猫又の精霊



 MICの発行と同時に住民登録が終わって、次は冒険者ギルドに向かう。
 冒険者ギルドは東門――私が入ってきた方――の近くにある。理由は、アルビオンの森の手前にあるヒューレーの樹海から魔獣が精霊都市に襲ってくることがあるからだ。

 MICの発行と住民登録ができる市役所の反対側にあるため、かなり歩かないといけないのが面倒だ。空間魔法で《転移》したくても、あれは一度行った場所や千里眼で目視した場所でなければ使えない。

「あれが精霊治安協会だ。エレフセリア聖王国の本部で、国内一の設備を誇っている」

 しばらくすると、精霊都市の中心部にそびえ立つ白亜はくあの塔が見えてきた。
 塔は高層ビルより低そうだが、体積は精霊治安協会の本部の方が多そうだ。証拠に、塔を支える地上の建物の幅も大きく三階建てで、敷地面積も広そう。

 勘当される前、世界で初めて建てられた精霊治安協会だと学んだ。創立は世界歴三五〇〇年だから、現在で一五一〇年も経つ。
 ドワイトの説明を聞きながら見上げて、綺麗な建物に感嘆する。


 ――その時だった。禍々まがまがしい気配を感じたのは。


「……ドワイト。街中に堕天精霊が現れるってこと、あるの?」
「は? いや、滅多なことじゃないと出ないが……」

 滅多なことでは、ということはまれにでもあるということ。
 でも、この気配の出現の仕方はおかしい。表現するなら――そう。街中で急に堕天化したような感じだ。

 直後、南側の区域から爆発音が聞こえた。

「やはりそうか……チハル」
「ん。ヒイラギは、エンジュを呼んで犯人を探させて。殺さない程度でお願い。その後に堕天精霊のところへ」

 エンジュなら犯人を見つけたら容赦ようしゃがなくなるだろうけど、その分意欲がある。
 だって、人間のせいで彼の同胞が堕天精霊になったのだから。

「私は先に行く」
承知しょうち

 ここで消えると不信がられる。それを配慮はいりょして、ヒイラギは路地裏へ姿を消した。

「ドワイト。騎士達に住民の避難をお願いしてもいい? ちょっと暴れるから」

 ヒイラギを見送って告げると、ドワイトは頓狂な声を上げた。

「は!? おっ、おい! まさか行く気か!?」
「じゃないと堕天精霊が殺される」

 偉そうな態度になってしまうけど、ここは急がないといけないから構っていられない。
 魔力による身体強化を全身に施し、地面をる。

 チリン、鈴の音を残して、一瞬でその場から消えた。



 数秒で南区に到着し、上空から建物の上に降り立つ。
 いくつかの家屋が倒壊している中で、十五歳くらいの少年を見つけた。
 否、ただの少年ではない。
 毛先が白い茶髪の頭に、茶色と黒色の獣耳と、二本に分かれた白色と黒色の尻尾を持つ。顔立ちは童顔どうがんで、勝気そうだ。黄色い着物と薄墨色うすずみいろの袴、若草色わかくさいろの羽織といったタカマ東和国の服装が似合う。
 獣人族ではない。かと言って妖魔族でも妖獣族でもない。金色の右眼と銀色の左眼といった虹彩こうさい以外の白眼部分が黒に変色し、体から禍々しい瘴気しょうきを垂れ流しているのが証拠だ。

 彼は――精霊だ。


名前:□□□
種族:精霊[獣型:猫仙人]
位階:上位[序列第二:天位]
魔力:S/1840000
神力:A/846000
属性:火・水[氷]・風[雷]
能力:変化・妖火・妖術・呪術・神通力・飛行
詳細:最上位精霊・猫神の子供であり、猫仙人の号を賜った上位精霊。大人びているようで子供っぽく、少々悪戯いたずら好き。堕天化にともない、能力値が倍増。帝位から天位へ昇格。


 念のために【鑑定】してみると、彼は天位を戴く猫仙人という上位精霊。しかも、最上位の猫神の息子でもあるらしい。
 魔力属性も多く、堕天化の影響で格が跳ね上がっている。普通なら太刀打ちできないだろう。

