穏やかな別離



 気がつくと、私は見覚えのある場所に立っていた。
 それほど急ではない斜面を描く石の階段。その道をまたぐようにそびえ立つ朱塗しゅぬりの鳥居。
 桜の花びらが舞い散る中、私は……その見覚えのある風景に心が締め付けられた。

「……どうして……?」

 私は死んで、異世界に転生したはずなのに。
 どうして幼い頃の我が家の前にいるの?

 ふと、自分の姿を見遣る。

 転生しても変わらず黒髪黒目。親に無い色彩のせいで、不気味だと陰口を言われた。
 腰の位置まで伸びた黒髪はストレートのままだけど、服装が巫女装束になっていた。

 前世の幼少期と同じ、白衣はくえ緋袴ひばかまの上に、抱きいね神紋しんもんを朱色で描いた透け感が美しい白い千早ちはやを羽織り、黒漆塗くろうるしぬりの浅沓あさぐつを履いていた。

 前世の幼い頃とそっくりの姿に泣きたくなる。

 その時、ケーン、と狐の鳴き声が聞こえた。
 顔を上げると、石段の上に真っ白な狐が座っていた。
 金色の瞳と、目元に描かれた朱色の線が特徴的な……。

「……あ……。お……おとう、さん……?」


 見間違えるはずがない。彼は、『榊奈桜』のお父さんだ。
 稲荷神の眷属けんぞくの長である狐神。
 大切な家族の姿を、私が忘れるはずがない。

 胸が張り裂けそうなほど苦しくなって涙が溢れる。ぽろぽろと、熱く感じる涙でほおらす。
 目の前が滲んで見えなくなって、あわてて目を擦る。けれど、涙は止まってくれない。

 手つきが乱暴になってくる。すると、大きな男らしい手が私の手を掴んで止めた。
 息を詰めて顔を上げれば、あの頃と変わらない人間姿のお父さんがいた。

「苦しい思いをさせてしまったな」
「おとぉ……さぁん……っ!」

 変わらない声を聞いた途端、耐え切れなくなって大泣きした。
 わんわん泣いてしまうけど、お父さんは私を抱きしめてくれた。
 変わらない温もりに更に涙が溢れて、焼けそうなほど喉を引きらせた。

「あいっ、たかった……よぉ……!」
「我もだ。美春と子供のことは残念だったが、奈桜まで死んでしまうとは……」

 くやしげな声音に、心臓が痛くなった。私は事故や他殺で死んだのではないのだから。

「ごめん、なさい……! 私っ……!」
「事情はお前の眷属から聞いた。孤独にさせて、すまなかった」

 お父さんは悪くないそう言いたくても言葉がまともに出ない。
 心苦しくなってくると、お父さんが私の頭を撫でた。

「十年の時をかけてよみがえる予定だったのだ。あと一年で会えるはずだったが……」

 知らなかった事実に驚き、顔を上げる。
 涙の勢いが少しずつ納まっていく中で、お父さんは私のひたいくちびるを寄せた。

「そちらの創造神と女神と同等の恩恵を奈桜にさずけよう。そして、目覚めたら眷属の名を呼ぶのだぞ。彼奴きゃつら、今か今かと待ち望んでいるのだ」

 眷属と聞いて目を丸くする。

 もしかして、あの二人が? こんな私に呼ばれることを待ち望んでいる?
 苦しめてしまうなら会わないようにと、ずっと口に出さないよういましめていたのに。

 また、胸の奥が詰まって涙がにじんだ。

「そろそろ時間だな」
「えっ。それって……もう会えないってこと?」

 お父さんの一言に焦燥感しょうそうかんが込み上げてくる。
 心細さとさびしさが込み上げて泣きたくなったが、お父さんは私の頭を撫でた。

「お前はもうこちら側≠フ世界の人間ではない。たとえ我が娘だったとしても、それは過去のこと。世界のことわりを捻じ曲げることはできない。だから、これでお別れだ」

 誤魔化ごまかすのではなく、はっきりと決別けつべつを告げる。

 お父さんらしい優しい厳しさ。前世の幼少期も、こうやって同じように諭してくれた。
 なつかしい日々の断片を久しぶりに思い出して、ふっと笑みがこぼれた。

「お父さんは変わらないね」

 もう二度と会えなくなるなんて、すでに前世で経験したこと。なのに、あの時のような悲しみの強さは変わらない。

 でも、決定的に違うものがある。
 それは絶望していない≠ニころ。

 前世の私は、愛していた両親をうしなって、母方の実家で不遇ふぐうを、学校ではいじめを受けて、自殺にいたるまで追い詰められた。何もかもが無機質になって、無気力になって、何をやっても無味乾燥で。生きていることがつらいと感じる日々を送っていた。

 くらべて今は、前世のあの頃とは違う。未来に希望を持っているし、目標だって作れた。たった一度だけでもお父さんと再会できて満足しているし、心も穏やかだ。

 今世の弟との別れを割り切れるほど、物事を客観的に見られるようになれたのは、ちょっと薄情かもしれないけれど。でも、今度こそ幸せになれる可能性を見出せる。それが何よりの進歩だ。

「私、頑張るよ。もうお父さんの子供じゃないけれど、私の本当のお父さんは、ずっとお父さんだけだから。……だから、これからもお父さん≠チて呼ばせて」

 切ない気持ちを込めて微笑めば、お父さんは息を呑む。
 そして、力無く笑った。

「やはり、お前は美春にそっくりだな。生まれ変わっても、変わらないとは……」

 よく見ると、お父さんの瞳が濡れている。
 初めて見るお父さんの涙に、私も瞳をうるませた。

「もちろんだ。たとえ榊奈桜でなくなったとしても、お前は愛しい我が娘に変わりない」
「……ありがとう」

 安心からはにかむと、まなじりから涙がこぼれ落ちた。

「お父さん、ずっと愛してる。……さようなら」
「……ああ。我も愛している。さようなら、奈桜」

 薄れゆく意識の中、最後は笑って別れを告げた。

 これが最愛の家族との、本当の別れだった。



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