潮時



 さあ、幕引きまであと僅か。

「ヒイラギ」

 結界を解くと、微かな音を立ててくさりが飛んできて、猫仙人を縛り上げた。

 私がゆっくり話していたのは、ヒイラギが来るまでの時間稼ぎ。
 このまま特攻してもよかったけど、確実に救うには動きを封じないといけない。だからヒイラギが来るのを待っていたのだ。

 猫仙人は自分の状況を理解したのか逃げようと飛行するが、私の近くに降り立ったヒイラギが、大鎌についた鎖を振り下ろす。

「ガッ、ハ……ァッ!」

 鎖で拘束されているせいで逃げられない猫仙人は、敷石しきいしに亀裂が入る勢いで叩きつけられ、肺が空っぽになるほど息を吐き出す。

 うつ伏せに倒れた猫仙人は苦しげにうめく。
 痛々しい姿に心が痛むが、私は猫仙人に歩み寄る。

「ちかっ、づくなァ……人間がぁああ!」

 まだ足掻あがくようで、今度は魔法で雷の槍を放つ。

 しかし――

『《魔鏡まきょう結界》=x

 私の正面に張った結界魔法で受け止め、吸収した。
 水面に生じる波紋のような光の波。それが徐々に高まり、私は剣の切っ先で中心を軽く突く。

 次の瞬間、雷撃が放たれた。先ほど以上の強大な威力で。

 だが、これは当てるために放ったものではない。戦意をぐためのパフォーマンス。
 証拠に、猫仙人を含む広範囲に渡る結界を張り巡らし、被害を抑えたのだ。

 光が消え、露になった猫仙人は、とうとう恐怖で顔を引き攣らせる。
 痛ましい様子に無意識に憐憫れんびんから目を細め、数珠丸恒次じゅずまるつねつぐを召喚する。
 そして、猫仙人の肩に突き立てた。

はらたまえ、きよめ給え――【破邪浄罪】=v

 静かに唱えると、私の浄化の力が猫仙人へ流れ込み、純白の光に包まれる。

「うっ、ぐ…………ぁっ……」

 体から溢れる瘴気が消えていく。瞳の黒がなくなり、白眼に戻る。

 フッと浄化の力が止み、堕天化の根源が消えた猫仙人は無気力状態でうつろ目に変わる。
 私は全ての武器を消して膝をつき、猫仙人の頭を撫でる。

「もう大丈夫。もう、苦しまなくていい。だから今は、ゆっくりお休み」

 手のひらに温かな魔力を込めて猫仙人の目元に当てると、猫仙人から小さな寝息が聞こえた。すると、猫仙人の体が淡い光を放ち、燐光が散ると着物姿の三毛猫へ変わった。
 大きさは五〇センチ以上。なめらかな骨格はスレンダーで、美人な猫だ。
 ぐったりとした猫仙人の体を膝に乗せて抱きしめて、ほっと吐息を漏らす。

 また、堕ちた精霊を救えた。
 達成感から安堵すると、ヒイラギがかたわらに降り立った。

「お疲れ様。……耳と尻尾、隠さなくていいの?」

 ドワイトと別れる前まで隠していた狐の耳と尻尾が、登場の時には表に出ていた。
 ヒイラギは人間の姿でも大鎌【神武天鎌】を使えるはずなのに、これでは自分の正体が精霊だと喧伝けんでんしてしまう。
 せっかく人間社会に馴染んでいたのに、今回の騒動でヒイラギの日常がくずれた。

 申し訳なさが込み上げてくると、ヒイラギが片膝をついて私の頭をペシッと叩く。

「俺はお前の一番目の眷属けんぞく。今も昔も、何にも替えられない俺の誇りだ」

 そして、くしゃ、と頭を撫でた。

「チハルの幸福を傍で守ることが、俺の望みであり存在意義。だから人間社会の生活は、俺にとってはどうでもいい」

 ヒイラギの一途いちずな思いと忠誠心が痛いほど伝わってくる。

 本当はヒイラギにも自分の幸福というものを見つけてほしい。けれど、それ以上にヒイラギを手放したくない。
 自分がこんなに我儘わがままだなんて思わなかった。でも、ヒイラギの心を聞いて胸が温かくなった。

