言えない願い



 いつもの公園につく頃には、ぼろぼろと涙が止まることなくこぼれていた。
 時々袖で涙をぬぐっていたせいで、目元と頬が少し痛い。
 喉が焼けるような痛みをはらむ。呼吸をすることすら苦痛を覚えてしまう。

 こんなに傷つくなんて、いつぶりだろう。数え切れなくて、よく思い出せない。

「ハァーー……」

 長方形のログテーブルと一緒に設置された木製の長椅子に座る。
 背凭せもたれに体をあずけて空を見上げると、昼間の青空と違って曇っていた。
 そういえば、今日の夜に雨が降るってデバイスの天気予報にあったっけ。

「……なんだか、似てるなぁ」

 今の私と。

 ぽつりと漏らした私は、ある旋律を無意識に口ずさむ。
 それは、生前の私が作ったメロディー。十代後半で思いついたメロディーだったけど、二十代頃に歌詞をつけた。それが意外と綺麗で、度々小説に採用していた。
 一番、二番、終盤とあって、お気に入りは一番目と終盤。

 でも、今は二番目を歌いたかった。


「あの日交わしたこと 君は忘れてしまった
 大切だったちかいは 遠ざかりすたれてゆく」


 一番目は思い出の歌。
 三番目は再会を願う別れの歌。


「果たせぬ約束 無情に近づき
 悔し涙 降り注いだ」


 それと違って、二番目は……悲しみの歌だ。


き曇る空 寂寞せきばくの色
 今は忘れていたい
 悲しみ秘めてかなでた歌が
 今でも私の胸を 締め付けているよ」


 苦しさを振り切って紡ぐと、涙がなく流れていく。
 それが嫌になって、眼鏡を外すとテーブルに突っ伏した。

「……もう、わかんないよ」

 何のために私はここにいるのか。学ぶためだと解っていても、苦しんでまでいる必要なんて無いはずだ。
 なのに私は、無意味な悪意ばかりを押し付けられる。

「――なんて、言えないし……」

 心の底にある願望を音も無く口からこぼし、まぶたを閉じる。

 そう、言えない。言ったら図々しいって言われるかもしれないから。
 私を助けようと、支えようとしてくれる人がいる。けど、こんな重荷を押し付けたくない。
 だから、言えない。言えるはずがない。

「消えてしまえたら、楽になれるかな……?」

 なんて、逃避願望とうひがんぼういだいても仕方ないんだけどね。
 腕に顔をうずめて、涙が止まるまで待とうとした。

「いつになく弱気だな」

 その時だった。聞き覚えのある少年の声が聞こえたのは。

 驚いて顔を上げると、ジョット・レオネッティがそこにいた。
 どうしてここに……と思っていると、彼は私の顔を見た途端に目を瞠った。

 ……あ。しまった、眼鏡してない。

 慌てて眼鏡を取って顔に付けようとした。けれど、レオネッティにその手を掴まれた。

「えっ? 痛っ」

 声を上げようとした直前、レオネッティが私の肩を掴んで椅子に押し倒した。背中と後頭部を軽く打って痛かったけど、私の上におおかぶさったレオネッティに言葉を失う。

 息を呑んだ私は我に返ると、レオネッティの肩を押し退けようと手を突き出す。
 だが、彼は私の両手を取ると一つに纏め上げ、片手で頭の上に固定された。

「なっ……放して!」

 身をよじって膝蹴りをり出そうとしたが、片足で膝を押さえつけられる。

 何この体勢!? いったい何なの!?

 キッと強くにらむ。けれど、レオネッティは眉を寄せたまま私を見下ろす。
 怒っているとは言い切れないけわしい表情に疑問を抱く。

「……何で、そんな顔するの」

 指摘すると、レオネッティは眉間のしわを深める。

「それはこっちの台詞せりふだ」

 そう言うと、レオネッティは空いている右手で私に触れてきた。
 男らしい手が、優しく私の頬を包む。その温かな手のひらに、不覚にも心臓が甘く跳ねた。

「どうして泣かないんだ。そんな死んだ目になるくらいなら泣いた方がいいのに」

 皮肉な言葉を吐き出され、カッと頭に血がのぼる。

「貴方には関係ないでしょう!? 他人のくせに知った口を利かないで!!」

 語気をあららげて怒鳴る。……否、怒鳴るというより叫ぶ、と言った方が正しい。
 本気の怒りをき出しにしたのは久しぶりだ。しかも、それを身内のためではなく自分のために他人に向けるのは数えるほどしかない。それだけ今の私に余裕よゆうがない。

 奥歯を噛みしめて、激情を目に宿して睨む。
 向けられているレオネッティは悲しそうに目を細め――問うた。

「君は……救われたいと思わないのか?」

 それは、奥底に秘めている核心にれる問いかけ。

 今まで誰にも触れられたことの無かった、隠された思い。
 誰にも打ち明けられず、誰にも言えない願望。


 ――誰か助けてよ……なんて、言えるわけないじゃない。


 怒りが急速に冷えて、逆に苦しいほどの悲しみが押し寄せてくる。それでも歯を食いしばって目に力を入れる。

「言って……何になるの? それで何かが解決してくれるなんてありえないのに」
「君には家族や幼馴染がいる。その中の誰かに頼ればいいはずだ」

 ……頼る? ……誰に?

 その疑問が浮かんだ時点で、愕然がくぜんとする。
 私には、心から頼ろうと思える人がいない――その事実に、今になってようやく気付いた。


 両親は?

 ――二人は祥真おじさんと同じように、隠すことを強要する。


 兄さんは?

 ――彼には恋人である杏奈姉さんがいるから、頼りっきりは駄目だ。


 健斗は?

 ――今の彼には、耐えるのも大変な重責じゅうせきがかかっている。


 杏奈姉さんは?

 ――彼女は私と同じ無属性だけど、私と違って自由だ。当たってしまいそうで怖い。


 恭佳と凪は?

 ――彼女達は、いつも私を支えてくれている。今日にしたって頑張ってくれたのに、残念な結果になって傷ついてしまった。これ以上、傷つけたくない。


 西園寺沙織は?

 ――彼女に真実を話せないし、友達になれない。図々ずうずうしい願いを押し付けられない。


 誰もいない。私には、頼れる人なんていない。
 救ってくれる人なんて……いない。


 嗚呼ああ……なんだ。私には初めから救いなんて無かった。
 転生して、ようやく人並みの幸福を得られると思ったのに、自分の魔法が全てを台無しにしてしまう。

 こんなことになるなら、魔法なんて使えないままでいればよかった。そうすれば、学校なんて息苦しい場所に行かなくて済んだのに。

 ……希望なんて、持たなくて済んだのに。



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