救われる心



 杏奈さんが泣き疲れて眠ると同時に、私も気が緩んで眠ってしまった。
 リビングのマットレスに寝ころんでいた私は起き上がり、しょぼしょぼする目を擦ろうとする。けれど、杏奈さんが右手を握っていることに気付いて、左手で目を擦った。眠っていた私達にモフモフのタオルケットが掛けられていたから、体は冷えてない。

「有珠ちゃん、大丈夫かい?」
「ふえ?」

 リビングと隣接するダイニングルームにあるダイニングテーブルセットに座っている男……祥真さんが声をかけてきた。
 六人掛けのテーブルにはコーヒーカップがあって、彼の正面の席にはお父さん、その隣にお母さんが座っていた。

 頷くと、祥真さんはほっと安心してほおを緩めて、けれどすぐに表情を引き締めて頭を下げた。
 彼の行動に、ぽかんと口を開けてしまう。

「ありがとう。君のおかげで杏奈は救われた。僕は職業柄、支えてあげることすらできなかった。そのせいで杏奈をここまで追い詰めてしまったんだ」

 苦しめてしまったことをやむ祥真さん。
 けれど、ただ追い詰めてしまったのではないと、私は何となく気付いた。

「……もしかしてだけど。杏奈お姉さんが科学を勉強したのって、祥真おじさんのオススメ?」

 子供の杏奈さんが科学の存在を認知にんちしているはずがない。だから、この場合は親が教えてすすめたから習い始めたのではないかと推測した。
 何となく感じたことを訊ねれば、祥真さんは目を丸くしてぎこちなく頷く。

「じゃあ、大丈夫。祥真おじさんは、ちゃんと杏奈お姉さんを支えているよ」
「……どうしてそう言える?」

 怪訝けげんな顔をする彼に、私ははにかむ。

「だって、科学っていう難しい勉強をしたから、錬金魔法が出てきたんだよ? 科学の勉強をオススメしたから、杏奈お姉さんは錬金魔法を使えたの。錬金魔法ができたのは、祥真おじさんのおかげだよ」

 祥真さんが勧めなければ、杏奈さんは複雑な魔法を使えなかった。だから、ちゃんと支えられているのだと感じられた。

 ね?と笑顔で同意を求めれば、祥真さんは口を引き結んで右手を目元に当てた。わずかに肩を震わせて、泣きそうな顔を隠してしまう。
 あれ?と首を傾げると、お母さんは微笑ましそうに表情を緩めて、私の隣に来ると頭をでてきた。

「本当に有珠は優しい子ね」
「……そうかな?」
「そうよ。じゃないと祥真の心も救わないわ。彼、ずっと杏奈ちゃんのことで思いなやんでいたの」

 父親として、愛娘を心配していた。苦しませることばかりで、救えないことがもどかしかった。
 その想いがやっと消えたのだと、初対面の私でも感じられた。

「だから、私からもお礼を言わせて。二人を救ってくれてありがとう」

 お母さんの慈愛深じあいぶかい微笑みと感謝の言葉に、胸の奥がじわじわと熱くなる。
 私でも誰かを救えるのだと、実感できて……。

「……うん! どういたしまして」

 安心から、私まで嬉し涙があふれた。



 あの日をきっかけに、私は杏奈さんのことを『杏奈姉さん』とくだけて呼ぶようになり、杏奈姉さんは私を『有珠』と呼び捨てで呼ぶようになった。……でも、時々『私の女神』とか『天使』とか恥ずかしい言葉を口にする。どうしてこうなった。

 杏奈姉さんは有名な魔法学園に編入する。その翌年の春まで私の家に遊びに来て、一緒に魔法の研究をして精度を上げた。
 冬の長期休暇に帰ってきた兄さんも参加したけど、時々不機嫌になって私を取り合う。

 その時に知ったけど、兄さん……シスコンだった。
 かなりの美形なのにシスコンって残念過ぎる。愛されていると解って安心するけど!

