精霊の嗜好



「……意外と簡単なんだな。もっと手順があるのかと思ったんだが」
「誓約すると長くなるけど、家族の間には必要ないから。アズサ、ありがとう」

 ドワイトの感想に返答して、傷を手当してくれたアズサにお礼を言う。

「じゃあ、後はMICの更新と……冒険者ギルドの登録」
「あとは家探しだな」

 付け足すヒイラギに、思わず苦々しく顔をしかめてしまった。
 一応、アルビオンの森に住んでいることになっているから、住民登録のために住所は確保しないといけない。アパートやマンション――共同住宅なら早いけど……。

「安いとこあるかなぁ……」
「安いところって……セキュリティとか心配しないのか?」

 ドワイトが心配そうに訊ねるのも仕方のないこと。

 この世界は地球≠フ現代日本と似ているところがあり、セキュリティも万全だ。
 しかし、それはしっかりした設備が整った家に限る。私が求める安い物件だと、セキュリティ対策はおそらく組み込まれていないだろう。

 けれど、私には問題ない。

「どうせ戸籍目的だから。家≠ヘ異次元にあって、居住できる本殿の敷地は、精霊治安協会の本部と同じぐらいだから。居住空間の外は、この都市の数倍以上。三割ほどが田畑で、自給自足も可能だよ」

【幻想郷】の規模を一部だけ教えると、ドワイトとイリーナは目を丸くした。

「――あぁ、そうだ。チハル、田圃たんぼだが拡張してもいいか?」

 その時、ヒイラギが思い出したように口を挟んだ。

 現在の【幻想郷】は、約一里――約四キロメートル――が本殿を含めた山地。山の麓から最奥の断崖だんがいまでが樹海。樹海は小川・滝・谷など、修行に適した環境で整っている。
 樹海の三割が田畑で、内の四割が田圃。三割が果樹園で、三割がアズサの管理する畑。
 畑と果樹園より広いのに、これ以上田圃を増やされると管理が大変になる。

「そんなにお米が欲しいの?」
「ケイが家族に加わったのだ。これ以上減ると困るだろう」

ご飯のための米が減る=\―ではなく、お酒に必要な米が減る≠ニいう意味だろう。
 頭痛から指先でこめかみを押さえ、重々しく溜息を吐く。

「これ以上は管理しきれなくない? 収穫も時間や労力がいるのに」
「言っておくが、米だけではない。先日、蜜柑みかんの苗が手に入ったのだ」

 ただ米が欲しいだけなのかと思っていたが、それだけでは無かったようだ。
 いや、それよりちょっと待って。

「……蜜柑? えっ、この世界にもあったのっ?」

【幻想郷】の果樹園で栽培している果物は、林檎、梅、桃、葡萄、さくらんぼの五種類。
 ちなみに、どれも酒造に向いている果物。
 でも、重要なのはお酒ではない。前世の故郷・日本ならではの冬の風物詩だ。

 我が家には炬燵こたつがあるのに、冬に蜜柑を堪能たんのうできない。日本での冬の楽しみが減った気がして少しさびしかった。それでも流石に地球と違うので、蜜柑は無いのだと諦めていた。

 それが、この世界にもあるの?

「精霊界の温暖な地域にあった。段々畑に最適な斜面の頂上でなら、ちょうど栽培できるだろう」
「……なるほど。段々畑なら管理はそれほど難しくはないし……。ちなみに蜜柑の苗はいくつ?」
「二つだ」
「……それなら管理できそうね。分かった。でも、広げすぎるといけないから、場所と規模の確認はさせて」

 全部任せてしまうと、調子に乗って拡張しすぎるだろうから。
 念を押せば、ヒイラギは「ああ」と上機嫌な声色で返事する。

 畑仕事なのに活き活きしている。やっぱり好みのお酒ができるからかな。

「精霊が……畑仕事をするのですか?」

 その時、イリーナが恐る恐る訊ねた。
 妖精族にとって信じがたいことなのだろう。けれど、これが現実だ。

「ヒイラギは妖怪の頃からお酒が好きですから。特に前世の故郷のお酒が。それを再現して作るのが、今のヒイラギの趣味です」

 説明すると、イリーナは目を丸くしてヒイラギを凝視する。

「ん? 米の酒……?」

 ここでドワイトが反応する。

 この口振りは飲んだことがないのかな? ということは……。

「……ヒイラギ」
「あれは麦と違い限りがある」
「……まぁ、御神酒おみきだしね」

 日本では、神田かんだで採れる米の吟醸酒は清酒せいしゅという神酒。【幻想郷】は神域になっているし、精霊が作った田圃ということで神聖的な効力が宿っている。
 いわば幻の酒=Bヒイラギが最も力を入れている、精霊が造る神酒だ。

