壊れかける心



 国立聖來魔法学園が建てられている場所は、一か所だけではない。
 北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州、そして特例の沖縄といった、各地方に一校ずつある。
 共通点は、外界から遮断しゃだんした場所にあり、学園都市であり、同じシステムであること。
 地方によって差がある人口を考慮こうりょしているため、規模は各地によってことなる。

 私が在学しているのは最も人口が多い関東地方の学校だからか、規模は国内最高。
 ちなみに関東発祥はっしょうだから、我が校は地方の名称は付かない。他所は国立聖來近畿*v@学園という風に地方名が付く。
 理事長は九人。その上に総理事長が政府に在籍している。

 そんな理事長の一人が、聖ヶ丘祥真。杏奈姉さんのお父さんだ。



「高等部一年の花咲有珠、並びに東雲恭佳と香崎凪です。失礼します」

 職員の詰所である職員棟は、初等部、中高等部、大学部の建物がある三か所に設置されている。その中で理事長室は、大学部の職員棟の最上階にある。
 今回は恭佳と凪を連れて理事長室に訪れた私は、扉の前で声をかけて入室した。

 室内はとても広い。長テーブルに何脚もある椅子。少し離れたところに応接用のソファーやローテーブル。窓側以外の壁一面に専門書が整然せいぜんならべられている本棚が嵌め込まれている。
 隣は休憩室で、冷蔵庫や簡易キッチン、仮眠を取れる簡易ベッドまで揃っている。
 住むことができるほど快適な最上階は、多忙な理事長に与えられて当然の設備らしい。

 いつも思うけど、理事長室は重厚感じゅうこうかんがあって緊張する。
 休憩室は対照的な明るいデザインだから、余計にそう感じる。

「理事長。この度は面会の許可をくださり、ありがとうございます」
「有珠ちゃん」

 眉を下げて私に呼びかける祥真おじさん。
 言いたいことが判った私は困り顔になる。

「二人がいます」
「君の理解者である彼女なら大丈夫だ。だから他人行儀はやめてくれ」
「……分かった」

 苦笑気味に頷けば、祥真おじさんは満足そうに笑みを浮かべて、マホガニーの机から離れて応接用のソファーに促す。
 私の隣に凪、その隣に恭佳が座ると、正面のソファーに腰掛けた祥真おじさんが切り出す。

「今回は恭佳ちゃんが僕と話がしたいと聞いたが、どうしたんだい?」

 緊張感が胸に走る。神経の一本一本に痛みを覚える中、恭佳が毅然きぜんと言った。

「先日ですが、有珠と友達になりたいと申し出る子が現れました。その子は有珠の本質を見て、仲良くなりたいと心から言ってました」
「それはいいことじゃないか。それで、友達になれたかい?」

 自分のことのように喜ばしそうにたずねる祥真おじさん。
 期待感のある優しい微笑みに、胸の奥がえぐれるような痛みを覚えて息が詰まる。

 視線を下げて苦しさを押し殺していると、凪が私の手を握ってくれた。
 冷たくなった手に浸透しんとうする凪の体温が心地良い。
 少し肩の力が抜けると、恭佳が私の気持ちを代弁だいべんしてくれた。

「無理です。今の有珠は、属性も魔法も明かせないのですから」
「……それは、友達になれない理由にはならないはずだが……」

 怪訝けげんな声音で言った祥真おじさんに、やっぱり考えてくれていないのだとさとった。

「友達になると、心を許してしまう。それで属性も魔法も話してしまう可能性だってあります。有珠は、貴方方の信頼を踏みにじらないために、誰とも心を開けずにいます」

 二人は、心から私を理解してくれている。
 私の代わりに言ってくれる恭佳と凪に、今までどれだけ救われたのか。数え切れないほど助けられてばかりで、申し訳なく思ってしまう。そんなひねくれている自分が、本当に嫌になる。

「貴方方が有珠を守っていると……有珠自身の功績をうばわないようにおもんばかっていると理解しているから。そのせいで有珠は、自分の首を絞め続けているのです。いろんな人から悪意を向けられても、私達が代わりに怒ってくれているからって気丈きじょう振舞ふるまって。ずっと心を殺して我慢がまんばかりで。……私達は、そんな有珠をもう見たくありません」

