前世の出自



「チハル」

 後ろからアズサの声がかけられた。
 顔を上げると、アズサが私の左手を取って【治癒】をほどこしてくれた。

「ありがとう」
「礼は不要。……ですが、もっと御身おんみを大切にしてください。自らを傷つけるなら、私もヒイラギもだまっていません」

 治った私の手を握ったアズサは、外気に触れてピリピリと痛む頬の傷に触れる。

「もう二度と……死なないでください」

 湿っぽい声で、濡れた瞳で、私に懇願こんがんする。
 アズサの泣きそうな顔は久しぶりに見る。家族の前でも、いつも凛とした優雅な姿勢だから忘れられそうだけれど、彼女は私の次に脆い。大切なものを失う恐ろしさを知っている。

 それなのに榊奈桜前世の私は、彼女の前で死んでしまった。

 頬から流れる血の温かさを確かめようとする姿に、心苦しさが襲いかかる。
 けれど、アズサの不安をぬぐい去りたくて、頬に触れるアズサの手に自分の手を重ねた。

「……分かってる。大丈夫。私はもう自分から死んだりしないよ」

 淡く微笑んで言えば、アズサはきつく目を閉じて、やがて力を抜いた。

 私は無魔法で一般的な生活魔法を使って、自分とアズサの手についている血を消す。
 身綺麗にして、猫仙人に向き直る。

「抱き上げていい?」
「……はい」

 荒々しい言葉遣いではない、丁寧な返事。
 少し驚いて目を見張った私は表情を戻し、猫仙人を抱き上げて元のソファーに戻った。

「それで、どこから話そうかな……」
「……先程聞こえましたが、貴女は死んだことがおありなのですか?」

 イリーナの急な丁寧語での質問に目を見開いてしまい、苦笑する。

「はい。私には地球≠ニいう名の星がある世界で、十六歳まで生きて、死んだ記憶があります」

 しん、と耳が痛くなるほどの沈黙ちんもくが支配する。
 イリーナ達の痛いほどの視線が突き刺さって、困り顔で笑ってしまう。

「地球では精霊≠ニいう存在は表社会にありません。魔力も魔法も、何もかもが空想の産物で、科学も電気というエネルギーで動いて、発展していました。私は、その世界の稲荷神いなりがみという穀物・農耕のうこうつかさどる神様の眷属・稲荷狐の長、狐神の父と、巫女である人間の母を持つ人間として生きていました。両親が健在である時から、ヒイラギとアズサは家族でした」
「……ま、待ってください。貴女が……神様と人間の……娘?」
「前世の話です。今はもう、ただの人間ですよ」

 イリーナの動揺どうように苦笑しつつ訂正すると、後ろに控えているヒイラギが補足。

「ただの人間とはいえ、両親の影響で莫大ばくだいな霊力を持っていただろう。巫女姫として妖怪どもと渡り合い、神霊をしずめ、救った。その霊力に反映はんえいしているのか、霊力が魔力に変換された。今もあの狐神から祝福をさずかっているだろう」
「まぁ……【異界の神の祝福】って載っているし……」

 これは口で説明してもどうにもならない。できることなら見て証明できるものが欲しいけど……あ、そうだ。

「鑑定紙ってありますか?」

 鑑定紙とは、スキル【鑑定】を持つ者が個人情報を写し出す時に使う特殊な紙。
 これがあればすぐに証明できるけど、あるだろうか。

 尋ねると、イリーナが秘書の男に目配せして、視線に気付いた秘書が長官の執務机の引き出しから一枚の紙を持ってきた。
 権能【神隠れ】を解除し、【宝物庫】から出したナイフで親指に傷をつけて、受け取った真っ白な鑑定紙のすみに擦り付ける。同時に魔力を込めれば、紙に情報が映し出された。

「……え?」
「はあ!?」

 イリーナが呆然と、ドワイトが頓狂とんきょうな声を上げる。
 それはそうだ。MICに無いはずのスキルと子供ではありえない体力はともかく、魔力はEX級、神力はS級。人族の子供なのに竜族を超えているのは異常だ。

「MICの情報を捏造できたのは、神から授かった権能【神隠れ】のおかげ」

 アズサに指の傷を治してもらって、テーブルに置いた鑑定紙を指差す。

「これが証拠。神力は、神以外に契約している精霊の神力の影響」
「……契約に、三体の精霊がいますが……」

 イリーナの視線は契約の欄に集中している。
 その疑問はもっともだ。何せこの世界では「眷属は一体のみ」と決まっているのだから。
 私は『能力』の項目にある一つの能力に指先を向ける。

「それは前世からある【式神契約】のおかげ。式神は、妖怪≠ニいう前世の故郷こきょうで言う精霊にあたる存在を眷属――配下にする能力。【式神契約】のメリットは、動物でも神霊的な存在でも眷属にでき、眷属の能力値を自分の能力値に反映できること。デメリットは自分の魔力で眷属をやしなうことと、戦闘時に魔力または神力を送ると消耗しょうもうが激しいことくらい」
「貴女の魔力は、それが影響していると……?」
「そうですけど、初期の五〇〇万は前世から持っていました。成長するにつれ増えましたが」

