心に溜まった澱み



 まばらだけど私服や制服姿の学生がいる公園の片隅には休憩所がある。七組のログチェアとログテーブルが設置されている中で、一番手前の四人席に座った。
 バスケットではない手提げバッグから水筒と紙コップを取り出して、温かなアールグレイを注いで健斗に渡し、紙皿にお菓子を載せてテーブルに置く。

「美味しそー。じゃあ、いただきます!」
「どうぞ召し上がれ」

 ちょっとドキドキしながら紅茶を一口飲んでクッキーを食べる。
 紅茶味のシフォンケーキから食べた健斗は……。

「美味しいっ! もしかして紅茶味? すごいよ、これ!」
「良かったぁ、口に合って」
「そりゃあ合うに決まってるよ。姉さんのお菓子は全部大好きだから」

 ぐはっ。

 はにかんだ健斗の言葉が嬉しくて、心の中で吐血とけつ
 表面では満面の笑顔で照れ笑い。

「ありがとう。でも、食べ過ぎて夕飯が入らなかったら……は、大丈夫だよね。健斗はしっかり者だし」
「さすが、よく解ってる」

 言葉を改めれば、健斗は嬉しそうに笑う。私もにこりと笑い、クッキーを口に入れる。

「そういえば姉さん。最近、嫌なことなかった?」

 一瞬、クッキーを咀嚼そしゃくする口が止まる。放課後になってすぐのことを思い出してしまった。
 なんていうか、健斗ってたまに鋭いよね。私のことに関して、かなり。

 すぐに自制心を利かせて飲み込むと、健斗は眉を下げる。

「いつになったら魔法、解禁かいきんできるんだろう」
「……さあね」

 視線を下げて返せば、少し眉を寄せた健斗に怒られる。

「僕達、姉さんに傷ついて欲しくないんだ。いくら姉さんが我慢強いからって言っても、心を壊さないなんてありえないんだから」

 それは解っている。悪口や陰口は、慣れたらいけない。慣れてしまったら、心が壊れている証拠になってしまうから。
 目の前で悪意をぶつけられ続けると、心がすさんで、壊死えししていく。

 心が死ぬ感覚は前世でも体験したから、今世ではないことを祈っていた。
 でも、現実は常に残酷だ。前世よりつらい環境を用意するのだから。
 まあ、その分だけ家族や親友が支えてくれるから頑張れるのだけどね。

「だからこそ、魔法以外の実績をきずいているんだけどなぁ」
「姉さんも怒っていいのに我慢するからだよ」

 はっきり言ってくる健斗の思いはわかる。だから言い返せなくて、乾いた笑みが浮かぶ。

「はは……。でもまぁ、健斗達が私より早く怒るから、逆に冷静になっちゃうんだよね」

 教室での一幕ひとまくを思い出しながら言葉を返した私に、健斗はガックリと肩を落とす。

「姉さんの長所でもあり短所でもあるよ、それ」

 弟に呆れられるのは、結構グサッと来る。
 空笑そらわらいが出てしまうが、溜息ためいきくことで心を落ち着かせる。

「私を心配してくれるのは嬉しいけど、健斗は? 初等部に引き続き、中等部の生徒会に入るなんてしんどくない?」

 少し強引だけど、気になっていることをたずねた。

 健斗は兄さんと同じく、初等部で二年間も生徒会長を務めた。
 下積したづみなしで会長の座にくなんて大変だから、兄さんのアドバイスを受けながら日々精進しょうじんしてやりげたが、またもや重責じゅうせきがかかる生徒会に、進級と同時に会長に任命された。

 やっと解放されると思ったそばから横槍を入れられるなんて、私なら怒って鬱屈うっくつする。
 健斗も色々と思いなやんでいたから心配になって訊ねると、彼は口を引き結んで視線を下げた。

「……しんどいよ」
「だよね。生徒会に入ると休みが減るだろうし、仕事量も増えると思うし」

 初等部と同じ仕事量かと思われるが、中等部からは行事や委員会の統率とうそつと予算の管理、風紀委員会との連携れんけいを大切にしなければならない。

 それに、健斗……私達は……。

「兄さんとくらべられることもある」
「……!」
「それが一番つらいよね」

 息を詰める健斗は苦しそうだ。
 肩に力が入っているから、ずっと劣等感れっとうかんに耐えていたのだとうかがい知れる。

 私は向かい側の席から立ち上がり、健斗の隣に座って頭を抱き寄せる。

「ただでさえ重圧がかかるのに、誰よりもすごい兄さんと同じように求められるのは苦しいよね」

 初等部では打ち明けてくれなかったが、実家に帰省きせいすると決まって浮かない顔をする。特に兄さんと会うことに抵抗感があるように見えた。そして、そんな自分を嫌悪していることも。

 言い当てると健斗は息を止めた。震える声をおさえようとしているが、私が頭を撫でると肩から力を抜いて、苦しそうに息を吐き出す。

「……ほんとに……姉さんには敵わないなぁ……」

 掠れた声は湿しめっぽくて、震える吐息は泣きたそうだ。

「……苦しかったよ。兄さんの弟だからって、先生や上級生から同じように見られて。それが……またっ……!」

 息苦しそうに思いを告げるが、途中で言葉がつかえてのどに手を当てる。
 苦しかった。それは当然の感情だ。

「兄さんは兄さん。健斗は健斗。それを解ってくれる人はいる?」
「……友達、と……姉さん達……」
「じゃあ、つらくなったら私達に愚痴ろう。吐き出さないと、それこそ心が壊れちゃう」

 私にも言えることだけど、健斗にも当てはまること。

「頼ってもいい。泣いてもいいの。私達は健斗を否定しない。だって、私達は貴方自身をちゃんと見ているから」

 寄り添う健斗の頭を撫でて、その頭に頬を寄せる。

「だからお願い。無理しないで」

 心から願うと、私まで泣きたくなって湿っぽい声になった。健斗は私の声に感化されたようで、私の服にしがみついてボロボロと涙をこぼす。
 声を押し殺してほしくないが、ちゃんと泣けるなら及第点きゅうだいてんだ。
 とにかく今は、喉を引きらせて嗚咽おえつを漏らす健斗を抱きしめて、落ち着くまで寄り添った。



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