 湿っぽい恭佳の声を聞いて、心が痛んだ。
 どれだけ私を思ってくれているのか痛いほど伝わって、申し訳なさが込み上げてくる。

「いつになったら有珠は自由になれるのですか」

 恭佳が一番言いたかった質問を投げかけられる。
 ずっと黙って聞いていた祥真おじさんは、沈痛な表情で深く息を吐く。

 そして――



 理事長室から出た私は放心していた。
 頭の中では、祥真おじさんの言葉が繰り返しよみがえる。


 ――「悪いけど、まだ当面は無理だ」

 ――「心を許してしまうなら、友達も作らないでくれ」


 無情な頼みに心がきしむ。
 泣かないようにこらえていたのに、色々と突き抜けて涙すら浮かばなくなった。

「……有珠、ごめんなさい」

 恭佳が申し訳なく謝ってくる。彼女は何も悪くないのに。

「恭佳は悪くない。友達を作れないのは残念だけど……」

 苦笑して恭佳の頭をでると、彼女は悔しそうにくちびるを噛み、凪は口を引き結んだ。
 二人のそんな苦しそうな顔は見たくないのになぁ。

 心苦しさを抱えつつ、エレベーターで一階へ降りる。その間も無言が続いて居心地が悪かった。
 どうやって元気づけようかな……。

「有珠?」

 下駄箱で靴を履き替えたところで馴染み深い声が聞こえた。
 顔を向ければ、学校用の鞄を肩にかけ、同じ左側の手に資料を入れるためのアタッシェケースを持つ青年、その斜め後ろに理知的な美女が控えていた。

 私の兄・花咲魁、そして兄の恋人で幼馴染の一人・聖ヶ丘杏奈。

 兄さんだけじゃなくて、杏奈姉さんまでいるなんて……。

「有珠、久しぶり! 父さんと面談していたの?」
「……そんな感じ。兄さんと杏奈姉さんはどうしてここに?」

 大学生なのだから、大学部の職員棟に訪れるのはおかしくないけど、少し気になった。
 訊ねると、兄さんが答えてくれた。

「生徒会と風紀委員会で、理事長と会議があるんだ。大学部の生徒会の会長・副会長と、風紀委員会の委員長・副委員長は、初・中・高等部の生徒会・風紀委員会でげられた議題を、理事長と話し合って詰めていく。そこで決定したことを生徒会の寮、風紀委員会の寮ごとで会議することになっているんだ」

 初めて聞く生徒会と風紀委員会の会議の仕組みに驚く。
 ということは、寮でも職務を全うしないといけないってこと?

「寮でも会議って……大変だね」
れればどうってことないさ」

 慣れるまでが大変そうだ。
 そんなことを思った私は、不意にあることが気になった。

「そういえば杏奈姉さんって友達いるんだっけ?」
「急にどうしたの?」
「いや……属性のこと、知っているのかなぁって思って」

 後ろで恭佳と凪が息を呑む。そんな音が聞こえた。

 ごめん、気になるんだ。同じ無属性である杏奈姉さんは、私と違って友達がいるのかって。

「いるけど、安心して。教えてないから」

 ――心に亀裂きれつが走った。
 それでも表情を変えないように気を使う。

「そっか」
「早くおおやけにできるといいね。有珠は私と違って魔法も使ってないんだし」

 亀裂が、深まる。

 杏奈姉さんは魔法を公にしているけれど、属性までは誰にも教えていない。
 知っていたけど、今それを突きつけられると胸の奥が痛んだ。

「……有珠さん」

 後ろで凪が声をかける。
 気遣わしげな声音で心配しているのだと分かる。分かるけど……。

「凪、ごめん。ちょっと買い物に行きたいから、先に寮に戻ってて。恭佳も、今日はありがとう。じゃあ、兄さん、杏奈姉さん。会議、頑張ってね」

 軽く手を振って、普段と変わらない足取りで歩く。
 四人の魔力の気配が遠くなったところで、表情がごっそり抜け落ちてしまったけれど。

「有珠……?」

 誰かが私を呼んだ気がしたけれど、今の私は反応する気力さえ出ない。
 息苦しさを押し殺し、いつも待合所にしている公園へ向かった。
 ほおに伝う温かなものを、無視して。



◇  ◆  ◇  ◆




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