「あの、チハル様」

 控えめに声をかけたケイは、チラッとヒイラギを一瞥する。

「ヒイラギ兄様はお酒を造っているのですか?」
「あ、うん。吟醸酒や果実酒をね」
「果実酒! すごい……!」

 瞳を輝かせて拳を握り、ヒイラギを見上げる。
 ヒイラギは兄様≠ニ呼ばれて目を丸くしていた。

「ヒイラギ兄様。僕もヒイラギ兄様が造った果実酒を飲んでみたい!」
「……果実酒なら、林檎、梅、桃、葡萄がある。それでいいならくれてやる」
「ありがとう!」

 ケイはヒイラギに対して恐怖を持っていたはずなのに、お酒に食いついて尊敬の念をいだく。

「シャンカラ。貴方もお酒を飲むのですか?」

 イリーナが先程から出している有翼の獅子に質問する。
 シャンカラと呼ばれた有翼の獅子は、鷹揚おうように頷く。

「精霊界には聖なる泉≠ニ呼ばれる泉や湖が多くある。その水には魔力や神力が多く含まれているからな。飲むだけで回復し、心地良い酩酊めいていを感じる。人間界の酒は飲んだことがないが、おそらく似たようなものだろう」

 初めて聞く精霊界の情報だが、御神酒と似通っているのなら、なんとなく解る。

「たぶんだけど、精霊用は酒造法もことなると思う。私の家≠ナ作られるものは、魔力と神力が多く宿っているから。ヒイラギが作るジュースも特殊だし」

 私もヒイラギが作るジュースで、魔力と神力を回復させている。普段は一杯だけで充分だから、魔力を多く消費した日の夜に飲んでいるのだ。

 思い出して言うと、シャンカラは瞳を輝かせてヒイラギを見上げた。
 期待感を寄せる眼差しに、ヒイラギは嘆息して訊ねた。

「甘口と辛口、どっちが好みだ」
「……?」

 首を傾げるシャンカラに、ヒイラギは懇切丁寧こんせつていねいに説明した。

「米や果実で造る酒は醸造酒じょうぞうしゅ、焼酎は蒸留酒じょうりゅうしゅと言う。米で造る醸造酒は吟醸酒や純米吟醸酒といった種類があるんだが、おそらく米のみ、もしくは米と醸造アルコールで造る酒が聖なる泉≠ノ近いだろう。神事に使う神酒は米が原料だからな」

 そう言って、ヒイラギは【宝物庫】からいくつかの酒瓶を取り出した。

「酒はアルコールの度数で味が変わる。甘さや辛さの段階もそうだ。聖なる泉≠ヘ甘めだったから度数は若干低い方だ。紹介するなら、甘みの強い白桜、程良い甘口の青蓮、中辛口の黄菖蒲、辛口の鬼百合、辛みの強い紅椿。聖なる泉≠ヘ青蓮くらいだろう」

 淡々と紹介すると、ほとんどの人がごくりと生唾を飲んだ。
 イリーナも興味があるようで、真剣に傾聴けいちょうしている。

「言っておくが、高いぞ」
「いくらだ?」
「一番強い甘口と辛口は大銀貨五枚。通常の甘口と辛口が大銀貨三枚。中辛が大銀貨一枚だ。これは一般の米だが、製法の難しい米は小金貨の価値がある。【幻想郷】の米は金貨だ」

 ヒイラギが答えると、訊ねたドワイトは頭を抱えた。

「金貨…………うわぁ……飲みてぇ……」

 どれだけお酒好きなの。

 ちょっと引いていると、イリーナが執務机に行ったと思えば大銀貨八枚を持ってきた。

「白桜と青蓮を一本ずつ」
「あっ! ズリィ! 俺は紅椿と鬼百合!」
「……ちょうどだな。そこの秘書もいいぞ」
「では、黄菖蒲を」

 イリーナとドワイトが買っているのをうらやましそうにながめる秘書に声をかけると、ちょうど残った中辛の黄菖蒲を買った。

 大人って、お酒を前にすると変わるのね……。

 私とアズサは顔を見合わせて、苦笑いが浮かんでしまった。



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