風紀委員会の受難



 聖來魔法学園は、学園都市とも呼ばれている。それは教育の場だけではなく、病院や商店街だけではなく、小さなテーマパークといった娯楽施設もあるからだ。

 外界と遮断しゃだんした山のふもとにあるため、生徒のために作っている。
 そんなところに、人類の天敵である魔物が襲撃しない――なんてことはない。

 防護壁の他に、被害を想定して遮蔽物しゃへいぶつの少ない閑散かんさんとした敷地も用意してある。
 防衛線となるその付近に、風紀委員会の寮がある。
 商店街に近いが、学園の校舎までかなりの距離があり、不便な立地。それでも魔物に対応するにはこの上ない場所でもあるのだ。校舎までの距離は、足腰をきたえる運動にも繋がる。
 けれど、不便なものは不便なのだ。それは誰もが思っていることだった。

「はぁ……」

 風紀委員会寮の食堂で夕飯を食べ終えた恭佳は、紅茶で一服いっぷくしていた。
 満足感からくるのではない、物足りなさを感じさせる溜息ためいきいて。

「恭佳ちゃん、どうしたの?」

 隣に座っている同僚が声をかける。


 早乙女さおとめ真綾まあや。高等部一年T組に在籍する、恭佳のクラス内での友達。
 セミロングの茶髪に大きな黒茶色の瞳が特徴的な、華麗な美少女。
 身長は恭佳の幼馴染であり親友と同じぐらい。体型は華奢きゃしゃだが十六歳らしい肉付き。
 恭佳に引けを取らない美貌だけではなく、明るく溌溂はつらつとした性格は、風紀委員会寮でも人気である。

 四大属性の中で最も強力な火属性も持ち、成績も実力も上位に食い込む。魔法の才能もあり、風紀委員会という軍事組織で最前線に立つ第一班に所属する実力者。


 真綾は恭佳の様子に心配する。彼女が憂鬱ゆううつそうな表情を見せることは滅多にないから。
 だが、その心配は杞憂きゆうだった。

「有珠の紅茶が飲みたい」
「……U組にいる恭佳の幼馴染?」

 そう、と頷く恭佳に、少し不満を覚える。
「そんなに幼馴染さんがいいの?」
「ええ。市販より、あの子が作るレディ・グレイは格別よ。イギリス産より柑橘かんきつ系の風味が少し強くて……今日の鶏肉のソテーにぴったり」

 本日の夕食は鶏肉のソテー。ただのソテーではなく、オレンジソースがかかった贅沢な逸品いっぴん
 柑橘系の後味を残すためなら、有珠の作るレディ・グレイが一番だ。

「オレンジとチョコレートのケーキ……いえ、オランジュシフォンケーキと一緒に頼もうかしら」
「そんなに美味しいの?」
「美味」

 ここまではっきり断言する恭佳は珍しい。
 興味が湧いてくると、近くに二人の少年が近づいた。

「東雲さんは、花咲さんからお菓子をよく貰っているらしいです」

 クラスメートの土方隆司は、黒縁眼鏡の奥で鳶色とびいろの瞳を細めた。
 興味深そうに微笑む彼の隣には、長身の少年が。

 黒髪に切れ長な目付きは凛々しい和風美人を体現している少年は、風間かざま秀介しゅうすけ
 高等部二年生でありながら高等部の風紀委員長を務めている。
 魔法を合わせた剣道場の名門の子息で、常に木刀を腰に携えていなければ落ち着かないことから『さむらい男児』とも呼ばれている。

 第一班に所属する全員が食堂で集まるのは珍しい。真綾がそんなことを思っていると、隣にいる恭佳が剣呑けんのんな眼差しを隆司に向ける。

「……どうして土方が知っているの」
「時々、貴女のご友人を見かけますから」

 まさか見られていたとは思わなかった恭佳は不機嫌な顔で紅茶を飲み干す。

 その時、寮内の警報が鳴った。


『魔物が接近中。魔物が接近中。コード・クリムゾン。中・高等部、大学部の第一班は、速やかに五十六区に出撃してください。繰り返します――』


 魔物にはA〜Eまで格付けされる。その格付けで、ブルー、グリーン、イエロー、オレンジ、レッドという順に危険度が繰り上がっていく。
 風紀委員会は学部によって六班まで編成され、ブルーとグリーンなら六班、イエローなら四・五班、オレンジなら二・三班、レッドなら一班が対応する。

