間にシワを寄せるであろうお揃いを珍しく許してくれた貴重なものなのだ。
それにしても、こんな時間に誰だろう。
親だったら事前に連絡をくれるだろうし、突然訪ねてくるような友達もいない。
…ほんとに誰?
怖くなって、普段はしないドアガードをわざわざかけてからリビングに戻ってモニターを覗くと、イライラしたような顔があった。
「え!」
思わず後ずさり。
どうして。
いつもお仕事で忙しくてメールや電話でさえも滅多に返事をくれることは無いのに。
「オイ。いるんだろ?はやく開けろ」
モニター越しに睨みつけられて、「は、はい!」と返事。
あ!こっちの声は聞こえてないのに!
ドタドタドタ!
ドアガードも鍵も遅刻寸前のときより早いスピードで解除してドアを開ける。
ズボンの片方のポケットに手を入れて立っている北原くんがいた。
「ど、どうしたの突然…」
「テメーが次いつ会えるとかLINEしてきたから来たんだろうが。有罪」
ポカンとしているわたしを他所に、北原くんは自分の家のようにズカズカと部屋に入ってきてソファに座った。
北原くんがウチに来る時は大抵そこに座る。
例に漏れず、今回もきたはらくんはなんの迷いもなくそうしたけれど、いつも流れでテレビを付けるその手は何故かリモコンではなくソファの上にあった。
この時間は北原くんのお気に入りの番組がやっているというのに。
北原くんの言った通り、確かにLINEは送った。北原くんは忙しいから、そう送っても会えないのは分かってるけれどダメもとで会えたらいいなって願望と、会えなくてもそういう内容のLINEは無理な理由をきっちり簡潔に添えてくれるので、北原くんが何をしてるのか知れてわたしが嬉しいというだけのことだった。
「北原くん、テレビ見ないの?」
「今日はいい」
「そう…」
かといってスマホを見る訳でもなく。
北原くん、何だかソワソワしてるような…?
とりあえずお茶でも入れよう。
北原くん、何飲むかな?聞いてみ…え!なんか睨まれたよ!なんだろう!早く何でもいいから出せよってこと?北原くん、そういえば汗かいてた!今日暑かったし、ちょっと外出ただけで喉も乾くよね。じゃあ昨日の夜作った冷茶があるから、それにしようかな。お友達に貰った、静岡のちょっと良い茶葉のやつ。朝一杯だけ飲んだけれどすごく美味しかったし、北原くんときっと気に入ってくれるはず。
理由は分からないけれど北原くんがお家にきてくれたことで浮かれるわたし。
あ、せっかくだからお揃いのコップにしちゃおう!
北原くんの前にあるローテーブルにコップを置く。
「サンキュ」
ぐびっと一気飲み!相当喉乾いてたんだ!ハァ、と一息付いてからキリリと下から見上げられる。
……?おかわりってことかな?
もう一杯入れようとキッチンに行こうとしたら、腕を掴まれた。
「北原くん…?」
「それはもういいからお前ちょっとここに座れ」
「え、でも」
「いいから」
半ば強引にボスン!と北原くんの横に座らされる。
会うのは1ヵ月ぶりくらいだったから、ちょっと緊張する。
「…この1ヶ月、何やってた」
「…ん?」
急になんの話?
横を向いたら、北原くんの真っ直ぐな瞳がなんだかゆらゆらしてる。
「どうしたの?急に」
「急じゃねえ」
「急だよ!突然来て最近何やってた?て!なんか北原くん変!」
「ハァ?テメーの方が変だっつーの。有罪」
変?私のどこが?
わかんないって顔したら北原くんがジト目で見てきた。何よう。
「……1ヶ月も連絡寄越さねーなんて今まで無かったろーが」
「え!!!」
「うるせえ!」
ハッ思わず大声が。
えっと。これはもしかして、連絡待ってくれてた?
「あの、北原くん」
「……」
そっぽを向かれてしまった。
最近は仕事が忙しくて、ひとつのことに集中すると他のことが疎かになってしまうわたしは北原くんに連絡を取ることが後回しになってしまっていた。
とはいっても、いつもの北原くんへのLINEは、今日はランチが美味しかったよ、とか、暑い日が続いてるけど体調は大丈夫ですか?とか。
北原くんにとってはとてもどうでもいいような内容ばかりだからそうなったというのはある。
この時期は学生さんが夏休みだから、北原くんのような芸能人はイベントや特番に引っ張りだこで忙しいだろう、と気を遣ったのも大きい。
それがまさかこんなことになるとは。
思いもよらない事態にわたしは焦る。
「えっと、お仕事が忙しくて…連絡できなくてごめんね?」
「極端すぎんだよ、テメーは」
ポスン、と頭に大きな手のひらが置かれる。
どんな顔をしているんだろうと気になって、上を向こうとしたらその手に阻まれた。
これは逆らわない方が良さそうだ、と判断して大人しくしていると、北原くんは少ししてから口を開いた。
「……飽きられたかと思ったじゃねーか」
わたしが?北原くんのことを?
あまりにも有り得ないことを言われたのでびっくりして勢いよく顔を上げる。
今度は邪魔されることは無かった。
先程わたしの頭に置かれた手は、北原くんの口元にあるからだ。
「北原くん…」
「こっち見んな」
そんなことを言われても無理だ。
マジマジと凝視する。
あの北原くんが、顔を赤らめているのだから。
北原くんがわたしからの連絡が無いかLINEを無駄に立ち上げたり、文字を打っては消してみたいな事があったりしたのだろうか。
わたしが今何をしているのか気になって仕方ない時間があったりしたのだろうか。
どうしようもなく愛おしくなってしまい、今日はわたしが北原くんを甘やかそうと心に決めた。