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米屋と別れた後、なまえは出水に引っ張られ、目的地へと急いだ。

米屋くんに会ってから何だか様子がおかしいんだよなぁ…

なまえとしては先ほど去り際に米屋が言った「忘れちまってるんだけどな」という言葉が気掛かりすぎる。
しかしその事を訊こうにも、肝心の出水がさっきから黙りこくっているのだ。
後ろから出水の様子を伺いつつ「米屋くんなんか変なこと言ってたね」「おう」「………」このざまである。
明らかに不機嫌な上、その事については触れてくれるなというオーラがビンビンでなまえはもう何も聞くまいと思った。

なまえは何となく気付いていた。
出水と米屋がなまえに言えない何かがあるということ。それを隠しているという事を。
しかし、どうにも知ってはいけないことのような気がしてなまえは出水同様に口を開くのをやめた。

廊下を歩く足取りがやけに重く感じた。




目的地に着くと、まず怪我がないか調べられた。
とは言っても出水がすぐに救出してくれたので無傷である。
しかし怪我がないか研究員のような人達にチェックされている間、出水は心配そうにしてなまえのそばを離れなかった。

無事な事を確認されたら息をつく間も無く個室のような部屋へ連れて行かれた。
中には白衣を着た男性がおり、さながら病院のようである。
失礼します、と中に入ると出水はたったいま入ってきたドアから出て行こうとする。付き添いはここまでのようだ。
なまえは突然不安に駆られた。知らない場所に取り残されるのはまっぴらごめんだよ!思わず「行っちゃうの!?」と出水の服の裾を掴んでしまった。出水もこれにはビックリの様子だ。


「い、出水くん…」
「………」
「置いてかないで…」

うるうると目を潤ませて自分の最大限のぶりっ子オーラを出してみたなまえであったが、その努力は虚しく終わった。
「ごめんな。すぐ戻ってくっから」嘘でしょ。ほんとに出水くんどっか行っちゃったよ。

白衣を着た男性からはてっきりネイバーに襲われた時の様子を訊かれるのかと思ったが、それは見当違いだった。
質問されることは「襲われるときはひとりだったか」「周りに人はいなかったか」「襲われる前は誰といたか」「襲われた後は誰かと会ったか」などということだった。
なぜこんなことを訊かれるのかはよく分からなかったが、なまえは質問にひとつひとつ答えていく。


そういえば、今まで考えたことは無かったけれど私のようにネイバーに襲われた人はこうして同じように質問を受けたのだろうか。…というか、襲われた人なんているのかな。大規模侵攻以来襲われた人なんて、聞いたことがない。

なまえの中で一つの疑問が生まれた。
襲われた人って、本当にいないの?


三門市ではネイバーに襲われないよう、危険区域には近づかないことが市民にとっては当たり前のルールだ。けれど、今日のように危険区域には簡単に近づくことができる。面白半分で近づいたり、小さい子どもが何も知らずに入ってしまうことだってあったはず。なのに、ネイバーが出たとか、ボーダー基地に連れて行ってもらったとか、そんな話は聞いたことが…ないような…仮に口止めをされたとしても、絶対的な事なんてない。少なくとも、私だったら両親には言ってしまう。今日起きた、あり得ないような体験を。

おかしい。
なんかおかしい。
ザワザワと胸騒ぎがする。


突然、先程の米屋の言葉がなまえの頭の中に響いた。
「…明日には忘れちまってるんだけどな」

まさか。
バラバラだったパズルのピースがカチリとハマる。
ネイバーに襲われたことを他言されないためにはどうしたらいい?そのこと自体を、なかったことにすればいい。
記憶を、消せばいい。

サァァと一気に血の気が引いていくのが分かる。

「顔色が悪いですね、大丈夫ですか?」
「あ、…………ええと、大丈夫、です」

私は、記憶を消されるの?

この人に聞けば何か教えてもらえるのだろうか。
目の前にいる男性をじっと見つめるなまえ。しかし、教えてもらえる保証があるとは限らない。逆に、この事実に気付いてしまったことによって記憶を消されるリスクは高まるのではないか。


「まぁネイバーに襲われたんですからね。そうなるのも無理はないでしょう」

思考を巡らせている間に勝手に納得のいく結論に至った目の前の男性はカタカタとパソコンに文字を打ち込んでいく。
カルテのようなものだろうか。あまりよく見えなかったが、先ほどまでの会話の内容を記録したのだろう。

周りに他の人がいなかったか確認されたのは誰かに見られていないか確認するため。他言していないか聞かれたのは記憶を消す対象は他にいないか知るためだ。

出水くんがやけにボーダーについて教えてくれたのも、一般人が立ち入ることのできないボーダー基地にあっさり入れてもらえたのも後で記憶を消すから。


…………なにこの名推理。もしかして私、すごいんじゃない!?

普段では考えられないような頭の回転具合に拍手喝采をしたいくらいだが、状況が状況である。喜んでいる場合ではない。なまえの知らないうちに、記憶を消す準備は淡々と進められているのだから。


なまえははやく出水が戻ってこないかと思っていた。なまえにとってボーダーの中で信用できる存在は出水のみ。この仮説を話すのならば真っ先に彼が思い浮かんだのである。


「それではみょうじさん、行きましょうか」
「行くって、どこにですか?」
「あ〜〜〜ええと、検査室にです」
「…検査室」

あれ、さっき身体検査しなかったっけ?

明らかに相手は嘘をついている顔であるが何せ告白の気配に微塵も気が付かなかったなまえである。疑う訳がない。先ほどの名推理は何だったのか。

はやくはやく!と急かされ考えるのをやめたのが運の尽きだ。素直な性格であるのも祟り、なまえはついて行ってしまった。検査室という名の記憶処理室へ。




頭にコレをつけろとヘルメットのようなものを渡されて騙されたと初めて気づいたなまえ。完全に遅い。ヘルメットからは何本かコードのようなものが付いていた。明らかに検査ではない。しかし嫌だと拒否する理由も本来ならばなまえには無いはずだ。

ネイバーに襲われた時、確かに怖かった。記憶を消されれば楽になるだろう。もうあんな思いは絶対にしたく無いし思い出したくも無い。……でも。

なまえの頭の中に出水の顔が思い浮かぶ。

出水くんや米屋くんが私たちのためにあんなバケモノと戦っているのに、また知らないでいるなんて嫌だ!それにこのまま自分たちのことなのになにも知らないで平和だね、なんて言っているのはなんて無神経なんだろう。出水くん達はとってもすごいことをしているのに学校の人たちには大変そうなところなんて全然見せずに頑張っている。私は、安全なところで守られているだけだったんだ。


なかなかヘルメットを付けないなまえにボーダーの技師が怪訝な顔をした。マズい。怪しまれている。


ーーーーー出水くん、すぐ戻ってくるって言ったのに!

もう時間的にも限界だった。
仕方なくヘルメットを被るなまえ。


今日のこと全部忘れたくないのに!


記憶が消える恐怖よりも、出水への罪悪感を胸いっぱいにしてなまえはギュッと目を閉じた。耳には機械音が鳴り響いていた。