 通常は地区によって各学部が割り当てられるのだが、それ以上の魔物はコード・クリムゾンとされ、全学部の一班で討伐に向かわなければならない。それくらい危険な相手なのだ。

「コード・クリムゾン!?」
「Aランクモンスターだなんて……! なんでこんな時期に……!」

 食堂にいる風紀委員達が騒然そうぜんとなる。そんな中で、風間が手を叩いて注意を引いた。

「落ち着け! 中・高・大の第一班以外は商店街へ! すみやかに住民を守れ! 初等部以外の第一班は即出陣そくしゅつじんする! 時間を無駄にするな!」

 冷静に指揮しきする風間は、リーダーの資質を持つ。
 彼の一喝いっかつにより全員が我に返ると、第一班が出動した後に風紀委員会寮から出た。



(――まったく、ついてないわ)
 無駄口を叩く者はいない。その中で恭佳は内心で舌打ちし、隊列を乱すことなく走る。
 指定された現場に到着すると、まだ魔獣の姿は見えない。
 いや――遠吠えが聞こえた。
 恐らく狼型の魔物。上位の脅威きょういに位置する魔物だ。

「風間先輩……」

 真綾が不安そうな声を漏らすが、風間は木刀を構えた状態で真綾の頭を撫でる。

「来たぞ」

 一人が告げると、地響きを立てて猛進もうしんする四足歩行の獣が見えてきた。

「中等部第一班、火・風魔法で牽制! 高等部第一班は上級魔法を! 大学部第一班は最上級魔法を!」

 大学部の風紀委員長の指示に従い、中等部、少し間を置いて高等部の隊員が呪文を詠唱する。

『鋼よ、天を突く鋭利なやいばとなり穿うがて=I』
『火よ、灼熱しゃくねつの業火をもってて焼き尽くせ=I』
『風よ、無数の刃となり切り刻め=I』

 中等部が牽制けんせいの魔法を放つ間に、隆司、真綾、秀介がそれぞれ得意とする魔法の呪文を唱える。

『闇の幽鬼ゆうきよ、我が忠実なるしもべとして顕現けんげんし、我が同士を護り、我が敵をて=yファントムソルジャリー】!』

 恭佳が意志を持つ幻影げんえいの兵士を生み出す。一体だけではない。数十体という幻影の軍隊だ。一体ごとにことなる武器をたずさえ、創造主の命令を待つ。

『【スティーリースピア】!』
 中等部第一班が前線から後退すると、高等部第一班の隆司が発動した鋼魔法が、とげのように地面から飛び出す。
 狼の魔物が高く跳躍ちょうやくしてかわしたが……

『【ヘルファイア】!』
『【風刃ふうじんの乱舞】!』

 真綾が地獄の業火のごと猛火もうかを、風間が木刀をひと振りして無数の風の刃を放った。続いて大学部第一班の隊員も、持ち得る最上級魔法を叩き込む。
 空中で身動きの取れない狼の魔物に直撃する。
 すべもなく攻撃を一身に受けた魔狼まろうは――――爆炎の中から姿を現した。

「なッ――!?」

 漆黒の体毛のせいで負傷した箇所かしょが見当たらない。恐らく、無傷。
 赤黒い眼光を受け止めた下級生は硬直するが、想定していた恭佳は幽鬼兵ゆうきへいに命じる。

「弓兵、矢を放て! 槍兵、前へ! 剣兵、守備を固めなさい!」

 的確な指示により、幽鬼兵は幻影の矢を放つ。だが、魔狼は咆哮ほうこうとどろかせて矢を打ち消す。

まぼろしよ、常闇とこやみおりいざなえ=I 【ダークネスブラインド】!』

 着地する直前、中等部第一班に所属する副委員長・澪標深幸が幻覚魔法をかける。

 着地の数秒前に視界が真っ暗に染まった魔狼は平衡へいこう感覚を失い、地面にくずおれる。
 ヨロヨロと起き上がって頭を乱暴に振り回す魔狼は混乱しているように見える。そのすきのがさない幽鬼兵は、好機と捉えて襲いかかった。

