戦女神



 優しく微笑みかける有珠の姿に、胸の奥から熱がほとばしる。

「どうして…………どうして、来たのよ……? 貴女は……!」

 守ってくれる身内のために魔法を秘匿ひとくしなければいけない。その約束を今、破ってしまった。
 理解できなくてかすれた声で叫ぶ恭佳に、有珠は悲しそうに目を細めた。

「大切な人をうしなうくらいなら、約束なんてどうでもいい」

 有珠は片膝をついて目線を合わせると、恭佳の頬を撫でる。
 噛み切って血を流す唇を見て、有珠は泣きそうな顔になり、目を伏せた。

「貴女を喪ったら、私はどうすればいいの? どうつぐなえばいい?」
「償うって……」

 どうしてそんなことを言うのか。

 困惑こんわくする恭佳に、有珠は微笑んだ。
 涙でうるんだむらさきの瞳を細めて。

「守れる力があるのに守れない。それは私の存在意義を否定することだよ」

 苦しそうな笑顔に、恭佳は瞠目どうもくする。

「お願いだから、守らせて」

 掠れた声は弱々しくない。
 むしろ、強い覚悟さえ感じられた。

「恭佳ちゃん! 逃げてぇ!!」

 ゆっくり立ち上がった有珠。そこにいる恭佳に、真綾が声を張り上げる。

 しかし、有珠は振り向かない。
 むしろ、目を閉ざしたまま空に手をかざした。

『【反射の球盾リフレクションドーム】』

 呪文破棄はきで唱えられた魔法名。一瞬で生じた半球型の光に当たったのは、魔狼と怪鳥。

 ただふせぐのではなく弾き返すたては、光系統の魔法。
 干渉魔法により世界式を直接書き換えられる有珠だからこそできる、反則的な早技。

 二匹は悲鳴を上げて、後方に弾かれる。
 巨体にもかかわらず数十メートルも遠くへ飛んでいく魔物に、誰もが目を丸くする。
 その間に、有珠は初めて詠唱した。

『トネリコのつかあるじしたがい、ルーンを刻みしやいばは敵を逃すことなく射貫いぬく=x

 右手に生じる、紫色の光。視覚化された魔力は、イメージ通りに形状を変える。

は必中にして必勝をもたらす勝利の槍=x

 よどみなく朗々ろうろううたう声には不思議な響きが秘められ、周囲の空気の流れを変える。
 声に呼応こおうして、紫色の光に白金色が入り混じる。


『〈生成クリエート〉――【グングニル】』


 横に伸びた光は燐光りんこうを散らして、一振りの得物の姿を現す。

 それは、槍。
 通常よりやや短く太い穂先ほさきを有するそれは、振るうためにあるのではない投擲用とうてきよう投槍なげやりだ。
 白金色の模様が透明度の高い紫色の長柄にほどこされ、刃の表面にはルーン文字が刻まれている。
 神聖性さえ感じられる槍だが、秘められた力は強靭きょうじん

『【身体強化】を〈付与エンチャント〉』

 有珠は自身に付与魔法を施して、地面に転がってふらつきながら起き上がる魔狼を見据える。
 すべるように右足を後ろへ引き、腕に力を込め――魔狼に目掛けて鋭く槍を投げた。

 常人ではありえない膂力りょりょくにより、驚異的な速度で飛来ひらいする。
 気付いた魔狼は反射的に横へ踏み出し、紙一重でかわす。それでも掠めたようで、頬から毒々しい血を流した。

 怒りを覚えたのか、魔狼は高らかにえ、有珠に向かって駆け出す。

『一度振り上げた刃はたましいねらい、振り下ろす刃は魂をる=x

 有珠はせまり来る魔狼を目にしても動かない。あろうことか静かにまぶたを閉じて、呪文を詠唱する。
 高等部の第一班に所属するほとんどが危ないと感じて魔法を行使しようとする。
 だが、残り一メートル。あと一秒もなく魔狼は有珠を食い殺すだろう。

 誰もが間に合わないと目をらしかける。

 ――だが、それは叶わない。

 飛び掛かった魔狼の真横から、何かが魔狼のこめかみに突き刺さり、首をいだのだ。
 突然のことに認識する間もなく、命をまれた魔狼。数メートル先に転がった頭部には何もついていないが、貫通かんつうしたと思われる風穴かざあなが空いている。

 勢いに呑まれて頭部に向き合うように逸らされ、軽く飛んだ胴体から血が噴き出る。
 舗装ほそうされた地面に広がるおびただしい血潮ちしお
 血腥ちなまぐさい空気が辺りを支配しても、有珠は詠唱を続ける。