「杏奈。今日は俺にゆずってくれてもいいだろ」
「嫌。明日には帰らないといけないんだから、それまで私の女神様は私の!」
「確かに有珠は女神で天使だ。けど、杏奈のじゃない!」

 ……途中で言いあらそいになるのはやめてほしい。というか、よくきないなぁ。
 ここは、あの手で収めるしかない。

喧嘩けんかしないの! 部屋に戻っちゃうよ!?」

 軽く怒れば、ピタリとやめた。そして同時に私の手をそれぞれ握ってきた。
 逃がさない、と拘束しているようだ。いや、実際拘束だけど。
 溜息ためいききたくなったが飲み込んで、二人の手をギュッと握って頬を緩める。

「みんな仲良く! 私は二人のだから、喧嘩しないでね」
「「……天使だ」」

 だから何でそうなんの。

 笑顔で言った私の頬が一気に赤くなったのを感じて、どうしてもうつむいてしまう。その様子を、二歳になったばかりの弟の相手をしながらながめているお母さんが微笑ましそうに笑っている。
 かなり恥ずかしくて、やっぱり部屋に戻りたくなった。

「心配だなぁ。あと二年で、有珠も学園に入るでしょ? みんなに取られるのは嫌だ」
「……確かに。よし、有珠。眼鏡で顔を隠さないか?」
「えっ!?」

 兄さんからそんなことを言い出すなんて思わなかった。こういう手のことでは杏奈姉さんと意気投合するんだよなぁ。
 でも、これは目立たなくなるチャンスでは?と思っていると、お母さんが爆弾発言を投下した。

「大丈夫。ちゃんと用意しているわよ」
「「本当!?」」

 まさかすでに用意しているとは思わなかった私は目を丸くし、兄さんと杏奈姉さんは期待を寄せる笑顔になった。

「それから有珠には悪いけど、魔法を制限させてもらうわ」
「えっ。どうしてですか?」

 形の良い眉を寄せる杏奈姉さん。私の隣にいる兄さんも怪訝な顔だ。

「有珠の魔法は素晴らしいけど、それを今から知られると厄介やっかいなことになるのよ」
「厄介なこと?」

 復唱する兄さんに、お母さんは告げる。

「干渉魔法は相手の魔法にも干渉できるでしょう? それはつまり、相手の魔法をうばい、相手の力を無力化することができる。それに生成魔法は武器も作れるのでしょう? そんな魔法を知られたら政府に取り入れられてしまう。おさないのに軍事力に加えられたら、有珠が壊れてしまうわ」

 この世界は地球だけど、魔法というファンタジーが取り入れられている。
 魔法を使うためには魔力が必要。その魔力は世界中に遍在へんざいする魔力因子――別名:マナ――を体内にある魔力根幹――別名:オド――に吸収して、自分の魔力に変換しなければ生成できない。

 人間だけではない。あらゆる動物も魔力を宿している。
 けれど、動物とは違う異形の存在もいる。

 それが、体内の魔力を操ることに特化した、人類の敵――『魔物』。

 世界には魔物を討伐する組織がいくつもある。その中で日本は、国内に蔓延まんえんする魔物の討伐以外にも、危険な魔法を扱う犯罪者の鎮圧・掃討を専門とする準軍事組織――『魔法特務管理局』を、内務省ないむしょう特務機関に組み込んだ。
 世界大戦の頃では、軍事力強化のために兵士として戦場に送り出されたりもしたらしい。

 私のお父さんは、魔法特務管理局の頂点に立つ長官の補佐官。文官のような職と思いきや、戦闘員としても活躍している。
 魔法特務管理局には有能な人材が多いけれど、各地の事件を解決するにはかなり人手をようする。

 兄さんは幼いながら闇属性の魔力を持ち、闇魔法の派生の魔法も操れるから、将来は魔法特務管理局に就職することになっている。
 私は違う職業に就きたいけれど、このままでは将来の夢も持てなくなる。

 背筋が凍って二人の手を強く握ってしまう。俯く私に、お母さんはまなじりを下げた。

「時が来れば自由にして構わないわ。けど、今は隠して欲しいの」
「……ん」

 タイミングは、お母さん達に任せよう。
 私はお母さんの頼みを受け入れて、今後の対策を練ることにした。



5 / 45
prev | Top | Home | | next