「それに潮時しおどきだ」

 ヒイラギの言葉の後、とっくに狼の精霊の治療が終わったアズサが戻ってきた。

「アズサ、ありがとう。大丈夫だった?」
「ええ。あとは疲労を回復させるだけです」

 それを聞いて、ほっと安心した。
 でも、まだ終わってない。エンジュに犯人探しを頼んでいるのだから。

「オスカー! 無事か!?」

 別の男性の声が聞こえた。
 驚いて顔を向けると、狼の精霊の契約者に、三人の男が駆け寄った。

 ……これ以上、アズサがいると厄介なことになりそうだ。

「アズサ、ごめん」
「いえ。先に帰りますね」

 察したアズサは微笑んで、姿を消した。
 あとはエンジュが早く来てくれるといいけど……。

「お前、いったい何者だ?」

 不意に、オスカーと呼ばれた少年が私に近づいてきた。
 黒のさんばら髪に、凛々しい青い瞳。十代前半と思われる年頃らしい顔立ちで、身長は人型の猫仙人より幾分いくぶんか低い。総合的にカッコイイ系の美少年は、どことなく黒狼の精霊に似ていた。
 そんな彼は今、険しい表情で私を見下ろしている。

「さっきの精霊だよな? 何で複数の、しかも上位精霊がお前にしたがってるんだ」

 少年は質問を投げかけてくる。当然の疑問だが、どこか疑っているようだ。
 アズサを呼んだのは、ちょっと失敗したかもしれない。けど、彼の精霊を助けるためにはいたし方なかったし……。

「それにお前、どうやってその堕天精霊を――」

 質問を募らせる少年に困っていると、ヒイラギから殺気を感じた。
 少年も悪寒を覚えたのか、恐る恐るヒイラギを見上げる。

「貴様は、貴様を助けた我が主に礼すらないのか。礼儀がなっておらぬようだな、小僧」

 ヒイラギは礼儀を守らない人間が嫌いだ。そして、へつらう人も。

 血が凍りつきそうな冷徹れいてつな眼を向けられた少年は喉を引き攣らせ、ガクッと座り込む。
 青ざめて震える少年に溜飲りゅういんが下がったのか、ヒイラギは威圧感を消す。

「何か言うことはないか」
「……ぁ……は、はい……。……助けてくれて、ありがと……ございます……」

 途中で丁寧ていねいに言い直した少年。彼の強張った表情を見て、私は苦笑する。

「私は見捨てるのが嫌だっただけだから。でも、どういたしまして」

 微笑んで礼を受け取れば、少年は頬を赤く染めてそっぽを向いた。

 その時、少年の真後ろに何かが落ちた。
 ドサッという音にビクッと震えた少年が勢いよく振り向くと、そこには鎖で腕を胴体どうたいごと縛られた男が倒れていた。ボコボコに痛めつけられた顔には青痣あおあざや鼻血が……。

「え、エンジュ……やりすぎじゃない?」

 少年の後ろ側をのぞき見た私まで頬を引き攣らせて近くに降り立ったエンジュを見上げれば、彼は妖艶ようえんな美貌に仄暗ほのぐらかげを含めた笑みを浮かべていた。まるで極道の頭領みたいな覇気はきすら感じるのは気のせいではない。

「殺さない程度なら問題ないはずだ」
「……それは、そうだね。エンジュもお疲れ様。ありがとう」
「どういたしまして」

 お礼を言うと、涼やかな笑顔に戻った。
 ほっと安堵すると、エンジュはヒイラギに顔を向ける。

「今回の報酬は?」
「麦と芋の焼酎が二本。赤・白の葡萄酒ぶどうしゅが二本。……純米吟醸酒が一本だ。文句は?」
「吟醸酒がもう少し欲しいが、それで構わない。では、楽しみにしているよ」

 満足そうに笑って、ふっと消えるエンジュ。
 ヒイラギは少し顔をしかめていたが、溜息を吐いて元に戻した。

「お疲れ様」
「あいつの要求には疲れる」
「それだけ美味しいってことだから。ドワイトもすごく褒めていたし」

 精霊都市に入る前のことを思い出しながら言えば、フン、とヒイラギは鼻を鳴らす。
 少しは機嫌がよくなったようだと感じつつ、猫仙人を抱えて立ち上がる。

「それで、その猫又はどうするつもりだ」
「精霊治安協会に預けたいけど、この子は天位だし、メンタルケアもしないと。それに、一度は堕天化したのだから、安全の証明も必要かな」

 猫仙人の今後のことを考えてから、冷たい目で拘束された男を見下ろす。

「精霊狩り≠フ引き渡しもしないとね」

 私の一言に、周囲にいる人々が息をむ。
 まさかこの男が精霊狩り≠セと思わなかったのだろう。

「……面倒だな」
「こればかりはしょうがないよ」

 私だって面倒なことは嫌いだ。けれど、正規の法廷で裁かれないと、世間は犯罪者を犯罪者と認めない。だから、面倒でも社会的な罰を受けさせなければ。