取引



「それは何ですか?」

 私が出した護符に気付いたイリーナがたずねる。

「護符です。前世では高尚な術を使うための道具でした。こちら≠ナ言う魔術に近い代物です」

 箱に入っている護符には、篆書体てんしょたいに近い文字で赤く【破邪浄罪】と書かれている。
 一枚を取り出してテーブルに置くと、イリーナは目を見開く。

「これから神力を感じますが……」
「神力を込めて書いたから。おそらくですけど、霊木で作られた紙と、聖水か神水で作った墨または朱墨、聖属性や神力を組み合わせてこの文字を書けば、量産は可能かと」

 私の言葉に、イリーナはハッとして顔を上げる。
 察しが早い彼女に、柔らかく微笑む。

「この護符なら、神力を持つ者なら【破邪浄罪】を使えるはずです」

 私だけの能力を、他人でも使える唯一ゆいいつすべ
 最善の可能性を示せば、イリーナは息を呑んで衝撃を受けた顔で固まった。

「神力を持つ退魔士は限られていると思いますが、上位精霊と契約しているなら少しでも神力の恩恵を得られるはずです。使用後の反動は判らないので、そちらで検証してください。使用が可能となれば、三人ひと組のチームを組ませることをおすすめします」

 少し気が早いが、使用可能となれば堕天精霊を救える。
 使用法も単純だが、実行するには危険を伴うため、複数人は組ませる必要がある。

 けれど、私はこれを無償でゆずるようなことはしない。

「ただし、教えるからには情報料と売上料を何割か貰います。これは私の能力そのものですから、箝口令かんこうれいも敷いてください」

 私の能力を露呈することになるのだ。それくらいは徹底しなければならない。

「それから製法も限られた人以外に打ち明けないでください。でなければ精霊狩り≠ェ利用し、捕らわれた精霊の堕天化を防いでしまう。そうなれば精霊狩り≠ヘ自滅しませんし、逃げ出した精霊を救えません」

 懸念事項も同時に告げて、ふぅ、と一息。

「――これが、貴方達に提示できる唯一の好機です」

 私が与えられるチャンスはこれっきり。でなければ次々と要求されてしまう。
 私は堕天精霊を救いたい。この思いは前世でこなしてきた巫女としての使命感に近い。
 けど、退魔士のためではない。協力することはできても、過干渉はしたくない。
 私はまだ、彼らを信用できないから。
 今世は天寿てんじゅまっとうする。そのためにも余計な不安要素は最小限で済ませたい。

「……よろしいのですか? これは、貴女の一財産ですのに」
「私だって精霊を殺されるのは嫌ですから。でも、先程言った条件をちゃんと全うしないのであれば、その時は報復させてもらいます」

 鋭い眼差しで見据えれば、イリーナは息を詰めて強く頷く。

「分かりました。その申し出、ありがたく受け取らせてもらいます」

 真剣な顔で言ったイリーナ。

 これで無益むえきな殺しをけられる。ただ、情報の漏洩ろうえいが心配だ。
 できることなら欲深い人間――否、人族以外の作り手がいれば安心だけれど……。

「製作は人族ではなく、妖精族や竜族に任せると安心ですけど、難しいですか?」
「そう、ですね……あぁ、ですが我が本部には上位精霊と契約した妖精族と竜族が何人かいます。信頼に値する方々なので、彼らに頼みましょう」

 意外だった。妖精族も竜族も精霊をあがめるのに……て、そうだ。神位の精霊と契約したハイエルフのイリーナがいるのだから、ありえない話ではない。

「チハルさんは、退魔士にはなられないのですか?」
「え? いえ、なりません。冒険者として活動したいので」

 私が退魔士になれば、私という存在の知名度が上がってしまう。そうなれば複数の精霊獣と契約できる秘密を知られてしまう。
 知名度は低くなければいけない。仕事の斡旋あっせんのためなら名声は売った方がいいけれど、身を護るためなら余分なものは排除はいじょするべきだ。