 ――そう、普通なら。

【神宝召喚】で天叢雲剣あめのむらくものつるぎを召喚し、念のために追加した八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを首に下げる。

「さて……ん?」

 準備が整うと、眼下で黒い制服を着た精霊師が登場し、漆黒の狼の精霊と戦わせた。
 しかし――

「ヴォルフ!」

 相手が悪かった。狼の上位精霊は帝位のようだが、相手は天位。
 目を合わせただけで妖術をかけられたのか、狼の精霊は苦悶くもんの声を上げた。その次には神通力で押さえつけられて倒れ伏す。
 精霊師の少年が悲痛な声で呼びかけるが、動けなくなったのかぐったりしている。

「殺して、やる…………人間も……精霊も……全部……全部……!」

 人間だけではなく、精霊にまで憎悪をいだいている猫仙人。
 何があったのか知らないけど、見ていられない。
 猫仙人が周囲に氷の槍を作り狼の精霊に向けて放った。

 だが、それは届かない。
 私が狼の精霊の前に降り立つと同時に、八尺瓊勾玉で結界を張ったから。

「なっ! 子供……!?」

 後ろで少年の声が聞こえる。
 今は構うことなく、天叢雲剣を猫仙人に向けてたたずむ。

「アズサ」

 呼びかけると、アズサが現れた。

「【浄化】の後、この子の治療を」
かしこまりました」

 頼むと、アズサが柏手を打つ。すると、私が張った結界の中に清浄な気が満ちていく。
 途端に胸を掴んで苦しみ出す猫仙人。
 一年前に救った堕天精霊と同じで、浄化の力は堕天精霊に効果的だ。

「ぐっ、ぁっ……っのぉ……人間風情がァ!」

 私に目を向けて呪いをかけようとしたのか、瞳が爛々らんらんと輝く。だが、無駄だ。

「っ……な、何故……!?」
「私に呪詛じゅそは効かない」

 私の能力【破邪浄罪】は、相手の背負わなくていい罪穢つみけがれを浄化するだけではなく、私自身に欠けられる呪詛・邪気・瘴気といった害悪でさえ打ち消す。
 だから私を呪おうとすることはできない。それは神が相手でも例外ではない。

 何故はっきり言えるのか。それは前世で何度も経験したから。

「……なら……!」

 今度は妖術を使ったようで、地面が崩壊する光景が視界に広がった。
 世界が崩壊するようなおぞましい感覚に構わず、目をせて一息。
 これは魔法ではなく能力による攻撃だから、手にしている天叢雲剣を逆手に持ち直し、地面に突き刺す。

 瞬間、何かが割る澄んだ音が響き、幻覚が解けた。

 私が幻覚にはまっている間に風魔法による無数の刃がおそいかかるが、八尺瓊勾玉でふせぐ。

「何故だ……ッ! 何故効かないッ!?」

 ギリッ、と奥歯を噛み締める猫仙人。その憎悪をたたえた瞳に悲しくなった。

「貴方の憎しみはもっともだ。けど、向ける相手が違う」
「黙れ! 人間などみな同じだ! 助けた精霊さえ、僕を見捨てた!」

 ……だから精霊に対しても憎しみをつのらせたのね。

「見捨てた……か。なら、どうしてこの場に猫の精霊がいるの?」

 問いかければ、怪訝けげんな顔をした猫仙人。私が周囲を見渡せば、そこらかしこに猫の中位精霊が建物の上や影から、猫仙人を見つめていた。
 徒人には視えないだろうが、私には【神交】という神霊を見て触れる能力があるから判る。

「彼等は貴方が心配だから、ここにいる」
「何を……戯言ざれごとを……!」

 何も見えないのか、猫仙人は私を睨む。
 次の瞬間、見えない何かが襲いかかる。ヒイラギと鍛錬たんれんを続けていたから、これが神通力であることに気付く。

 私は地面から天叢雲剣を抜き、同時に振り上げて神通力の根源をった。

「なっ……!」
「私の家族にも神通力を使える人がいるからね。天叢雲剣なら、力の根源を壊せる」

 ――だって天叢雲剣は、神殺しの神剣だから。


 ゆったりと説明すると、猫仙人の表情が強張こわばっていく。
 恐怖から戦慄せんりつしているようで、私を凝視する。