涙の理由



 祥真さんとの面談が終わり、職員棟から出る。
 まさか私が受けたこれまでの仕打ちを知らなかったとは思わなかった。どれだけ苦しい思いをして学園にいたのか、考えてくれていなかったなんて……。

 ショックが大きすぎて、涙が止まらない。
 はなすすってハンカチを顔に押し当てる私を、凪が支えてくれた。

「……あ。恭佳のケーキ……」
「今はご自分のことを優先してください」
「……ありがとう」

 涙声でお礼を言うと、凪はもどかしそうに眉をひそめた。
 謝りたい気持ちでいっぱいになるけれど、彼女は謝罪の言葉を聞きたくないだろう。
 何か話題を振りたくても、今の私には難しい。

 どうすればいいのか分からなくなっているうちに、いつもの公園に着いた。
 休憩所となっている一角にある椅子にうながされ、腰を下ろす。

「有珠さん、何か買ってきましょうか?」

 気遣ってくれているが、今は何もほしくない。というより、離れたくなかった。
 首を横に振って凪のそでを掴むと、彼女は私の背中を撫でてくれて、ほっと肩の力が抜ける。

「香崎?」

 その時、凪を呼ぶ声が聞こえた。覚えのある声に肩に力が入り、ハンカチで顔を隠す。

 ……ハンカチ、もう意味がないくらい濡れていた。泣きすぎでしょう、私……。

「夏目君……と、レオネッティ君ですか。どうしてこちらに?」
「生徒会の仕事が終わったところなんだ。それより……」

 さっきぶりのレオネッティの声に、さらに居たたまれなくなった。
 逃げたくなっていると、誰かが私の肩に触れる。

「有珠、何があった?」

 レオネッティだった。
 無意識に肩が震えたけれど、彼に頭を撫でられて、弛緩しかんしたように緊張感が緩む。
 不思議な感覚だが、嫌な感じはしなかった。

「――ぁ……っ……」

 何か言おうと声を出す。しかし、喉が痛み、まともにしゃべれなかった。
 もどかしくて余計に涙が溢れてくる。

「……香崎。あの後、何があった? もしかして呼び出しの相手に何かされたのか?」

 レオネッティの鋭い質問に、凪は「それは……」と言いよどむ。

 ……もう、話してもいいかな。

 彼なら大丈夫な気がする。そう思って、凪に向いて頷いて見せた。
 私の仕草に意味を汲み取ってくれたようで、凪は逡巡しゅんじゅんしたが代わりに話してくれた。

「……実は、理事長に呼ばれたのです」
「理事長に?」
「はい。そこであの方々の酷い事実を知ってしまって……」

 凪の言葉に「酷い事実?」と夏目紀が復唱する。
 そして、あることに気付いた。

「あの方々って……理事長だけじゃないのか?」

 夏目紀の指摘に、凪は肯定を込めて私の事情を語った。

「理事長は、有珠さんのご両親の親友です。有珠さんが幼い頃から交流がありまして、その経緯で杏奈さんと出会い、彼女を救いました。……当時の魔法特務管理局は、数十年前の他国からの攻撃のせいで、次は未然に防ぐための戦力を集めていました。それから有珠さんを守るために、魔法を秘匿ひとくするようにしたのです」

 これが私の魔法を秘匿する経緯。親として我が子を守るための行動だった。
 自分のことなのに、どこか他人のような気持ちで聞いているうちに、気分が楽になってきた。

「杏奈先輩を救った……? それは……」

 レオネッティが何かを察したようだ。
 私は機能を失くしたハンカチで鼻をおおうように隠して顔を上げる。
 首を横に振れば、彼は息を詰める。

「守ってるって……言っておいて……結局、自分達の、都合ばかり……で……」

 思い出すと、怒りからまた涙が溢れてきた。
 見られたくなくてうつむくと、凪が私の背中を撫でた。

「……本来なら、もっと自由でいられたはずでした。あの方々を裏切らないために耐えていらしたのに、有珠さんのことを理解しようとしていなくて。あの方々のせいで、有珠さんの人生は狂いました」

 大人達の自分勝手な都合で、私の人生は狂った。
 この現状を打破したくても、それすら叶えられない。

 どうすればいいのか分からなくて、何もかも投げ出したくなった。
 でも、それは逃げだ。もう、前世のように諦めることはしたくないから。
 けれど私は、自由に身動きがとれない。そんな無力な自分が大嫌いだ。

 奥歯を噛みしめて憤りを耐えていると、レオネッティは私の頭を撫でた。
 そして――

「有珠、少し我慢してくれ」
「……え? ……!?」

 顔を上げた瞬間、レオネッティの顔が間近にせまった。
 驚いて反射的に身をすくめると、急な浮遊感が。
 同時に感じる温もりで、レオネッティに抱き上げられたのだと気付く。

「ぇ……あ、あの……えっ?」
「レオネッティ君、有珠さんをどうするつもりですか」

 剣呑けんのんな顔でレオネッティを見上げる凪に、彼は平静に答える。

「生徒会寮に連れていく。今なら魁先輩もいるはずだ。香崎も来てくれるか?」
「言われなくともついて行きます」

 私を心配しているのもあるし、私に何かされないか見張るためもあるだろう。
 微笑したレオネッティは、私を抱きかかえたままスタスタと歩き出した。

 ちょっ、速い、速い……!

「あ、あの……自分で歩けるから……! それに重い……!」
「今はまともに歩けないだろう。それと重くない。むしろ平均以下じゃないか。ちゃんと食べているのか?」

 食べてる、と小声で答えつつレオネッティの服にしがみつく。
 横抱きなんて初めてで怖い。それに気付いたのか、レオネッティは少し速度を落とす。

 ……こういうところがモテるんだろうなぁ。
 なんて、他人事を思いながら、彼に身を預けた。



 あっという間に生徒会寮に到着すると下ろされて、手を引かれてある部屋に入る。
 そこは温かみのある内装が心地よい談話室だった。

「有珠?」

 室内にはいろんな人がいた。その中には魁兄さんと杏奈姉さん、中等部の生徒会組と勉強会をしている健斗がいた。

 ……眼鏡、途中でしてよかった。今の私、酷い顔だから。

「ジョット、なぜ有珠を?」
「魁さん。理事長に呼ばれて……」

 剣呑な顔で問いかける兄さん。けど、凪が経緯の冒頭だけを告げると、兄さんと杏奈姉さん、健斗の顔が強張こわばった。
 真っ先に動いたのは杏奈姉さん。私に駆け寄って肩に手を置き、頬に触れた。
 そして、息を呑む。私の頬が濡れていることに気付いて。

「有珠、大丈夫……じゃあ、ないよね」

 杏奈姉さんの気遣う言葉に、また涙が流れた。
 歪んだ顔を見られたくなくて、杏奈姉さんの肩にひたいをつけて深く息を吐き出す。

「……魁」
「ああ。みんな、すまないがラウンジに移動してくれ。健斗は残るように」

 大学部の生徒会長の言葉は絶対だ。生徒会の人々は戸惑いながら談話室から出ていく。
 けれど、レオネッティは残った。

 動かないレオネッティに、杏奈姉さんが怪訝けげんな顔で呼びかける。

「ジョット君?」
「俺は彼女が『属性無し』だと知っています。昨晩の正体が彼女だとも」

 レオネッティの言葉に衝撃が走る一同。

「言っておきますが、彼女から何も聞かされていません。これはただの推測ですから」
「……これは身内以外に明かせない重大なことだが……」

 兄さんが渋るけれど、レオネッティは引かない。



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