「助かったわ」
「ちょっとあせりました……」

 深幸の英断えいだんに感謝する恭佳。

 危なげではあったが、この調子なら倒せると誰もが希望を見出した。

 ――しかし、現実は甘くない。

『【リフレクション】!』

 深月が空に手をかざして鍵の呪文キーワードを唱えた。
 直後、何かを強くはじく音と奇怪きかいな悲鳴が響き渡った。

 肌が粟立あわだつ。誰もが月が浮かび始めた薄暗い空を見上げれば、闇夜の中なら同化しそうな、巨大な怪鳥かいちょうが飛んでいた。

「えっ!? 二匹だったの!?」

 誰かが情けない声を上げる。
 それも仕方ない。怪鳥も魔物。しかも、Aランクらしき獰猛どうもうさが感じられる。

「やばいよ……」

 逃げ腰になる風紀委員が増え始める。赤黒い目をギョロリと向けた怪鳥は、恐れている中等部の少女をまようことなく狙う。

『【風刃】!』

 風間が木刀を振り切り、風の刃を飛ばす。

 怪鳥の右翼うよくが切断され、狙われた少女の近くに血をき散らしながら落ちる。
 少女が腰を抜かす前に、近くにいた大学部のリーダーである青年が彼女を抱き上げて、その場から離脱りだつする。

 地に落ちれば上空には戻れない。そう高をくくって誰もが呪文の詠唱をはじめる――が。

「んなっ!?」

 怪鳥の右翼の切断面が盛り上がり、不気味な動きでうねりながら伸びる。徐々じょじょに羽毛まで生えて――


「さい……せい……?」


 恭佳が力無くつぶやく。

 そう、再生したのだ。ありえない速さで、ありえない現実を見せつけたのだ。

 中等部の風紀委員が半狂乱はんきょうらんになって逃げまどう。
 かろうじて中等部の風紀委員長と副委員長の深月と深幸、高等部と大学部の隊員は取り乱すことなく退路を見出そうと策を練る。

 恭佳でさえ心が折れそうになった。
 それでも――

(私が逃げたら……あの子達が傷つくじゃない!)

 大切な幼馴染――有珠と凪に危険がおよぶ。
 彼女達を守りたい。その思いからくちびるを切るほど噛み締めて気を強く持つ。

「恭佳さん!」

 深月が叫ぶ。
 我に返って背後へ目を向ける。そこには幽鬼兵をほふり尽くした狼の魔物が恭佳をにらんでいた。

 唸り声を上げて足に力を込める魔狼。
 魔狼の速さを前にすると、魔法を行使したくても詠唱が間に合わない。


(――死……)


 飛びかかる魔狼。死を幻視げんしして、膝が折れた恭佳。

「恭佳さああぁぁぁぁん!!」

 深月の絶叫がつんざく。

「ギャインッ!」

 聞こえたのは、鼓膜こまくを突き刺すような甲高かんだかい悲鳴。
 反射的に目を閉じていた恭佳は、痛みが来ないことに疑問をいだく。
 恐る恐るまぶたを開けば、煌々こうこうと輝く月のような光が見えた。

(……違う。髪……? まるで、きぬのような……)

 真っ直ぐ伸びた髪が風になぶられ、月光を浴びてつやを帯び、全体が輝く。
 神々しささえ感じられるプラチナブロンドは、懐かしくなるほど見覚えがあった。



「――あり、す……?」



 か細く漏らした声。しかし、すぐに頭から消そうとする。
 何故なら、彼女は学園で魔法を禁止されているから。
 苦しい思いをしてまで、身内のために魔法をかくしてきた。
 彼らの思いを、無駄にしないように。
 だが、振り返った彼女は――――――



「助けに来たよ、恭佳」



 ――間違いなく、花咲有珠だった。



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