「でしたら、堕天化した上位精霊が出現した時に、ご協力をお願いできませんか? もちろん指名依頼として申請しんせいしますので、報酬も用意します」

 けれど、イリーナが助力を要請する理由は分かる。上位精霊である猫仙人を救った実績があるのだから、精霊を救うための手札は多いに越したことはない。

 この提示は受けた方がいいだろう。精霊治安協会との繋がりはあった方が、今後何か起きた時に助かるはずだから。それに恩を売って損はしない。

「……分かりました。依頼ということなら、協力します」

 受け入れれば、イリーナは肩の力を抜いて安堵した。

「では、後でMICの更新をしましょう。一体だけでも精霊と契約していると喧伝けんでんしなければ、冒険者として活躍する時も支障が出ますので」
「……そう、ですね」

 また市役所に行かないといけないのか。あの距離をまた徒歩で行くとなると、げんなりしてしまう。
 軽く引き攣る私に、イリーナはクスクスと笑う。

「ご安心ください。協会の本部にも、専用の装置がありますので」

 意外な情報だったが、ほっと安堵する。
 よくよく考えれば、精霊と契約したことを精霊治安協会に提示する義務があることを思い出す。そうしなければ精霊狩り≠ノ狙われた際、迅速じんそくに対応してもらえないからだ。

 理解していると、イリーナは私の膝にいる猫仙人に視線を向ける。

「ところで、そちらの精霊をどうしますか? こちらで引き取ることはできますが……」

 イリーナが申し出ると、びくりと猫仙人は体を震わせて私にしがみつくように爪を立てた。
 ちょっと痛いけど、嫌がっている彼を引き渡すのは気が引ける。

「うーん。今のこの子は精霊界に帰りづらいだろうし。家≠ノ連れて帰るにしても、精霊の手続きは難しいですし。かと言って、ここにいるのは嫌がっていますし……」

 難しい問題に突き当たってしまった。

 今は精霊界に帰るのは心身ともに難しいだろうし、私が引き取るにしても仮契約したがらないと思う。
 猫仙人の将来を考えると、今後どうすればいいのだろう。

「……あの」

 唸るように悩んでいると、猫仙人が控えめな声で私に声をかける。

「貴女は……多くの精霊と契約できるんですよね?」
「ぅん? うん。そうだけど」
「でしたら、僕と契約してください」

 猫仙人の願いは意外すぎて、驚きから目を瞠る。
 私だけではなく、ヒイラギとアズサ、イリーナ達も。

「……いいの? 人間に縛られることになるのに」
「貴女だからいいのです。僕を救ってくれた貴女だからこそ」

 真っ直ぐなオッドアイで私を見据える猫仙人の意思は固そうだ。

 救った私だから……か。

「恩を返そうとしなくていいよ。でも……じゃあ、これからは家族だね」
「……家族?」

 きょとんとする猫仙人の表情は可愛らしい。
 自然と頬が緩み、笑みが浮かぶ。

「うん。上下関係のへだたりは無い、心から守り合いたい家族。駄目?」
「……いえ。素敵です」

 泣きそうなほど瞳を潤ませて目を細める。
 嬉しそうな表情に安心して、次は名前を考える。縁起のいい植物はたくさんあるけど、この子に似合う植物はあるだろうか。

 ふと、猫仙人の瞳を見て、月みたいだと感じる。
 ……月? あ、そうだ。

「私の前世の故郷では、ダプネーを月桂樹と言うの。月に桂の樹と書いて月桂樹。その月桂樹に含まれる一文字――桂=Bそれが、貴方の名前。どうかな?」

 名付けると、ブワッと猫仙人の体毛が逆立つ。
 あれ、嫌だった?

「すごく、素敵だと思います」

 あ、気に入ってくれたようだ。よかった。

 結構びっくりした私は安心から微笑み、【宝物庫】から出したナイフで親指の腹を薄く切る。

「【式神契約】にはお互いの血が必要だけど、大丈夫?」
「はい」

 頷いた猫仙人――ケイが、私の膝から飛び降りる。すると光に包まれ、あっという間に猫耳に二又の尻尾を持つ少年に変わった。
 堕天化した時とは違う清廉せいれんな魔力と神力を肌で感じて、やっぱり綺麗だと思った。

 ナイフを手渡すと、ケイも親指に傷を付ける。それを確認して、私はケイのひたいに、それにならってケイは私の額に血をつけた。


「我が名はチハル・サカキ。汝、ケイを我が眷属に降す」
「我が名はケイ。契約主、チハル・サカキの眷属に降る」

「式神契約、ここに完了とする」


 私が先に唱えると、ケイは察して同じく告げる。
 胸に刻まれた契約印に温かな熱が流れ込む。そして締め括ると、互の額についた血判が消えた。

 契約には霊力――否、魔力が必要となる。契約対象の能力が強いほど多く消費する。
 軽い疲労感から肩の力が抜けると、アズサが私達の指の傷を治してくれた。