臆病な心



「魁さん、そろそろ門限です」

 凪の一声で、ハッと我に返る。

「ん? あぁ、そういえばそうだな。杏奈、有珠と凪を送ってくる」
「気をつけてね。有珠、凪ちゃん、おやすみ」
「おやすみ、姉さん、凪先輩」

 挨拶する杏奈姉さんと健斗。
 なんだか家にいるような感覚の挨拶に心が軽くなって、自然と笑顔が浮かんだ。

「うん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 私に続いて凪も会釈えしゃく
 最後に、レオネッティに顔を向ける。

「レオネッティ君も、おやすみなさい」

 微笑んで言えば、レオネッティは軽く目をみはった。

 私が挨拶しないと思っていたのだろうか? 礼儀はしっかりしているつもりなんだけど……。
 固まったレオネッティに首を傾げてしまうが、ふっと彼は笑った。

「ああ。おやすみ」

 穏やかな微笑とともに言葉を返してくれた。
 レオネッティの柔らかな表情と声音に、胸の奥が温かくなる。
 どうして嬉しいと感じるのか分からない。でも、この胸の熱は嫌なものじゃなかった。



 兄さんに送られて、夕食後は自室のシャワールームで汗を流す。
 本当は大浴場で湯船に浸かりたいけれど、私は本性を曝すわけにはいかないから、どうしても浴槽のないシャワールームになってしまう。
 今日のようなしんどい日にこそ、湯船でリラックスしたいのだけれど……。

「ただいま戻りました」

 ドライヤーの代わりに干渉魔法を行使して、温風を生み出す。
 魔法で満遍まんべんなく髪を乾かしていると、大浴場から凪が帰ってきた。

「あ、おかえりなさい。……どうしたの?」

 少し沈んだ表情で俯く凪の様子に異変を感じた。
 心配になって側に寄ると、口を引き結んだ凪は勇気を振り絞るかのように顔を上げた。

「あの……本当に魔法演武大会に出られるのですか?」

 不安そうな面持ちで訊ねる凪。兄さん達と違う反応に、少し意外に思ってしまう。

「凪は反対?」
「……いえ、そういうわけではなく。ただ、有珠さんのご両親の反応が……」

 凪の杞憂きゆうを理解する。
 祥真さんの場合は仕方がなかった。けれど、何も知らない私の両親が知ったら、きっと失望するだろう。

 私が責められないか心配してくれる凪の思いが嬉しくて、私は頬を緩めた。

「覚悟の上だよ。それに、今まで反抗期らしいことしてこなかったから、ちょうどいいと思うし」
「それだけではありません。有珠さんはレオネッティ君と戦えるのですか?」

 唐突にレオネッティが話題に出てきて目を丸くする。

「戦えるけど……それがどうしたの?」

 不思議な顔で首を傾げると、凪は眉を下げた。

「有珠さんは、レオネッティ君のことをどう思っていますか?」

 質問を質問で返されて戸惑う。

 レオネッティのこと……? どう思っていると言われても……。

「……いえ、失言でした。忘れてください」

 落ち込んだ様子で言葉を取り消した凪は、俯き気味で寝室に入っていった。

 どうしたんだろう。いつもの凪とは少し違う気がする。

 そもそも凪は何を伝えたかったのだろう。私がレオネッティへ向ける感情を知りたそうだったけど、私は他人に対して不信感を抱いてしまう。
 だって、この学園に在学する人達は、私をおとしめて嫌がらせまでしてきたのだから。
 レオネッティは、そんなことはしなかったけれど……。


 ――「ありがとう」


 放課後に告げられた言葉を思い出す。
 そういえば、あんなに優しい顔で感謝の気持ちを真っ直ぐ伝えてきたのは彼が初めてだった。
 私は言葉を返せなくても、また明日、とぎこちなく言えば嬉しそうに言葉を返した。


 ――「ああ。また明日」


 あの時、胸の奥が熱くなるほど嬉しくなった。
 不思議な心地に、それがどういうものなのか漠然と感じ取った。
 でも、私はそれを否定する。自覚したら戻れなくなりそうで……怖い。

「やっぱり私、臆病者だ」

 意気地なしで臆病な自分の痛む心に、小さく自嘲した。



◇  ◆  ◇  ◆



 魔法演武大会に出場するには、担任の教師に申請書しんせいしょを提出する必要がある。
 私自身から提出するのは難しいので、そこは兄さんが運営側に申請すると連絡が来た。