 生まれながら竜族と同格の魔力をそなえる。これは妖精族であるイリーナでも信じがたいようだ。
 でも、これは現実なのだ。できることなら受け止めてほしい。

「神位の精霊が二体。天位の精霊が一体。……これは、偽りない現実ですよね?」
「もちろん。なんならもう一人呼びましょうか?」

 イリーナに現実を教えるためなら呼ぶ方がいいだろう。
 そう思っていると、ドワイトが訊ねる。

「そーいや、そこの精霊の彼女はどうやって出てきたんだ? 普通だと契約者の中から出てくるんだが……」
「私の家=\―【幻想郷】から。神術で創り上げた別次元にあるから、私とたましいの結びつきがある式神なら自由に出入りできるの。他人は正式な手続きが必要だけど」
「……どっから突っ込めばいいんだよ」

 ガックリと脱力するドワイト。

 頑張れ、ファイト。それでも騎士団長か(笑)

 含み笑いを浮かべていると、イリーナが興味深そうに猫仙人を一瞥する。
 私の膝の上に乗っている猫仙人が気まずそうに身じろいだ。

「では、その天位の精霊様を、どうやって救ったのですか? 堕天精霊に堕ちてしまうと、命を絶たなければ止められないはず」
「それは前世からある【破邪浄罪はじゃじょうざい】で。これは呪詛じゅそ・邪気・瘴気といった害悪と、本来持つことのない罪穢つみけがれをはらい、魂を救済する力があります」

 鑑定紙にある『能力』にも載っているから、それを指差して教える。

「自ら進んで犯した罪は消せない。でも、操られたり暴走したりで犯してしまった罪なら浄化できます」
「……なるほど。それを聞いて安心しました」

 きっとあらゆる罪人の罪業を消すことができると予想したのだろう。
 罪を消すということは、本来受けるべき罰を免罪されるということ。それは神々のいましめでさえ無効となってしまう。

 でもこれは、罪無き者の罪をそそぐ≠セけの力しか持たない。

 悪漢に襲われて抵抗し、あやまって逆に殺してしまった。

 殺意は無かったのに、突き飛ばした拍子に生じた怪我で死なせてしまった。

 弱みを握った相手の命令にしたがい、望まない罪を背負ってしまった。

 本来の自分ではない何か≠ノ支配されて暴走してしまった。

 ――そんな心無い罪を消し、魂を浄化する。それが【破邪浄罪】。

 猫仙人のように堕天化して暴走した場合、正当な感情にもとづいているから浄化対象になる。
 復讐心を持ち、復讐する相手を殺す。これも正当な仕返しだから罪にならない。
 端的に言えば、正しい心の在り方を持つ者だからこそ猫仙人は救われたのだ。だからイリーナの危惧きぐするような、自身の悪事を無かったことにするという効果はない。

 イリーナの懸念けねんが晴れて良かった、と密かに安堵した。

「他に質問は?」
「……少し、考えさせてください」

 膝にひじを載せて、指を組んだ手を口元に当てて真剣に考え込むイリーナ。

 おそらくこの力の有用性について思案しているのだろう。
 退魔士は堕天精霊を討伐することで、精霊の罪を重くしないよう輪廻転生に送り、堕天精霊による被害を最小限に抑える。
 この力があれば、今まで救えなかった堕天精霊を救える。殺す必要がなくなるのだ。

 だが、それは退魔士の在り方に水を差すようなもの。
 大義名分として堕天化した精霊を殺してきた。それが別の救済する方法で常識をくつがえされると、精霊を信仰する民衆は新しい方法を支持し、従来じゅうらいの方法をいとい、反発する。最悪、暴動が起きる可能性だってある。
 これまでの苦渋くじゅうが解消される代わりに、退魔士の存在意義を否定してしまう。

 長い時間をかけて察して、ふと、あるものを作ったことを思い出す。それは前世で作ったことのある、誰にでも扱えるように編み出した道具アイテム

【宝物庫】から長方形の木箱を取り出し、ふたを開ける。
 中に入っているのは、複雑な文字を描いた長方形の和紙。

 この世界には一般的な力である魔法の他に、道具を用いて己が持ち得ない属性の力を行使する術――『魔術』が存在する。

 魔法は、己の魔力と呪文のみで世界式を一時的に改変する技能。

 魔術は、各属性の魔力を秘める魔石や魔核を用いた道具――『魔術具』を媒介ばいかいに魔法≠発動する技術。

 個人による力ではなく、道具に頼って成せるから魔術≠ニ呼ばれる。
 誰でも使えるが、魔石や魔核に宿る各属性の魔力を燃料とするため、コストがかかる。

 他にも魔術具とは違う『術符』と呼ばれる物がある。それは魔術具の代わりとなる魔術発動の媒体。これは魔術に使う属性を保有する魔法使いの血を専用のインクに含ませ、特殊な紙に術式を書き込み、使用者の魔力を流し込むことで魔術を発動する。
 遠隔操作で行える他、条件が揃った時に発動するように仕掛けられる。前もって狩場に設置すれば、落とし穴や地雷のような罠として使える便利な性能がある。これも誰でも使えるが、魔術具と違い一回限りなのでコストがかかる。けれど魔術具より安価だ。

 術符を作る材料は、特殊なインクに魔法使いの血、魔力を多く含む樹木で作られた紙、破れないように補強する透明なシートフィルム。形状はトランプのカード。術式は魔法陣や属性の刻印。

 私は無属性だから、不純物を混ぜることなく様々な術符を満遍まんべんなく作れる。
 それと同じく、前世の陰陽師や退魔師が使う護符も。
 前世の巫女時代でもいろんな護符を作ったから、作り方はおぼえている。