『絶対的な力は暴虐にあらず。其は冥府めいふへ導く力り=x

 誰もが呆然と見ていると、あの槍が有珠の手元へ戻り、ふわりと消えた。

「……グングニル?」

 恭佳は、有珠が作り出した槍の名称を呟く。

 グングニル。向けられた敵は逃げることなど許されず、回避かいひしたとしても追い詰められて、容赦ようしゃなくつらぬかれる。そして、標的を貫いた後は持ち主のもとへと戻ってくる。
『揺れ動くもの』という意味で名付けられたそれは、北欧神話に登場する最高神オーディンが携えた神の槍。
 花咲有珠という少女は、生成魔法によって神の武器を生み出したのだ。

 近くで聞いた恭佳は理解して、取留とりとめない気持ちで有珠を見つめる。
 再び生成魔法を行使する有珠は、詠唱の最終段階に入っていた。

『其は死と再生をつかさどる神の大鎌=x

 詠唱により、鳥肌が立つほど神聖な何かが放出される。その魔力にてられた怪鳥は羽毛を逆立たせ、動きが止まる。

 逆らえない何か≠感じてしまったから――。


『〈生成クリエート〉――【デスサイズ】!』


 右手に集まる澄んだ魔力が、瞬く間に巨大な形状へ変貌へんぼうを遂げる。
 柄は長く、精緻せいちな植物の模様がり込まれた湾曲わんきょくした白金の刀身を固定している。

 それは、死と再生を司る神――死神が携えるべき大鎌だった。
 けれど禍々まがまがしさは存在しない。
 透き通る色に染まった大鎌は、死を象徴しょうちょうするにしてはあまりにも美しすぎた。


 ――これは、敵対してはならない存在ものだった――


 高ランクに指定される魔物は、人類と同じような特出した知能を持つ。
 魔物の中で珍しく高知能を有する怪鳥だからこそ、感じ取ることができた後悔。
 しかし、逃げるという選択肢を持たない。いくら相手が強くても、極上のえさを見逃すほど腑抜ふぬけではない。

「クルゥアアアァァァ!」

 己を鼓舞こぶするように奇怪な鳴き声を上げる。
 有珠は近くにいる恭佳を巻き込まないために、次の魔法を自身にかけた。

『【天歩てんほ】を〈付与エンチャント〉』

 足に不思議な魔法がかかった感覚の直後、有珠は高く跳躍ちょうやくした――ように見えた。

「なっ――!?」

 しかし、実際は違った。ちゅうを駆け上がっていたのだ。

 誰もが絶句する光景だが、見覚えのある付与魔法に、恭佳は見惚みほれる。
 金糸を織り込んだ純白のロングコートをはためかせ、空を駆ける姿は、戦女神の様。

 怪鳥は近づく有珠に恐怖を覚え、空気を吸い込んだ。
 そして、くちばしを大きく開き、黒々とした何かを吐き出した。

 冷たい夜風を熱気に変えるそれは、漆黒の炎。

 固有能力を持つ魔物は少ない。その上、再生能力までそなえる魔物は、未だ発見されたことが無かった。故に怪鳥は、伝説級のSランクに指定される魔物だった。
 Sランクの魔物は災害級とも呼ばれ、数か国総出で対処しなければならない。それだけ危険な存在なのだ。

 だが、有珠はものともせず、吐き出された炎に目掛けて大鎌を振り切った。

「はぁあっ!」

 瞬間、黒炎は切り裂かれた。
 まるで海を割った神話の賢者のように、黒炎は切られた箇所を中心に薄れ、消える。
 視界が開け、有珠が見たのは背中を見せる怪鳥。

「逃がすか」

 大切な幼馴染を殺そうとした敵だ。見逃す理由などありはしない。

『【神速】を〈付与エンチャント〉』

 有珠は【天歩】に新たな魔法を上書きすると、空をひと際強くり――



 ザンッ――!



 刹那という速さで、すれ違いざまに大鎌を振るった。
 大鎌の刃にかかった怪鳥の肉体に傷はない。にもかかわらず、怪鳥は地面へ落下した。
 鈍い音を立てて地面に転がった怪鳥は白目をいている。

 魂を抜かれたような――という表現ができるが、まさに魂を失ったのだ。

 有珠が作り上げたデスサイズ――これは生者の魂を強制的に刈り獲る。
 だから生命力を完全に失った。そうなれば再生する力さえ無意味な付属品となる。

 吐息とともに大鎌を消した有珠は、空に浮かぶ満月を見上げ、瞼を閉じる。
 全ての敵を倒した余韻よいんひたる。その姿を見た地上にいる者達は――

「女神、さま……」

 心を奪われた顔で呟いた。



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