 不安でいっぱいになりながら一日を過ごしていると、放課後、榊原先生に呼ばれた。

「花咲。大会に出るそうだな」

 誰もいない教室に入ると、単刀直入で言われた。

 やっぱり担任だから知ってしまうよね……うん、仕方ないよね。

「……はい」
「理事長の言いつけをやぶる気か?」

 剣呑な眼で責める榊原先生には以前、私の抱えている事情を話したことがある。
 だからこその不信感だろうけど、祥真さんの言いつけを破るのは覚悟の上。

「先に裏切ったのはあの人達ですから」
 思い出しただけで暗い目に変わる。大嫌い≠ニいう感情以上の負の念がこもる。

「私を守ると言っておきながら、私を害した生徒のことを知らなかった。自分達の都合ばかりで、私の自由と権利を奪った。それは貴方がた教師も含まれます。どうして私を害した生徒達のことを理事長に伝えなかったんですか?」

 私の能面のような顔で、憤りを込めた声で淡々と言えば、榊原先生は表情を固めた。

「それ、は……退学処分はけないと……」
「私が魔法で怪我をするのはいいんですか。ずいぶんと理不尽なんですね。先生がそんな非道な差別をするなんて思いませんでした」

 怒りから声が固くなると、榊原先生は青ざめる。

 私ばかりを責めるなんてお門違いだと知れ。そして自分の間違いを認めろ。
 ……なんて言ってもしょうがないんだけどね。

「……もう、疲れました。二度と貴方がたを信用しません。では、失礼します」

 できる限り普段通りの声を心がけたが、疲れきった声になってしまう。

 自分が思っている以上に心労が溜まっているようだ。そんな自己分析をしながら教室から出て、そっと溜息を吐く。同時にうるんでいた目から涙がこぼれた。

「有珠」
「っ!?」

 突然かけられた声に肩が跳ねるほど驚く。顔を向ければ、そこにはレオネッティがいた。

「え、何でここに……?」
「生徒会室はこの先のエレベーターでないと行けないんだ。それより……」

 意外な情報のあと、レオネッティは私の頬に触れた。唐突とうとつすぎて反応が遅れてしまうと、彼は思いつめた顔で目を細めた。

「また泣いたのか」
「え? ……あ」

 そういえば涙が出たんだっけ。
 一瞬忘れていた自分自身に苦笑いを漏らしてしまう。

「別に泣いてない。ちょっと疲れただけ」

 昨日からの心労が取れなくて、しんどいだけ。別に耐えられないものではないから、きっと大丈夫だ。
 けれど、レオネッティはつらそうに顔を歪めた。

「俺では有珠の力になれないのか……?」

 苦悩をたたえた声音に、心臓が痛いほど跳ねた。

 私は慣れているから平気だけれど、レオネッティからすれば違うのかもしれない。
 そう思い至ると、申し訳ない気持ちになった。

「そんなことない。だって昨日、すごく助かったんだよ。レオネッティ君がいたから兄さん達に会えたし、立ち直れた。でないと今頃、部屋に籠っていたと思うから」

 それくらい追い詰められていた自覚はある。でも、彼が助けてくれたから持ち直せた。レオネッティがいなければ、私は塞ぎ込んで今でも泣いていただろう。

「この前だって、恭佳と凪に本音を言うきっかけを作ってくれた。充分力になってくれているし、助けられて……」

 ここまで言って、小さく笑う。

「今まで他人が助けてくれたこと、なかったから」

 思い返せば、地味な外見と魔法を使えないのが原因で、誰もが私を傷つけた。
 そんな中で、レオネッティは私を助けてくれた。

「遅いかもしれないけど……助けてくれてありがとう」

 昨日、言えなかった感謝の気持ちを伝える。
 穏やかな笑顔で、心からの思いを込めて。

 すると、レオネッティは目を丸くして……力無く笑った。

「強いな、有珠は」

 少し湿っぽいけど、吹っ切れたような笑顔。
 立ち直れたのだと分かって安心して、私も頬を緩める。

「大会、楽しみにしている」
「うん。絶対勝つから」

 ぐっと両手の拳を作ってみせれば、レオネッティはおかしそうに笑った。
 その笑顔に、何故だか胸の奥が締めつけられたような気がした。



◇  ◆  ◇  ◆




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